“子ども”を取り巻く諸問題

育児・親子・家族・発達障害・・・気になる情報を書き留めました(本棚4)。

子どものスクリーンタイムを減らす効果的な方法

2024年07月02日 06時15分16秒 | 育児
社会問題になっているスマホ依存、ゲーム依存…
その解決法はあるのでしょうか?

もともとは利便性を求めて開発・発展してきたものなので、
もはや手放すことはできません。
「使われるな、使いこなせ!」
という意見もありますが、なかなかこれが…。

科学的データで解決法を見いだせないかなあ…
と常々感じていたところに、以下の記事が目に留まりました。

<ポイント>
・子どもをスマホやダブレット、テレビなどのスクリーンベースのデバイスから引き離すことは可能である。
・最も効果的な方法2つ;
(その1)食事中や就寝時にデバイスの使用を禁止する。
(その2)親自身が適切にデバイスを使用する姿を子どもに見せる
・子どもに説教している親自身も、これらのことを実践するよう心がける。
・デバイスの使用を「ご褒美」や「罰」として用いることは、スクリーンタイム減少効果がない。

まあ、「親が手本を見せる」というオチですね。

■ 子どものスクリーンタイム削減に親がすべきこととは?
HealthDay News:2024/06/28:ケアネット)より一部抜粋(下線は私が引きました);

 常にスマートフォン(以下、スマホ)を手にしている子どもに対してフラストレーションを抱えている親にとって心強い研究結果が明らかになった。子どもをスマホやダブレット、テレビなどのスクリーンベースのデバイス(以下、デバイス)から引き離すことは可能なことが、米カリフォルニア大学サンフランシスコ校(UCSF)のグループによる研究で示されたのだ。同研究では、食事中や就寝時にデバイスの使用を禁止すること、親自身が適切にデバイスを使用する姿を子どもに見せることの2つの実践が最も効果的であることが示されたという。・・・
 論文の筆頭著者である、UCSFベニオフ小児病院の小児科医であるJason Nagata氏は、「この研究結果は、親がトゥイーン(8〜12歳の子ども)やティーンに使える具体的な戦略を示しているという点で心強い。その戦略とは、スクリーンタイムに制限を設けること、子どものデバイスの使用状況の把握に努め、寝室にいる間や食事の時間にはデバイスの使用を禁じることだ」と話す。さらに「子どもに説教している親自身も、これらのことを実践するよう心がけるべきだ」と付け加えている。
 Nagata氏らは、米国の思春期の脳の発達に関する研究(ABCD研究)の参加者のうち約1万人の12~13歳の子どものデータを分析した。ABCD研究では、親が「わが子はデバイスを使いながら眠りにつく」などの項目についてどの程度当てはまるのかを、1(全く当てはまらない)から4(強く当てはまる)までの4段階で回答していた。その後、親の評価により子どもの1日のスクリーンタイムをどの程度予測できるのかを調べた。・・・
 その結果、子どもの就寝時のデバイスの使用は、1日当たりのスクリーンタイムの1.60時間の増加と関連することが明らかになった。同様に、食事中のデバイスの使用と、親が子どもと一緒にいるときにもデバイスを使用する「悪い手本」である場合も、スクリーンタイムはそれぞれ1.24時間と0.66時間の増加に関連していた。
 一方で、食卓や寝室でのデバイスの使用を禁止するルールを設けることは、子どもの1日当たりのスクリーンタイムの1.29時間の減少につながっていた。また、食事中や就寝時の子どものデバイスの使用状況を監視することも効果的で、1日当たりのスクリーンタイムは平均で0.83時間減っていた。このほか、効果がない対策があることも分かった。デバイスの使用を「ご褒美」や「罰」として用いている親の子どもでは、1日当たりのスクリーンタイムが平均で0.36時間長かった
 Nagata氏は、「子どものデバイスの使用時間を減らすために親にできることの中で最も重要なのは、寝室でのデバイスの使用を禁止することかもしれない。就寝時のスクリーンタイムによって思春期早期の健康や発達に不可欠な睡眠時間が減ってしまう。親は、子どもの寝室にはデバイスを置かないこと、夜間にはデバイスの電源や通知をオフにすることを検討するのが良いだろう」と話している。


子どもの “偏食” “好き嫌い” への対処法

2022年05月25日 15時09分25秒 | 育児
便秘治療で通院しているお子さんの診療では食事内容が話題になることがあり、
そこで決まって出てくる単語が「偏食」「好き嫌い」です。

しかし私は指導する資格がありません。
なぜって、私の子どもがすごい偏食で、
ラーメンとポテトチップスとローソンのからあげクンで生きていました。
中学生になるまで食パン以外給食をほとんど食べられませんでした。

なので教科書で読んだ通り一辺のことしかアドバイスできません。

・苦い野菜は本能的に“毒”と感じますから、最初から食べないのは当たり前。
・料理は塩や砂糖で強く味付けするのではなく「ダシ」をうまく利用しましょう。

等々。

肝心の便秘対策としては、
・水溶性食物繊維:海藻類、ネバネバ系食品
・不溶性食物繊維:野菜類、糸寒天(おススメです)
を紹介してます。

近年、サンファイバーという製品が話題になりましたが、
毎日食べると高くつきますので紹介はしていません。

なお、野菜ジュースには食物繊維は含まれていませんので、
便秘対策としては有効ではありません。

当社の野菜ジュースは、水に溶けない不溶性の食物繊維は搾りかすとして取り除きますが、
水溶性の食物繊維は野菜ジュースの中に若干残っています

と本来期待する不溶性食物繊維が含まれていないことを明言しています。

さて、NHKの育児番組「すくすく子育て」に好き嫌いをテーマにした回がありましたので、
内容を一部抜粋・引用して紹介させていただきます。

ご意見番・コメンテーター;
・太田百合子氏(東洋大学 非常勤講師/管理栄養士)
・宮里暁美氏(お茶の水女子大学 特任教授/保育学)

余談ですが、私の子どもはこの番組の最後にある「視聴者の写真投稿コーナー」で一度登場したことがあります(^^)。
あのときのナレーションは清水ミチコさんだったなあ。

・・・「甘味(あまみ)」「うまみ」「塩味(えんみ)」には大切な栄養素が含まれています。
お米や芋類の「甘味」は、炭水化物で、エネルギーの元です。
肉や魚の「うまみ」は、アミノ酸で、体を作ります。
「塩味」はナトリウムで、私たちに必要なミネラルをとることができます。
一方で、「酸味」には腐敗のイメージがあり、「苦味」は毒のようなサインが感じられます。そのため、少し怖いと思ってしまい、野菜が苦手になりがちなのです。(太田百合子氏)

・子どもは、3歳ぐらいでようやく全ての歯が生えそろいます。それまでは、繊維質のものや、ほうれんそうの葉のように薄いものを、歯ですりつぶすことができません。(太田百合子氏)

・野菜に含まれる栄養は、ほかの食材からもとることができます。果物や芋類など、ほかのものが食べられていれば大丈夫です。(太田百合子氏)

やはり、本能的に「苦み」(と「酸味」)は受け付けないようにできている、ということですね。

便秘対策としての野菜摂取についての回答です。

・いいウンチを作るには、食物繊維と水が必要です。・・・果物や芋類など、他の食材からもとることができます。
例えば、食物繊維は、納豆からもとれます。やわらかいので、小さな子どもにも食べやすいですね。
なめこなどの、きのこ類にも含まれます。
苦手な食材であれば、こまかくしてスープにするのもいいでしょう。いろいろなものを組み合わせて食物繊維をとってください。(太田百合子氏)

成人領域の便秘治療のWEBセミナーを聞くと、
「水分はみんなが思っているほど便秘に影響しない」
という説明が近年多くなりました。
小腸・大腸で1リットル単位の水分の吸収や分泌が行われているので、
100ml単位の差は関係ないとのこと。
まだ栄養士さんまで知識が普及していないのかな。

それから、ASD(自閉スペクトラム症)児はキノコが苦手です。
あのグニャッとした食感がダメらしいです。

次は、
「いろいろ工夫して食べさせようとしているけど失敗続きでつらい」
「苦手な野菜がわからないように料理しているのに・・」
という質問への回答です。

・苦手な食材をわからないようにして、「栄養があるからね」と言って食べさせても、子どもは「だまされた」と感じることもあります。
すると、「今度は何を入れたの?」と、疑心暗鬼になってしまいます。
苦手な食材でも、例えば、にんじんは「にんじんだよ」と見せてあげることも大事だと思います。(太田百合子氏)

・頑張り過ぎるのはあまりよくありませんが、工夫することは大切です。
例えば、味や形状はごまかさずに、大きさや硬さは、子どもの発達に合わせて調理してみてください。(太田百合子氏)

最近の育児書を読んでも、このような
「工夫し過ぎると逆効果のこともある」
という表現が多いですね。
昔は「食材がわからないように細かく刻んで料理に仕込む、
お母さんの腕の見せ所ですよ」と書かれていたと記憶しています。

次は「食べられない子にどう声をかけたらよいか?」という質問への回答です。

・「これを食べないと、大きくなれないよ。病気になるよ」のように、子どもを怖がらせるような言葉がけはやめましょう。
かえって、子どもが不安になってしまいます。(宮里暁美氏)

・「今」は諦めることも、ときには大切です。
その食材を食べないと病気になってしまうわけではありません。
「今はいいか」と考えてもいいのではないでしょうか。
ただ、苦手な食べものを、食卓にのせ続けることは重要です。
まわりの人が、おいしそうに食べる様子を見せておくのです。
いずれ、「親が『おいしい』と言っていたな」と思い出されて、食べるようになることだってあるのです。(宮里暁美氏)

うちの子どもも、「友達が美味しそうに食べていたから食べてみたら食べられた」がキッカケになりました。

元々は「本能的に危険な食べ物」と避けることが「好き嫌い」のはじまりですから、
「慣れさせる」「危険ではないことを繰り返し教える」ことも解決の糸口になりそうです。

「あきらめないで食卓に出し続ける、10〜20回続ければ慣れてくる」
「一緒に買い物に行って子どもに選ばせたり、その絵を描いたりと日常に取り込む」
などが役立つと云ってました。


そして最後のコメント。

・幼児期は、自己主張の時期です。食べ物の「好き嫌い」を含めて、たっぷり出させてあげるのが大事です。
自己主張を受け止める大人は大変かもしれません。
でも、受け止めてもらえた愛情や関わり方が土台となって、我慢を覚えていきます。
そして、繰り返しになりますが「食事は楽しく」を大事にしてください。(太田百合子氏)

やはりここでも子どもの気持ちを受け止めきれないまま、
親が「大人ルール」にはめ込もうとして子どもとぶつかる構図が見え隠れしてきます。


<参考>

▢ 食事の悩み ~子どもの好き嫌い~(すくすく子育て)

こどもの “かんしゃく” と “ぐずり” への対処法

2022年05月24日 08時45分02秒 | 育児
さて、子育ての悩みの定番“かんしゃく”です。
子育てが一段落したアラ還の私でも、
いまだに“正解”がわかりません。

このテーマもNHKの「すくすく子育て」の特集回から、
専門家のコメントを拾ってみました。

ご意見番・コメンテーター;
・遠藤利彦氏(東京大学大学院 教授/発達心理学)
・井澗知美氏(大正大学 准教授/臨床心理学)

まずは、「園ではいい子だけど、家ではわがまま放題で困っている」
という相談に対する回答です。

・お子さんは、幼稚園という“社会”に適応しようと頑張っていると思います。
家に帰ってお母さんの顔を見ると、安心して、自分のフラストレーションのようなものを発散して、心のバランスをとっているのではないでしょうか。
家の外では「いい子」を演じているところもある。
でも家には、ダメな自分もイヤな自分も、すべてをひっくるめて「好きだよ」と言ってくれる親がいる。
とても健康的な状況だと思います。(遠藤利彦氏)

これはありがちなパターンですね。
この逆のパターン、つまり「家ではいい子、園では乱暴者」は危ないとされてます。
家で緊張して素を出せないのは、リラックスできる雰囲気がないと云うこと。

・自我が発達してきた子どもの場合は、自分で選ばせるのもよいですね。
例えば、「トイレに行ってほしい」と伝えたいとき、「行って!」「でない!」の言い合いになるようであれば、「ママとお歌を歌ったあとに行く? それとも時計の針が3になったら行く?」のように、選択肢を与えてみる。
「自分」が出てきている子どもは、「自分で決めた」と思えるほうがよいと思います。(井澗知美氏)

