たそがれ時のつれづれに

人生のたそがれ時を迎えて折々の記を・・思うままに

パソコン下見

2013年05月22日 | パソコン

ブログの見出し写真を昨年の今頃使ったものを再使用しています。
今日は電器量販店へパソコンの下見に行ってきました。10年使ったWindowsXPが来年4月でサポート終了になるからです。まだ十分時間はあるので余裕で構えていましたが、新聞の日曜版が「ウィンドウズXPの寿命」と題して、3回にわたり特集しました。いつ更改するか気にしていてお店へ展示品を見に行ったわけです。
今度も10年使ったらパソコンの寿命より、ご主人の寿命の方が先に尽きるなぁと、気を取り直して半年でも早く便利になった方が利口かと思い直したわけです。
車も3年余乗った今の車で新車更改は必要ないでしょう。

展示品の多い広い店舗の岐阜駅前近くのエディオンへ行きました。近くにもいっぱい量販店はありますがエディオンに決めているからです。昔の名前はエイデンといいました。
パソコン売り場で何かやっていた店員に、XPからの更改/毎日ブログアップしていると伝え、お勧めノートパソコンを尋ねました。
勧めてくれたのは富士通FMV Life Book 159,800円とか、NEC Lave LL750といったところでした。両社とも高性能上位機種です。
長くLaveを使ってきたことを話したら、NECは近く夏モデルを発売予定と言います。どう変わるか特徴の説明はありませんでした。

展示品はエディオンオリジナルモデルの機種が多く、パンフも同じなので、NECの総合カタログを求めました。総合パンフの日付が2013.5月となっていて、発売予定の夏モデルの最新カタログだと言いました。展示品の二つばかり手にしたパンフは、同じ機種なのに2012.10秋冬モデル、2013春モデルと印刷されています。
「どうせなら、少しばかりお値打ち価格でも最新モデルがいいかなぁ」と言うと店員は、
「5月に発売になるので、それを見てお値打ちになる旧モデルにするか、新モデルにされるか検討されたらいかがでしょう」と言いました。

「自宅から近い店で買うか、今まで世話してくれた店長代理のいる店から買う予定」と、初めに言って応対してもらい、カタログだけ貰って帰宅しました。

帰宅して富士通とNECのパンフに一通り目を通し、付き合いのあった店長代理のいる店に電話したところ転勤していたので、転勤先を教えてもらい追っかけしました。XPを買った時からここ10年来のお付き合いです。
「XPの更改時期に迷っている、駅前の店でパンフは貰ってきた」、と話すと彼は、
「NECはOSがWindows8 になってから、第4世代の第1期に当たるコアモデルを6月に発売します。省エネになって少し賢い製品になります。おっしゃるようにパソコンは年4回新モデルが出ます。XPがまだ使えるので少し待った方がいい。6月に出る1期より、10月に出る2期の秋冬モデルが、更には来年2月に出る3期の春モデルの方がより安定します」
と、消費税アップも4月なので慌てるなと、気を利かせてくれた。
「10月に2期のコアが出たら、また電話するので頼むよ」と言っておきました。

コアとは、パソコンの心臓部・新世代CPUインテルCoreプロセッサーファミリーが、6月発売品に搭載予定という意味です。彼は変な応対をすると、ブログに書かれることを承知です。
最近の最上位機種はハードディスクドライブ/HDDが、ハイブリッドドライブシステム・HYBRIDになっているらしい。すなわちHDDから読み込んだOSやアプリをSDDに送り、SDDからOSやアプリを高速起動するシステムのようです。
富士通はフルHDなので表示領域が広く、スタート画面のタイルがスクロールすることなく、多数画面に並ぶとパンフにあります。

