港町のカフェテリア 『Sentimiento-Cinema』


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シネマ・ポップス…ときどきイラスト

『4月26日』

2019-04-25 15:04:31 | 明日は誰の日

【誕生日】


☆ジャン・ヴィゴ Jean Vigo (1905.4.26~1934.11.05)



反体制的な古典的前衛映画作家として没後に認められたフランスの伝説的映画監督です。
無政府主義の政治記者の息子としてパリに生まれました。父親が平和運動のために投獄され獄死、ジャンも「売国奴の息子」
と呼ばれて差別され身が危険にさらされたため、モンペリエに住む写真家のガブリエル・オーベスのもとで、寄宿制学校で
少年時代を過ごしました。20歳になってパリ大学のソルボンヌ校で哲学を専攻しますが、子供の頃から患っていた肺結核が
悪化したため、1925年に南仏ニースで療養生活を送ることになり、そこでスタジオでカメラマンの助手をしながら映画製作の
ノウハウを学び、1930年には中編ドキュメンタリー映画『ニースについて』を制作しました。
この『ニースについて』は避暑地ニースに集まるブルジョワ客と旧市街に住む貧しい人々を対比させることで社会生活の矛盾を
ドキュメンタリー様式で風刺、隠し撮り撮影による独創的な手段を用いながらも、イメージの詩的な映像表現が認められて
前衛的映画として高い評価を得ることになりました。
次いで、1933年には中編劇映画『操行ゼロ』を完成させました。この作品は彼の少年時代の寄宿生活がもとになった自伝的な
校内ドラマで、学園権力に対する子供たちの反抗精神を見事な詩的リアリズムで描いて造反的映画の先駆的作品となりました。
1934年には持病の結核が悪化する中で、セーヌ河の運河を航行するアタラント号の乗組員の生活を描いた『アタラント号』を
撮り上げました。美しく幻想的な映像と才気に満ちた作品なのですが、ヴィゴが仕上げたフィルムはプロデューサーの手で
かなり大幅に変造されてしまい、療養中のヴィゴはそのことをを知らさせられなまま病死してしまいました。
これら二本の劇映画は検閲によって非愛国的とされ公開まもなく上映禁止処分を受けたことで、ジャン・ヴィゴ自身は自己の
真の評価を聞くこともなく亡くなってしまいましたが、1951年には彼の優れた業績を後世に伝えるために創作精神の独自性と
演出技術の優秀性によって特色を発揮したフランス映画に授与される「ジャン・ヴィゴ賞」が設けられました。

【主要監督作品】
1930年『ニースについて』A Propos De Nice
1931年『競泳選手ジャン・タリス』Taris, Roi De L'eau
1933年『操行ゼロ』Zéro de conduite
1934年『アタラント号』 L'Atalant



☆フランシス・レイ Francis Lai (1932.4.26~2018.11.07)



クロード・ルルーシュ監督作品で頭角を現わしたフランスの映画音楽家です。
ニース出身のイタリア系のフランス人で、少年期からアコーディオンなどを奏でていたそうです。
ニース音楽院卒業後はパリのコンセルヴァトワールで音楽理論と作曲を学び、フランスの民族音楽を研究しました。その後
クロード・ゴアティやイヴ・モンタンなどの伴奏を務めエデット・ピアフに曲を提供などの音楽活動をしていましたが、
1963年にピエール・バルウと共に映画音楽の仕事を始め、1966年にクロード・ルルーシュ監督の『男と女』において独創的で
アンニュイなスキャットの主題歌が一躍脚光を浴び、その後も『白い恋人たち』『雨の訪問者』『ある愛の詩』とヒットを
連発して映画音楽家として不動の地位を固めました。

【主要映画音楽作品】
1966年『男と女』 Un homme et une femme

1967年『パリのめぐり逢い』 Vivre pour vivre
1968年『個人教授』 La Leçon particulière
1968年『白い恋人たち』13 jours en France

1969年『雨の訪問者』 Le Passager de la pluie

1970年『ある愛の詩』 Love Story


☆ボビー・ライデル Bobby Rydell (1942.4.26~ )



1960年代初めに活躍したアイドル系の男性ポップシンガーです。
フィラデルフィアで生まれ、8歳でABC-TVのアマチュア・ショー番組で優勝し、1959年にドラマーから歌手に転向して
デビュー・シングルの "Kissin' Time" が全米11位を記録、四枚目のシングル "Wild one" も1960年全米第2位を記録して
ゴールド・ディスクを獲得、一躍ティーン・アイドルとして注目されました。
また1963年には映画『バイ・バイ・バーディー』に出演するなどで一時代を築いています。