この辺の対応は、前項目“イヤイヤ期”と共通するものがあります。
命令ではなく、選択肢を含んだ提案なら、自我が否定されずに済みます。

次は「気に入らない」「思い通りにならない」と泣き叫んで手がつけられない、という相談に対する回答です。

・かんしゃくを起こしている子どもは、混乱していて、うまく頭を働かすことができません。
そのため、わかりやすく伝えることが大切です。
例えば、「ジュースがほしい!」とかんしゃくを起こしているとき、「お風呂から出てからにしようか」だけだと、うまく伝わらず「飲めないんだ」と思ってしまうかもしれません。
「お風呂から出たら、ジュースを飲もうね。おいしいよ」など、丁寧に伝えてみてください。
子どもが「ジュースを飲むためには、お風呂に入ればいい」とわかるように伝える工夫が大切です。(井澗知美氏)

・騒いでいるときは少し待ってあげることが大切です。
泣きやんで、少し落ち着いたところで、「ジュースを飲もうか」「ちょっとママとどこかに行こうか」のように声をかけるのがよいでしょう。
子どもは、親から声をかけられる、つまり、親から温かい注目をしてもらえる体験をすることで、心が安定していきます。(井澗知美氏)

“かんしゃく”を起こしている子どもは“混乱していて自分でもどうしてよいかわからない”と解説していますが、
お風呂に関係なくジュースが欲しいと訴える場合も有りますから、この対応は応用範囲が狭いと思われます。
「少し待ってあげる」「泣き止んで少し落ち着いたところで」とありますが、
数十分泣きわめいている状況を放置して周りからの冷たい視線に耐えるのは無理です。
残念ながら井澗氏のコメントでは「泣き叫んでいる子どもへの対応は困難、泣き止むまで待つ」という結論になってしまいます。

・古代ギリシャ哲学者のアリストテレスも言うように、怒りというものは、怒る対象、怒るタイミング、怒る方法を間違えると、その効果がなくなってしまいます。
例えば、言葉でわかってもらえる相手なのに、人やものにあたってしまう。
いってみれば、かんしゃくは対象・タイミング・方法を間違えた怒りではないでしょうか。
子ども自身も、いつのまにか、かんしゃくのような怒りは「自分のためにならない」と気づいて、発達とともに減っていくのではないかと思います。(遠藤利彦氏)

遠藤氏も解決法は示せず、子どもの成長を待つという結論にとどまります。

・子どもの怒りを抑えつけるのではなく、怒り方を学ぶ機会だと考えてみましょう。
このとき、子どもが自分の感情を理解することが大切になります。
子どもが感じている気持ちにふさわしい言葉を、タイミングよく貼ってあげる、「感情のラベリング」をしてあげるのです。(遠藤利彦氏)

・例えば、ゲームに怒ったときに、「うまくいかなくて、悔しかったね」「負けちゃって、がっかりだよね」といった声をかけます。
感情のラベリングは、子どもが自分の感情を理解するために、周りの大人が心掛けたい働きかけです。
ラベリングをしてあげることで、子どもは徐々に「今の自分の感情」がどのようなものかを理解していきます。
理解できるようになると、自分の感情とうまくつきあえるようになっていくと思います。(遠藤利彦氏)

できることは、混乱している子どものこころを言語化して整理するサポート(感情のラベリング)、でしょうか。

次は“かんしゃく”ではなく“グズリ”の相談に対する回答です。

・「この子はちょっと時間のかかる子だな」と思って声をかけると、声のトーンから切迫感がなくなり、やわらかくなると思います。
・・・子どもができていることを、もう少しほめてあげてくださいね。(井澗知美氏)

できないことを責めると子どもは追い詰められてしまう、できることをほめると子どもは自信を持ち、グズリは減るかもしれない・・・。

最後にお二人からのコメント;

・基本的に、プラスの感情もマイナスの感情も、自然に経験して、自然に表現されることが、子どもにとって健康な状態だと考えてください。
そういった感情について、子どもが落ち着いているときに話をしましょう。(遠藤利彦氏)

・グズりやかんしゃくは、とても大変な行動です。
でも、大変な面ばかりを注目するのではなく、いろいろできるようになってきた子どもでも、まだまだ甘えたい部分もあると考えてください。
1日に10~15分でも、短い時間でいいので、子どもがグズってないときに、一緒に遊ぶような時間を持ちましょう。
そんな時間があれば、子どもの気持ちが落ち着いていくと思います。
いろいろと工夫しても、うまいかない場合もあります。
そんなときは、地域の保健センターや子ども家庭支援センターなど、
発達の専門の所に相談する方法もあります。(井澗知美氏)

いずれにしても、前項目の“イヤイヤ期”、今回の“かんしゃく”や“ぐずり”は子ども本人が困っていることが共通点として存在すると感じました。
その“困った感”を大人は“どすこい!”と受け止めて、サポートしたり、待って成長を見守ったり・・・なんだか思春期の反抗期への対応と似てますね。

最後になりましたが、私は“かんしゃく”と“ぐずり”に困っている方には漢方薬の使用を提案しています。
よく処方する抑肝散は500年前、小建中湯は2000年前から使われてきた方剤です。
昔からこのような子どもは当たり前に存在し、それに対応するため知恵を絞った成果として伝わってきたお薬ですので、利用しない手はありません。


<参考>

▢ どうする? 子どものグズるキレる(すくすく子育て)

▢ 印象に残る症例②
なかしまこどもクリニック 院長 中島 俊彦

子どもの “イヤイヤ期” “魔の2歳” への対処法

2022年05月24日 08時35分45秒 | 育児
子育ての登竜門の一つ“イヤイヤ期”。
“魔の2歳”という表現もありますね。

何を言っても「イヤ」
と拒絶され、保護者は困ってしまいます。

乳幼児の子育てがずいぶん昔になった今の私から見ると、
親が何か言うから、
親のルールを押しつけようとするから、
それに反応して「イヤ」という回答になるパターンが一つ。

子どもはいつまでも楽しく遊んでいたいのです。
でも、食事や保育園やトイレや、アレコレとこなすことがあって、
“邪魔される”というイメージなのでしょう。

まあ、大人ルールにはめ込むことを諦めれば、
このストレスは減る可能性がありますね。

それから、自分でいろいろできるようになる時期であり、
でもうまくできないので自分自身にイライラしているパターンもあります。

こちらは見守るしかありません。
あるいは子どもにわからないようにサポート・根回しするとか・・・。

あからさまに手伝うと、
かえって逆上してしまうこともありそうです。

さて、NHKの育児番組「すくすく子育て」で子どものイヤイヤ期をテーマにしている回がありました。
参考になりそうな箇所を私なりにかみ砕いて抜粋・紹介します。

ご意見番・回答者は以下の2人;
・坂上裕子氏(青山学院大学 教授/臨床発達心理学)
・髙祖常子氏(子育てアドバイザー)

・自分の気持ちをことばで伝えることも、まだうまくできません。自分のどうしようもない状態を、どうしたらいいのかわからないのです。(坂上裕子氏)

・(モノを投げて困る場合)モノを投げると、まわりの人や子ども自身にあたって危ない場合があります。投げたくなるモノは置かない、または、だっこして別の場所に連れて行くのもひとつの方法です。(坂上裕子氏)

・「何でイヤだったの?」と聞いてみましょう。まだ自分で説明することが難しいかもしれません。そのときは、「〇〇でイヤだったのかな」「もっとこのおもちゃで遊びたかったんだね」のように、子どもの気持ちをことばにしてあげます。(髙祖常子氏)

・子どもに選ばせてあげるのもいいですね。例えば、出かけるときに「イヤ!」という場合は、「どっちの靴がいいかな?」のように選択肢を与えると、子どもが「こっち!」と選んでくれることもあります。子どもは、自分の意志を尊重してもらえたと感じて、納得しやすいのです。(髙祖常子氏)

この方法、私も診療で使っています。年齢はもっと上ですが・・・
予防接種の注射を嫌がる子に「1秒コースと2秒コースと3秒コースがあるけど、どれがいい?」と聞くと、
9割の子は「1秒コース!」と答えます。
自分で選んだので、抵抗が少なくなります(全員とはいきませんが)。

・子どもの気持ちの切り替えを手伝うこともひとつの方法です。
「ボール投げして遊ぼうか」のように、視点をずらしてあげる声かけなどです。(髙祖常子氏)

・何をやってもダメなときは、「自分の気持ちと戦っているんだ」と考えて、見守ってあげましょう。
興奮しているときには、なかなかことばも入りません。(髙祖常子氏)

・どの子どもにも合う方法はありません。
親子でいろいろと試しながら、どうやったら気持ちの折り合いをつけることができるのか、一緒に練習していく時期だと思います。(坂上裕子氏)

・1歳5か月のころは何を言っても「イヤ」の一点張りで、
親の言うことが耳に入らない状態・・・自分の「これをやりたい」しか見えていないわけです。
それが、1歳10か月ごろになると、少しまわりの様子が見えてきて、「イヤ」と言いつつも、親の言葉に耳を傾ける余裕が出てきて・・・
2歳に入るころ、自分の思いと相手の思いの違いで葛藤するようになり・・・
まだ自分のやりたい思いが勝る場合が多いのですが、いろいろな経験を通して、
3歳ぐらいになると折り合いをつけられるようになっていきます。(坂上裕子氏)

子どもがいろいろなコトができるようになると、
「これがやりたい!」
という考えが出てくるのは自然なこと。

しかし状況がそれを許さないことで問題が発生し、
解決は至難の業です。

専門家からの解決のヒントは、

・まずは子どもの気持ちを受け止める
・子どもの気持ちを言葉に置き換える
・希望が叶えられない状況なら、興味対象をそらす
・1歳前半では周りが目に入らない・聞く耳を持てないが、2歳近くなると周りが見えるようになるが自分の希望が勝り、折り合いがつけられるようになるのは3歳まで待つ必要がある。それを親子で練習している過程と割り切る。
・投げて暴れると危険なモノは遠ざける。

などでしょうか。

次は「お店で〇〇〇が欲しい!と寝転んで泣き叫ぶときどうしたらよいですか?」という“あるある”質問へのコメントです。

・子どもの気持ちを「受け入れる」と「受け止める」には違いがあります。
「気持ちを受け入れる」が、行動(要求)を実現することだとすれば、
「気持ちを受け止める」は、まずは「わかった」と、気持ちに共感することです。
つまり、要求は「わかった」けど、実現してあげられないこともある。
実現の是非の判断は、親の仕事なのです。(坂上裕子氏)

・子どもの要求に応えられないときは、「これができなくて悲しいよね」といった声をかけて、
要求がかなわなかったときの気持ちにも共感することが大事です。
親が気持ちを受け止めることで、子どもは自分の気持ちに向き合うことができ、
目の前の状況に折り合いをつけられるようになっていきます。(坂上裕子氏)

う〜ん、結構奥が深い。
子どもの「〇〇〇が欲しい!」という気持ちを“受け止める”必要があるが“受け入れて”はいけない、つまり折れて買ってはいけないのですね。
子どもの気持ちにより添い
「欲しいものが買えなくて残念ね、お母さんその気持ちわかる」
と共感するとありますが、そんなにうまくいくかなあ・・・。

・気持ちに寄り添うことと、甘やかすことは、全く別のこと・・・
「甘やかす」とは、すべて子どもの言いなりになってしまうこと。
そうならないように線引きするには、2つのポイントがあります。
ひとつめは「場当たり的に対応しない」ことです。
イヤイヤが続くと、親は根負けして「いいよ」と許しがちです。
子どもは「昨日はダメだったのに、今日はいいんだ」「ぐずれば通るんだ」と思ってしまいます。
甘やかさないために、「ダメ」なことは「ダメ」と、ぶれずにはっきり伝えることが大事です。
次に、モノで釣らないこと。
「ぐずるともらえる」「ぐずるとこれができるようになる」のように、子どもの判断基準がいろいろになってしまいます。
大騒ぎ・大泣きをするかもしれませんが、きっぱりと言っていくことが大事です。
例えば、お気に入りの絵本やおもちゃなど、気分転換を手伝うためのモノがあるといいかもしれません。(髙祖常子氏)

髙祖氏は
「受け止める」を「気持ちにより添うこと」、
「受け入れる」を「甘やかす」
と言い換え、やはり「甘やかす」ことを否定しています。
一度許したら味をしめてしまうので、その後修正することが難しくなりますよ、
と番組中にコメントされていました。

次は「ダラダラ食べ」「遊び食べ」に切れてしまった母からの質問への回答です。

・子どもに多くを求め過ぎたり、求めるレベルが高すぎると、その通りにはならないのでイライラしてしまいます。
ごはんを「食べてほしい」という一心でつくったのに、だらだらと食べてくれないと・・・イライラもあると思います。
でも、子どもにはわからないことなのです。
2歳ぐらいは食べむらも多く、偏食が出てくる時期でもあります。
例えば、何か1品でもいいので「食べたらOK」と考えてみましょう。
年齢とともに、要求水準が上がっていきますが、
その基準が子どもとマッチしているのか見直してみると、
イライラが減るのではないかと思います。(坂上裕子氏)