孫に買ってやったビスタも後4年、夕方二孫が使っていたので触ったら、XPとは随分画面が違い戸惑います。なんともXPに比べ不便で使い難い。しかもUP Dateを試して見ると今頃 Service pack 1をダウンロードして来て、長時間かかって最後にエラー表示される。おかしい。自動更新にしてあり最新更新はインストールされているのに?しかも履歴をみるとService pack 1 は既にインストールされている。またService pack 2はインストールされていない?なぜ?
どうなってるの?と、長孫に聞くと、1年前からで故障らしいと言う。明日は大学は休みで、これから友達と夜行長距離バスで東京ディズニーランドへ旅行ときた。デジカメを借りて行った。若いって羨ましい。夜、帰宅した息子に一度調べよと命令しました。


仏教講座

2013年05月21日 | お寺参り

やや疲れていたが日曜日の断酒会記念大会の翌日、夜の仏教公開講座へ行ってきました。
昨日は真夏日で、夕方柳ヶ瀬繁華街に近い蕎麦屋で夕食代わりの外食をし、時間つぶしに金華山麓の岐阜公園へ。道路の温度標識は28℃を示していました。駐車場の関係で岐阜護国神社へお参りし、ひんやりした境内を散策した。
神社としての環境がいいところで、鬱蒼とした金華山の原生林の麓、戦死者の英霊の御魂を祀る所として最適です。神仏習合でその足で仏教講座へ。

月1回開催 毎月20日 夜6時半から~8時半まで 入場料500円 真宗宗歌 お勤め (正信偈) 講演と質疑 恩徳讃 閉会

第107回仏教公開講座 テーマ 生きるってどういうこと
講師 ノーマン・ワデル先生 (Mr. Norman Waddell) カリフォルニア大学 英文佛雑誌(Eastern Buddhist)の編集者
大谷大学名誉教授 1940年生まれ 1964年日本に渡る 
演題 「恩師を偲んで」

恩師はR.H.ブライス氏 (R.H.Blyth) 1898年(明治31年)生まれ イギリス人 ロンドン大学卒 1925年頃京城大外国人教師になり、1940年金沢四高の外国人教師、鈴木大拙師に学び、禅の英文紹介書を20冊も刊行した。
1964年死去。

講師との関係 カリフォルニア大学で比較文学を専攻していて、ブライス氏の著書「禅と英文学」に出会う。面白い本だったので、当時鎌倉で修行中のブライス氏に感動の手紙を書いた。予想しなかった返書が来て文通が始まる。

そのうちブライス氏の著作20冊がノーマン氏に贈呈される。禅にのめりこむ。
学究のため来日を望むが、金がなく、金を貯めてから1967年来日したが、すでにブライス氏は亡くなっていた。

鈴木大拙が戦争まで編集していた英文佛雑誌(Eastern Buddhist)の編集者となり、東本願寺に所属する。

本日の講演内容は恩師、R.H.ブライス氏の紹介、人となり、業績の紹介だった。講演者は70歳を少し過ぎ穏やかな学者だった。日本語は、読む、書く、話す、について不自由なく聞きやすかった。
仏教、特に禅は文学があるので欧米人に興味を持たれる。浄土真宗は大家の書いたものを英訳しても欧米人は禅ほど興味を示さない。真宗の記事を書いても雑誌が売れないとのことだった。
禅宗の海外紹介を浄土真宗が担ったとは、何と懐の深い教団かと思った。


断酒会記念大会参加

2013年05月20日 | その他

5月の新緑が穏やかな日曜日の一日、断酒会行事に参加しました。
私は平成16年、17年の2年間地域の断酒会に入れて頂きお世話になりました。お陰様で、何とか断酒が身につき精神状態も落ち着いてまもなく、がんになり8年間で6回の手術の身となり、断酒会は2年で辞めました。酒に飲まれる、酒癖が悪い、という軽症だったこともあります。この2年間はかなり各所の記念大会・一泊研修会へ連れて行って貰いました。

断酒会は懐かしいのと、寺参りと同じで精神修養になるので、近くに記念大会があると、一般参加で勉強に行くよう勤めています。記念大会はネットで親切に案内してくれるサイトがあるので時々ウオッチしています。

