港町のカフェテリア 『Sentimiento-Cinema』


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シネマ・ポップス…ときどきイラスト

『8月23日』

2019-08-22 22:50:54 | 明日は誰の日

【誕生日】


☆ヴィッキー Vicky Leandros (1952.8.23~ )



『恋はみずいろ』のヒットで世界中にファンを持つギリシャ生まれの女性バイリンガル歌手です。
作曲家の父親のもとにギリシャのコルフ島に生まれ、幼少時から歌とダンスのレッスンを受けて育ちました。9歳の時に当時の
西ドイツに移り、ハンブルグの高校に入り16歳でレコード・デビューを果たしました。1967年にはルクセンブルク代表として
ユーロビジョン・ソング・コンテストに出場し『恋はみずいろ』が第4位に入賞しました。その後ドイツ、フランス、ギリシャを
はじめとしたヨーロッパを中心に世界的な活動を展開、日本にも1968年から数度来日し、日本語のレコードをリリースして
ヒットさせました。

【主要歌唱曲】
1967年『恋はみずいろ』L'amour est bleu  

1967年『待ちくたびれた日曜日』

1968年『カーザ・ビアンカ』Casa Bianca

1968年『悲しき天使』Le Temps des fleurs 視聴
1969年『白い十字架』Kleiner Prinz

1972年『想い出に生きる』Après toi  視聴

☆ロバート・マリガン Robert Mulligan (1925.8.23~2008.12.20)



TV出身でアメリカの良心と言われた社会派の映画監督です。
警察官の子としてニューヨーク・ブロンクス区に生まれました。第二次大戦中に海軍の放送関係の仕事をしたことから放送に
興味を持ち除隊後にフォーダム大学でジャーナリズムを学ぶとともに放送講座の聴講生となりました。卒業後にCBS・TVに
入社して100本以上のTVドラマを手がけ、1957年に実在の大リーガーを主人公とした映画『栄光の旅路』で監督デビューを
果たしました。1962年には黒人差別の激しいアラバマを舞台にした『アラバマ物語』を監督、ピューリッツア賞受賞小説の
映画化ですが、これぞアメリカの良心だという意志が強すぎて逆に正義の押し付け的な仕上がりになってしまいました。
その後も『下り階段をのぼれ』など骨のある作品を撮っていましたが、恐怖映画にも興味を示し作風は大いに乱れました。

【主要監督作品】
1957年『栄光の旅路』 Fear Strikes Out
1960年『ねずみの競争』 The Rat Race

1961年『九月になれば』 Come September

1962年『アラバマ物語』 To Kill a Mockingbird

1963年『マンハッタン物語』 Love with the Proper Stranger
1965年『サンセット物語』 Inside Daisy Clover
1967年『下り階段をのぼれ』 Up the Down Staircase 



☆ジーン・ケリー Gene Kelly (1912.8.23~1996.2.02)



洗練されたダイナミックなダンスでMGMミュージカルを支えたアメリカのダンサー、振付師、俳優、映画監督です。
ペンシルベニア州ピッツバーグに生まれ、父親がグラムフォンに勤務していたことから一家そろって音楽やダンスの教育を
受けて育ちました。1938年にダンサーとしてブロードウェイの舞台に立ち、1941年にMGMと契約を交わして、1942年に
"For Me and My Gal" で映画デビューを果たしました。その後はMGMにおけるアーサー・フリード・ミュージカルの看板
俳優として活躍、モダン・バレエを取り入れたダイナミックかつアクロバティックな洗練された踊りでトップ・スターの
座を射止め、一方で『雨に唄えば』などの監督もこなす才能をも発揮しました。

【主要出演作品】
1943年『デュバリイは貴婦人』Du Barry Was a Lady
1945年『錨を上げて』 Anchors Aweigh

1946年『ジーグフェルド・フォリーズ』 Ziegfeld Follies
1948年『踊る海賊』 The Pirate 
1949年『踊る大紐育』 On the Town (共同監督も)
1951年『巴里のアメリカ人』 An American in Paris

1952年『雨に唄えば』 Singin' in the Rain (共同監督も)

1955年『いつも上天気』It's Always Fair Weather (共同監督も)
1957年『魅惑の巴里』Les Girls
1962年『ジゴ』Gigot (監督のみ)
1964年『何という行き方!』What a Way to Go!
1966年『ロシュフォールの恋人たち』 Les Demoiselles de Rochefort
1969年『ハロー・ドーリー! 』Hello, Dolly!  (監督のみ)


【ご命日】

★アルベルト・カヴァルカンテイ Alberto Cavalcanti (1897.2.06~1982.8.23)



1920年代半ばにブームとなったアヴァンギャルド映画で一時代を築いた映画監督。
主な監督作品として『時の外何物もなし』『かわいいリリー』『港町にて』『目のない列車』などがある。


★ルドルフ・ヴァレンチノ Rudolph Valentino (1895.5.06~1926.8.23)