やはり「大人ルール」に無理にはめ込むと生じるトラブル的要素がありますね。
それほどお腹はすいていないけど、食事の時間だから・・・
と母の気持ちと裏腹に、子どもはひたすら楽しく遊んでいたいのですから。

・誰もが、イライラすることがありますね。
まず、「感じる脳」が瞬時に動くといいます。
「なんで言うことを聞かないの!」のように思うわけです。
その後、5~6秒ぐらいで「考える脳」が動き始めて、
「もう少し遊びたかったのかな」のように思えるのです。(髙祖常子氏)

・イライラで感情に流されそうになったとき、
子どもが安全な場所にいるならば、
ひとまず少し離れてみるのもいいのではないでしょうか。
クールダウンの方法はいろいろとあります。
ちょっとだけ離れてみる、深呼吸する、トイレに行くなどです。
方法は、何でもいいと思います。
「イライラしてきたときは、これでクールダウンしよう」という方法を、
ひとつだけでもいいので持っておきましょう。(髙祖常子氏)

出ました!
アンガー・コントロールで出てくるクールダウン方法“6秒ルール”ですね。


<参考>

▢ どう向き合う? 子どものイヤイヤ(すくすく子育て)

寝かしつけの極意は「抱っこして5分間止まらずに歩き回る」こと。

2022年05月24日 08時33分35秒 | 育児
昔からあるNHKの子育て番組。
数年ごとに番組名は変わりますが、歴史があります。

興味があるテーマをみかけると、ときどき視聴してます。
自分の子育て時代からですから、もう30年近くなりますね。

その中で特に記憶に残っている番組は、
「発見!世界の子育て」(NHK-BSで2001年に放送)
です。

子育て中の問題を1回に1テーマを選んで取り上げ、
インターネットで世界各国の専門家が解説する、異色の内容でした。

しかし、答えがひとつに収束しないところが興味深い。
国により、視点により、いろんな意見があり、
「子育てに正解はないんだなあ」
と感じたことを覚えています。

さて、過去も今も保護者の方々は悩んでおり、
診療や検診の場で以下の相談を受けます;

・夜泣き
・かんしゃく
・偏食

知識は蓄積されているはずなのに、
質問されても即答できません。

私は小児科医ですが漢方薬も使うので、
夜泣きとかんしゃくについては、
一般育児書に書いてあることを一通り行っても解決しない場合は、
漢方薬をお勧めしています。
そのお薬は500年前から使われてきた、祖先お墨付きのもの。

ところが先日、「すくすく子育て」を見ていて、
「これは新しい考え方だ!」
という寝かしつけ法を知りました。

黒田公美(理化学研究所・脳科学総合研究センター 脳神経科学)氏による、
「“輸送反応”を利用すると子どもは寝ます」
というアドバイス。

“輸送反応”とは?
→ “ほ乳動物において親が子どもを運ぶ際、子どもがおとなしくしている現象”
だそうです。
子どもを輸送する理由は、大抵危険が迫っている状況なので、
子どもが泣きわめくと見つかってしまうから、との理由付け。

な、なるほど。

ちなみに、動物の赤ちゃんには夜泣きやぐずりはなく、親もあやしたりしません。
そう言えば、ネコが「ニャー」と泣くのは人間に対してだけ、
と「チコちゃんに叱られる」でも紹介していましたね。

これを人間の子育て中の悩みのひとつである“寝かしつけ”に応用すべく、
NHKが番組の中で実験してみました。

お父さんが赤ちゃんを抱っこして5分間歩き続ける実験。
ここでポイントとなるのは、
・赤ちゃんの胸とお腹と親の体を密着させる
・揺らしたりあやしたりしない
・寝ているかどうか止まって途中で確認しない
こと。

実際に2名のお父さんにやっていただくと、
ホントに5分後には寝ていて、スタジオ騒然&驚嘆の声!

ただ、“ベッドおろし”の儀式の際に2人とも起きてしまいましたが。

この“ベッドおろし”にもテクニックがあり、
頭がぐらぐらした状態で下ろそうとすると、
子どもは不安になり目覚めてしまうそうです。
また、背中がベッドに付く前に胸とお腹が親の体から離れてしまうと、
「落ちていく〜」
と本能が反応して不安になり泣いてしまう。

ポイントは、
・まずお尻を下ろす
・体は親に密着したままベッドにゆっくり下ろす
・体が離れたら手が中に泳ぎ不安になるので優しく手を添える
だそうです。


哺乳類の赤ちゃんは「輸送反応」という反応を生まれつき備えています。
「輸送反応」とは、哺乳類の子どもが親に運ばれるときに、泣きやんでおとなしくなる反応です。
動物は移動のとき、敵に見つからないように注意しなくてはいけないため、
生き延びるための子どもの本能として、親に協力しておとなしくします。
この本能が、人間にも備わっていると考えられています。
実際の実験でも、だっこして移動を始めると泣いている赤ちゃんの心拍数が下がり、おとなしくなりました。
「輸送反応」は、「泣いている赤ちゃんを泣きやませる」のに即効性があります。
また、「寝かしつけ」や、「赤ちゃんが眠りやすい状態までもっていき、
赤ちゃんを落ち着ける」ということにも効果がありますよ。 
【対象年齢】
効果が出やすいのは生後1~8か月ごろまでです。
それ以上大きい赤ちゃんの場合、体が重くてしんどいです。
また、赤ちゃん自身の眠るリズムが大切になってくるので、
眠くないときにやっても、うまくいかなくなります。 
【注意事項】
(1)決めた時間よりも、時間を延長しないでください。
10分歩いてもダメな場合は、一度お休みをしてください。 
(2)赤ちゃんによって個人差があるので、好みに合わせて調節してください。
歩いている途中で寝てしまう子もいれば、
刺激がないのが好きな子などで座ったときにはじめて寝られる子もいます。
また、抱き方も横抱きが好きな子、縦抱きが好きな子と、
赤ちゃんによって好みがあります。
好みに合わせて調節してあげてください。 
(3)筋力が弱いなど体の心配がある赤ちゃんには、行わないでください。 
(4)首がすわっていない赤ちゃんの場合は、しっかりと支えてください。 
(5)部屋の中で行う場合、だっこしている人がつまずかないよう部屋の中の物を片づけ、安全確保をしてください。 
★ポイント
(1)寝かしつけようと思って歩くのではなく、「用事があって移動する」という気持ちで5分間歩いてください。
寝かしつけようと思って歩くと、ゆっくりになりがちです。
5分間と決めたら、その間はできるだけ止まらないように歩いてください。 
(2)だっこしている人の体に赤ちゃんのおなかと胸をピッタリくっつけ、グラグラさせないでください。
だっこしている人の体に赤ちゃんの体がピッタリくっついていれば、
だっこでも、だっこひもを使ってもかまいません。
また、おんぶでも大丈夫です。
これはパパにもオススメの方法ですよ。


<参考>

▢ 赤ちゃんの寝かしつけと夜泣き(すくすく子育て)

▢ 寝かしつけ大作戦(すくすく子育て)

▢ 抱っこして歩くと赤ちゃんがリラックスする仕組みの一端を解明(動画あり
-経験則を科学的に証明、子育ての新たな指針に-
・・・生後6カ月以内のヒトの赤ちゃんとその母親12組の協力を得て、母親に赤ちゃんを腕に抱いた状態で約30秒ごとに「座る・立って歩く」という動作を繰り返してもらいました。その結果、母親が歩いている時は、座っている時に比べて赤ちゃんの泣く量が約10分の1に、自発的な動きが約5分の1に、心拍数が歩き始めて約3秒程度で顕著に低下することを見いだし、赤ちゃんがリラックスすることを科学的に証明しました。

→ この現象、私は日々実感しています。予防接種の際、泣いていた生後数ヶ月の赤ちゃんは、母親が抱いた状態で立ち上がるとすぐに泣き止むことが多いのです。まだ「注射が怖い」という感覚があるとは思えない月齢でのこの現象は“輸送反応”で説明ができますね。

理研:黒田 公美(くろだ くみ) 親和性社会行動研究チーム

腑に落ちた「魔の2歳・イヤイヤ期」の解説と対処法。

2020年01月18日 06時57分42秒 | 育児
子育てのハードルの一つ、「イヤイヤ期」。
これは小児医療の現場でもよく話題になります。

処方された薬を飲んでくれない。
とくに、漢方薬は、乳児期はなんとかお母さんの努力で飲ませられたけど、
1〜2歳になると、一旦飲めなくなるお子さんが多いのです。

どう対処して乗り切るべきか?
以前読んだ育児書では、これは!?と肯ける解説に出会えませんでした。
例えばこんな感じ;

「自我の芽生えにより自身の欲求を認識したり、感情のコントロールや気持ちの切り替え方を学んだり、自立への第一歩が始まる大切な時期」

「イヤイヤは、脳の機能、特に前頭前野の衝動抑制の部分が未発達なことが原因だと言われている。相手の立場に立ったり、客観的に周りを見ることは2〜3歳の子どもにはまだ難しく、自我や欲求との折り合いがつきにくい。そのため、反抗して癇癪を起こしたり、イヤイヤ行動を起こすのだ。成長により脳の機能と言語能力が発達し、行動ではなく言葉で気持ちを伝えられるようになってくれば、次第に収束して行くことが多い。」

「イヤイヤ期がおこるメカニズムは脳にある前頭前野が未発達であることに起因しているため、脳の成長とともに必ず終わりがくる」

・・・まあ、そうなんでしょうけど、じゃあどうすればいいの?
って感じになります。
ところが先日見ていたテレビ番組「すくすく子育て」で、目から鱗の落ちる解説に出会えました。
発達心理学が専門の遠藤利彦先生の言葉です;

「子どもが「イヤ!」と言い続けるのは、「これは違う」という気持ちがあるからです。そうやって、「イヤ」を繰り返すうちに、自分が好きなもの、自分がしたいことが少しずつわかりはじめます。イヤイヤ期は、このように自分を探していく時期だと考えてみましょう。」

「イヤイヤ期の子どもは、心の成長にともない、いろいろなことがわかりはじめます。すると、「あれもやりたい、これもよさそう」という思いがふくらんでいきます。でも、その気持ちは漠然としたもので、まだ“やりたいこと”を具体的に主張することはできないのです。一方で、「これはやりたいことと違う」についてはわかるので「イヤ」と言ってしまいます。
「違うこと」はわかるけど、はっきり「したいこと」が言えない。子どもの中ではフラストレーションがたまってしまい、子ども自身も困っているのです。親を困らせたくて「イヤ」と言っているわけではありません。
自分についての理解の水準が高まっていく時期でもあります。自分がどんな存在で、何が好きなのかわかっていくのです。“自分探し”が急速に進む、大事な時期だと考えてください。」

下線部の「「違うこと」はわかるけど、はっきり「したいこと」が言えない」がポイントですね。
アレもイヤ、コレもイヤ・・・でお母さんは「じゃあどうしたいの?」と結論を求めがちですが、
実は本人にもわかっていないのですね。
それを知っているといないのとでは、受け止める側の気持ちが違うと思います。

「<イヤイヤ期と子どもの自分探し
 子どもはどのように“自分探し”をするのか、自分探しとイヤイヤ期がどう関わっているのか、子どもの成長にそってみていきましょう。
・1歳ごろまで
 まだイヤイヤをしない時期。赤ちゃんは鏡に映った自分を見ても、それが自分だと認識していません。自分の姿や特徴がまだよくわかっていない状態です。
・1歳半~2歳ごろ
 自分の特徴や性別を認識しはじめます。鏡やカメラに映った自分の姿を見て「自分」だとわかるようになります。「自分」がわかるようになると、「自分以外の人」もはっきり認識するようになります。そのために、自分以外の人に対して「恥ずかしい」という感情や、友達と自分を比較して「うらやましい」という感情などを抱くようになります。
このように、自分と他者との区別がはっきりしてくるころに、イヤイヤ期が現れます。人が提案してくることは、例えそれが親であったとしても、「自分がやりたいこととは違う」と感じるようになるからです。「違う」という意思ははっきりしているのに、「これが好き」という好みが確立していないので、「イヤ」としか主張できないのです。
 子どもはこのような経験を積み重ねることで、自分の好みや心地よい状態などを発見していきます。
・2歳半~3歳ごろ
 さらに“自分探し”が発展していく時期です。「人からどう見られているのか」を意識しはじめます。例えば、「○○ちゃん、すごいね」など、人からの評価に気づくような機会をもつことで、自分探しが進んでいきます。
 また、自分の行動に対する、相手の反応も意識するようになります。例えば、友達のおもちゃを取ってしまったとき、相手の反応を見て「悪いことをしてしまった」と罪悪感などの複雑な感情を抱くようになります。
 このような経験が、人の気持ちへの理解につながります。“他の人への思いやり”などの大人に近い感情が持てるようになると、やがてイヤイヤ期も落ち着いていきます。」


・・・つまり、自分が望んでいることと何となく違うけど、かといって自分が何を望んでいるのかまだよくわからないから「イヤ」という表現しかできないと言うことなんですね。
その解決法として、「子どもの気持ちを言語化してあげる」地道で粘り強い作業がこの時期の肝、という。
同番組から、井桁容子さん(保育士)の言葉;

「親が子どもの気持ちを察するあまり、何でも取ってあげる「子どもの手の代わり」になってはいけません。何かをしてあげるときは、「“ボール”が欲しかったのね」のように子どもが求めていたことを言葉にしてあげることが大切です。言葉にすることで、子どもは「自分の要求を受け止めてもらえた」と確認できるので、気持ちが落ち着いていきます。また、「自分はこうしたかったんだ」という“自分探し”への手助けにもなります。
 こうしたやりとりを重ねていくことで、子どもも「自分の思いを言葉にしよう」としていきますイヤイヤの対応を“意思疎通の練習”と考えるのもいいですね。」

「子どもに理想の対応をしようとし過ぎる必要はありません。子どものイヤイヤの気持ちに、親が一緒になって揺れてあげることも大事なことです。例えば、子どもと一緒に泣いてもいいと思います。「一緒に泣いたらスッキリしたね」といったことがあっていいのです。子どもが「自分と同じだ」と感じて、「泣かなくてもいいよ」と言ってくれるかもしれませんよ。」

なるほど、なるほど。
いや〜、専門家ってすごい!