今日の会場は愛知県あま市、甚目寺町の公民館でした。家を車で出て岐阜・各務原IC~東海北陸道~名神~名古屋都市高速~名二環~清洲西IC下車、33km弱で、ETCは休日割引なのか1時間ほど千円足らずでした。
愛西市、あま市など最近町村合併で市になって、近くにありながら普段縁のない街なので、ネットで確り調べて出かけました。
何の苦もなくナビの案内で到着し、会場入り口で全国的にも著名な断酒人の尾張断酒会と尾北断酒会の先輩2人に出会い、平素の無沙汰を詫び握手してご挨拶しました。この方達は私のようなものに親切にして頂き、年賀状も貰っています。

断酒会記念大会はどこの大会でも式次第は決まっています。厳粛で誠実な式典を真面目な会員と家族が執り行われていつも感動します。
今回は前半で2人の体験発表、家族の立場⇒妻の立場から と 本人の立場⇒夫の立場から を1組の中年ご夫婦が、
15分休憩の後、家族の立場⇒親の立場から 本人の立場⇒子の立場から を初老の父と30代くらいの娘さんが、
それぞれ感動的体験発表をされました。なかなかこうした組み合わせの発表を聞く機会は恵まれません。個々の発表になりがちです。
来賓はあま市長、県会議員、津島保健所長、八事病院臨床心理士、海南病院ソーシャルワーカー、などの方が祝辞を述べられ、市議2人が参加して頂きました。

市長さんは毎日何かで酒の席に侍るが、自己中心で家族のことを思ったことはなく、会の初めの「家族の誓い」の宣言が印象的だったと話されました。
 家族の誓い
 “私は夫(息子、妻)の酒害に巻き込まれて悩み苦しみました。
 アルコール依存症は家族ぐるみの病気です。病気だから治さなければなりません。また直すことができます。
 これからは酒害を正しく理解し、互いに協力して心の健康を回復します。
 私は断酒会の皆様とともに、幸せになることを誓います。“ という定文です。

今日の記念講演は
 独立行政法人 国立精神神経医療研究センター
 精神保健研究所 自殺予防総合センター 副センター長 松本 俊彦 先生
 演題 「アルコール問題とうつ・自殺」 の講話でした。
日本の自殺者は毎年3万人越と近代国家では日本が群を抜いて高い。‘00年から急上昇しほとんど下がらない。
原因はうつが断然多いが、自殺者の21%がアルコール問題を抱えている。自殺者のトライアングルは「うつ+返済できない借金+アルコール」の3点セット、これに「がんなどの病気」と「離婚」が付属する。男性は中高年の自殺が多い。女性は自殺は少ないが”うつ”が多いそうです。
「人生に行き詰まったら⇒お酒を飲みながら、ものを考えないこと」と教えられました。
講演はパソコンを操作しプロジェクターでスクリ-ンに映して説明される講演だったので、会場が暗くメモは取れませんでした。
インターネットで、ヤフーから「自殺予防」のキーワードでトップに表示される、「いきる」をクリックして、先ず相談窓口へ電話せよ。このページの上段、ホームをクリックし、自殺予防総合センターのホームページ下段のサムネイルから、各種パンフレットを読むなり印刷して下さいとのこと。30分の講演が終り質問の時間では多くの手が上がりました。
Q:「4回も入院しているが断酒ができないがどうしたらいいか」
A:「とにかく断酒会につながっていること」
と、精神科医の先生は、決して意思が弱いとか、だらしないから、などとは言われませんでした。病気だからです。
あと2人の質問と回答があり時間切れでした。
会の最後はいつも連鎖握手で、
もっと 強く、 もっと 賢く、  もっと 真剣に、 やろう やろう やろう」 です。
参加者は来賓と私のような一般を除き303名で、かなり遠方の会員も参加され、真面目な一日を過ごし清々しい気持ちで帰ってきました。
   