【主要歌唱曲】
1960年『キッシン・タイム』 Kissin' time
1960年『ワイルド・ワン』Wild one
1960年『ヴォラーレ』Volare
1960年『スウェイ』Sway
1961年『星空の花売り娘』Door to paradise 【YOUTUBEより】

1962年『ファンキー・ルックのお嬢さん』Gee it's wonderful 【YOUTUBEより】



【ご命日】
★マリア・シェル Maria Schell (1926.1.15~2005.4.26)



西ドイツ、イギリス、フランスなどで活躍した演技派国際女優。
主な出演作品として『最後の橋』『居酒屋』『白夜』『女の一生』などがある。


★ルシル・ボール Lucille Désirée Ball (1911.8.06~1989.4.26)



TV番組『アイ・ラヴ・ルーシー』『ルーシー・ショウ』などで人気を集めたアメリカの女性コメディアン、俳優。
主な映画出演作品として『デュバリイは貴婦人』『凸凹ハリウッドの巻』『腰抜け千両役者』『よろめき珍道中』などがある。



『4月25日』

2019-04-24 13:33:00 | 明日は誰の日

【誕生日】


☆ジャン・ブノワ・レヴイ Jean Benoit-Levy (1888.4.25~1959.8.02)



教育映画・記録映画出身らしくリアリズムによる誠実な作風のフランスの映画監督です。
ユダヤ人の子としてパリ生にまれ、1910年頃に映画界入りし助監督を経てフランスの公式映画製作者となり、1920年代からは
フランス教育省シネマテークの後援を受けて、数百本の短編教育映画や記録映画を製作しています。
長編映画に携わるきっかけとなったのは、1923年の偉人伝映画『パストゥール』の制作者としてジャン・エプスタンに監督を
任せたことで彼の妹のマリー・エプスタンと知り合うこととなり、彼女の協力を得て数他の短編教育映画・記録映画を制作し、
いよいよ長編映画に臨むことになりました。
1931年に祖父に孝行する少年を描いた『ジムミイ』を発表、次いで翌年には託児所の女性の目を通して託児所の実態を描いた
『母の手』を、1936年には医科大学を背景にした『美しき青春』で社会生活の暗黒面に対して警鐘を鳴らし、1937年の
『白鳥の死 』ではバレエダンサーが犯した罪をめぐって人道的見地からすべてを許すという作品を創り上げました。
いずれの作品もマリー・エプスタンとの共同監督となっていますが、教育映画出身者らしくヒューマニストの目的を持った
心が洗われるような作品であり、また記録映画出身者らしく映画理論や傾向に一切無縁なレアリストとして独自の映画観を
持つ稀な存在でもありました。
第二次大戦の勃発によりユダヤ人起源のため、一時アメリカに逃れ、終戦後に帰国してからは短編映画を製作する一方で、
国連関連の業務に携わっていたようです。

【主要監督作品】
1931年『ジムミイ』Jimmy
1932年『母の手』La Maternelle

1936年『美しき青春』Helene
1937年『白鳥の死 』La mort du cygne



☆エラ・フィッツジェラルド Ella Fitzgerald (1917.4.25~1996.6.15)



ビリー・ホリデイ、サラ・ヴォーンと並び20世紀を代表する黒人女性ジャズ・ボーカリストの1人です。
バージニア州ニューポート・ニューズ生まれ,ニューヨーク州ヨンカーズ育ちのアフリカ系米国人で、14歳の時には母親が死亡
したため孤児となり、警察のお世話にもなるような極貧の生活を送りました。
1934年にアポロ劇場のコンテストで優勝したのをきっかけに、チック・ウェブズ楽団への誘いを受け歌手活動を開始、彼女の
唄う『ア・ティスケット・ア・タスケット』は17週間にわたって全米 No.1を記録する大ヒットになりました。
その後、病気療養中だったチック・ウェブズが亡くなり1941年からはソロでの活動を始めました。
1946年にディジー・ガレスピーのツアーに参加、本格的にジャズ・シンガーとして活動を開始し、20世紀を代表する黒人女性
ジャズ・ボーカリストとして大きく開花、数多くの名唱を残してくれました。
ただ、晩年は糖尿病により盲目となり、1993年には手術で両足を切断するなどで姿を見せなくなりました。

↓はエラ・フィッツジェラルドの『ア・ティスケット・ア・タスケット』 【YOUTUBEより】

(この曲は1960年にドディ・スティーヴンスが『黄色いバスケット』としてカヴァーしていました)