男性の働き方を変えないと育児参加は期待できない

2019年10月06日 13時12分17秒 | 育児
 以前から感じていました。

 日本は先進国の中でも父親の育児参加が極端に少ない国です。
 一方で、日本人労働者は、会社を家族のように大切に思い、「24時間働けますか」がスローガンになるほど自己犠牲レベルまで仕事をして戦後の経済発展を成し遂げました。

 昨今、女性の社会参加が当たり前の世の中になってきました。
 単純に考えて、女性が家庭からいなくなれば、子育てする人がいなくなります。
 すると、男性に協力を求めるのが自然の成り行き。
 しかし男性は相変わらず会社という組織に吸収された状態で、家庭で過ごす時間が少ないまま。

 ここでジレンマが発生するのも当たり前。
 諸外国では「家政婦」という制度が普及してこれを補ってきました。
 しかし日本ではまだ一般的ではありません。

 どう解決していけばよいのでしょう。

 父親の仕事を減らして拘束時間を減らし(ヨーロッパは9時5時勤務らしい)、育児参加できる環境を整える。

 この単純なことを少しずつ達成する社会にしていく必要があります。
 

父親不在の「会社員社会」が追い詰める母親たちの苦悩
(2019年10月1日:日経ビジネス)
河合 薫:健康社会学者(Ph.D.)

 今回は「父親という存在」について考えてみようと思う。
 2018年1月、三つ子の母親が生後11カ月の次男を床にたたきつけ、死亡させ、傷害致死の罪に問われた控訴審判決で、名古屋高裁は「量刑は『重すぎて不当』とは言えない」として、懲役3年6カ月の実刑とした裁判員裁判の1審判決を支持し、弁護側の控訴を棄却した。
 報道によれば高裁判決は、被告のうつ病が次男の泣き声に対する耐性を著しく低下させたと認定したものの、犯行全体に及ぼした影響は限定的と指摘。「善悪の判断能力や行動を制御する能力が著しく減退した状態だったとは言えない」として、犯行時は「完全責任能力がある」と認定した。
 さらに、「問題を一人で抱え込み、夫や両親、行政機関から十分な支援を受けることができないまま、負担の大きい多胎育児に取り組む中で病状を悪化させた」と、被告の事情に一定の理解を示したものの、「生後わずかで母親によって生命と将来を奪われた被害者の無念さは計り知れず、刑事責任は相当重い」と実刑判決を支持したという。
 この事件については半年前に『三つ子虐待事件の母親を追い詰めた「男社会」の限界』で取り上げたが、……なんともやりきれない判決である。
 SNS上では被告に同情的な声がある一方で、「甘すぎる」「殺人罪を適用すべきだ」とする声もあった。実はこちらに書いたときもそうだった。
 前回取り上げたときのコラムでは、「そもそもなぜ、こんな事件が起きてしまうのか?」という視点で、「ケア労働(無償)」を軽視する日本社会を問題視し、もっと「ケア労働」への理解が進み、「ケア労働」を重んずる社会であったなら、痛ましく悲しいこのような事件は防げたのではないかと書いた。

「耐えている」母たちから厳しい意見が続出
 「国のあり方」「私たちのあり方」を、一度立ち止まって考えてみるべきなのではないか、と。誰が悪いとか、誰それの責任だと、するのではなく、私たちの「哲学」を考えることの必要性を問うた(哲学の意味するところなどは、前回のコラムをお読みください)。
 いつも通りコメント欄には賛否両論があったが、子育てをしている母を名乗る人たちから、「母親に同情するのは間違い、母親を罰するのは当然と言ってください」というメールが数十件届いた(以下、抜粋)。

・「本当に育児は大変で、母親たちはみなギリギリの状況で子育てをしている。心も体も疲弊し、それでも我が子のために歯を食いしばって子育てしている」
・『子どもさえいなければ』という感情に襲われることもある。そんな状況下でも理性を取り戻し、子どもに寄り添っている」
・「なのに、その“一線を越え子に手をかけてしまった母親”と“今も苦労して頑張っている母親”を同じ天びんにかけるのはおかしい」
・「実刑判決は妥当だということをもっと世間に訴えたいので、賛同してください!」
・「子どもの命を軽んじ過ぎている。母親を支援する人を断罪してください!」
・「署名活動を批判してください!」 etc.etc.…

 メッセージをくださった人たちの気持ちも痛いほど分かる。「自分だってこんな苦しい思いをしているのに、必死で耐えている。なんで耐えられなかった人が同情されるのか?」という気持ちになることはあるだろう。
 だが私は……正直、とても複雑な気持ちだった。
 で、今回。ますます私の気持ちはこんがらがっている。
 判決後、行政や医療、地域の連携を見直す提言やら実際に見直す地域があちこちで取り上げられているが、「父親」について議論がないことが気になっているのだ。
 念のため断っておくが、私は「父親の責任を問え」と言っているわけではない。ケア労働を重視する社会になれば、育児=「母親」ではなく、育児=「母親+父親」であり、育児=「家族+地域+社会全体」となる。
 父親がもっと普通に育児休暇を取れる社会、子育てだけでなく介護も含め、時短勤務、リモートワークなどといった制度を、すべての人がもっと活用できる社会は、大切な命を守る社会だ。

判決には育児への父親参加の認識が欠けている
 なのに今回の判決後、育休や時短など、「父親の働き方」に関して議論がされていないどころか、俎上(そじょう)にも上がっていないことに違和感を抱いているのである。
 特に双子や三つ子などの多胎児家庭は、理屈なしで父親の育児参加が必要不可欠にもかかわらず、だ。
 痛ましい事件であればあるほど感情論になりがちだが、そもそも「多胎児家庭に対する理解」が不足しているように思う。多胎児家庭の育児の大変さを具体的に理解できれば、子どもに手をかけてしまった母親に共感することはできなくとも、周囲から追い詰められる母親を減らせるはず。それは「父親の働き方・働かせ方・職場の理解」にもつながるに違いない。
 そこで、多胎児家庭に関する実態調査が丁寧にまとめられているこちらの調査の中から、母親たちの状況と父親について語られている内容を紹介する(「多胎育児家庭の虐待リスクと家庭訪問型支援の効果等に関する調査研究」)。
 と、その前に基礎的な知識から。
 多胎児は体外受精が本格化し始めた1980年代後半以降急増し、医療技術の向上で一旦減少するも高い状態が続いている。
 年間に出産する母親のおよそ100人に1人が多胎児の母親で、出産年齢は高い。出産可能な病院が都市部に偏在するため、出産前から母親には精神的、肉体的負担がかかり、経済的負担大きい。また、上の調査研究によると多胎児は脳性まひや発達障害などのリスクが単胎児より高いとされている。
 さらに、多胎児あるいは多胎育児家庭では虐待が発生しやすく、単胎児に比べて2.2倍、「家庭」あたりで計算すると、虐待死の発生頻度は4.0倍。前述の調査でも3~4割の親が「子どもを虐待しているかもしれない」と回答していた。
 では、本題に入ろう。実態調査で「母親たちが語ったこと」の一部を以下に掲載する。

【虐待】
・「肺活量がすごい、泣き声。ずっと泣きっぱなし。たそがれ泣き。ギャンギャン泣き」
・「泣き声を聞くのが嫌。双子をおいて玄関の外で耳をふさぐ、誰かに見られたら変な人、放置の時間が長くなれば危険かもしれない」
・「起きない夫にイライラし、泣く子どもにもあたってしまう」
・「はっと気がついたらここまで手がいっていた。意識もうろう。ギリギリのところに追い詰められていた」
・「ずっと泣いていて、限界で思わず子どもの太ももをたたいてしまった。申し訳ない気持ちが消えない」
・「もう駄目、一人目授乳中、もう一人が泣く。布団の上にポンと置いてしまう。まずいと思う」
【自分の状態】
・「肉体的にも精神的にも追い詰められていて、 いつ子どもを殺してもおかしくない状態だった」
・「二人をだっこしておんぶして。ほとんどど寝てない状態でもうろうとしている」
・「双子の育児・家事により、外に出る時間もない、電話もできない。心も身体もボロボロ、髪の毛もぐちゃぐちゃ、肌もボロボロ。 むなしいほど身体はボロボロで、食べる暇もないし、トイレにも行けない」
・「自分が壊れる。感情がどうにもならない。双子育児の大変さを誰かに聞いてもらいたい、共感してもらいたい」
・「一人で双子の育児。衝動的にマンションから飛び降りたくなる」
・「生きていくのも精いっぱい」
【周りとの関係】
・「両親が遠方に住んでいて育児を助けられないから、双子は産むなと反対された」
・「友人から『双子は片方捨てるものだとか、不吉だと言われていたんだよ』と聞かされ、嫌な気持ちになった」
・「周りから『自然にできたの?』『あえて双子にしたの?』と聞かれる」
・「『仕事は以前のようにやってもらう。できないなら辞めろ』と言われ仕事を辞めた」
育児の当事者意識が低い夫の姿が浮かび上がる
【夫について】
・「双子を妊娠していると聞いてうれしい気持ちになりウキウキと伝えたら夫が喜ばず凹んだ」
・「『一人で良かったのに』と言われ、落ち込んだ」
・「パパも妊娠中も休みが取れるようにしてほしい。遠方に通院のための付き添いが欲しい」
・「自分の体力が落ちていたので、病院で最初にミルクをあげたのは夫。あんなに苦しい思いをして産んだのに悔しかった」
・「NICU(新生児集中治療室)に母乳を運ぶため、夫に仕事を休んでもらうのがストレスだった」
・「子どもたちがどんなにギャンギャン泣いていても、夫は絶対に起きない」
・「夫が非協力的、 協力してほしい時間に家にいない」
・「深夜に帰宅、早朝出て行くので昼間ずっと一人で育児・家事をやっている」
・「夫が『俺は働いているから、専業主婦のお前が子育てをやれ』と言う」
・「妻が双子の子育てで大変で眠たいこの時期に、浮気する夫が多い」
・「双子を出産後、長期間里帰りをしていると、そのままお父さんが来なくて遠距離で離婚に至った」
・「『泣いているぞ』と一言。あやしてくれもせず、ミルクを作ってくれない」
・「帰宅した夫に『飯は?』って言われると、『私も食ってねえ』みたいな思い」
・「夫がイライラして双子に虐待のようなことをしていた。私も夫も極限状態なので何かが起きると冷静に対処できないまま悪い方に転がっていってしまう」

 ……さて、いかがだろうか?
 調査結果の一部を見るだけでも、多胎児を育児することの苦労に加え、肉親や知人を含めた社会の無理解がお母さんたちを「出産前」から追い詰めていることが分かる。
 子どもを無事に出産するという大役を果たし、「子どもを持つ」という人生で最大の幸せに浸る間もなく睡眠不足と激務と孤立感でぐちゃぐちゃになる。子供に優しく接したいのにイライラし、手を上げてしまう自分にさらに苛立ち、それでも子どもは泣き続け、夜が明け、夫婦関係も悪くなるというネガティブスパイラルに入り込む。私など第三者には到底想像できない日々が繰り返されているのである。
 前回のコラムへのコメントで、「昔は夫は普通に仕事していて、母親だけで育児ができていた」という意見があったが、家の形も、家族の形も、地域の形も、社会の形も「昔」とは違うのだ。