つぶらじいの季節

2013年05月19日 | 日記

2番目の孫娘が高校3年で、バレー部に属し朝練のため送ってくれとよく頼まれます。
学校の目の前に岐阜城のある金華山があります。戦国時代は織田信長や斉藤道三の居城でした。
金華山の麓が今、つぶらじいの花盛りで、そこだけ黄金色に輝いています。ツブラ椎がこの岐阜市を中心に美濃地方一帯に多く、どこへ行ってもこの季節黄金色に彩られてきれいです。
地元歌手にこの木から芸名を名乗っている人も、金華山の名の由来で岐阜市の木に指定されています。

今年はさくらは1週間早く咲きましたが、我が家の乏しい花木のアジサイはようやく花芽を出してきて、生垣の金芽つげが花盛りです。年毎に老木になりところどころ枯れて、穴になってきました。金芽柘植は歳月を経るとそうなると庭師がいいます。日陰で風通しは悪いし、芝も芽出しも生育もよくありません。

植物は日足の長さで季節を知り、花をつけるとか、バラはまだ芽も出していません。雑草ばかりがいくら引いても元気がよくて困っています。


闘病生活その2

2013年05月18日 | 日記

術後5年8ヶ月経過した膀胱がん定期検診に行って来ました。診察室前の待合廊下で待つ間、館内放送で何かの催しを放送していました。帰りにエントランスホールで老年男性と中年女性がハーモニカ演奏していました。
このような催事はよく行われています。皆ボランティアです。この玄関ホールにはグランドピアノも置かれていて、入院患者等が30人ほど椅子に腰掛け聞いていました。そばの総合受付の女性係に撮影の許可をもらいショットしまた。
曲目は懐かしのメロディを中心に上手な演奏です。

がん検診の機会に久し振りに、ニュートリノ研究者でノーベル賞候補だった、戸塚洋二先生のブログを少し訪問しました。
 先生のブログは、はじめA Few More Monthsでしたが病状の悪化で、The Fourth Three-Months に途中改題されたたとあります。先生のブログは00.11月直腸がん手術、07.08月から08.08月までの亡くなられる1年間のブログです。マスコミにも取り上げられ、立花隆氏がフォローされ大変話題になりました。

ニュートリノ研究基地 飛騨市神岡町茂住の奥飛騨の生活拠点は先生が20年も過ごされた飛越街道の寂れた過疎の僻地です。
私の在所の甥の妻がここで生まれ育ちました。この嫁っ子の父母も転居先の高山市と、茂住を行ったり来たりしてお婆ちゃんが亡くなるまで、茂住は10年ほど前まで生活拠点でした。
この親戚と先生とは近所付き合いだった関係にあります。このブログ記事に出てくる金龍寺でお婆ちゃんの葬式を出されお参りしたこともあり、過日の法事でもこの夫妻にお会いしました。娘2人がいて姉は静岡の医師と結婚していて、連休中夫婦とも帰省しているとのことでした。

戸塚先生は私と同じ大腸がんが体の方々に転移し、最後の気力でこの貴重なブログを公表され、世の患者達に勇気を与えられました。先生のがんはアルコール・お酒が原因だったとか、手術直後はお漏らとか大変だったとか、病状の進行具合を病院から写真を貰って来て、画像をゲージで計り数値化するなど、科学者らしくがんと向き合われました。敬服します。
もし私に再発・転移が告げられたら、抗がん剤治療は申し訳程度の軽い副作用のものにし、重厚治療は望まないでしょう。
私は後遺症で便の滞留障害で毎日つらい思いです。


定期検診

2013年05月17日 | 日記

今朝は膀胱がんの定期検診の日です。
8時半 検体検査 採血・採尿受付前に並び尿検査で、潜血が無いか検査。ここはいつも第1ゲートで満員です。約30分以上待たされます。

