大黒摩季、離婚していた 長い不妊治療も…元夫に感謝「大好きだから幸せになってほしい」
ロックシンガーの大黒摩季(49)が今年4月に離婚したことが20日、分かった。スポニチ本紙のインタビューで明らかにしたもので、子宮疾患と不妊治療との凄絶な闘いだった16年間の結婚生活に終止符を打った理由を「子供を産めなかった罪の意識を抱えて生きるより、彼の幸せを応援する人生を選んだ」と説明。元夫は再婚し、子供もいる。「私も仕事も恋もブイブイいきます。50歳の“肉食系ヤミ子”の爆走よ!」と笑顔で宣言した。
【写真】大黒摩季が記者のノートに書いた「50歳で50トライ」のスローガン
大みそかで50歳を迎えるのを目前にした離婚の公表。「自分から離婚発表するのも変だし、でもこのまま公表しないでいると、ただでさえ大黒摩季に寄ってくる男がいないのに、不倫となったら絶対誰も来ないままだから!」と大笑いで理由を明かした。
同い年の一般男性と結婚したのは2003年。以前に発覚した子宮疾患が深刻化し、歌手活動を休止して病気と不妊治療に専念したのが9年前。左卵巣嚢腫(のうしゅ)などさまざまな病気を併発。急性腸炎や腹膜炎などにも悩まされ、受精卵を凍結保存した上での子宮全摘手術にも臨むなど、壮絶な闘病生活だった。
「不妊治療すれば病気が悪くなり、病気を治せば不妊治療の当たりが悪くなる。その負のスパイラルの中で0・1%の望みにかけたけどダメだった。最後の卵がなくなったのが一昨年の9月。何回泣いたか分からない。生まれて初めて絶望した。それまでは仕事なんかでも少々の挫折は盛り返せたし、頑張れば結果に結びついたけど、こればっかりは私自身の体の問題でもう限界だった」
脳疾患で体が不自由になった母親が、がんも患い、その介護もしながらの生活。離婚を切り出したのは大黒。
「彼も明るく(子供を)諦めたつもりになってくれているんだけど、それが私には刺さって。お友達の家族と遊んでいる時にその子供を抱っこしている表情を見て“この人こういう顔するんだなあ”って…。私は一生、この罪の意識と生きていくのかと。そうなるといつか小憎らしいことを言うようになっちゃって、そんな醜態さらして生きていきたくはないと思うようになったの」
夫への感謝も大きかったという。「彼はいい人だし、大好きだから幸せになってほしいって心底思うようになって。自分の中でいろんなものが削(そ)ぎ落とされたら、痛みから解放されて、変な闇が来なくなったの。本来の明るくポジティブな私が取り戻せてきて“私が好きな私”がよみがえってきた。2人でいながら罪の意識を抱えて生きていくより、彼の幸せを応援する方が楽だと思ったの。彼も説得するうちに受け止めてくれて、新しい恋をしようねって離婚に合意したのが昨年の初めだった」
離婚届に署名したが提出したのは今年4月22日。「私がツアーでうっかり出し忘れた間に彼に新しい人ができて妊娠の話を聞いて。これは届け出したら騒がれるから妊娠不安定になって流産したら大変だし、自分は流産経験者だけにこれは大事にせねばと思い、彼らの生活が落ち着いたのを見計らって出したの。彼らの幸せを守りたかった。私は産めなかったけど、彼にあげたかった最大のプレゼントがそこだったから」
提出翌日に購入したクロムハーツの指輪が、今の心境の象徴だ。「私、ロックと再婚したから。これからは恋もブイブイしますよ。苦しかった時の経験を生かした“闇曲”が湧き出ているので、60歳まで肉食系ヤミ子として爆走します!」
「50歳で50トライ」をスローガンに、22日には都内でイベントに出演。代表曲にかけて「♪私の夏はきっと来る…って、今は心底歌いたい気分」と笑った。
◆大黒 摩季(おおぐろ・まき)1969年(昭44)12月31日生まれ、北海道札幌市出身の49歳。3歳からクラシックピアノを始め、藤女子高を卒業後に上京。CM音楽の作曲、ボーカルの仕事を始め、92年「STOP MOTION」で本格デビュー。「DA・KA・RA」「ら・ら・ら」「熱くなれ」などがヒット。