育児を支える周囲の人間関係も希薄に
 昔の団地では周りの家から「何が起きているのか?」が見えた。子どもが怒られている声が聞こえれば、「昨日は随分叱られてたけど頑張りなさいよ」と励ましてくれる隣のおばさんがいたり、「赤ん坊が泣いてたけど、これよかったら食べて」とお総菜などをおすそ分けしてくれたり、病気の可能性を教えてくれるベテランママさんがいた。
 だが、今はマンションで隣にどんな人が住んでいるのかさえ分からない。その一方で、ネットには「これが正解!」という情報ばかりが飛び交っている。
 孤立と自信喪失と不安に翻弄されるのは、多胎児の母親だけではない。「子を育てる」ことが極めて難しい社会になってしまったのだ。
 ならば社会の片隅で苦悩する母親と家族に手を差し伸べるやさしい社会を、社会構造を作る責任が「私たち」にあるのではないだろうか。
 私はその社会の中に「会社」というものがあると考えている。世界にも誇る「優しい育児休暇制度」のある日本で、会社員の父親たちが「父親」より会社員であることを優先し、母親が苦しみ、子供に刃(やいば)が向かうのは異常だ。
 「取るのは勝手だけど……」
 「子どもができると休めるなんていいよなぁ……」
などと、相手を理解しようとしない空気が、日本という社会、いや「私」たち自身に染み付いているのだ。
 前回、それを打開する策として日本同様、性別役割分担の価値観が根強いドイツの取り組みを書いた(以下、再掲)。

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 時間に関する政策を通じてドイツは、ケア労働と市場労働のバランスを保ち、個人・企業・社会のいずれもが、それぞれの責任を負い、互いに協力し合い、働く人たちが最後まで無理なく「働き続けられる制度」を試行し続けている。
 その土台には、「仕事だけをやっていたんじゃ、豊かな人生は手に入らない」「豊かな人生のためには、自分の自由になる時間が欠かせない」「お金につながること(有償労働)だけに、人生の意味があるわけではない」という考え方に基づいた、国の「哲学」が存在する。そして、その哲学は、国を支える国民の中から生まれるもの……。

 かたや日本はどうなのだろう? どんな「哲学」の下、女性の労働参加や、イクメン政策が進められているのだろう?

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社会をリードする存在として「会社」が担う新しい役割とは
 先日、セゾン投信株式会社の中野晴啓社長と対談させていただいたのだが(後日、対談記事として電子版に掲載予定)、中野さんはこう断言していた。
 「社会が共有価値として次世代の子ども達を支え、高齢世代の自立も社会で実現させるためには、会社がその担い手として先導する社会的責任を負っていると思います。これもESGですね」
 社会の空気をつくるのは「私」たちだが、その先導役として会社にも役割を果たしてほしいと思う。
 そのためにもまずは「理解する」。そして、「人生の時間」の大切さを考えて欲しい。 「父親」より「会社員」を優先する社会が失うものはあまりにも大きい・・・。


育児の極意は「アメとムチ」ではなく「アメとアメなし」

2019年08月08日 08時55分02秒 | 育児
 今回読んだ本は、
メリットの法則〜行動分析学・実践編」(奥田健次著)集英社新書、2012年発行
 です。

 小児科医として30年以上働いていますが、その間、働くお母さんが増えて現在では生後半年未満でも、子どもを預けて働く人も出てきました。
 すると気になるのが育児です。
 哺乳類が育って自立するためには、親の愛情がたっぷり必要なのです。
 しかしスキンシップの時間は確実に減ってきています。
 女性の社会参加は時代の要請で必要なことであり権利でもありますが、そのしわ寄せが次世代にきては本末転倒です。

 以前から、「子育ての肝(スキル)を科学的に抽出して、少ない時間に効果的に使えればいいのに」と思ってきました。
 そんなときに行動分析学・応用行動分析学に出会いました。
 TVで発達障がいの子どもの育児・しつけに使われているTV画面を目にして、“使これはえる”と直感しました。

 さて、本書は型破りの臨床心理学者、奥田健次氏の著書2冊目です。
 自分でも使うことができるのか、という視点で読んでみました。

 「行動分析学」は言葉の定義とその応用にコツがあるようです。
 基本をしっかり覚えておかないと、用語に振り回されて理解しにくくなると感じました。
 まず、以下の基本形を覚えなくてはなりません;



 しかしこれをマスターすれば、人間の行動の奥にあるものを引き出してシステム化することにより、いろんな問題行動が解決に向かいます。
 本文中に実例が多数紹介されています。

 うんうん頷きながら読んだ箇所は“「ムチ」の副作用“です。
 育児書や児童精神科医による書籍に書いてあることの裏付けがされているように感じました。

 育児における叱ること(≒ムチ)にはたくさんの副作用がある。
 それは、積極性を失うこと、叱られないと行動しなくなること、叱る方がエスカレートしやすいこと、自尊心が育たないこと、自分より弱い存在に同じことをしてしまいがちになること・・・等々。

 また、人間の行動の“機能”は4つに分類される、という解説には目から鱗が落ちました。問題行動が発生した場合、それを見つめてどの“機能”が存在するかという分析の元に対策を立てると解決につながる、というのです。

<行動の4つの機能>
① 物や活動が得られる:その行動の結果、特定の事物や活動など、触れられる好子を得ることができる。
② 注目が得られる:その行動の結果、他者からの注目など、手に取ることはできないような社会的な好子を得ることができる。
③ 逃避・回避できる:その行動の結果、その場にある嫌子から逃れることができる、または嫌子の生じそうな場面を回避することができる。
④ 感覚が得られる:その行動の結果、特定の感覚的な好子を得ることができる。
・・・なお、一つの行動が複数の機能を持つことは日常的にあり得る。

 ①と③は直感的に肯けます。④はちょっとマイナーでしょうか。
 注目すべきは②の「注目が得られる」です。子育て啓蒙書や児童心理学では「こっち向いて行動」などと表現されますが、のれが人間の行動を規定する重要な要素となるとは・・・“注目”は他人の存在が必須ですから、やはり人間は人との関係の中で生きる行動をしているのですね。


<メモ>

・行動分析学(Behavior Analysis)

・循環論ほど役立たない議論はない。

・記述疑念:ビデオカメラで撮影して誰もが認めることのできる行動の事実

・説明概念:事実を説明したものであって、見た人によって意見が分かれるかもしれないもの

・行動随伴性:行動の直前と直後を行動で表す方法
 生理的な問題で説明したくなるような激しい行動ですら、その行動の起こる原因を説明概念に求めず、行動随伴性で記述していくことで行動を変えていく糸口が見つかる。

・行動分析学では、行動の原因を考えるとき、行動随伴性で記述することを優先する。
 実用性の観点から、個人の内部で起こっていることは後回しにしてもかまわないとすら考える。そう考えれば考えるほど、問題解決が早くなる。
 人や動物の行動がなぜ起きるのかについての理由を考えるとき、その行動の前に何が起きたのかを考えるよりも、その行動の結果として何が起きたのかを考えなければならない。各種ある心理学の中でも、行動分析学が他の心理学よりもユニークな点はここにある。

症状と行動は違う
 行動分析学を正しく理解するためには「医学モデル」を放棄しなければならない。医学モデルで扱っているのは、行動ではなく症状(あるいは病態)である。実に多くの人(医師や心理士も含めて)が、行動と症状の区別を付けていない。
 行動の原因を、医学モデルで説明することは明らかに間違いである。それは即座に「循環論」になってしまう。

・行動は「死人テスト」と「具体性テスト」で定義される。
 オージャン・リンズレーの提唱した「死人テスト」の定義によると、行動とは「死人にはできないこと」である。具体的とは、ビデオで撮影して、誰が見てもそれとわかるもの(島宗理氏は「ビデオクリップ法」と呼んでいる)。

・オペラント行動:行動の原因は行動の前ではなく、後に続く結果にある行動。

・レスポンデント行動:
 行動の前に生じた刺激により引き起こされる行動。飯蹠と呼ばれる種類の行動で、確かにこれらの行動の原因は、行動に先立つ刺激にある。

・行動分析学のとらえ方の例;
「青信号になったから横断した」 ・・・「青信号」が原因で「横断した」が結果と捉えるのが一般的
 ⇩
「青信号になったときに横断したら、安全に渡ることができた」・・・「安全に横断できる」という結果を期待して「青信号」で渡ると判断している。重要なのは「安全に横断」という結果である。
 ⇩
 直前        →      行動      →     直後(好子)
安全に渡っていない    青信号で横断歩道を渡る   安全に渡ることができた

→ 好子出現の強化

★ 用語解説
好子)行動の結果、直後(遅くとも60秒以内)に起きた好ましい出来事(メリット)
嫌子)行動の結果、直後(遅くとも60秒以内)に起きた望ましくない出来事(デメリット)
出現)直前と直後で見比べてみて、何かを得るという変化があること
消失)直前と直後で見比べてみて、何かが消えるという変化があること
強化)行動の直後に生じた結果次第で、その行動が強まること・増えること
弱化)行動の直後に生じた結果次第で、その行動が消えること・減ること
消去)行動の前後(直前と直後)で何の変化も起きていないため、行動が消えること(強化されていた行動が元のレベルに戻ること)
消去抵抗)「消去バースト」とも呼ばれる。消去の前に一時的にその行動がエスカレートすること。頻度が増加するだけではなく、行動の種類にも広がりが見られるのも特徴である。
基本随伴性)4つの行動随伴性(二つの強化の原理、二つの弱化の原理)をこう呼ぶ。
阻止の随伴性
ルール)行動随伴性を言語化したもの。ルールはそれ自体、好子にも嫌子にもなり得る。
ルール支配行動)ルールによって制御される行動

・行動が起きて60秒が過ぎてから好子や嫌子が出現、あるいは消失しても、ほとんど効果がない。
 結果が出るのに時間がかかる場合、問題となる行動になかなか影響を与えない(ダイエットが成功しない理由)。

・「スキナーの心理学」 米国の心理学者B.F.スキナー博士による動物の行動原理
 「罰」を使って人間や動物をコントロールしようとする行為に否定的である。



・「強化スケジュール」という研究
(連続強化)行動に好子が毎回伴う場合
(部分強化)何回かに1回の行動に好子が伴う場合
(消去)行動してもまったく好子が出現しない場合
(変動比率スケジュール)部分強化の一つで、何回かに1回の行動に対して好子が出現するが、その好子がいつ出現するかは変動している。実は部分強化で強化された行動の方が強く維持されることがわかっている。

・「あきらめない子」は性格ではなく環境が造る
「失敗しても試行錯誤を繰り返す人」、あるいは「執着心の強い人」などと、性格のせいと説明されがちな表現も、実はどんな強化スケジュールで成長してきたのか、今どんな強化スケジュールに置かれているのかが大いに絡んでいる。

・回復の原理:
 嫌子出現の弱化により元のレベルまで行動が戻ることを「回復の原理」という。叱られても痛い目に遭っても、また同じ行動を繰り返すというのが、回復の原理の特徴である。別の言い方をすれば、叱ったって痛い目に遭わせたって、一時的に行動を抑制することは可能だが(弱化の効果)、弱化の効果は長続きしないということ。

・「アメとムチ」ではなく、「アメとアメなし」
 行動分析学はムチを使わないで行動を変えることを研究する学問である。ムチ(嫌子出現の弱化)は新しい行動を教えるためには不必要である。よいコーチングとはこのようなものであろう。

・「ムチ」の副作用
 弱化(世間一般で「罰」とか「ムチ」と呼ばれること)を多用することによる副作用一覧;
① 全体の行動自体を減らしてしまう:
 叱られないようにするために、何もしないようになる。いわゆる「積極性」が失われやすい。
② 何も新しいことを教えたことにならない:
 新しい行動は強化と消去の組み合わせによって生まれる。
③ 一時的に効果があるが持続しない:
 回復の原理である。叱られないと行動しないのであれば、常に叱ってくれる人の存在が必要となる。
④ 弱化を使う側は罰的な関わりがエスカレートしがちになる:
 虐待につながりやすい危険性をはらんでいる。弱化を使う側は「どうして、何度言ってもわからないの?」と考えがちになり、叩く強さやペナルティーが徐々に増していく。
⑤ 弱化を受けた側にネガティブな情緒反応を引き起こす:
 極度に人を恐れたり、恨んだりすることが起こりやすい。いわゆる「自尊心」が傷ついた状態に陥りやすい。
⑥ 力関係次第で他人に同じことをしてしまう可能性を高める:
 弱化を受けた側が、状況が変わって力関係の強い側に回った場合、力関係の弱い相手に対して同じような罰的な関わりを行ってしまいがちになる。