9:30 膀胱内視鏡検査室前の待合コーナーの廊下に並び、検査室へ呼び込みがあると、下半身裸になり、少し厚手の紺色穴あき紙パンツに履き替えます。看護師の誘導で検査台に乗ります。自動回転し正面を向きます。へそ下を隠すため、お腹の前に針金で吊ったカーテンが立てられます。医師が入室されペニスを左手に持ち、尿道からカテーテル・管が入れられ、注射器で麻酔薬が入れられます。括約筋を通る時不快感とチクッとします。麻酔が利いてくるまで20分待機です。
検査結果は帰宅してアップします。
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お陰様で検査結果は良好でした。異常なし、膀胱内の濁り、カスも無くきれいだと先生から言われました。この先生は3人目、執刀医は転勤されています。
麻酔注入で「大きく息を吸って、吐いて」と管を注入されますが、まだ緊張していると2、3回目に入りました。いつも上手だといわれるのに・・。
検査台に寝て後ろの脱衣駕籠に手を伸ばし、麻酔が効いてくる20分間、「新聞を広げて読む患者はあなた一人」と、馴染みのナースさんは今日はお休みでした。
モニターの画面は目の前に大きく写ります。血管もよく見えるし、水で膨らませた膀胱内はきれいな粘膜です。おできがあると惨めです。画像撮影しながら先生は「異常ありません。きれいです」と診断され、心からほっとして「ありがとうございます」と答えました。
終わって今回は少し尿道から出血したと告げられました。
画像撮影が終わって、脱衣かごへ2、3歩、血尿がぽたぽた2滴床に落ちました。
ナースさんに始末していただき着替えの際、家から持参した女性用尿取りパッドを当て、ナースさんは駕籠の下にもあったのに、と言われました。

それから廊下で待ち、結果診察です。今回は受付に「再診の患者さんへ」という、診察の際に、医師に伝えたいこと、確認したいこと、の伝票が置いてあったので、前もって記入し受け付けへ提出しました。
1、前回受診後からの、お体の変化はありましたか? 
2、服用しているお薬についてお書き下さい。
3、インフルエンザ予防接種を希望しますか?
4、その他、何か気になることがありますか? の4項目です。
2項で、1年間服用した排尿改善薬ハルナールの継続服用の可否。開業医にも通知を希望。服用すると排尿はスムーズですが・・。
1項は、排尿痛(直腸がんでいきむため)、が時にあること。
4項で、ハルナール1ヶ月分30錠、睡眠導入剤マイスリー30錠 処方を希望。

先生との会話はお陰で効率的に進み、希望通りになり、ハルナールは服用を自己判断で中止、または一時中止で様子見でよいと指示されました。開業医にはその旨通知する由。
薬局では病気と上手に付き合うこと、検診を必ずと指示されました。
帰宅途中開業医に寄り医師に診断結果を告げ、ハルナール一時服用見合わせを伝えました。
血尿が滲み、夕方までに下着数枚を汚し、キッチンハイターで漂白しました。  


闘病生活

2013年05月16日 | 日記

行きつけのコンビニに行ったら経営者の奥さんが珍しくレジにいた。
「おかあちゃん元気だった」
「ありがと、あんた何してる?」
「主夫」
「主夫ね」
「主夫のほかゴルフとガンの治療。4つか5つやった」
「今のガンは助かるからどうってことない」
「アハハ」
この奥さんは家の近くに30年近くスーパーを開業していたが、6千人も住む団地内でも、生協は1店舗あるし、採算性が良くないと閉店し広い駐車場を含め、今は花苗店に貸して下の県道沿いに降り、コンビニを経営している。年寄や車のない住民には近くにスーパーがないのはやはり不便だ。自分も亡妻も顔見知りだ。
ガンをいくつも罹患していて、タバコを止めないのは、直腸切除の後遺症の気休めやストレス解消でもあるが、やけくその馬鹿がやることだろう。

