日々雑感

読んだ本やネット記事の感想、頭に浮かんでは消える物事をつらつら綴りました(本棚7)。

英雄たちの選択「生きた証か 見果てぬ夢か~近代文学の祖 正岡子規の選択~」

2017-09-30 14:37:20 | 小説
 少し前に作家・五木寛之さんの「人はみな大河の一滴」の語りおろしCD集を聴きました。
 その中で正岡子規の『病状六尺』に触れていました。
 病気で体がつらいときも「『病状六尺』を書いていた子規に比べればまだまだマシじゃないかと考えた」というのです。
 子規は脊椎カリエス(結核菌が脊髄を侵した状態)で余命わずかの体。寝たきり生活の中でその心情を素直に文章に表したのが『病状六尺』です。

 録画してあった番組に正岡子規を扱ったものを見つけたので視聴しました。

 子規はその天才的な集中力で、明治時代の文学界を走り抜けた人物です。
 東京大学時代の同期には友人でもある夏目漱石がいます。

 はじめは文章に賭けましたが幸田露伴に批判され一旦は挫折。
 その後新聞社に勤務し俳句欄を担当することになり、俳句の研究に没頭しました。
 そして松尾芭蕉批判(技巧に走るのは陳腐である)で一躍注目を集めました。
 彼は当時無名であった与謝蕪村に魅せられました。
 元々画家である蕪村は、風景を自分の感覚の求めるまま切り取って言葉にします。
 その視点がユニークで、絵の定石から無視されそうなものをいとおしく描写します。

 これこそ子規が求める俳句であり、彼はそれを実践し「自然句」ブームを巻き起こします。
 弟子には高浜虚子がいますね。

 しかし、口語と文語がまだ異なる明治時代に、文章の世界でも口語調を普及させられないだろうかという野望が頭をもたげます。
 そして書いたのが『病状六尺』というわけです。

 彼は34歳の若さで亡くなりますが、彼の遺志を継いだ作家が口語調で小説を書き発表して世間を驚かせました。
 その名は夏目漱石、作品は『吾輩は猫である』です。
 現代に生きる我々が読むとふつうの文章ですが、その“ふつう”の始まりがこの作品だったのです。

 死に至る病と宣告されたとき、①自然句の完成を目指すか、②新しい分野である文章の開拓を目指すか、という問いが番組中にありました。
 その中で司会の磯田氏の「②に決まってるじゃないですか、新しい興味を引くことをやらないと生きていけないでしょう」というコメントが印象に残りました。

■ 英雄たちの選択「生きた証か 見果てぬ夢か~近代文学の祖 正岡子規の選択~



[BSプレミアム]2016年7月21日
【司会】磯田道史,渡邊佐和子,
【出演】ロバート・キャンベル,長谷川櫂,斎藤環,
【語り】松重豊

 もし余命わずかと宣告されたらあなたは何をしますか?
 多くの若者が立身出世を夢見た明治時代。天性の明るさで俳句の近代化に取り組んだのが正岡子規だ。しかし28歳で当時の不治の病を宣告され絶望の底に突き落とされる。自分の余命を何に使うべきか。これまで進めてきた俳句の近代化を完成させ生きた証しを残すか?誰も成し遂げていない「新しい日本語」を作るという見果てぬ夢に挑むか。激痛と不安の中で下された究極の決断は?

漱石「こころ」100年の秘密

2015-12-06 07:04:22 | 小説
 NHKで2014年9月10日に放映された番組です。
 録画したまま長らく放置していたものを、ふと空いた時間に観てみました。
 内容は読者レベルから小説家、漱石研究者、果ては脳科学者までが一堂に会した座談会で、各立場から忌憚のない意見を交わすもの。
 結構スリリングで楽しめました。

<番組内容>(「NHKネットクラブ」より)
夏目漱石の代表作「こころ」は、実は「アブない禁断の書」だった?!「国民文学」の秘められた謎や真の魅力に迫る、ちょっと知的でスリリングな文学エンターテインメント。
<詳細>
文豪・夏目漱石の「こころ」が新聞連載小説として登場して今年でちょうど100年。教科書でもおなじみの「国民文学」だが、し細に読むと実は謎だらけの作品でもある。「ボーイズラブ」「三角関係」「遺書」「自殺」…とまるで「アブない禁断の書」のような小説世界。漱石の狙いはどこにあったのか?なぜ日本人は100年もの間「こころ」を愛読し続けたのか?漱石文学に一家言ある達人たちが集い、スリリングな読書会が開かれる。
出演者ほか
【出演】鈴木杏,小森陽一,中野信子,関川夏央,高橋源一郎



 時代は明治。
 江戸時代の終焉と共に、日本の家制度が崩壊しはじめ、西洋の個人主義や自由主義・資本主義が台頭してきます。
 主人公ほか登場人物達はその時代を象徴するような人々。