↓はエラ・フィッツジェラルドの『マック・ザ・ナイフ』 【YOUTUBEより】


↓はエラ・フィッツジェラルドの『キャラヴァン』 【YOUTUBEより】


↓はエラ・フィッツジェラルドの『A列車で行こう』 【YOUTUBEより】



【ご命日】

★ヘラルド・エルナン・マトス・ロドリゲス Gerardo Hernán Matos Rodriguez (1987.3.28~1948.4.25)



不朽の名曲『ラ・クンパルシータ』の作曲でタンゴ界の旋風児となったウルグァイの作曲家。
主な作曲として『ラ・クンパルシータ』のほかに『アディオス・アルヘンティーナ』などがある。


★キャロル・リード Carol Reed (1906.12.30~1976.4.25)



第二次大戦後にデヴィッド・リーンと共に衰退していた英国映画界を復活させたイギリスの映画監督。
主な監督作品として『邪魔者は殺せ』『落ちた偶像』『第三の男』『文化果つるところ』などがある。


★マイケル・アンダーソン Michael Anderson (1920.1.30~2018.4.25)



1950年代から英国の伝統的な冒険劇やミステリーなど娯楽映画で手腕を発揮したイギリスの映画監督。
主な監督作品として『八十日間世界一周』『六年目の疑惑』『あしやからの飛行』『さらばベルリンの灯』などがある。


★ジンジャー・ロジャーズ Ginger Rogers (1911.7.16~1995.4.25)



フレッド・アステアとコンビを組んでミュージカル映画で人気を博したハリウッドの女優。
主な出演作品として『空中レヴュー時代』『コンチネンタル』『ロバータ』『有頂天時代』などがある。




『4月24日』

2019-04-23 13:15:00 | 明日は誰の日

【誕生日】


☆シャーリー・マクレーン Shirley MacLaine (1934.4.24~ )



魅力のあるキュートな笑顔が売り物で、悲喜劇に対応できる演技派として活躍したハリウッドの女優です。
父親は後のワシントン・シンフォニーの指揮者、母は元女優で演劇教師(三歳年下のウォーレン・ビーティは実の弟)という
恵まれた家庭でヴァージニア州リッチモンドに生まれました。3歳からバレエを習い、ハイスクール卒業後にニューヨークに
出てデパートのモデルなどをしていましたが、1953年にブロードウェイのコーラス・ガールとして採用されました。
1954年にキャロル・ハネイの代役として『パジャマゲーム』に出ていたところをハリウッドの剛腕プロデューサーである
ハル・ウォリスに認められて映画界入り、1955年にヒッチコック監督の『ハリーの災難』でデビューを果たしました。
しかし、1956年『八十日間世界一周』の出演でハル・ウォリスとトラブルを起こし、一時映画界から干されましたが、
彼女の素質を見抜いたフランク・シナトラの推薦で1958年の映画『走り来る人々』によって悲喜劇に対応できる女優として
カムバックしました。1960年にはビリー・ワイルダー監督のソフィスティケイテッド・コメディの代表作ともいえる
『アパートの鍵貸します』によって絶賛され大スターの仲間入りをしてます。1964年にはハル・ウォリスと再びトラブルを
起こし訴訟のために二年間の休業を余儀なくされたのですが、1968年のミュージカル映画『スイート・チャリティ』で
完全復活し、最近まで現役として映画やTVで活躍を続けました。

【主要出演作品】
1955年『ハリーの災難』The Trouble With Harry

1955年『画家とモデル』Artists and Models
1956年『八十日間世界一周』Around the World in Eighty Days
1958年『走り来る人々』Some Came Running

1959年『果てしなき夢』Career
1960年『カンカン』Can-Can
1960年『アパートの鍵貸します』The Apartment

1960年『オーシャンと十一人の仲間』Ocean's Eleven
1961年『凡ては夜に始まる』All in a Night's Work

1961年『噂の二人』The Children's Hour

1962年『青い目の蝶々さん』My Geisha

1963年『あなただけ今晩は』Irma la Douce

1964年『何という生き方! 』What a Way to Go!
1964年『黄色いロールス・ロイス』The Yellow Rolls-Royce
1968年『スイート・チャリティ』Sweet Charity


☆バーバラ・ストライザンド Barbra Streisand (1942.4.24~ )



歌手、舞台俳優、映画俳優、作曲家として多彩多芸なアメリカのエンターティナーです。
米国ニューヨーク市のウィリアムズバーグでユダヤ系のロシア人の家族のもとに生まれ、ニューヨークのブルックリンで
育ちました。10代の頃にナイトクラブで歌手としてデビューしていましたが女優志望が強く、ブロードウェイ演劇などに
出演した後、ブロードウェイでの最初のヒット作『ファニー・ガール』の主役で映画デビューを果たし、引き続いて
映画『ハロー・ドーリー!』『追憶』と立て続けにヒットして唄って踊れる俳優としての地位を築き上げました。
また、歌手としてのヒット曲に『あなたには卸値で』『ピープル』『追憶』などがあります。

【主要出演作品】
1968年『ファニー・ガール』Funny Girl
1969年『ハロー・ドーリー!』Hello, Dolly!

