港町のカフェテリア 『Sentimiento-Cinema』


献立は…  
シネマ・ポップス…ときどきイラスト

『4月5日』その1

2019-04-04 14:57:54 | 明日は誰の日

【誕生日】


☆グレゴリー・ペック Gregory Peck (1916.4.05~2003.6.12)



二枚目で理知的な風貌により第二次大戦後に現れた大型の人気俳優です。
カリフォルニア州サンディエゴに生まれ、薬剤師だった父の影響で医師を志してサンディエゴ州立カレッジ医学部に入学
しましたが経済的理由で断念して中退、石油会社などいろいろな職種を経験して資金を稼ぎ、再びカリフォルニア大学
バークレー校医学部に入り苦学を続けました。しかし、大学で在籍していたボート部の練習で脊椎を損傷してしまい
これを機に大学で演劇部に転向し役者を目指すことになります。
1942年にはアルバイトをしながらコーネル・マクリンティク劇団に所属してブロードウェイの舞台に立ち、1944年に
RKO社の "Days of Glory" で映画デビューを果たし、同年には評判を聞いた20世紀フォックスが『王國の鍵』の主役に抜擢
第二次大戦直後でスター不足であったハリウッドで一躍人気者になり、『子鹿物語』『紳士協定』などで実績を積み重ね、
1953年にウイリアム・ワイラー監督、オードリー・ヘプバーン主演の『ローマの休日』でその人気は頂点に達しました。
その後も『大いなる西部』『ナバロンの要塞』『アラバマ物語』などの良質の作品に出演し続けましたが、彼の演技に
対するハリウッドでの評価はあまり芳しくなかったようです。

【主要出演作品】
1944年『王國の鍵』The Keys of the Kingdom
1945年『白い恐怖』Spellbound
1946年『子鹿物語』The Yearling

1946年『白昼の決闘』Duel in the Sun

1947年『紳士協定』Gentleman's Agreement
1947年『パラダイン夫人の恋』The Paradine Case
1949年『頭上の敵機』Twelve O'Clock High
1951年『艦長ホレーショ』Captain Horatio Hornblower
1952年『キリマンジャロの雪』The Snows of Kilimanjaro
1953年『ローマの休日』Roman Holiday

1956年『灰色の服を着た男』The Man in the Gray Flannel Suit
1956年『白鯨』Moby Dick

1957年『バラの肌着』Designing Woman
1958年『大いなる西部』The Big Country

1959年『渚にて』On the Beach
1961年『ナバロンの要塞』The Guns of Navarone

1962年『恐怖の岬』Cape Fear
1962年『西部開拓史』How the West Was Won
1962年『アラバマ物語』To kill a Mockingbird

1964年『日曜日には鼠を殺せ』Behold a Pale Horse
1966年『アラベスク』Arabesque
1969年『マッケンナの黄金』Mackenna's Gold


☆ベティ・デイヴィス Bette Davis (1908.4.05~1989.10.06)



悪女役が多い中でも、どんな役でも無難にこなす迫力ある演技派として活躍したハリウッド女優です。
マサチューセッツ州ローウェル生まれで、アカデミー・ハイスクールに学び、学生演劇に興じるうちに女優を志します。
ニューヨークに出てジョン・マレー・アンダーソンの演劇スクールに通い、ロチェスターの小劇団に籍を置いて1928年に
ブロードウェイの舞台に立ち、1932年の『The Man Who Played God』で高評価を得てワーナーと専属契約したものの、
大きな役回りはなく便利屋扱い的な存在に甘んじました。
転機となったのは1934年のRKO制作『痴人の愛』で、ジョン・クロムウェル監督はこの作品の主演を探していたのですが、
女優として誰もがやりたくなかった役柄で主演が決まらず、たまりかねたRKOがワーナーにベティ・デイヴィスの貸出しを
求めてやっとキャスティングにこぎつけて撮影に入りました。ところが映画が公開されるや否や、その強烈な悪女ぶりが
大絶賛されて彼女は演技派女優として一躍スターダムに駆け上がりました。
その後も1950年『イヴの総て』で圧倒的な存在感を示しましたが、以後は作品に恵まれなくてなかば休業状態でしたが、
1962年の『何がジェーンに起ったか?』で復活、続いて『誰が私を殺したか?』『ふるえて眠れ』などの恐怖映画でその真価を
発揮しました。
1980年代に入ってからも映画、TVショーにも数多く出演していましたが1989年の『おばあちゃんは魔女』が遺作となって
しまいました。

【主要出演作品】
1931年『母性』Seed
1931年『ウォタルウ橋』Waterloo Bridge
1932年『母』So Big!
1934年『痴人の愛』Of Human Bondage

1935年『国境の町』Bordertown
1936年『化石の森』The Petrified Forest

1936年『マルタの鷹』The Maltese Falcon

1937年『札つき女』Marked Woman
1937年『或る女』That Certain Woman
1938年『黒蘭の女』Jezebel
1938年『黄昏』The Sisters
1939年『愛の勝利』Dark Victory
1940年『凡てこの世も天国も』All This, and Heaven Too
1940年『月光の女』The Letter
1941年『偉大な嘘』The Great Lie
1941年『偽りの花園』The Little Foxes

1943年『ラインの監視』Watch on the Rhine
1943年『旧友』Old Acquaintance
1945年『小麦は緑』The Corn Is Green
1950年『イヴの総て』All About Eve

1961年『ポケット一杯の幸福』Pocketful of Miracles
1962年『何がジェーンに起ったか?』What Ever Happened to Baby Jane?