・日常生活上のおよその行動は、行動分析学の「行動の四つの法則」(基本随伴性)と「消去と回復の法則」の二つで説明することができる。

・行動分析学では数多くの実験研究から、人間と動物の行動の共通点と相違点を明らかにしている。

・行動分析学の応用には「阻止」という専門用語が必要になる。

・「阻止の随伴性」

・行動を強める強化の原理(応用形)
① 嫌子出現「阻止」の強化;
 怒鳴られたり、恥をかいたり、ケガをしたり、事故を起こしたりしないためにしている行動を考えるときに便利な枠組みである。ポイントは、具体的でない行動(「気をつけます」など)ではなく、具体的な行動を目標にすること。
② 好子消失「阻止」の強化;

・行動を弱める弱化の原理(応用形)
①嫌子消失「阻止」の弱化
②好子出現「阻止」の弱化
 阻止の随伴性の弱化で気をつけなければならないのは、行動の部分をどのように見るか、である。行動のように思えて行動でないもの、すなわち死人テストに引っかかるものを想定してしまう間違いを犯す。

例)保育園で年長児を相手に、保育士が「さあ、これから紙芝居をはじめます!」と声をかけたが、子どもたちはなかなか静かにならない。保育士は1回だけ、人差し指を口の前に持ってきて「静かにのポーズ」を取ったが、半分位しか静かにならない。そして保育士はただ待つだけで、静かに全員が前を向くまで紙芝居をはじめない。しばらくすると、年長児達は口を閉じ、静まった。この情景を図示すると、

 (直前)  →   (行動)  →    (直後)
紙芝居が始まる   大声で騒ぐ   紙芝居が始まらない

となるが、しばしば以下のような間違いを犯す;

 (直前)  →   (行動)  →    (直後)
紙芝居なし    静かにしている    紙芝居あり

どこが間違いかというと、行動に「静かにしている」を設定したところである。
静かにしていることは、死人にもできることなので行動ではない。状態と行動とは違うのである。

☆行動分析学では、行動随伴性の三つのボックスを一つのまとまりとして行動の1単位とする。



・阻止の随伴性(阻止の強化)の特徴・利点(杉山尚子氏);
① われわれが注意を集中し続けるのに役立っている。
(われわれが注意を集中し続けてそれを止められない)
② われわれのスムーズな運動機能を維持するのに貢献している。
(われわれの運動機能を儀式的に維持する)
③ 課題に従事する行動を促進する。
(強迫行為に従事する行動を促進する)

・阻止の随伴性によるマイナスな側面(長谷川芳典氏);
① 楽しく始めたはずのものが、いつしか義務的になってしまう行動
② 現状維持でよしとする行動

・強迫性障害(OCD)を行動分析学で捉える
 阻止の随伴性がこの疾患に関与している可能性がある(著者)。
例1)「カギをかけたかどうか確認する強迫行為」が強化される随伴性

   (直前)     →     (行動)      →    (直後)
やがて泥棒には入られる   カギをかけたか何回も確認    泥棒に入られない

 ・・・好子出現の強化?

例2)「汚れを落とす強迫行為」が強化される随伴性

  (直前)   →    (行動)   →    (直後)
やがて手が汚れる   念入りに手を洗う   手が汚れていない

 ・・・嫌子出現阻止の強化

例3)「風邪を引かないための手洗い行為」が強化される随伴性

  (直前)   →    (行動)   →   (直後)
やがて風邪を引く   しっかり手を洗う   風邪を引かない

 ・・・嫌子出現阻止の強化

・強迫性障害(OCD)の治療:エクスポージャー(曝露)
 不安を引き起こす刺激をクライアントに提示し続けることにより「馴化」を得る。

※ 馴化:人間を含めた動物が、ある種の感覚を強く引き起こす刺激にさらされ続けると、その刺激によって引き起こされる反射が次第に弱くなる現象。

・強迫性障害への行動分析学的介入

[介入前]
  (直前)   →   (行動)  →   (直後)
やがて手が汚れる   何度も手を洗う   手が汚れない

[介入後]
  (直前)  →    (行動)  →   (直後)
手を汚してみる   タオルでぬぐう   汚れが一部落ちる

☆ポイント
*介入前は手の汚れの実体はない
*エクスポージャーでは実際に汚れたものに触る
*行動を「手を洗う」から「タオルで拭く」へ変えてもらう(反応妨害)
*このような行動随伴性を繰り返し行うことが「馴化」を生じさせることにつながる
*手が汚れているという感覚や思い込みは手に取ることができないが、嫌子消失の強化では行動直前に嫌子が明確に存在する。
*エクスポージャーでは現実的な事物の扱い方を身につけてもらうので、他の方法より効果的である(カウンセリングでは患者の内的な感覚や限りなく広がる思い込みに長くつき合うことになる)。

・行動は形態ではなく機能である
 行動分析学の基本は、どんな行動か(What)というよりも、その行動はどのように機能するか(How)という見方をする。「機能」は「どのような働きをしているか」という意味である。一方、対照的な言葉として「形態」というものがある。
 行動を正しく捉えるとき、その行動の形態よりも機能を重視することがきわめて重要なことであり、これが応用行動分析学(学校臨床や教育のみならず、社会問題全体への行動分析学の応用)の基本姿勢となっている。

・行動の機能は4つに分類される;
① 物や活動が得られる:その行動の結果、特定の事物や活動など、触れられる好子を得ることができる。
② 注目が得られる:その行動の結果、他者からの注目など、手に取ることはできないような社会的な好子を得ることができる。
③ 逃避・回避できる:その行動の結果、その場にある嫌子から逃れることができる、または嫌子の生じそうな場面を回避することができる。
④ 感覚が得られる:その行動の結果、特定の感覚的な好子を得ることができる。
・・・なお、一つの行動が複数の機能を持つことは日常的にあり得る。

・いわゆる「困った行動」について解決をこころみる際、行動の機能分析は役立つ。不登校しかり。医師や心理士の中には「子どもの甘えを全面的に受容すべき」という人もいるが、これらの無責任な助言のせいで子どもの召使いのようになっている親や祖父母と数多く出会う。

・“こころの中身”は不毛な議論
 行動分析学に対する批判のパターンは、
①「行動だけ変化しても“こころの中身”はどうなっているの?」
②「学校に行くことが“本質的な解決”なの?」
③「“報酬で動かす”のはよくないことじゃないの?」
などである。
① 行動分析学では、“こころの中身”であろうと、(それが表出された結果としての)行動として取り扱う。
② “本質的”とう言葉が何を指しているのかを具体的に示していただきたい。
③ “報酬で動かす”というよりも、自発的に“動く”ように援助しているだけである。世間一般で言われる「罰」(嫌子出現の弱化)を使って“動かした”のではない。

・「学校へ行きたくない」行動の機能分析
 学校を休む理由を尋ねると、「友達に意地悪をされた」「先生がえこひいきする」「おなかが痛い」などと子どもが主張しても、すぐに鵜呑みにしてはいけない。学校を休んで、家でどんな過ごし方をしているのか調べてみて欲しい。

① 学校を休むと家で遊べる(物や活動):
 学校を休ませるとテレビゲーム、漫画やテレビ、パソコンなどで遊んでいるなら、上記のことは休むための口実である可能性がある。
 対応方法は、自宅で自由にアクセスさせている好子をすべて親の管理下に置き、学校に行く行動の結果に応じて、少しずつ与えていくこと。つまり、学校で過ごす行動が設定した目標をクリアしたときに、子牛を与えるというプログラムである。目標はスモールステップでなければならない。

② 母親と一緒にいられる(注目):
 学校を休ませると、やたらと母親の近くにいようとする。こうした注目の機能がある場合、母親が叱ってもダメである。母親に叱られることすら、注目という社会的な好子となり得るからである。
 対応として、母親から得られる注目という好子を、学校に行く行動の結果に応じて、少しずつ与えていく。少なくとも、午後3磁までは母親との会話や接触は極力控え、逆に午後3時以降はたくさん話を聞いてあげるとよい。望ましい行動を集積していけば、週末に母親と2人だけで出かけるなどとするのも効果的である。

③ 学校にイヤなことがある(逃避・回避):
 この場合の行動随伴性は、嫌子消失の強化である。もし学校に行かせようとすると、学校が近づくにつれて緊張が高まり、不安や恐怖が強くなる。自宅で安静に過ごすように求めてゲームやテレビ、母親との接触などを制限してもあまり文句を言わない。
 対応として、すぐに綾が子どもを連れて学校の先生と話をしに行くべきである。親が出てくることによって、さらなるいじめが起こるという不安があるのであれば、そのような陰湿な問題を抱えている学校を放置することが大きな悲劇を生み出す。大人が介入すると言うことは、それに伴う陰湿ないじめの可能性すら時間をかけて断ち切っていくということである。

④ 機能が複合している場合、シフトしていく場合:
 早退しなければならないほどの仲間はずれにされて様子見(結局は放置)されたことは気の毒だが、もう仲間はずれにされないような状況になっていても、学校に行きたがらない子どもは多い。「逃避・回避」の機能だったのが、「物や活動」の機能にシフトチェンジしてしまったのだ。しばらく休んでいたので、勉強や話題にもついて行けそうにないという、さらなる逃避・回避の機能が加わる可能性もある。
 大人はこうしたことまで見抜かなければならない。 

 以上のように考えると、やはり不登校・引きこもりは早いうちに介入した方がよい。「様子を見ましょう」は無策で無責任である。(著者の経験によると)一旦、不登校の状態に陥ってしまうと、望ましい生活を作り上げる・取り戻すのは相当困難な作業となる(1週間休ませると3ヶ月、3ヶ月休ませると3年を要する)。それでも、その木成のスモールステップを設定していくならば、すべての子どもの行動は必ず変化する。

・天秤の法則〜不登校を行動分析する〜
 ある不登校児の生態を例示してみる。好子(+)や嫌子(ー)を、学校と家庭のそれぞれの皿の上にのせてみると・・・

  +好きな女の子
  +仲良し            +母親と買い物
  +友達と過ごす         +冷蔵庫
  ーいじめっ子          +漫画
  ー恐い先生           +テレビゲーム
 ーーーーーーーーー        +テレビ
    (学校)          +DVD
                 ーーーーーーーーー
                    (家庭)

 ・・・この男の子が学校に行かずに家で過ごす(不登校や引きこもりになる)ことは、何ら不思議なことではない。
 肝心なことは、“こころの問題”ではなく、単純に学校か家庭かという問題設定にすることである。
 では、このてんびんをどう動かすか?
 皿に載っている物をいろいろ動かせばよい。
 学校の皿を動かす方法としては、好子を増やすか、嫌子を減らすことが考えられる。
 家庭の皿を動かす方法としては、自由に与えていた好子を完全に撤去して条件付きで与えるか、または嫌子を増やすことが考えられる。
 この男子の場合、学校はまったく非協力的であったので、学校の皿は変わらず、家庭の皿を動かすしか方法はなかった。
 具体的には、この子が学校に行くべき日に行かなかった場合は、すべての好子を撤去した(学校には行かなくてもよいが、部屋でおとなしく安静にしていることを求めた)。現実として、これだけでこの男子は学校へ行くようになった。

・トークンエコノミー法
 トークンとは「貨幣の代用」、エコノミーは経済学という意味。
 トークンエコノミー法は「さじ加減」が決め手である。これが不適切だとうまくいかない。その設計が成功と失敗の鍵を握っており、適切に設定すればどのようなケースでも適用可能だと(著者は)確信している。
 不登校の場合、特に家庭や学校での過ごし方をしっかり調査しなければならない(生態学的調査)。調査を行えば、100人不登校児がいれば100通りの生態があることがわかる。調査は、子どもの日課や習慣から好子となっているものを見つけ出す作業も含まれている。
 また、細かな配慮も必要である。一つは「子ども自身がパックアップ好子を選択できること」である。子どもの年齢により興味や関心、好みを考慮する必要がある。そしえ、トークンエコノミー方以外の手段ではバックアップ好子を入手できないようにしておくことが効果的である。
 トークンエコノミー法で裏切りは禁物である。
 加点方式のトークンエコノミー法とは逆のポイントを減点する方法もある(レスポンスコスト法)。レスポンスコストは好子消失の弱化の手続きである。弱化手続きには副作用がある(前述)ので、あまりお勧めできない。
 基本的には「アメとムチ」のトークンエコノミー法&レスポンスコストの併用よりも、「アメとアメなし」のトークンエコノミー法のみの導入を目指した方がよい。