昨日はゴルフの帰り道に、前の日行き倒れのお婆ちゃんを助けた家の前を通った。道路から少し入った山中の一軒屋で、家の前に中年の奥さんが何かやっていたので、お婆ちゃんは無事だったのだろう。車の近くなら声をかけてもいいが、恩着せがましいし走行中なので止めた。道路端にはこの家の主人か、仕事中なのか小型トラックと男の人が居て自分と車を見ていた。

明後日は総合病院で膀胱がんの術後検診で術後5年8ヶ月経過です。
膀胱がんは再発しやすく、美濃加茂市長は2回の手術後も思わしくなく治療に専念したいと、任期途中退任された。
後継に立候補しているのは若干28歳の市議だという。この若さで本当に市長が勤まるだろうか。もっとそれらしき候補者はいない市なのだろうか。

膀胱がんの後遺症は頻尿・出渋る、夜間頻尿・排尿痛などだ。膀胱内に滓が溜まって前回検査ではカメラ写りに支障になった。開業医に医療分業され、前立腺治療薬「ハルナール」を毎日1錠服用する。αブロッカーという薬で、前立腺の緊張をほぐし尿を出やすくする薬です。
これを飲むと顕著に多量にスムーズに排尿できる。α1を遮断すると薬の能書きにあり、
「アドレナリンα1を遮断するのか」、開業医の薬剤師(?)に聞いたところ、
「私には分りません。先生にお聞きください」と言った。今度病院で聞くことにする。

困っているのは、直腸摘出による排便障害で、排便周期不規則、貯溜障害による頻便に全く苦労している。昨日ゴルフから帰って、夕方5時頃から少し無理して排便し、それから頻便がつづき回数は4回、夜中に1回、今日は夕方4時頃から計4回の排便でようやくゲル状の底尽き便になって落ち着いた。

排便記録を毎回カレンダーに記録し自己管理する。薬は緩下剤・プルゼニドはほとんど使わないし、術後に軟便状改善薬ロペミンの貰い置きを残り少ないがたまに飲む。4年も前のもの。
とにかく後遺症では肛門機能温存術でも人工肛門造設術でも直腸がんの後遺症は最悪で疲れきってしまう。

安倍総理は前に総理の職を潰瘍性大腸炎で投げ出したが、2年前に開発された新薬アサコールにより、劇的に快癒し、二度目の登板が可能になった。
週刊文春の最近の対談を読むと、前は日に20回から30回の頻便で国会や予算委員会どころでなく、どこへ行ってもトイレの場所の確認だったと告白されていた。
貯溜障害にもこういう新薬が開発されないだろうかと願っている。


真夏並み

2013年05月15日 | ゴルフ

昨日は真夏並み、暑かった。岐阜県下では5月の気温では観測史上最高を観測した地点が数地点あったという。
コンペの日で朝は5時半には目が覚めて起きてしまった。夜間頻尿で数回起きるので朝からボケボケの有様。5時半では新聞も来ていない。
食欲もなく昨日買い込んで来たお気に入り、フジ・ミニつぶあんパンを1個食べた。夜中におしっこに起きた度に食べ2個食べた。行儀が悪い。6時半過ぎにはもう家を出た。長男も出勤するところだった。生徒の出迎えなのか朝は早い。
7時ちょい過ぎゴルフ場に着いた。フロントで、昨日熱中症で行倒れのお婆ちゃんを助けたと自慢話をした。
ロッカーに荷物を預け、珍しく誰もまだ来ていないグリーンでパッティング練習を始めた。グリーンのメンテが最近良好だ。新種のベント芝で走りは遅い。ツルツルと走らず高麗芝に似てすぐ止まってしまう。
今日は昨日ここで練習しパターは、オデッセイ・ホワイトホット・#3というクラッシックタイプ。
L字型です。定価17,800円が5,000で3年ほど前に求めて使いきれずにいる。クランクネックで慣れればいいかも知れない。L字型はロングパットが距離を合わせやすい。
ボツボツお客さんが来て先ず打ちっ放し練習から皆入って行く。このコースの取り柄は練習場が良い、ミドルコース1ホール分の広さと長さであることだ。仲間もボツボツ集まってきた。そこで自分も打ちっ放し練習に入った。
仲間は珍しく14人も集まった。スコアは昨日打ちすぎて疲れが残ったか散々だった。
OUT 1 1 2 6 2 2 0 1 2=+17 (PAR36)53⇒ 出だしは良かったが4番ではサンドウェッジでOBを打った。
IN   2 1 0 0 1 3 3 1 1=+12 (PAR35) 47 ⇒トリプル2つもあってはねぇ。
GROSS 100 H’C19 NET 81 7位/14人 スコアは悪いが楽しかった。暑さには参りました。
一緒に回った仲間の一人は、最近倒産したショートコース・岐阜中央カントリークラブの会員で、夫婦で入会していたという。2人で100万円づつ200万円が回収不能になった。入会した二つのゴルフ場が倒産の憂き目にあったと嘆きました。

