聖書:マタイ21:1~11
メッセージ:“主がお入用なのです”
特別音楽:シベリウス“フィンランディア”
1.主は先を見通します
(1-2)「イエスは、弟子をふたり使いに出して、言われた。『向こうの村へ行きなさい。そうするとすぐに、ろばがつながれていて、いっしょにろばの子がいるのに気がつくでしょう。それをほどいて、わたしのところに連れて来なさい。』」
イエス様はこの先なにがあるのか、何が起きるのかご存知です。
(エレミヤ29:11)「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。―主の御告げ―それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」
私たちの未来を知り、最善の計画を立てていてくださるお方に信頼しお委ねします。
2.主は罪の縄目をほどきます
イエス様は弟子たちにろばの縄をほどいて私のもとに連れて来るように言われました。それは次の預言の成就として起こりました。
(5)「見よ。あなたの王が、あなたのところにお見えになる。柔和で、ろばの背に乗って、それも、荷物を運ぶろばの子に乗って。」
「柔和」とは「へりくだった」という意味があります。イエス様はご自身がへりくだり、悩まされることによって人々に平和を与える王として来られました。
(マタイ11:28~29)「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。」イエス様につながるときに、縄はほどけ本当の安らぎが与えられます。
3.主はろばの子の背に乗ります
(7)「そして、ろばと、ろばの子とを連れて来て、自分たちの上着をその上に掛けた。イエスはそれに乗られた。」
(8~9)「すると、群衆のうち大ぜいの者が、自分たちの上着を道に敷き、また、ほかの人々は、木の枝を切って来て、道に敷いた。そして、群衆は、イエスの前を行く者も、あとに従う者も、こう言って叫んでいた。『ダビデの子にホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に。ホサナ。いと高き所に。』」
十字架にかかる前、王なるイエスはろばの子に乗ってエルサレムに入りました。「ろば」は不格好でよたよたと歩き、当時荷物を運ぶために使われました。それは柔和な王、平和な王として来られたことを象徴しています。
(3)「もしだれかが何か言ったら、『主がお入用なのです』と言いなさい。そうすれば、すぐに渡してくれます。」
子ろばのように私たちもイエス様をお乗せして人々のもとにお連れします。イエス様を乗せて歩く光栄に預かります。「主がお入用なのです」主の御声にお応えいたしましょう。
メッセージ:“主がお入用なのです”
特別音楽:シベリウス“フィンランディア”
1.主は先を見通します
(1-2)「イエスは、弟子をふたり使いに出して、言われた。『向こうの村へ行きなさい。そうするとすぐに、ろばがつながれていて、いっしょにろばの子がいるのに気がつくでしょう。それをほどいて、わたしのところに連れて来なさい。』」
イエス様はこの先なにがあるのか、何が起きるのかご存知です。
(エレミヤ29:11)「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。―主の御告げ―それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」
私たちの未来を知り、最善の計画を立てていてくださるお方に信頼しお委ねします。
2.主は罪の縄目をほどきます
イエス様は弟子たちにろばの縄をほどいて私のもとに連れて来るように言われました。それは次の預言の成就として起こりました。
(5)「見よ。あなたの王が、あなたのところにお見えになる。柔和で、ろばの背に乗って、それも、荷物を運ぶろばの子に乗って。」
「柔和」とは「へりくだった」という意味があります。イエス様はご自身がへりくだり、悩まされることによって人々に平和を与える王として来られました。
(マタイ11:28~29)「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。」イエス様につながるときに、縄はほどけ本当の安らぎが与えられます。
3.主はろばの子の背に乗ります
(7)「そして、ろばと、ろばの子とを連れて来て、自分たちの上着をその上に掛けた。イエスはそれに乗られた。」
(8~9)「すると、群衆のうち大ぜいの者が、自分たちの上着を道に敷き、また、ほかの人々は、木の枝を切って来て、道に敷いた。そして、群衆は、イエスの前を行く者も、あとに従う者も、こう言って叫んでいた。『ダビデの子にホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に。ホサナ。いと高き所に。』」
十字架にかかる前、王なるイエスはろばの子に乗ってエルサレムに入りました。「ろば」は不格好でよたよたと歩き、当時荷物を運ぶために使われました。それは柔和な王、平和な王として来られたことを象徴しています。
(3)「もしだれかが何か言ったら、『主がお入用なのです』と言いなさい。そうすれば、すぐに渡してくれます。」
子ろばのように私たちもイエス様をお乗せして人々のもとにお連れします。イエス様を乗せて歩く光栄に預かります。「主がお入用なのです」主の御声にお応えいたしましょう。
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