「アルプスの少女ハイジ」は大人達の再生物語だった。

2019年06月29日 16時54分00秒 | 育児
2019年6月の「100分de名著」のテーマは「アルプスの少女ハイジ」でした。

日本では誰でも知っている、テレビアニメで有名になった物語ですね。
私は大学受験時代に、平日午後に再放送されているのを楽しみに見ていた記憶があります。

さて、アニメでの主人公は、ハイジとクララ。
クライマックスは、車いす生活のクララが歩けるようになった瞬間・・・
と思っている方が多いと思われます(私を含めて)。

しかし番組で紹介された原作の内容は少々異なります。

まず、アルムの森とフランクフルトでの生活のバランス。
アニメでは自然賛歌というイメージですが、
原作ではフランクフルトの生活にも大きな意味を持たせています。
ハイジはフランクフルトでお金の使い方と教養(字を読めること)を苦労して身につけたのです。
そのことが、山に戻ってからの生活に潤いと豊かさを与えたのでした。

それから、アニメでは扱われなかった大人達の再生物語。
登場人物の大人達は、過去に心に傷を負っています。

アルムのおじいさんは、農場主の長男だったけど散在して逃げ出し、イタリアで傭兵になり、
しかしそこをも追い出されて山に戻ってきた過去があります。
噂では「人を殴り殺したので逃げてきた」と。
故郷の村人は彼を受け入れず、彼は仕方なく山に引きこもり状態で生きていくことになりました。

そこに天真爛漫なハイジが飛び込んできました。
忘れていた優しい心を思い出し、彼女の世話をするようになったおじいさん。
ハイジがフランクフルトに連れて行かれ落胆しましたが、数年後に戻ってきた彼女からキリスト教の一説を聞かされ、
罪深い自分でも宗教と人々を受け入れることにより、心穏やかな生活ができることを見出したのでした。

そしてかくれた主人公が、クララの主治医クラッセン先生。
彼はフランクフルト時代のハイジがホームシックで夢遊病状態になっていることを見抜き、
アルムの森にすぐ返すようゼーゼマン氏(クララの父親)に進言した人物です。
彼はアニメでは登場機会が少ないのですが、原作ではキーマンとして描かれています。
彼は妻を亡くし、最愛の娘も亡くした孤独な老人なのでした。

その彼が、アルムの山に戻ったハイジと再会しました。
ハイジの口から賛美歌を聴いた彼は、同じ賛美歌を母親から聴かされた子ども時代を思い出し、生きる元気をもらったのです。

というわけで、一見、ハイジの成長物語ですが、その周辺では傷ついた大人達の再生物語という面も持った、深〜いお話なのでした。

原作者のヨハンナ・スピリはふつうの主婦で、その文才に気づいた友人から「何か書いてみたら?」と進められて書いたのがハイジの物語第一部です。
第一部では、クララはまだ山に行っていません。
当初、匿名で発表されたそうです。
評判を呼び、第二部を実名で発表したという経緯です。

昔の小説には、このような「成長物語」的なものが少なくありません。
周囲の大人達をも巻き込み、時代を反映する記録的な要素もあると思います。

ハイジの物語が発表された時代のスイスは豊かな国とは言えず、家督を継ぐ長男以外の男子は、外国の傭兵となり家にお金を送るということがふつうだったそうです。


番組内容
 1974年に日本でアニメーション化され、今なお圧倒的な人気を誇る「アルプスの少女ハイジ」。スイスの作家、ヨハンナ・シュピリ(1827 – 1901)が1880年に執筆した児童文学の傑作ですが、日本ではアニメ作品があまりにも有名であるが故に、原作に触れる機会が著しく少ないといわれています。ところが、原作には、かつて傭兵として殺人も犯したことがあるおじいさんの心の闇、成長したハイジが発する宗教的ともいえる奥深い思想、クララの医師クラッセンの深い喪失体験と再生など、アニメ作品では割愛された、優れて文学的な要素がたくさん盛り込まれています。そこで、「100分de名著」では、瑞々しい人物描写、生き生きとした心理描写を通して「人間の生き方」や「心のあり方」を見事に描き出したこの作品から、大人をもうならせる奥深いテーマを読み解いていきます。

 孤児となり叔母デーテに育てられたハイジは、やっかいばらいのようにしてアルムの山小屋にひきこもるおじいさんの元へあずけられます。暗い過去をもち人間嫌いとなり果てていたおじいさんは、当初こそ心を閉ざしていましたが、天真爛漫に明るさをふりまくハイジに魅了され心をほどいていきます。しかし蜜月は長くは続きませんでした。デーテの身勝手によってハイジはフランクフルトに連れ去られ、おじいさんから引き離されてしまいます。足の不自由な良家の少女クララ・ゼーゼマンの話し相手を申しつかるハイジは、彼女と友情を育んでいきますが、執事ロッテンマイヤーの厳しい躾やアルムの大自然とはかけ離れた過酷な都市の環境は、やがてハイジを心の病へと追い込んでいきます。果たしてハイジの運命は?

 近年「アルプスの少女ハイジ」の新訳に取り組んできたドイツ文学者の松永美穂さんは、この作品が巷間いわれているような単なる「児童文学」ではなく、深い思想的な背景をもった、人生への洞察を読み取ることができる、大人にも読んでほしい作品だといいます。人は「心の闇」とどう向き合っていけばよいのか、人間にとって本当の豊かさとは何か、真の家族のあり方とはどんなものなのか……といった人間誰しもがぶつかる問題を、あらためて深く考えさせてくれるのがこの作品なのです。松永さんにシュピリの名著「アルプスの少女ハイジ」を新しい視点から読み解いてもらい、「文明と自然は和解することができるのか」「人はどうしたら幸福になれるか」といった普遍的な問題を考えていきます。

【指南役】松永美穂…早稲田大学教授。ベストセラー「朗読者」の翻訳で知られるドイツ文学者
【朗読】安達祐実(俳優)
【語り】目黒泉

第1回 山の上に住む幸せ
 心の中に深い闇を抱え、アルムの山小屋にひきこもるおじいさんの元にあずけられることになったハイジ。最初は心を閉ざしていたおじいさんだったが、ハイジの天真爛漫さに触れ少しずつ心をほどいていく。ハイジ自身も大自然の中で、瑞々しい感受性を育んでいく。その成長物語には、「子どもの眼を失ってしまった大人たち」に対するメッセージとして、子どもがもつ豊かな可能性やそれを育む大自然の豊かさを訴えるシュピリの深い思想性がうかがえる。第一回は、作者ヨハンナ・シュピリの人となりや思想性なども交えながら、私たち大人が見失いがちな「子どもの眼」をもつことの豊かさや可能性を考えていく。

第2回 試練が人にもたらすもの
 山で幸せに暮らしていたハイジだが、叔母デーテの身勝手さからフランクフルトに連れ去られてしまう。ハイジを待っていたのは足が不自由なお金持ちの娘クララ。病弱な彼女のよき友人となるよう申しつけられるハイジだったが、執事の厳しい躾や都市の過酷な環境は、豊かな心をもったハイジをがんじがらめにし、追い詰めていく。その一方でハイジはクララのおばあさんに文字や文化の素晴らしさを教えてもらう。ハイジは、都市文明から、厳しい抑圧と新たな豊かさという二つの影響を被る。そこには文明と自然がもつ光と影を見つめぬいたシュピリの深い思索が反映している。第二回は、ハイジが直面した試練が彼女に何をもたらしたかを読み解き、人間にとって本当の豊かさとは何かを問い直す。

第3回 小さな伝道者
 心の病へと追い込まれたハイジ。その症状を見抜いたのはクララの医師クラッセンだった。これ以上、都市文明の檻に彼女を閉じ込めておけば取り返しのつかないことになる。医師の助言により山へ帰れることなるハイジ。厳しい試練を乗り越えたハイジは、自分が大自然から学んだこと、そして文明から学んだことを見事に自分の中に融和させ、心の闇をかかえたおじいさんや、喪失感を抱えて山を訪れた医師クラッセン、ペーターのおばあさんらを再生へと導いていく。第三回は、試練を乗り越えたハイジの境地を読み解き、文明と自然をどう融和、和解させていけばよいかを考えていく。

第4回 再生していく人びと
 医師クラッセンの助言により、健康を取り戻すためアルムの山を訪れることになるクララ。大自然とハイジに導かれるように彼女は再び歩く力を取り戻していく。だが、その一方でハイジの友人ペーターの嫉妬心や暴力性も描かれていく。人間が再生していくためには一筋縄ではいかないプロセスがあるのだ。そして、やがて老いや死を迎えねばならないおじいさんに対して、医師は、自分もハイジの養父になり一緒に育ていこうと呼びかける。ここには、作者シュピリが提示する新たな家族像も込められている。第四回は「人が再生していくには何が必要か?」「本当の家族の形とは?」といった普遍的テーマを考える。


名著、げすとこらむ。
松永美穂(まつなが・みほ)
早稲田大学教授・ドイツ文学者

<プロフィール>
 愛知県生まれ。東京大学文学部独文科卒業、同大学大学院人文社会研究科博士課程満期単位取得。同大学助手、フェリス女学院大学国際交流学部助教授を経て、早稲田大学文学学術院教授。専攻はドイツ語圏の現代文学。翻訳家。主な著書に『ドイツ北方紀行』(NTT出版)、『誤解でございます』(清流出版)が、主な訳書にシュリンク『朗読者』(毎日出版文化賞特別賞)、『階段を下りる女』( 共に新潮社)、ヘッセ『車輪の下で』、リルケ『マルテの手記』(共に光文社古典新訳文庫)、メルケル『わたしの信仰キリスト者として行動する』( 新教出版社)、メッシェンモーザー『リスとお月さま』(コンセル)、ウーヴェ・ティム『ぼくの兄の場合』(白水社)など、編訳書にヨハンナ・シュピリ作『10歳までに読ませたい世界名作9 アルプスの少女ハイジ』(学研プラス)などがある。

