聖書:マタイ10:34~39
メッセージ:“自分の十字架を負う”
1.平和ではなく剣をもたらします
(34)「わたしが来たのは地に平和をもたらすためだと思ってはなりません。わたしは、平和をもたらすために来たのではなく、剣をもたらすために来たのです。」
福音を宣べ伝えるとき、一時的に剣が投げ込まれたようになりますが、それはお互いの間に新たな関係が築き直され、うわべではなく真の平和がもたらされていくためです。
2.いのちを失う者はいのちを得ます
(38~39)「自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、わたしにふさわしい者ではありません。自分のいのちを自分のものとした者はそれを失い、わたしのために自分のいのちを失った者は、それを自分のものとします。」
「自分の十字架を負う」とは、古い自分を捨て主のみこころに従うことです。自分のいのちを失う者は、主にある永遠のいのちを見いだします。
(マタイ26:29)「わが父よ。できますならば、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願うようにではなく、あなたのみこころのように、なさってください。」
主ご自身が父なる神のみこころに従い十字架につけられました。人の意思は弱く恐れやすい者ですが、主は私たちを励まし、自分の十字架を負って私について来なさいと語られます。お従いする時に祝福があります。神様のみこころが私たちのうちになされていきますように。
メッセージ:“自分の十字架を負う”
1.平和ではなく剣をもたらします
(34)「わたしが来たのは地に平和をもたらすためだと思ってはなりません。わたしは、平和をもたらすために来たのではなく、剣をもたらすために来たのです。」
福音を宣べ伝えるとき、一時的に剣が投げ込まれたようになりますが、それはお互いの間に新たな関係が築き直され、うわべではなく真の平和がもたらされていくためです。
2.いのちを失う者はいのちを得ます
(38~39)「自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、わたしにふさわしい者ではありません。自分のいのちを自分のものとした者はそれを失い、わたしのために自分のいのちを失った者は、それを自分のものとします。」
「自分の十字架を負う」とは、古い自分を捨て主のみこころに従うことです。自分のいのちを失う者は、主にある永遠のいのちを見いだします。
(マタイ26:29)「わが父よ。できますならば、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願うようにではなく、あなたのみこころのように、なさってください。」
主ご自身が父なる神のみこころに従い十字架につけられました。人の意思は弱く恐れやすい者ですが、主は私たちを励まし、自分の十字架を負って私について来なさいと語られます。お従いする時に祝福があります。神様のみこころが私たちのうちになされていきますように。
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