1973年『追憶』The Way We Were



【ご命日】

★マリー・フランス・ピジェ Marie-France Pisier (1944.5.10~2011.4.24)



トリュフォー監督の映画『二十歳の恋』に清純なイメージで銀幕に現れたフランスの女優。
主な出演作品として『二十歳の恋』『殺人者に墓はない』『夜霧の恋人たち』などがある。


『4月23日』

2019-04-22 13:47:50 | 明日は誰の日

【誕生日】


☆マルセル・レルビエ Marcel L'Herbier (1888.4.23~1979.11.26)



サイレント時代に美術的過ぎるフォトジェニー映像で映画芸術を極めたフランスの映画監督です。
パリで建築家の家庭に生まれました。1910年に文学士号を取り、1913年に最初の詩集『秘密の遊びの庭園にて』を出版して
戯曲や詩などを書き始めました。
1914年に勃発した第一次大戦で陸軍の映画班に所属したことで映画に強い関心を持つようになり1918年にはルイ・メルカトン
監督の『呪の瀧』の脚本を執筆、1919年には陸軍映画班の戦意昂揚映画『ローズ・フランス』を監督しました。
1920年に第二作目の『真実の謝肉祭』をとった後、彼の代表的初期作品『海の人』の監督に当たりました。この原作小説は
バルザックのブルターニュ地方の海辺を背景にした『海辺の悲劇』で、レルビエは自然描写と人間描写の激しい対立から
悲劇感を強調するとともに印象派絵画に通じる視覚の美しさによって美術的過ぎるフォトジェニー系の作品に仕上げました。
これは同じ時期にフランスのルイ・デリュツク監督の提唱したフォトジェニー説を映画で実践したものでもありました。
翌1921年のアンダルシアの踊り子の母性愛をテーマにした『エル・ドラドオ』においてもスペインの地方色のデフォルメ
された絵画的な美しさに加えて技術的な工夫を凝らし、スペインの街並みや酒場の描写では映画の造形美をいかんなく発揮
させました。
1924年の『人でなしの女』では造形美に文学的ファンタジーを盛り込みましたが俗小説的な仕上がりに終わり、1925年の
『生けるパスカル』においても独特の造形美を武器に、映画における自然美の描写は反演劇の主張であるという自己主張を
実践させましたが、それ以降は商業的に折り合うような作品となっていきました。
しかしながら、映画芸術が輝いていたサイレントのモノクロ時代に、造形美に対する鋭敏な感覚やデフォルメによって真実を
掴もうとする創意は将来の映画の世界において大いなる暗示を与えたとして現在でも高く評価され、視覚的なサイレント
映画に先駆的な芸術実験を行った功績はあまりにも多大でありました。

【主要監督作品】
1919年『ローズ・フランス』Rose France
1920年『真実の謝肉祭』Le carnaval desvérités
1920年『海の人』L'Homme du Large

1921年『エル・ドラドオ』El Dorado

1924年『人でなしの女』L'Inhumaine

1925年『生けるパスカル』Feu Mathias Pascal
1926年『幻影』Passionate Love Le Vertige
1928年『春来りなば』Le diable au coeur
1934年『かりそめの幸福』Le Boonheur
1935年『戦ひの前夜』Veille d'Armes
1938年『佛蘭西座』Adrienne Lecouvreur


☆フランク・ボザーギ Frank Borzage (1893.4.23~1962.6.19)



サイレントからトーキーをまたいで感傷的な雰囲気作家として活躍したハリウッドの映画監督です。
ユタ州ソルトレイクシティで生まれ、少年時代に旅役者の劇団に入り俳優を目指して1913年にハリウッドに入りました。
そこで西部劇のエキストラや端役を演じていた時に、トーマス・H・インスの指導によって監督に携わるようななりました。
サイレント時代の1920年に『ユーモレスク』で初監督になると、1927年の『第七天国』、1928年『街の天使』と感傷的な
ヒット作を連発して一気に名声を高め、トーキーに入ってからも『戦場よさらば』や『歴史は夜作られる』などで観客の
涙腺を緩め、40年間抒情と感傷とロマンティシズムの世界一筋にひたり込みリリシズムの薫り高い快作を提供し続けました。
1950年代も監督として活躍していましたが、1959年の『聖なる漁夫』の制作で財政的に失敗して引退を余儀なくされ、
ロマンティックな職人監督の幕を閉じてしまいました。

