実家に戻ったら、段ボール箱の中に不要かどうか訊いてから捨てようと
思ったものが入っているということで、見たら、カセットテープの山。
カセットのラベルには1から単純な連番だけで日付もない。
ラベルが揃っているので、ラジカセに入れて録音していたやつだと思って、
聴いてみたら、所ジョージの進め!おもしろバホバホ隊とコサキンが録音されていた。
コサキンはウププ人とか特定のコーナーが録音されていた。
バホバホ隊は曲が中心、
特に所ジョージの曲が多く録音されていた。車庫証明、南極の空 など。
毎日夜9時からラジオを聴く習慣になったのは昭和59年だったと思う。
それまではラジオを自作したのでたまに聴くぐらいで、ちゃんとしたラジカセを入手したのが、この年。
最初の方のカセットはラジオの内容から、昭和59年の11月頃。
コサキンでは「青いゴムぞうり」の曲、歌っているのは誰でしょうクイズ。
答えはバーブ佐竹だが、正解者が7人だった。
TBSがこのレコードを購入したのが昭和42年で、この時生まれた人は17歳になっている
と話しているから、この放送は昭和59年であっている。
「アーイー」ネタもあったので関根麻里が生まれた後だ。
印象的なのは
伊東マンショをコサキン2人が伊東マンションのことだと間違えてしまう事件。
翌週、リスナーから指摘のハガキが多数届く。
リスナーの中に栃木県の有川周一(今は周壱)と、タッチーの名前が目立つ。
(共通点は配偶者がカンコンキン女優?)
バホバホ隊で流れていた曲が他ではあまりかからないような曲がけっこうあった。
片岡鶴太郎のゴーストバスターズのパロディのゴーストブスターズは
もうヒドスギ。(あまりに酷くてどんな歌詞なのかちょっとここでは書けない)
思い出したけれど、この曲のB面の「変な顔」はもっとドイヒー。
バホバホ隊で曲が終わった直後のトークが残っているのがあって、
その中に、風見慎吾の「僕笑っちゃいます」の曲のおわりで
所ジョージが衝撃の証言をしていた。
「デュラン・デュランの曲を和訳したらこうなったんです。私も知らなかった」
本当かどうか検索してみたけれど、そんなエピソードが見つけられない。(これ書いている時点で)
なんか眉唾。
当時はネットで騒がれることもなかったし、テキトーなこと言っても噂程度に聞き流される
時代だった気もするので、鵜呑みにした冗談話をそのまま話したのかもしれない。
そもそも、週欽で何かのはずみで(おそらく蔑む言葉として)風見本人が「僕笑っちゃいます」と
発して、これが毎週の定番化、デビュー曲になったのが経緯だと思う。
とは言え、歌詞の流れとしては強引なのが否めない。
作詞の人と所ジョージに接点があるのか?・・・
発売、ヒット〜その放送までの間の時期、所ジョージがスラップスティックで楽曲提供している。
でも、デュラン・デュランの曲でそんな感じの歌詞を見つけないと、決め手にはならないな。
思ったものが入っているということで、見たら、カセットテープの山。
カセットのラベルには1から単純な連番だけで日付もない。
ラベルが揃っているので、ラジカセに入れて録音していたやつだと思って、
聴いてみたら、所ジョージの進め!おもしろバホバホ隊とコサキンが録音されていた。
コサキンはウププ人とか特定のコーナーが録音されていた。
バホバホ隊は曲が中心、
特に所ジョージの曲が多く録音されていた。車庫証明、南極の空 など。
毎日夜9時からラジオを聴く習慣になったのは昭和59年だったと思う。
それまではラジオを自作したのでたまに聴くぐらいで、ちゃんとしたラジカセを入手したのが、この年。
最初の方のカセットはラジオの内容から、昭和59年の11月頃。
コサキンでは「青いゴムぞうり」の曲、歌っているのは誰でしょうクイズ。
答えはバーブ佐竹だが、正解者が7人だった。
TBSがこのレコードを購入したのが昭和42年で、この時生まれた人は17歳になっている
と話しているから、この放送は昭和59年であっている。
「アーイー」ネタもあったので関根麻里が生まれた後だ。
印象的なのは
伊東マンショをコサキン2人が伊東マンションのことだと間違えてしまう事件。
翌週、リスナーから指摘のハガキが多数届く。
リスナーの中に栃木県の有川周一(今は周壱)と、タッチーの名前が目立つ。
(共通点は配偶者がカンコンキン女優?)
バホバホ隊で流れていた曲が他ではあまりかからないような曲がけっこうあった。
片岡鶴太郎のゴーストバスターズのパロディのゴーストブスターズは
もうヒドスギ。(あまりに酷くてどんな歌詞なのかちょっとここでは書けない)
思い出したけれど、この曲のB面の「変な顔」はもっとドイヒー。
バホバホ隊で曲が終わった直後のトークが残っているのがあって、
その中に、風見慎吾の「僕笑っちゃいます」の曲のおわりで
所ジョージが衝撃の証言をしていた。
「デュラン・デュランの曲を和訳したらこうなったんです。私も知らなかった」
本当かどうか検索してみたけれど、そんなエピソードが見つけられない。(これ書いている時点で)
なんか眉唾。
当時はネットで騒がれることもなかったし、テキトーなこと言っても噂程度に聞き流される
時代だった気もするので、鵜呑みにした冗談話をそのまま話したのかもしれない。
そもそも、週欽で何かのはずみで(おそらく蔑む言葉として)風見本人が「僕笑っちゃいます」と
発して、これが毎週の定番化、デビュー曲になったのが経緯だと思う。
とは言え、歌詞の流れとしては強引なのが否めない。
作詞の人と所ジョージに接点があるのか?・・・
発売、ヒット〜その放送までの間の時期、所ジョージがスラップスティックで楽曲提供している。
でも、デュラン・デュランの曲でそんな感じの歌詞を見つけないと、決め手にはならないな。