【誕生日】
☆リンゼイ・アンダーソン Lindsay Anderson (1923.4.17~1994.8.30)
イギリスのニュー・シネマの旗手となって怒れる若者たちを描いた映画監督です。
陸軍に所属していた父親の駐屯先のインド・バンガロールで生まれました。母国に帰った後オクスフォード大学を卒業し、
映画雑誌『シークェンス』を創刊して編集に携わるなど映画批評家として腕をふるう一方、映画製作にも取り掛かり、
1954年に短編映画『木曜日の子供たち』、1957年のドキュメンタリー映画『ロンドンの夜明け前』によって頭角を現わし
ました。
この頃、イギリスで古い英国社会に対する反抗する怒れる若者たちをテーマにした文学がブームとなり、これに誘発された
映画人がフリー・シネマ運動を起こしました。トニー・リチャードソンやカレル・ライスと共にリンゼイ・アンダーソンも
その旗頭となってイギリス映画の革命に参加、1963年には初の長編劇映画『孤独の報酬』でやり場がなく苛立つイギリスの
青年像を描いて存在感を示しました。1968年の『If もしも....』で中高等学校を舞台に現実と幻想を巧みに織り交ぜて生徒
たちの革命意識を激しく爆発させました。
作品の数は極めて少ないながらも映画界に鋭い爪痕を残した映画作家の一人でした。
【主要監督作品】
1954年『木曜日の子供たち』 Thursday's Children
1957年『ロンドンの夜明け前』Every Day Except Christmas
1963年『孤独の報酬』This Sporting Life
1968年『If もしも....』 If...
☆ジョージ・シートン George Seaton (1911.4.17~1979.7.28)
脚本家出身で、幅広いジャンルの作品を撮ったハリウッドの映画監督です。
インディアナ州サウスベンド出身で、マウント・セント・ヴィンセント大学を卒業後に演劇界に入り、俳優-脚本-製作者を
つとめました。1933年にMGMの脚本部に入社し『聖処女』など数本の脚本を書いたのちに20世紀フォックス社に移って
1947年『三十四丁目の奇蹟』で初監督となっています。
その後もハート・ウォーミングな作品をはじめロマンチック・コメディからサスベンスなど幅広いジャンルで作品を撮り
続けましたが、残念ながらB級の域を出ることはありませんでした。
【主要監督作品】
1947年『三十四丁目の奇蹟』 Miracle on 34th Street
1954年『喝采』 The Country Girl
1958年『先生のお気に入り』 Teacher's Pet
1961年『結婚泥棒』 The Pleasure of His Company
1962年『偽の売国奴』The Counterfeit Traitor
1962年『零下の敵』 The Hook
☆ウィリアム・ホールデン William Holden (1918.4.17~1981.11.12)
アイドル青春スターから作品に恵まれて大スターへと昇り詰めたハリウッド俳優です。
父は化学者、母は教師という家庭にイリノイ州で生まれ、ジュニア・カレッジ在学中にパサディナ・プレイハウスに
所属して『キュリー夫人』の端役で舞台に立っていたところをスカウトされました。1939年に『ゴールデン・ボーイ』
で映画デビューし、持ち前のアイドル系ルックスで青春スターとして活動を続けました。
転機となったのは1950年の『サンセット大通り』で大人の性格俳優となり、1953年の『第十七捕虜収容所』における
好演でスターの座を勝ち取りました。その後も『麗しのサブリナ 』『慕情』『ピクニック』などのヒット作にも恵まれて
まさにハリウッドの『ゴールデン・ボーイ』を地で行く大スターへと昇り詰めました。
【主要出演作品】
1939年『ゴールデン・ボーイ』Golden Boy
1950年『サンセット大通り』Sunset Boulevard
1953年『第十七捕虜収容所』Stalag 17
1953年『月蒼くして』The Moon Is Blue
1953年『ブラボー砦の脱出』Escape from Fort Bravo
1954年『重役室』Executive Suite
1954年『麗しのサブリナ 』Sabrina
1954年『喝采』The Country Girl
1954年『トコリの橋』The Bridges at Toko-ri
1955年『慕情』Love Is a Many-Splendored Thing
1955年『ピクニック』Picnic
1957年『戦場にかける橋』The Bridge on the River Kwai
1958年『鍵』The Key
1959年『騎兵隊』The Horse Soldiers
1962年『偽の売国奴』The Counterfeit Traitor
1963年『パリで一緒に』Paris-When It Sizzles
1969年『ワイルドバンチ 』The Wild Bunch
☆オリヴィア・ハッセイ Olivia Hussey (1951.4.17~ )
1968年の映画『ロミオとジュリエット』の主役として一瞬輝いたイギリスの女優です。
アルゼンチンのブエノスアイレスに生まれ、2歳の時に父親と死別して、8歳で母親の母国イギリスに渡りました。その後
イタリアのコンティ演劇学校に学び舞台の『ミス・ブロディの青春』に出演していた時にデルマー・デイヴィス監督に
見出されて1965年『湖愁』の子役で映画デビュー、1968年には『ロミオとジュリエット』の主役に抜擢され、弱冠17歳で
ジュリエットを演じて一気に人気女優になりました。
残念ながらその後はなかなか役につくことができず、テレビ出演やB級作品に甘んじています。
【主要出演作品】
1965年『湖愁』The Battle of the Villa Fiorita
1968年『ロミオとジュリエット』Romeo and Juliet
☆クリス・バーバー Chris Barber (1930.4.17~ )
トロンボーン奏者で作曲・編曲家、ジャズ・バンドのクリス・バーバー楽団のバンドリーダーです。
統計学者の息子としてハートフォードシャーのウェルウィンガーデンシティで生まれました。
イギリス・ロンドン市立の名門の学校であるギルドホール音楽演劇学校で学び、18歳の時には自己のバンドを結成するなど
ジャズに興味を示し、1953年にはケン・コリアーのバンド結成にも協力しています。
クラリネット奏者のシドニー・ベシエが自作自演した『小さい花』を 1959年にアレンジしてイギリスで最も人気のある
ミュージシャンの一人となりました。1959年2月には米国に渡り、モンタレー・ジャズ祭にも出演するなど幅広い活動を
続けました。1960年代以降はテレビ・ラジオ等にも出演し、70~80年代にかけて自己の伝記的作品を制作するなど現在も
音楽活動を続けているようです。
代表作は前述の『小さい花』なのですが、他に『聖者の行進』『世界は日の出を待っている』『Can't We Get Together』
などのニューオーリンズ系の軽快な演奏が有名で、ラジオ関西の電話リクエストの真夏の定番曲『アイス・クリーム』 は
関西地方ではお馴染みの名曲となっています。
↓はクリス・バーバー楽団の『小さい花』【YOUTUBEより】
↓はクリス・バーバー楽団の『アイス・クリーム』【YOUTUBEより】
【ご命日】
★ディアナ・ダービン Dianna Durbin (1921.12.04~2013.4.17)
美声を武器に音楽映画の少女役で活躍したアメリカの歌手・女優。
主な出演作品として『天使の花園』『オーケストラの少女』『アヴェ・マリア』『庭の千草』などがある。