サイレント時代にエキゾチックな風貌で多くの女性ファンを虜にして一瞬の輝きを放った俳優。
主な出演作品として『黙示録の四騎士』『椿姫』『シーク』『血と砂』『熱砂の舞』などがある。


★デヴィッド・ローズ David Rose (1910.6.15~1990.8.23)



イギリス生まれの米国人ピアニスト、作曲家、楽団指揮者、TV音楽ディレクター。
主な演奏曲として『慕情』『ひき潮』『夕陽に赤い帆』『九月の雨』『大草原の小さな家』などがある。

『8月22日』

2019-08-21 16:56:26 | 明日は誰の日

【誕生日】


☆レニ・リーフェンシュタール Leni Riefenstahl (1902.8.22~2003.9.08)



ナチス・ドイツ時代にヒットラーの支援を受け、斬新な映像を世界に発信した女流監督です。
公務員の娘としてベルリンに生まれました。ベルリンの美術学校で絵画を学び、バレエでもドイツを代表する表現ダンサー
として注目されましたが膝を負傷して舞踏家の道を断念して映画界に入りました。1925年にアーノルド・ファンク監督の
『聖山』で女優としてデビューし、1931年には自ら映画プロダクションを設立して翌年には自ら主演した『青の光』で監督
第一作を飾りました。1933年にナチスが政権を取り、リーフェンシュタールの才能を高く評価したアドルフ・ヒトラー直々の
依頼により、ナチスのニュルンベルク党大会の記録映画『信念の勝利』を監督し、次いで1935年にはプロパガンダ映画の
『意志の勝利』を監督、ヒトラーの御用監督とまで言われるようになりました。
1936年に第11回オリンピックがベルリンで開催されるとヒットラーの全面支援を受けてオリンピックの記録映画『オリンピア』
(第一部は『民族の祭典』、第二部は『美の祭典』)を完成させました。この『民族の祭典』では、百米走の撮影において
奏者と同じ速さで移動するカメラのほか大型のクレーンや望遠レンズなどを駆使して選手の表情や心理などを鋭くとらえ、
『美の祭典』においても勝敗を度外視して各競技の技術と美しいフォームを捉えることを主体として、TVのなかった当時に
初めてのオリンピック映像を全世界に配信し、スポーツの記録映画として画期的な成功をおさめました。
しかし、第二次大戦後、本人はナチス構成員ではなかったにもかかわらず連合軍に逮捕され、ナチズムに協力した映画監督
として、またヒトラーの愛人だったというデマも流れるなど生涯にわたって非難を浴び続けました。

【主要監督作品】
1932年『青の光』Das Blaue Licht

1935年『意志の勝利』Triumph des Willens

1938年『オリンピア』(第一部『民族の祭典』、第二部『美の祭典』) Olympia


註・この大会の女子200メートル平泳ぎ決勝で金メダルを獲得した前畑秀子選手の映像は『美の祭典』の本編には
ありませんがニュース・フィルムの競技映像を挿入して日本公開されたようです。
(小さな頃に「前畑頑張れ前畑頑張れ、勝った勝った」という実況SPレコードを聞いていたことを思い出しました)


☆シルヴァ・コシナ Sylva Koscina (1933.8.22~1994.12.26)



『鉄道員』でデビューし注目されましたがその後は作品に恵まれずB級作品に終始したイタリアの女優です。
ホテル経営者のギリシャ人の父親とポーランド人の母親との間にユーゴスラビアのザガブリアで生まれました。第二次大戦の
勃発により1945年にイタリアの市民と結婚した妹と一緒に暮らすためにイタリアに移り、1954年にナポリ大学医学部で学んで
いたときにイタリアの自転車レースの優勝者に花を贈る係に選ばれその写真がヨーロッパ中の新聞に掲載されたことを機に
映画入りのチャンスをつかみ、1955年のピエトロ・ジェルミ監督の『鉄道員』の長女役に抜擢され女優としてのスタートを
歩み始めました。しかし、その後国際的に活躍しましたが良質の作品に恵まれず、B級アクションや史劇ものに終始して
しまいました。

【主要出演作品】
1956年『鉄道員』Il Ferroviere

1957年『芽ばえ』Guendalina
1958年『ヘラクレス』Le Fatiche di Ercole

1958年『夏物語』Racconti d'estate

1962年『すてきなジェシカ』Jessica
1962年『放浪の剣豪』La congiura dei dieci
1963年『地上最笑の作戦』Il Giorno più corto
1964年『もしお許し願えれば女について話しましょう』Se permettete parliamo di donne

1967年『キッスは殺しのサイン』Deadlier Than the Male
1967年『ベニスの出来事』Three Bites of the Apple

1969年『マルキ・ド・サドのジュスティーヌ』Marquis de Sade: Justine
1969年『ネレトバの戦い』Bitka na Neretvi


【ご命日】

★藤澤嵐子 Ranko Fujisawa (1925.7.21~2013.8.22)