【主要監督作品】
1920年『ユーモレスク』 Humoresque
1927年『第七天国』 Seventh Heaven
 
1928年『街の天使』 Street Angel
1930年『リリオム』 Liliom
1932年『戦場よさらば』 A Farewell to Arms

1936年『真珠の頚飾』 Desire
1937年『歴史は夜作られる』 History Is Made at Night 

1938年『三人の仲間』 Three Comrades 


☆サンドラ・ディー Sandra Dee (1942.4.23~2005.2.20)



1960年前後に青春アイドルスターとして輝いたハリウッドの女優です。
ニュージャージー州バイヨンで生まれ、ニューヨークのプロフェッショナル・チルドレン・スクールを卒業後、12歳で
少女ファッションモデルになり、TVコマーシャルなどに出ているときにユニヴァーサルのプロデューサーに見出されて
1957年に "Until They Sail" で映画デビュー、1959年の映画『避暑地の出来事』の主役でティーン・アイドルとして
人気者になりました。1961年の映画『九月になれば』で共演したボビー・ダーリンと19歳で結婚したのですが、その後
作品に恵まれず、お茶を濁す程度の軽いB級ロマンティック・コメディなどに出演、1967年の離婚で一気に仕事も減り
晩年はアルコール障害に悩んでいたようです。

【主要出演作品】
1959年『悲しみは空の彼方に』Imitation Of Life
1959年『避暑地の出来事』A Summer Place

1960年『黒い肖像』Portrait In Black
1961年『九月になれば』Come September

1962年『電話にご用心』If A Man Answers

1963年『タミーとドクター』Tammy And The Doctor

1963年『恋愛留学生』Take Her, She's Mine
1964年『彼女は億万長者』I'd Rather Be Rich


☆ルート・ロイヴェリック Ruth Leuwerik (1924.4.23~2016.1.12)



ドイツのエッセン生まれで1950年代の西ドイツを代表する人気女優です。
第二次大戦後に速記者として仕事をしていた頃に演劇に興味を持ちはじめ、ドイツ各地の舞台でゲーテやシェイクスピア劇を
演じて注目されました。1950年に映画界入りし、1955年の『帽子の中の13』で映画デビューを果たしました。
1955年『ルートヴィヒ2世 - ある王の栄光と没落』で西ドイツのトップ女優となり、以後は『菩提樹』などの音楽映画で活躍、
ドイツ映画界のファースト・レディと称されるようになりました。
1960年代は映画からTVへ転向して世紀を超えて活躍を続けていたようです。

【主要出演作品】
1955年『ルートヴィヒ2世 - ある王の栄光と没落』Ludwig II. – Glanz und Elend eines Königs
1956年『菩提樹』Die Trapp-Familie 

1957年『朝な夕なに』 Immer wenn der Tag beginnt 

1958年『続・菩提樹』Die Trapp-Familie in Amerika
1958年『鉄条網』Taiga
1960年『三色すみれ』Eine Frau fürs ganze Leben



【ご命日】

★オットー・プレミンジャー Otto Preminger (1905.12.05~1986.4.23)



ウィーン出身で、ダイナミックな演出により数多くの異色作を残した俳優・映画監督。
主な監督作品として『ローラ殺人事件』『帰らざる河』『黄金の腕』『或る殺人』『野望の系列』などがある。


★ポーレット・ゴダード Paulette Goddard (1910.6.03~1990.4.23)



モデル出身で映画界入りし、一時期チャップリンと結婚生活をともにしたアメリカの女優。
主な出演作品として『モダン・タイムス』『チャップリンの独裁者』『北西騎馬警官隊』などがある。


『4月22日』

2019-04-21 17:54:32 | 明日は誰の日

【ご命日】

★ケン・アナキン Ken Annakin (1914.8.10~2009.4.22)



ドキュメンタリー出身でコメディもこなせる職人的なイギリスの映画監督。
主な監督作品として『史上最大の作戦』『素晴らしきヒコーキ野郎』『バルジ大作戦』などがある。


★アリダ・ヴァリ Alida Valli (1921.5.31~2006.4.22)



『第三の男』で一躍人気スターの仲間入りを果たしたイタリア出身の国際女優。
主な出演作品として『パラダイン夫人の恋』『第三の男』『夏の嵐』『さすらい』『かくも長き不在』などがある。