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旅の友・ポップス編 (360) 『花のメキシコ娘』

2018-02-23 12:03:34 | 旅の友・ポップス編

『花のメキシコ娘』 ビリー・ヴォーン楽団
”México” Billy Vaughn 【YOUTUBEより】


この曲は1950年頃から作曲活動を始めたフェリスとブーデロウのブライアント夫妻のブーデロウ・ブライアントが
1961年に発表したもので、ベース奏者でオーケストラ・リーダーとして活動していたボブ・ムーアのマリアッチ風の
演奏により同年10月に全米7位を記録しました。アメリカでは大ヒットしたようですが日本では『遥かなるメキシコ』
というタイトルでリリースされたものの殆どヒットしておりません。
これをビリー・ヴォーンが軽快なアレンジを加えてタイトルも『花のメキシコ娘』に刷新、1962年1月に【S盤アワー】で
紹介されてヒットの兆しはあったのですが【今週のベストテン】等のメジャーな番組のチャートインはありませんでした。
ただ、かなりマイナーな【クロス・ヒットパレード】では1962年3月28日(水)発表の3月度ベストテンで堂々の1位に
ランクされています。

関連記事
2014-03-30 ポップス・ベストテン 1962年3月 補足

春らしくて いいですね。

旅の友・ポップス編 (359) 『渚のアデリーヌ』

2018-02-22 15:59:33 | 旅の友・ポップス編

『渚のアデリーヌ』 リチャード・クレイダーマン楽団
”Ballade Pour Adeline” Richard Clayderman 【YOUTUBEより】


1976年に発表されたフランス人ピアニストのリチャード・クレイダーマンのデビュー曲です。
作曲はオリヴィエ・トゥッサンとポール・ド・センヌヴィルの共同作曲によるもので、センヌヴィルがこの曲を生まれた
ばかりの次女アデリーヌに贈ったことからそのタイトルを”Ballade Pour Adeline”(アデリーヌに捧げるバラード)と
命名されました。
新しいレコード会社を設立したばかりのセンヌヴィルはプロデューサー兼作曲家のトゥッサンとともに、この曲を
演奏するピアニストを探していたところ、まだ無名のピアニストであった若いクレイダーマンに白羽の矢を立てて
レコーディングしましたが、当初はまったくヒットしなかったようです。ところが、これが西ドイツでNo.1の大ヒットを
記録し、やがてヨーロッパ各地でも人気を集めたことにより漸く本国のフランスでも認められるようになりました。


旅の友・ポップス編 (358) 『ウィーンの夜は更けて』

2018-02-21 13:40:43 | 旅の友・ポップス編

『ウィーンの夜は更けて』 ケニー・ボールと彼のジャズメン
”Turkish Delight” Kenny Ball & His Jazzmen 【YOUTUBEより】


この原曲は御存知モーツァルトのピアノソナタ第11番第3楽章(トルコ風ロンド)、通称『トルコ行進曲』です。
『モスコーの夜は更けて』によって一躍脚光を浴びたケニー・ボールと彼のジャズメンの演奏で、1962年11月頃に
「夜は更けてシリーズ」の第二弾としてリリースされたものですが残念ながらヒットには至りませんでした。
原曲が『トルコ行進曲』なので、本来ならば邦題を『トルコの夜は更けて』と命題したいところですが当時トルコといえば
特殊浴場の風俗店の略称だったのでそういうタイトルにできなかったということのようです。
ケニー・ボールはこの後、エキゾチックな『カサブランカの夜は更けて』という「夜は更けてシリーズ」の第三弾を発表
しますが、これもヒットには繋がらずケニー・ボールの「夜は更けてシリーズ」はこれにて打ち止めとなりました。

手元の資料からこの曲のタイトルを”Turkish Delight”(トルコの悦び)とましたが、UPされたYOUTUBEでは”Rondo”と
なっています。モーツァルトの第3楽章が”Rondò alla turca”だから”Rondo”なのかもしれません。
ちなみに『ワシントン広場の夜は更けて』で有名なヴィレッジ・ストンパーズもこの曲を”Turkish Delight”としてB面に
カップリングしておりました。

旅の友・ポップス編 (357) 『朝日の当たる家』

2018-02-20 13:11:53 | 旅の友・ポップス編

『朝日の当たる家』 ジョーン・バエズ
”The House of The Rising Sun” Joan Baez 【YOUTUBEより】


原曲はアメリカの民謡ともいわれており、英国の古いメロディーに米国のジョージア・ターナーとバート・マーチンが
詞をつけたという説もあり定かではありませんが、一般には作者不詳ということのようです。
この曲がメジャーになったのは1964年のジ・アニマルズのレコードが全米No.1になったことによるものですが、
それ以前にも多くの歌手がレコーディングしており、1960年のジョーン・バエズ盤が絶品とされています。
歌詞の内容は、身を持ち崩しニューオーリンズで『朝日の当たる家』という名の娼婦館に身を落とした女性が半生を
懺悔し、身の上話を語りながら妹に自分のようになるなと言い聞かせていますが、「こんな女になっちまった」という
怨み節のようにも思えます。
またこの曲は様々な歌詞で唄われており、母親の忠告に逆らって賭博師に惚れた挙句に棄てらてその上罪をも犯し
「朝日のあたる家」と呼ばれる監獄に身を落とす女、という内容のものもあるようです。
元々は女性の身の上話なのですが、男性が唄うとかなり内容も違ってくるようで、アニマルズの場合ですと、
girl を boy に置き換え、罪を犯して『少年刑務所』に入れられた少年の歌になっています。
フランスではユーグ・オーフレーが詩をつけて、ずばり”Le pénitencier”(刑務所) というタイトルで、罪を犯したことを
母親に詫びながら刑務所で一生を終えなければならない男の身の上をジョニー・アリディーが唄っています。

『刑務所(の扉)』 ジョニー・アリディー
”Le Pénitencier” Johnny Hallyday 【YOUTUBEより】


関連記事
2015-07-23 続・60年代ポップス変遷史 1964年 『朝日のあたる家』 ジ・アニマルズ

旅の友・ポップス編 (356) 『あなたの想い出』

2018-02-19 13:57:58 | 旅の友・ポップス編

『あなたの想い出』 ベニー・グッドマン楽団
”Memories Of You” Benny Goodman Orchestra 【YOUTUBEより】


この曲は、1930年にブロードウェイのショー”Lew Leslie's Blackbirds of 1930”のためにユービー・ブレイクが作曲、
アンディー・ラザフが作詞してミント・キャトーが唄ったもので、同年にルイ・アームストロングが初録音、これを
追うようにデューク・エリントンがカヴァーしたジャズのスタンダード・ナンバーです。
また、1930年代に自前の楽団を設立しスイングの王様と称されたベニー・グッドマンが好んでこの曲を取り上げたため
「メモリーズ・オブ・ユーといえばベニー・グッドマン」が定着しました。
1956年にはベニー・グッドマン楽団の専属歌手でもあったローズマリー・クルーニーのヴォーカル盤も出ています。
もちろん、1955年に制作されたヴァレンタイン・デイヴィス監督による音楽伝記映画『ベニイ・グッドマン物語』でも
この曲が重要なシーンで使われていました。

関連記事
2014-03-02 映画音楽史(65)『ベニイ・グッドマン物語』1956年公開

”Memories Of You”といえば関西の洋楽ファンならご存じの番組「安達治彦のメモリーズ・オブ・ユー」を思い出します。
ABC朝日ラジオ制作によるもので、1980年代の日曜の夕刻の楽しみの一つでした。
「だっちゃん」の音楽番組もよく聞いたものですが残念の一言です。