港町のカフェテリア 『Sentimiento-Cinema』


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シネマ・ポップス…ときどきイラスト

『4月3日』その1

2019-04-02 16:41:43 | 明日は誰の日

【誕生日】

☆ドリス・デイ Doris Day (1922.4.03~ )



1950~60年代に唄って踊れるエンターテイナーとして人気No.1の実績を残した歌手・女優です。
オハイオ州シンシナティ生まれのドイツ系米国人の一家に生まれました。幼い頃から歌や踊りが好きでバレリーナ志望
でしたが、15歳の時に交通事故で大腿骨を骨折して夢を立たれましたが歌手として生きることを決意し、18歳の時に
ビッグ・バンドのレス・ブラウン楽団に専属歌手として参加しました。そこでバンドのメンバーのアル・ジョーダンと
結婚して息子テリーを出産しましたが直後に離婚してしまいました。そんな傷心のドリスにレス・ブラウンが1945年に
『センチメンタル・ジャーニー』を提供、これが全米NO.1のメガ・ヒットになり一躍人気歌手の仲間入りを果たしました。
翌1946年にはワーナー・ブラザースのオーディションを受け同社と契約し、1948年『洋上のロマンス』で映画デビューを
果たし、1950年の『二人でお茶を』で映画スターとて不動の地位を獲得、その後も音楽映画を中心にコメディ作品などで
ソバカスの愛くるしい笑顔を振りまいて人気・実力ともにNo.1の実績を残しました。
1968年には映画界を引退し、TVの『ドリス・デイ・ショー』などに活躍の場を求めています。

【主要出演作品】
1948年『洋上のロマンス』Romance on the High Seas
1949年『情熱の狂想曲』Young Man with a Horn
1950年『二人でお茶を』Tea for Two
1951年『目撃者』Storm Warning
1951年『ブロードウェイの子守唄』Lullaby of Broadway
1953年『カラミティ・ジェーン』Calamity Jane
1955年『情欲の悪魔』Love Me or Leave Me
1956年『知りすぎていた男』The Man Who Knew Too Much
1956年『影なき恐怖』Julie
1957年『パジャマゲーム』The Pajama Game
1958年『先生のお気に入り』Teacher's Pet
1959年『夜を楽しく』Pillow Talk
1960年『ママは腕まくり』Please Don't Eat the Daisies
1960年『誰かが狙っている』Midnight Lace
1961年『恋人よ帰れ』Lover Come Back
1962年『ミンクの手ざわり』That Touch of Mink
1962年『ジャンボ』Billy Rose's Jumbo
1963年『スリルのすべて』The Thrill of It All
1963年『女房は生きていた』Move Over, Darling
1964年『花は贈らないで!』Send Me No Flowers
1966年『マーメイド作戦』The Glass Bottom Boat

主だったヒット曲を並べておきます。彼女のヒット曲としては主演映画の主題歌が多いですネ。
【主要歌唱曲】
1945年『センチメンタル・ジャーニー』A Sentimental Journey (同名映画のの主題歌)

1948年『イッツ・マジック』 It's Magic (『洋上のロマンス』の主題歌)  試聴
1949年『アゲイン』 Again  試聴
1950年『二人でお茶を』Tea for Two  (同名映画のの主題歌)

1951年『ドミノ』Domino

1951年『ブロードウェイの子守唄』Lullaby of Broadway  (同名映画のの主題歌)  試聴
1952年『ガイ・イズ・ア・ガイ』Guy Is A Guy

1953年『シークレット・ラヴ』(『カラミティ・ジェーン』の主題歌)  試聴
1956年『枯葉』Autumn Leaves  試聴
1956年『デイ・バイ・デイ』 Day - Day by Day  試聴
1956年『ケ・セラ・セラ』Que Sera Sera (『知りすぎていた男』の主題歌)

1957年『ヘルナンドス・ハイダウェイ』(『パジャマゲーム』の主題歌)  試聴
1958年『先生のお気に入り』Teacher's Pet  (同名映画のの主題歌)

1958年『キサス・キサス』Perhaps Perhaps Perhaps  試聴
1959年『ピロー・トーク』Pillow Talk  (『夜を楽しく』の主題歌)

1960年『モア』More  試聴
1966年『フライミー・トゥ・ザ・ムーン』  試聴



『4月3日』その2

2019-04-02 16:17:01 | 明日は誰の日

【誕生日】


☆カトリーヌ・スパーク Catherine Spaak (1945.4.03~ )



名脚本家シャルル・スパークの愛娘で、1960年代にイタリアで活躍したパリ生まれのフランスの女優・歌手です。
カトリーヌの祖父はベルギーの外務大臣、伯父ポール=アンリ・スパークはベルギーの首相で国際連合の初代議長を
つとめた大物政治家という名門の出身です。
父シャルルが脚本化であったため幼いころから監督や俳優との交友があり、1959年のジャック・ベッケル監督の映画
『穴』にワンカット出演、1960年のアルベルト・ラトアーダ監督の『十七歳よさようなら』の主演で青春スターとして
一気にブレイクしました。その後も1962年の『太陽の下の18歳』などイタリアの青春映画に出演を続け、1967年には
ハリウッドに進出して『ホテル』にも出演したのですが、いずれの作品も評価は低くB級スターに留まってしまいました。