帰宅して暑くて夜は始めてクーラーを入れた。テレビは高市早苗政調会長と橋下徹大阪市長の侵略の定義・従軍慰安婦に関する、不適切発言に対し批判報道がつづいた。渡辺みんなの党々主は論評に値せずと厳しい。2人とも公職を辞すべでしょう。 


小人閑居為不善

2013年05月14日 | 日記

下呂市馬瀬・岩屋ダム

「小人閑居して不善を為す」、暇でしかたがないし、天気は良いし昨日はホームコースへ練習に行きました。朝11時頃喫茶店でモーニング、それからゴルフ場へ、先客が2人似たような年寄りです。車はほどほどに満車、最近コースが良くなってお客が増えています。
2時間が少しタイムオーバーし、翌日はコンペなので球は少し残し切り上げました。先客の1人はほとんど残し、もう1人も汚れた球を選り分け残して帰りました。残った球はせめてみかん箱に入れて帰ればいいものを、マット上に散らかしたまま帰ってしまい、その後始末、タバコの吸殻拾い等、残ったみかん箱3つを小屋の前まで運んで始末といつも手伝ってきます。

帰りはスーパーで買い物のためいつも通る、倒産した岐阜中央カントリークラブの西端、小山の峠の途中で、道端に人が倒れていました。上半身は道路上に半分ほど出て仰向けに寝ていました。広くもない1車線で危ないなぁ、暑かったので草取りでもしていて変な格好で休んでいるのかと通り過ぎ、20mほど行っておかしいと車を止め降りて戻りました。
「お爺ちゃんどうかしたの」
「えらくて動けなくなった」
「何!それは大変、誰か助けを呼ぶからそのまま寝ていて」
近くは小団地になっていて、倒れていた老人は団地から外れ更地の屋敷2枚ほどを過ぎたところに寝て仰向けです。
車を止めたところの両側は民家が連なるので、どの家に助けを求めようかと戻る途中、倒れた老人が呼び、自宅は峠を越してすぐのラブホテルの手前だという。手押し車はえらくて押せず自分が車を止めた反対側に置いてあって、歩いて帰ろうとして倒れたという。
「とにかくそのまま寝ていて」 と民家まで戻り呼び鈴を押した。

こういう時は中々すぐに反応しない、会話できない頼りない単なるチャイムを2度3度押した。
ようやく奥さんが顔を出された。事の経緯を話し助けてと話しているところへ、折り良くクロネコ大和の宅配トラックが来た。手を振って止め
「そこの民家の老人なので、家人に連れに来るよう、言ってほしい」
と頼んだら、クロネコはその家へ宅配だという。好都合だ。