子どもも大人も味わえる魅力的な原作
 『アルプスの少女ハイジ』と聞けば、おそらく多くの方が、あの有名なテレビアニメを思い浮かべることと思います。高畑勲監督のもと、宮崎駿さんをはじめとする、のちに日本のアニメーション界を牽引することになるスタッフによって制作された作品です。一九七四年に最初に放送され、のちのスタジオジブリ作品にもつながるアニメシリーズです。
 スイスの作家ヨハンナ・シュピリの原作小説を丁寧に読み込み、物語の舞台であるスイス高地でのロケハンまで敢行したという力作ですが、一年間で全五十二話というテレビ放送のためでもあるのでしょう、脚色によって原作を大いに膨らませていて、実はシュピリの小説とは異なる部分がたくさんあります。
 例えば、アニメでハイジのおじいさんが飼っているセントバーナード犬のヨーゼフは、原作にはまったく出てきません。アニメでは親切で人当たりのいい男の子のペーターは、原作ではちょっと欲張りだったり嫉妬深い一面を持っています。また、あとで詳しく見ますが、クララの車椅子が壊れてしまうエピソードも、原作とアニメとではまるで違います。口うるさい家政婦のロッテンマイヤーさんは、原作ではアニメのようにクララと一緒に山にはやって来ませんし、クララを診るお医者さんはアニメでは影の薄い存在ですが、原作の後半では重要な役割を担っています。
 おじいさんの過去についても、アニメでは「大きな声じゃ言えないけど、若いときには人を殺したっていうじゃないか……」と、第一話に村人の噂話で一言触れられるだけで、あまり印象には残りません。ところが原作では、おじいさんの暗い過去が、冒頭から詳しく語られているのです。さらに、原作では大切な主題となっている宗教的なテーマ、暴力的なシーンは、ともにアニメからは周到に排除されています。
 そして、アニメを見てわたしが何よりギャップを感じるのは、ハイジもペーターも最後まで外見がまったく変化しないところです。原作では五年の月日が経って、ハイジは五歳から十歳になり、ペーターも十一歳から十六歳まで成長するのに、アニメではずっと同じ服を着て、背は全然伸びないし、相変わらず裸足で歩いている(テレビアニメでは致し方ないところなのでしょうけれど……)。
 とはいえこのアニメは日本のみならず、ヨーロッパをはじめ世界各国で放送され、海外でも大変な人気を博しました。外国で最初に放送されたスペインでまず大ヒットし、放送時間を大人も見やすい時間帯に変えてくれという抗議デモまで起こったそうです。また物語の舞台のひとつとなるドイツでも繰り返し放送され、ドイツ人の多くは日本のアニメだとは知らずに見ていたというくらいです。しかし、肝心のスイスではこのアニメは放送されませんでした。「スイスインフォ」というインターネット・サイトの記事によると、長年スイス国営テレビでドイツ語放送局の文化部門を率いた人が、その理由をこう語っています。「日本アニメでは現実が美化されており、スイスの視聴者が持つイメージや習慣、体験からずいぶんかけ離れていたため、このシリーズは拒否されるかもしれないと考えた」。また、いかにも「スイスの典型的なイメージ」であるセントバーナード犬の登場や、「大きな目をした、いつも同じ表情のハイジも批判の対象」となったといいます。
 視点を変えれば、もし日本を舞台にしたアニメをスイス人が作ったとしたら、おそらくは日本人も、そこで描かれる日本のイメージに対して違和感を覚えることでしょう。外国映画などでしばしばエキゾチックに美化され、あるいは誇張された日本や日本人に、ギョッとすることがありますよね。そう考えると、先の意見もわかる気がします。
 ところで、「ハイジ」という名前は、ドイツ語の発音だと「ハイディ」なのですが、日本では「ハイジ」としてすっかり定着しています。アニメ化されるずっと以前から、『ハイジ』の物語は日本でも親しまれてきました。
 日本で最初にこの作品を翻訳したのは、作家の野上弥生子です。一九二〇年(大正九)に家庭讀物刊行會から『ハイヂ』という題で刊行されました。英語からの重訳でしたが、一九三四年(昭和九)には『アルプスの山の娘(ハイヂ)』と改題され、岩波文庫から再刊されて多くの読者を得ます。
 ちなみに、そのころに出版されたちょっと変わった翻訳に、一九二五年(大正十四)の山本憲美訳『楓物語』があります。野上訳と同様に英語からの重訳ですが、この本では舞台はヨーロッパのまま、登場人物の名前だけが日本風に変えられているのです。なんとハイジは楓、ペーターは辨太、クララは本間久良子、ロッテンマイヤーさんは古井さん、デーテ叔母さんは伊達さん……といった具合。面白いですね。
 その後、『ビルマの竪琴』の作者としても有名な竹山道雄により、ドイツ語原文からの初の完訳が一九五二年(昭和二十七)に刊行されたほか、短縮版やリライト、絵本をふくめて実に数多くの翻訳本が出版され、その数はおよそ百五十種類にのぼるそうです。なかでも矢川澄子さんや上田真而子さんによる新訳は現在の定番ですし、また池田香代子さんや、かく言うわたしも『ハイジ』の翻訳者の列に名を連ねています。ハイジ人気は今もなお衰えるところを知らず、いまだに日本をふくめ、世界中の人々の心をとらえ続けているのです。
 わたし自身は子どものころ、たぶんリライト版で『ハイジ』を読んではいましたが、そのときはおおよそストーリーの印象が残っただけで、むしろバーネットの『小公女』に夢中でした。『ハイジ』のアニメが放送されブームになった当時も、有名な主題歌こそ知っていて歌えましたが、もう中学生になっていたので、熱心に見るという感じではありませんでした。
 わたしが『ハイジ』に強く興味をそそられるようになったのは、大学の教員になってからです。以前勤めていた大学の卒業論文で『ハイジ』を取り上げた女子学生がいました。その指導のために初めて原作を丁寧に読んでみたら、読み応えがあって面白かったのです。それから『ハイジ』の抄訳を二年間雑誌(「百万人の福音」いのちのことば社、二〇一三~一四)に連載する機会もあり、また短縮版のリライトの仕事(『アルプスの少女ハイジ(10歳までに読みたい世界名作⑨)』学研プラス、二〇一五)もふくめ、『ハイジ』を扱うきっかけが何度かあったので、ますますこの作品に惹かれていきました。
 さて、みなさんはシュピリの原作を完訳版でお読みになったことがあるでしょうか? アニメや絵本もいいけれど、原作を読めば、新鮮な感動を味わえるはずです。故郷や家族の喪失からの人間回復の物語は、子どものみならず大人の読者の心も慰め、希望を感じさせてくれることでしょう。普遍的で古びることのない優れた文学作品としての『ハイジ』の魅力を味わい、その秘密を一緒に探っていきましょう。



 番組中で、安達祐実さんの朗読のうまさに脱帽しました。
 

『東京 子育て 働く母 ~子育て小国 女たちの選択~』(BSフジ)

2018年08月11日 17時33分18秒 | 育児
東京 子育て 働く母 ~子育て小国 女たちの選択~
2015.7.2:BSフジ

録画してあった番組を視聴しました(たぶん2回目)。
東京で仕事を続けながら育児をする困難さを取材した内容です。
制作者は独身女性31歳、自分の未来を重ねてしまい、すっかり自信喪失したことをカミングアウトしていましたね。

心に残ったキーワードは以下の4つ;
1.園活離婚
2.アリバイ会社
3.マッチングサイト
4.マタハラ


1の「園活離婚」とは、認可保育園に入るための究極の裏技だそうです。
シングルマザーの方が保育園には入れる確率が高いため、夫婦で話し合った結果、実質を伴わない離婚手続きを取った女性を取材。
「そこまでやるのか・・・」と私は声を失いましたが、本人達は至って真面目で本気です。
しかしその女性の子どもは、そこまでしても入園できませんでした。
近くに両親が住んでいることがマイナス要因になったのではないか、と勘ぐっていました。

2の「アリバイ会社」とは、入園申告書類に勤務先を書きにくい水性外形のシングルマザー達が利用するようです。
架空の会社名で書類を作ってくれるサービス。
もちろん、詐欺的犯罪行為であり、バレればおじゃん。
でも、母親達はそこまで追い詰められています。

3の「マッチングサイト」とは、ベビーシッターを探すネット上のサイトのこと。
正式に申し込むととても高くつくので、組織的ではない個人契約で安く済ませようとする人が利用します。
当然、リスクもあり、実際に子どもが亡くなった事件がありましたね。

4の「マタハラ」はすでに市民権を得た言葉ですが、母親につらく当たるのは上司の男性だけではなく、同僚の女性もいるということに驚かされました。

1〜4の問題点の根っこは、日本の過酷な労働環境にあると私は確信しています。
女性が専業主婦で家事・子育てを担当し、男性が外で働いて収入を確保する、という固定観念。
何とか打ち破ろうともがいているのが現代社会ですが、その歴史は古く、人類が誕生した500万年前から、つい最近の100年前までこのようなシステムでした。

もともと生物は雌雄はなくすべて雌でした。
ヒト以外の霊長類でも雄は子育てしません。
ヒトの家族を作り雄も子育てに一部参加するようになった理由は、ヒトの成長が遅く時間がかかるからです。
母親はエサをとりに行く余裕がなく、発情期を消して父親を常に近くにいるよう手なづけ、自分と子どもが生きていけるようなシステムを作り出したのです。

時は流れ、力と体力がものをいう狩猟採集・農耕がなりわいの中心ではなくなった近代、女性も社会活動・仕事に参加しやすくなりました。
すると、「男女平等」というスローガンの元に、女性は男性と同じ仕事をしたいと考えるようになりました。

単純に考えると、自分を保護し食料を調達してもらうために働く雄を確保していたのに、その雄の仕事をしたいと言い出したのですね。

500万年続いた生活習慣を100年で変えるのは大変でしょう。
多大なエネルギーと時間が必要だと思います。
今はその始まりに過ぎず、うまくいかないのは仕方ありません。

さて、外での仕事は昔よりは肉体労働的要素は減りましたが、やはり体力勝負。
とくに第二次世界大戦後に焼け野原から復活した日本では、男性がボロぞうきんになるまで働かされてきました。
「会社人間」「エコノミックアニマル」「ジャパニーズビジネスマン」
・・・これらの言葉の裏には「家族を犠牲にして会社のために働く日本人男性」が見え隠れしています。

欧米の円熟期を迎えた国々では、男性でも9時〜5時勤務なので育児参加しやすい社会を作っています。
しかし日本では残業が当たり前で、午前様がふつうという仕事も珍しくありません。
この労働環境をそのままに、女性が職場に出て行ったらどうなるか、明らかですね。

家族・家庭が崩壊します。

しかし人口減少社会の日本では、女性の社会参加が常識になっていくことは間違いありません。
女性が働くことがオプションではなく、必須の時代になりつつあります。

対策として、まずは現在の過酷な労働環境を緩めて男性が夕方6時に家に帰れるようにすべきです。
そこから始めないと、悪循環は断ち切れません。
その結果、給料が減り、日本の経済成長も少し鈍るという副作用も受け入れる覚悟が必要です。

原発より経済成長を優先する日本という国で、可能でしょうか?


<番組内容>
 東京の“出生率”は全国最低の「1.13」(2013年)。一方で“婚姻率”は全国1位…つまり東京は、「結婚はしても子供は産まない街」。出生率「1.13」…この数字の向こう側にあったのは信じがたい実態。6人の定員に、応募180人という保育園、出産をきっかけに「育児を優先して」と退職を迫る上司、保育園に入れるために“離婚”を選ぶ夫婦…それは「産まない」のではなく「産めない」街、東京の現実だった。

 「すべての女性が活躍できる社会をつくる」これは、安倍内閣が掲げる重要課題である。生産年齢人口の減少によって低下している労働力を女性の労働力で補う…。だが、女性の活用を経済成長戦略の中核に位置付ける一方で、日本の「少子化」は危機的状況だ。
 「働くこと」も「子供を産むこと」も期待されている現代の女性たち。しかし、いま首都・東京では、「待機児童数・全国ワースト」「マタハラ」「保育園建設反対」「子供の声は騒音?」、出産も子育ても迷惑である、そんな声があふれてはいないだろうか?
 そんな東京で、子供を産み、育て、働く、ということはどういうことなのか?その先に待っているものは、一体なんなのか?そんな疑問をきっかけに、取材は始まった…。

子供を保育園に入れるため引っ越しを余儀なくされた幸恵さん(仮名・30)
 2015年1月、自宅のある杉並区で第一子である男の子を出産した幸恵さん。退院後すぐに取り掛かったのは保育園探し。通称「保活」。秋からの職場復帰を目指し、30以上の保育園に問い合わせをするも、現実は「6人の募集に対し入園希望者は180人」という想像を超える厳しさだった。
 幸恵さんは杉並区での保育園探しを断念し、新宿区で保育園探しを始める。だが、やっと入園できることになった保育園は、自宅から40分も離れた新大久保、繁華街の裏手にある保育園だった。
 結局、新宿区への引っ越しを余儀なくされ、意に反して生後4カ月で息子を保育園に通わせることになった幸恵さん。そこには、東京の“保活戦争”の奇妙な実態があった…。

子供を保育園に入れるために離婚したアヤコさん(仮名)
 子供が1歳の時から認可保育園(施設の広さなど国が定めた設置基準を満たした保育園)に5回入園を申し込み、すべて断られたアヤコさん。そこで、夫婦が選んだのは、子供を保育園に入れるための“保活離婚”。保育園に入るには母子家庭のほうが有利というシステムが生んだ悲劇…。しかし、そうまでして申し込んでも、アヤコさんの子供は、認可保育園に入ることはできなかった。彼女が口にした“保活の狂気”とは…

12人の部下を抱える管理職として働くシングルマザー・由佳さん(37)
 都内の職場で12人の部下を抱える管理職として働く由佳さんは、午後6時の終業のチャイムが鳴ると誰よりも早く帰宅する。一人で子育てをする由佳さんに、会社は理解を示してくれているが、それでも彼女が抱え続ける、うしろめたさ…。
 保育園で3歳の娘を引き取ると、由佳さんは母親の顔になる。「子育ても仕事もうまくこなしたい…」
 仕事が繁忙期に入った春、大阪の実家から由佳さんのお母さんが駆け付ける。おばあちゃんに会えてうれしくて仕方がない娘…、それを見た母から出た本音。「実家に帰ってきてくれたら安心…」それでも、由佳さんがあえて、東京で働き続ける理由はなんなのか?
 
 さらに、ディレクターが出会ったのは、保育園に通わせるために“アリバイ会社”を利用し身分を偽る母親や、インターネットで格安のベビーシッターを探す母親、マタニティーハラスメントと闘う母親…。
東京の街には、「出産」「子育て」「仕事」の狭間で、常に社会から「選択」を迫られる女性たちの姿があった。

ディレクター・郡薫子(フジテレビ情報制作センター)コメント
「取材で出会った女性たちは、誰もが私たちの周りにいる、ごくごく普通の母親たちでした。しかし、彼女たちは、出生率が全国最低の「東京」で子供を育てる母親でもあります。彼女たちの日常を追えば、東京の出生率の低さの背景が見えるはず…。母親たちに話を聞くと、待機児童の問題には、保育園不足を加速させるような、親たちの“駆け引き”が潜む一方で、職場には女性たちが「会社の空気を読んで出産時期を決める」という“暗黙のルール”があることもわかりました。そんな中、「彼女たちが、そうまでして働く理由はなんなのか?」という疑問…。
 取材で見えてきたのは、働きながら子育てする女性たちの“ジレンマ”でした。「安心して子供を育てたい」気持ちと「仕事を辞めたくない(辞められない)」という気持ちの両方をかなえることは、女性のわがままなのだろうか…?
 私自身、取材を終えた今も、答えを出せずにいます。彼女たちの声を聞いて一緒に考えていただけたらと思っております」