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なおしのお薦め本(29)『生きるための死に方』b
次は戸川幸夫の、恩師である長谷川伸先生との逸話を読んでみてください。
「……死の二、三日前だったか先生は私に最後の教訓を与えられた。その時はいつも先生の枕辺に付き添っておられた奥様もおられず、私と二人だけだったが、先生は私の手を取らんばかりにして、
『戸川君、結局死ぬと言うことと生きると言うことは同じなんだよ』
私は、宗教で言うところの肉体は亡んでも魂は天に生きていると言うことですか、と尋ねた。
『そうじゃない。生きるということはその者が存在した価値を遺すということじゃないかね。どんな仕事でも良い。世のため人のために役に立つ事を自分の生きてきた証拠として遺すこと、これが生きるということじゃないか。有名になるとか、財宝を遺すとか言うのではなく、人々の心の中に何かを遺すということだろう。それが出来れば死んでいても生きているのと同じだろう』
この言葉は私の脳裏から消え去ることはない」
同じく戸川幸夫の、この話も紹介したいと思います。
「法医学の泰斗だった古畑種基先生は私の媒酌人だったが、“金を惜しむ人は多いが、時間を惜しむ人は少ない”とよく言われた」
最後は、薬師寺管長だった高田好胤の若かりし頃の話です。高田好胤は小学校五年の時に薬師寺の小僧となり、昭和21年に龍谷大学を卒業します。終戦間もない頃のこと、「当時、寺は疲弊の底であった」そうです。では引用します。
「卒業が近づくにつれて私は教職に就いて、何がしかの給料を頂き、少しでも寺を助けようと思い、お一人で苦労している凝胤師匠に申し出た。然し『二足のわらじはならぬ』と許してもらえなかった。
『二足のわらじをはかねば食べていけません』
『食えなきゃ食わなんだらええ』
と師はおっしゃる。
『それでは死んでしまいます』
『それなら死んだらよかろう。けれどもわれ(お前)が坊主としてまともにさえすれば、世間の奴は必ず食わしてくれる。もし食わしてくれなんだら、その世間の奴らに罰があたるだけ、われにはあたらぬ、安心して死ね』
これは僧侶として当然の答えであるとはいえ、あの苦しい時代になかなか言ってもらえる言葉ではなかった」
食うことにあくせくするな、という教えでしょうか。なかなか聞ける話ではありません。 なおし
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