日本においてアルゼンチン・タンゴの普及に貢献したタンゴ歌手。
主な歌唱曲として『ママ恋人が欲しいの』『ジーラ・ジーラ』『スール』『ボンボン・シート』などがある。


『8月21日』

2019-08-20 17:54:32 | 明日は誰の日

【誕生日】


☆シャルル・ヴァネル Charles Vanel (1892.8.21~1989.4.15)



独特の風貌で主役を喰うほどの光彩を放ったフランス映画界の名傍役です。
ブルターニュ地方のレンヌに生まれ、12歳の時にパリに移り住みました。子供の頃から話術が達者であったことから役者を
志し、アントワーヌ座やジムナーズ座などの舞台に立つようになり、1908年頃から映画にも出演するようになりました。
1910~20年代に数多くのサイレント映画で苦いキャラクターの役割で成功し、特に1919年のロベール・ブードリオ監督の
佳作 "L'atre" (いろり)で注目されました。
トーキー時代に入ってからはデュヴィヴィエ、フェデー、カルネなどの一流監督の作品に出演、むっつりした風貌から人生の
深味を表現して主役を喰うほどの光彩を放ちました。特に1953年のアンリ・ジョルジュ・クルーゾー監督の『恐怖の報酬』
において徐々に内面のもろさをさらけ出すトラック助手を演じて脚光を浴びました。

【主要出演作品】
1933年『外人部隊』Le Grand Jeu
1933年『レ・ミゼラブル』 Les Miserables
1935年『最後の戦闘機』L'equipage

1935年『南方飛行』Courrier Sud
1936年『我等の仲間』La Belle Eqoipe

1936年『ジェニイの家』Jenny
1937年『背信』Abus De Confiance
1947年『濁流』Mort En Traude
1948年『無法者の掟』Il Nome Della Legge
1953年『恐怖の報酬』 La Salaire De La Peur

1953年『埋れた青春』 L'affaire Maurizus
1955年『悪魔のような女』 Les Diableiques

1955年『泥棒成金』To Catch A Tfief

1957年『火薬に火』 Le Feu Aux Poudres
1960年『真実』La Verite

1963年『皆殺しのシンフォニー』Symphonie Pour Un Massacre


【ご命日】

★ナンニ・ロイ Nanni Loy (1925.10.23~1995.8.21)



ローマの映画実践センターの出身でネオ・リアリズムの後継者と期待されたイタリアの映画監督。
主な監督作品として『祖国は誰のものぞ』『狼どもの報酬』『シシリー要塞異常なし』などがある。


『8月20日』

2019-08-19 17:35:39 | 明日は誰の日

【ご命日】

★ジェリー・ルイス Jerry Lewis (1926.3.16~2017.8.20)



「底抜けシリーズ」でお馴染のドタバタ系喜劇の俳優、映画プロデューサー、映画監督。
主な出演作品として『底抜け右向け!左』『画家とモデル』『底抜け大学教授』などがある。

『8月19日』

2019-08-18 17:27:02 | 明日は誰の日

【誕生日】


☆フルヴィオ・サラマンカ Fulvio Salamanca (1921.8.19~1999.5.25)



ピアニストとしてダリエンソ楽団の右腕といわれたアルゼンチン・タンゴのアレンジャーそして楽団指揮者です。
サンタ・フェ州フアン・B・モリーナに生まれ、6歳で音楽を学び始め12歳でピアノ奏法を習得しました。1935年に最初の
アンサンブルを形成しファッショナブルなリズムのレパートリーで州内をツアー、1938年にピアニスト兼アレンジャーとして
フアン・ダリエンソ楽団に参加し、17年間にわたって中心人物として同楽団を支え、1950年代のダリエンソ楽団黄金期の
立役者となりました。
1957年にエドゥアルド・コルッティの助けを借りて彼自身のオルケスタを結成し、切れ味の鋭い独特のリズムに加えて
サラマンカ自身の華麗なピアノ・タッチでファン注目の楽団となりました。
1975年には日本ツアーも行っていますのでわが国でも大いに人気を博していました。

【主要演奏曲】
『エル・チョクロ』El Choclo

『ラ・クンパルシータ』La Cumparsita 視聴
『アディオス・コラソン』Adiós corazón

『チケ』Chique 視聴
『ボンボンシート』Bomboncito

『ジーラ・ジーラ』Yira…Yira 視聴
『ラ・カチーラ』La Cachila

『ア・メディア・ルス』A Media Luz 視聴
『台風』El Huracán 視聴
『ノスタルヒアス』Nostalgias

『とわに別れを』Hasta siempre, amor 視聴
『夜明け』El Amanecer 視聴


【ご命日】

★オラシオ・サルガン Horacio Salgán (1916.6.15~2016.8.19)



前衛的なアレンジでアルゼンチン・タンゴ界の鬼才といわれたタンゴ・ピアニスト、楽団指揮者です。
主な演奏曲として『ミロンゲラ・ビエホ』『エル・チョクロ』『フェリシア』などがある。