奥さんは一旦家に入った。老人のそばで待っていると、体を起こして欲しいと頼むので半身を起こしコンクリート壁を背もたれに座らせた。靴を履いていない。靴下だけだった。手押し車に入れたままだといい、杖が傍に倒れていた。
脳卒中なら動かしてはいけないと瞬間的に判断したが、言語は明瞭なので最初に上半身を起こして道路上から退避させるべきだったと後から思った。夜間だったらとぞっとした。
通過した車2台ほどは皆自分が跳ねたのかと顔を見ながら通り過ぎた。
クロネコが戻ってきて家人は留守だという。困ったなと話していたら、奥さんは日傘を広げて主人も応援に来てくれた。
自分はてっきりお爺ちゃんと呼んでいた老人は実はお婆ちゃんで、お爺は最近亡くなったのだと主人は言い、ついさっきここを歩いていたのを見たと言う。

手押し車に乗せて家へ送るといってくれた。お婆ちゃんベンツは電動でもないのに押すと結構重い。押すのに力が要る、こういう作りなのか、倒れたお婆ちゃんも重いからと言った。奥さんは日傘を差しかけ主人が老人を乗せ送ってくれることになった。その家は見えているし距離わずか50mほど。ところが峠で傾斜が強い。
クロネコも運んできた宅配を受け取って貰えるとまた戻るという。ヤレヤレ、主人と奥さんに後を頼んで辞去した。
すぐ数百メートル先の信号機の国道を越えてスーパーへ入った。 夕方のテレビでは全国的に熱中症が発生していた。

小さな人助けをやった。今日のゴルフはきっといいかもしれない。小人閑居して善を為し、大難を小難に納めたのだから。
君子必慎其独也 小人閑居為不善 は、ことわざとして意味を取り違えて解釈しているそうだ。その1その2 の達見を参考にしてください。


まごころ

2013年05月13日 | 日記

父母、義姉の年忌法要にお参りし、母の日を中心に家族のことを記事にしました。
文字にしてみると、皆それぞれの時代を、それぞれの日を、懸命に真心こめて生きて来たのだとあらためて認識しました。
今生きている私の命も連綿とつづいた先祖から受け継がれていることも感じました。

毎日をアクセク働き生きることに懸命な若い人、特に身内の家族は、親は子に、子は親や先祖に、時には思いをいたし、毎日をまごころで生きて欲しいと願います。

昨年母の葬儀を終え、翌日形見分けで家族が母の寝室に集まり、母の箪笥から古い写真や我々の通知表などが出てきて、母が懸命に子育てし期待をかけ、生きてきた証しをみる思いでした。
自分はこの引き出しに古文書があるのを知っていたので、自分に関するものは既に持ってきていました。残っていたのは夜間高校2学年終了時の「本年度選択全教科」の教科学習優秀賞の賞状と、生まれて翌年の第一期種痘済証でした。この証は第二期種痘を受けるまで保存せよ、と但し書きがありました。こんなものを大事に保存してきた母の真心を感じました。

姉の家の露地畑には優しくチューリップが咲いていました。姉の孫は最近勤めを辞め、夢に向って第二歩を踏み出そうとしているとのこと。ただどう見ても無理破綻が見え見えの夢で周囲を悩ませていた。つらくとも正業で我慢し食える事が大事でしょう。
私の孫には昨年大学進学で少し学資を援助したが、それが中古車に化け、最近きれいな車体がボコボコと傷が増えて、ナンバーまでが壊れる有様でした。今朝は修理に出したか代車が入っています。 親も子も雑把な性格なのが心配です。 

大事なものと、そうでないものの見方や、形而上のことにも真心を大事にして欲しいと願うところです。大事なものは大切に扱う、捨てるもの、残すもの、断捨離も慎重にしてほしい。

法事の席で実家のひ孫4代目は、来春高校を卒業なので大学受験か聞いたところ、「無理して大学進学より公務員試験チャレンジコースも取っていて、結果次第では就職するかも知れない。(父の)教職にそれほど魅力は感じない」と答えました。堅実な考えで、自分の真心を持っていて、それがいいと賛成しました。