 個人は自由になれる、しかしそれに伴い「孤独」がもれなくついてくる。

 このジレンマにどう対処していくべきか?
 100年経っても答えは見つからない。
 現代の私たちも同じ悩みで苦しみ続けている。
 それが「こころ」が小説売り上げランキング1位として読み継がれている理由である、と。

 太宰治の「人間失格」が誰にもある人間の弱みをさらけ出し共感を呼ぶ作品だとすると、
 夏目漱石の「こころ」は誰もが抱える“嫌な、でも向き合わないわけにはいかない自分”を描いているのかもしれない。

 座談会中に出た「日本には“自殺”を食い止める宗教的規範が存在しない」というコメントが妙に心に残りました。

樋口一葉

2013-10-28 06:25:42 | 小説
 樋口一葉は明治時代の女流作家で、近年では5000円札の肖像に採用されたことで話題になりました。
 実は私はまだ一葉の小説を読んだことがありません。
 でも様々な機会に取りあげられ耳にするこの作家は、現代も生き残っている普遍性を有しているのでしょう。
 格調の高い「文語体」にいずれ挑戦してみたいと思います。

 録画しておいた彼女の特集番組を2つ続けて見ました。

恋する一葉~平成の女子大生がたどる明治の青春(NHK-BS)
 第22回ATP賞優秀賞受賞作品。「劇団で樋口一葉を演じることになった2人の女子大生が、その実像をたどるドキュメンタリードラマ。一葉の日記や新発見資料から、夢や恋、仕事に悩みながらのびのびと生きる現代的な一葉の姿が浮かび上がる。


 恋や就職問題が現在進行形の現役女子大生が、封建制度の女性像が色濃く残る明治時代に「職業作家」として自立を目論んだ一葉を等身大の女性として捉えた内容です。
 「自立とはお金を稼いで生活すると云うことだから、原稿料で生活できないなら自立とは云えないのでは?」
 「二人の男性からお金を融通してもらって、しかも肉体関係がなかったのであれば、一葉はなかなかどうしてしたたかな女性だったのではないか?」
 などなど、評論家からは聞こえてこないような新鮮な意見が飛び交いました。
 「たけくらべ」「にごりえ」が出版され話題になり、森鴎外や幸田露伴からもその気品のある文語体の文章を絶賛されました。彼女の自宅は若手の作家が集まるサロンと化しました。
 しかし、一葉は「集まった人たちは、ただ私が女性と云うだけでもてはやしているに過ぎない」と日記に記しています。
 彼女の本当の姿を指摘したのは「あなたの小説は泣きはらして涙が涸れた後の冷笑のようである」(※)と評した斉藤緑雨のみ、と感じていました。
 それにしても、生涯借金に追われた一葉が5000円札の肖像になった皮肉を、彼女自身はどう感じているのだろう。感想を聞きたいものです(笑)。 
※ 「君が作中には、此冷笑(あざわらい)の心みちたりとおもふはいかに。」「されど、世人のいふが如き涙もいかでなからざらん。そは泣きて後の冷笑なれば、正しく涙はみちたるべし。」

樋口一葉物語(BS-TBS)
 24歳という若さで没した日本初の女流職業作家・樋口一葉の短くも熱い生涯を描いたドラマ。
【あらすじ】
 明治19年、伊藤博文が初代の内閣総理大臣になった翌年。14歳のなつ子(後の一葉・内山理名)は、父・則義(野口五郎)と母・多喜(かとうかずこ)、兄・泉太郎(内田朝陽)、妹・くに子(前田亜季)と幸せに暮らしていた。
 ある日なつ子は父の勧めで、女流歌人・中島歌子(余貴美子)が主宰する当代随一の歌塾「萩の舎」に入門する。喜び勇んで通い始めたものの、塾生には華族や政府の高官、著名な学者の令嬢たちが名を連ねており、士族とはいえ下級官吏の娘であるなつ子は肩身の狭い思いをする。
 そんな中、めきめきと頭角を現し、主宰者の歌子や先輩の龍子(尾上紫)からもその才能を認められる。ところがそんな幸せも束の間、樋口家を不幸が襲う。兄の泉太郎が肺を患い24歳の若さで急逝し、その2年後、事業に失敗して莫大な負債を抱えた父も心労がもとで亡くなってしまう。
 残されたなつ子たちは針仕事などの内職をして新しい生活を始めるが、暮らしは貧しく、苦しいものだった。そんな中、小説を書けばお金になることを知ったなつ子は、くに子の口ききで、新聞記者で小説も書いている半井桃水(永井大)に指導を受けることになる。桃水の親切な指導を受けるうち、次第に恋心を抱くようになったなつ子だが…。