【主要出演作品】
1960年『十七歳よさようなら』I dolci inganni

1962年『太陽の下の18歳』Diciottenni al sole

1962年『狂ったバカンス』La Voglia matta
1962年『追い越し野郎』Il sorpasso
1963年『禁じられた抱擁』La Noia
1964年『恋のなぎさ』La calda vita

1964年『愛してご免なさい』Tre notti d'amore
1964年『輪舞』La Ronde
1964年『ダンケルク』Week-end à Zuydcoote
1967年『ホテル』Hotel

その一方で、1964年にはルネーロ名義で作曲したボビー・ソロの『ほほにかかる涙』がミリオン・ヒットになり、歌手
としても1965年の『若草の恋』のカヴァーがヒットするなど多才ぶりを発揮していました。

↓はカトリーヌ・スパークの『若草の恋』【YOUTUBEより】



☆マーロン・ブランド Marlon Brando (1924.4.03~2004.7.01)



個性的な演技で一世風靡しましたがトラブルが多い問題児でもあったアメリカの俳優です。
子どもの頃から何かにつけて反抗的で不行癖が激しく学校でも度々問題を起こす札付きのワルだったそうです。
1943年に女優で姉のジョスリンに勧められてニューヨークの演劇学校に入り俳優をめざし、1947年にブロードウェイの
『欲望という名の電車』で準主役を得たのをきっかけに1951年にエリア・カザン監督の『欲望という名の電車』に主演、
続いてカザン作品の『革命児サパタ』『波止場』に主演してトップスターになり、ブランドは誰もがカザン一家の俳優だ
と思っていました。しかし、この頃ハリウッドにも吹き荒れた「赤狩り」によってカザンが映画仲間を売って告発したのに
憤慨、決まっていた『エデンの東』の出演を蹴ってカザンと決別してしまいました。元々、業界内でプロデューサー、
監督、共演者たちとトラブルだらけの問題児であったこともありこの頃から良い作品に恵まれずB級作品に出演するのが
やっとという状態になり人気も落ち目になっていきました。
1972年に『ラストタンゴ・イン・パリ』と『ゴッドファーザー』で再起を果たしたかに見えましたがやはりトラブルが多く、
その後はこれといった作品にも恵まれることはありませんでした。

【主要出演作品】
1951年『欲望という名の電車』A Streetcar Named Desire

1952年『革命児サパタ』Viva Zapata!

1953年『ジュリアス・シーザー』Julias Caesar
1954年『波止場』On the Waterfront

1954年『デジレ』Désirée
1955年『野郎どもと女たち』Guys and Dolls
1956年『八月十五夜の茶屋』The Teahouse of the August Moon
1957年『サヨナラ』Sayonara
1958年『若き獅子たち』The Young Lions
1959年『蛇皮の服を着た男』The Fugitive Kind
1961年『片目のジャック』One-Eyed Jacks
1962年『戦艦バウンティ』Munity on the Bounty
1966年『逃亡地帯』The Chase

1967年『伯爵夫人』A Countess from Hong Kong
1967年『禁じられた情事の森』Reflections in a Golden Eye
1968年『キャンディ』Candy
1972年『ゴッドファーザー』The Godfather

1972年『ラストタンゴ・イン・パリ』Last Tango in Paris


☆ウエイン・ニュートン Wayne Newton (1942.4.03~ )



インディアン部族を祖先に持つアメリカのポピュラー音楽の歌手兼俳優です。
10代の頃に実兄と「ニュートン・ブラザーズ」というコンビを結成し活動していた時に、音楽プロデューサーを兼ねていた
ボビー・ダーリンに見出されてソロ歌手としてスタートしました。
オリジナル・ソングはないのですが、1963年に作曲者のベルト・ケンプフェルト楽団やコニー・フランシスと競合した
『ダンケシェーン』が全米13位、1965年の『ブルー・レディに紅いバラ』も全米23位のヒットとなり、インデアンの子孫
とは思えぬ容貌と女性のような透き通った声で一躍注目を集めました。
1990年代に入ってからは数本の映画に出演、また1994年にはソロでのラスベガス・ショー25,000回を達成するなど幅広い
エンターティナーとして活動する一方、音楽プロデューサーや実業家としても成功しています。

↓はウエイン・ニュートンの『ダンケシェーン』【YOUTUBEより】


↓はウエイン・ニュートンの『ブルー・レディに紅いバラ』【YOUTUBEより】



【ご命日】

★サラ・ボーン Sarah Vaughan (1924.3.27~1990.4.03)



広域の美声で1950年代から活躍を続けた黒人女性ジャズ・ヴォーカルを代表する歌手のひとり。
主な歌唱曲に『ミスティ』『モーニン』『蜜の味』『ラヴァーズ・コンチェルト』などがある。
詳細は当ブログの『3月27日』をご参照ください。


★アグネス・ムーアヘッド Agnes Moorehead (1906.12.06~1974.4.03)



英国の血を引き、演劇学校の講師から俳優に転じた演技派のアメリカ人女優。
主な出演作品に『市民ケーン』『ジェーン・エア』『君去りし後』『ふるえて眠れ』などがある。