1964年『誰が私を殺したか?』Dead Ringer
1964年『ふるえて眠れ』Hush... Hush, Sweet Charlotte

1965年『妖婆の家』The Nanny


『4月5日』その2

2019-04-04 14:40:42 | 明日は誰の日

【誕生日】

☆スペンサー・トレイシー Spencer Tracy (1900.4.05~1967.6.10)



トーキー初期から1960年代にかけて演技派として活躍したハリウッドの重鎮的な俳優です。
アイリッシュ系の家庭の子としてミルウォーキーで生まれ、弁護士を志した大学時代に弁論部で熱弁をふるううちに演劇に
興味を持ちアメリカン・アカデミー・オブ・ドラマティック・アーツに入って演技を学び役者の道を進みました。1923年に
ブロードウェイの舞台に立ち『The Last Mile』(第三独房地獄の待合室)での演技が高評価を得ました。この間に数本の
短編作品に出演してMGMなど四社のスクリーン・テストを受けましたが、独特の容貌によって不採用になっています。
しかし、『The Last Mile』を見たジョン・フォードに拾われて1930年に『河上の別荘』の主役級として映画デビューを
果たしました。その後『激怒』『桑港』『我は海の子』『少年の町』などによってその個性的な風貌で人気を博して
1940年にはハリウッドのマネー・メーキングのトップになるほどの売れっ子になりました。
1940~60年代初めにかけて多くの作品に出演しましたが、1963年以降は健康上の理由で活動を休止し、四年の空白後に
撮った『招かれざる客』のクランク・アップ直後に心臓発作で倒れ、終生の陰の伴侶となるキャサリン・ヘプバーンに
看取られて永遠の眠りにつきました。
その風貌からは温厚な性格と見られがちだったのですが、気の荒い一面も持ち合わせていてトラブルも多く撮影現場では
監督たちとの衝突も多く、出演が決まっていた1955年の『必死の逃亡者』ではハンフリー・ボガートと俳優順列テロップで
どちらが先かでひと悶着を起こし出演を拒否してウイリアム・ワイラー監督を困らせたり、1956年『悪人への貢物』では
ロバトー・ワイズ監督と衝突してクビを言い渡されたりと陰ではかなりの問題児でもあったようです。

【主要出演作品】
1930年『河上の別荘』Up The River

1936年『激怒』Fury
1936年『桑港』San Francisco
1937年『我は海の子』Captains Courageous
1938年『少年の町』Boys Town

1939年『スタンレー探検記』Stanley and Livingstone
1940年『北西への道』Northwest Passage
1941年『ジキル博士とハイド氏』Dr. Jekyll and Mr. Hyde

1942年『女性No.1』Woman of the Year
1947年『大草原』The Sea of Grass
1950年『花嫁の父』Father of the Bride
1951年『可愛い配当』Father's Little Dividend
1955年『日本人の勲章』Bad Day at Black Rock
1956年『山』The Mountain
1958年『老人と海』The Old Man and the Sea

1961年『ニュールンベルグ裁判』Judgment at Nuremberg

1962年『西部開拓史』How the West Was Won
1963年『おかしなおかしなおかしな世界』It's a Mad Mad Mad Mad World
1967年『招かれざる客』Guess Who's Coming to Dinner



☆ウォルター・ヒューストン Walter Huston (1883.4.05~1950.4.07)



深い味のあるアメリカの性格俳優、ジョン・ヒューストン監督の父親でもあります。
カナダのトロント生まれで、18歳でトロントで初舞台を踏み、22歳の1905年にブロードウェイで認められるようになり、
1929年にパラマウントと契約し『新聞記者』で映画デビューを果たしました。その後『北海の漁火』『孔雀夫人』などで
好演が認められて傍役として貴重な存在となりました。
1941年には『マルタの鷹』、1948年には『黄金』で息子のジョン・ヒューストン監督と親子コンビの活躍となり、今後の
コンビ活動が期待されたのですが、1950年に大動脈瘤でこの世を去りました。

【主要出演作品】
1929年『新聞記者』 Gentlemen of the Press
1929年『ヴァージニアン』The Virginian
1931年『北海の漁火』A House Divided
1932年『街の野獣』The Beast of the City
1932年『雨』Rain
1937年『孔雀夫人』Dodsworth
1941年『マルタの鷹』The Maltese Falcon
1941年『悪魔の金』All That Money Can Buy
1943年『ならず者』The Outlaw
1946年『呪われた城』Dragonwyck
1948年『黄金』The Treasure of the Sierra Madre

1950年『復讐の荒野』The Furies

また、俳優のほかに歌手として1938年には『セプテンバー・ソング』をレコーディング、1951年の映画『旅愁』において
主人公の二人がナポリ見物の途中に立ち寄った店の蓄音機からウォルター・ヒューストンの歌声が流れていました。
↓は映画『旅愁』からウォルター・ヒューストンの『セプテンバー・ソング』【YOUTUBEより】



【ご命日】

★ジーン・ビットニー Gene Pitney (1940.2.17~2006.4.05)



典型的なロックンロール『ルイジアナ・ママ』の大ヒットで有名なシンガー・ソング・ライター。
主な歌唱曲として『ルイジアナ・ママ』『リバティバランスを射った男』『恋の二分の一』などがある。
詳細は当ブログの『2月17日』をご参照ください。


★チャールトン・ヘストン Charlton Heston (1923.10.04~2008.4.05)



歴史劇で人気を得たハリウッド俳優で、公民権運動の一方で全米ライフル協会会長をも務めた。
主な出演作品に『十戒』『ベン・ハー』『エル・シド』『北京の55日』『猿の惑星』などがある。