 こちらは見どころ満載のドラマ仕立て。
 駆け落ちして東京に出てきた両親と一葉の生い立ちから始まり、一葉と桃水の関係を戸主同士の叶わぬ「純愛」として描き、生活苦と色街界隈に過ごした日々から「たけくらべ」が生まれた背景を探ります。
 ただ、訪問した鴎外が述べたセリフ「涙が涸れた後の冷笑」は齋藤緑雨の言葉として残っているはずだけど・・・。

「1Q84 -BOOK3-」

2010-05-01 07:31:18 | 小説
ご存じ、村上春樹さんのベストセラー小説シリーズ第三作です。

どこへ行くのかわからない、浮遊感のある冒険小説。いや、レイモンド・チャンドラーのハードボイルド的要素もありますね。
設定はSF的にはパラレルワールドということになります。

主人公達はみな自立し、孤立しています。
そういえば、彼の小説群に幸せな家族像というのは見あたりません。
この物語の終盤に「青豆」がつぶやく「ねえ、長いあいだ私は一人ぼっちだった。そしていろんなことに深く傷ついていた。」というセリフに集約されるように。
孤独な登場人物は、少ない仲間と手探りでわずかな絆と未来への光を求めて生きていきます(struggle)。

今を遡ること四半世紀前、大学生の私は春樹さんの小説をむさぼり読みました。
「風邪の歌を聴け」
「1973年のピンボール」
「羊をめぐる冒険」
の三部作は繰り返し読んだものです。

その中で「孤独もそう悪いもんじゃない」と勇気づけられました。

彼の小説は全世界で読まれ、支持されています。
皆、自立を促され、孤立し、孤独な人生を送っているのでしょう。

随所に稀代のストーリーテラーである「ハルキ節」が出てきて旧来のファンにはうれしいところ。
でも、一時読まなくなった原因の「展開のまだるっこさ」の健在(苦笑)です。
初期三部作では言いたいことをシンボリックに凝集した文章や会話が魅力的でしたが、「世界の終わり、ハードボイルド・ワンダーランド」あたりから文章が間延びしてきて魅力半減。
今回も、著者の頭の中にあるイメージを言葉で紐解いていく作業をしているような印象さえあります。
もっと、スピーディーにぐいぐい引き込んで欲しいものです。

と、いろいろ注文を出してしまいましたが・・・読んでいる間、楽しい時間を過ごせました。
物語のエンディングは「BOOK4」への予感を残してます。次作も待ってますよ、春樹さん。

「1Q84」

2009-06-14 15:21:14 | 小説
村上春樹著、2009年5月発行。

ご存じハルキさん久々の書き下ろし長編小説です。
私は40代半ばのおじさんですが、今を去ること四半世紀前の学生時代には村上春樹の小説にはまっていた1人です。
特に初期三部作である「風の歌を聴け」「1973年のピンボール」「羊をめぐる冒険」は繰り返し読みました。

その後しばらく、本は買うものの読まずに放置し本棚のインテリアと化していました。
初期作品は言いたいことをギュッと凝縮して生まれた作品という印象を持っていましたが、あるとき言いたいことを引き延ばして書いていると感じ始め、魅力を失ったのかもしれません。

でも、何故か今回は発売と同時に購入して夜ごとページをめくりました。
わくわくしながら読み進めました。
そこには昔と変わらぬスタイルの文章が並んでいて懐かしささえ感じました。
特に「羊をめぐる冒険」を読んだときと同じような気持ちになりました。

主人公とそれを取り巻く人たちに共通するのは「孤独」「自己完結」。
幸せとは言えない家庭を背負って幼少時を生きてきた人間はある限定した範囲内での幸せしか享受できず、次世代に幸せを渡すことは出来ない。どこでそれに妥協するか手探りする人生。

昔から彼の小説はこの空気が通奏低音となっています。

主人公が袂を分かって久しい年老いた父親と会話する場面があります。
「僕は自分を愛せない。人を愛せないから自分を愛せない。」
いやいやハルキさん、それは逆ですよ。
「自分が愛されてこなかったから自分を愛せない、そして他人も愛せない。」
のです。

彼の小説が万人受けするのは不思議です。
今となってはノーベル賞候補にもなるくらいだから、世界中の人たちに受け入れられていることになりますね。
前述したように孤独を背負って生きていく人々が世界中にたくさんいることの証明かもしれません。

ハルキさんは一流のストーリー・テラーです。
山下達郎が「40歳過ぎた人たちが聞けるポップスを造りたい。」と言ったように、
ハルキさんは「40歳過ぎた人たちが夢中になれる物語を書きたい」のでしょう。
実際この小説も、体の衰えを感じ、性行為にも少し距離を置いて見ることが出来るようになる40歳代で初めて良さがわかると思います。
20代の若者が読んでも今ひとつピンと来ないのではないでしょうか。