日々雑感

読んだ本やネット記事の感想、頭に浮かんでは消える物事をつらつら綴りました(本棚7)。

「コーヒーに憑かれた男たち」

2010-07-29 06:44:25 | コーヒー
嶋中 労 著、中央公論社、2005年発行。

自家焙煎で名を挙げ、カリスマ性を獲得したコーヒー屋には『御三家』と呼ばれる3人がいるそうです。私はおいしいコーヒーに興味はあるものの、喫茶店巡りはしたことがありませんので、これらの有名人は知りませんでした。著者による簡単な紹介を記します;

■ 関口一郎(銀座「カフェ・ド・ランブル」店主)
 卒寿(90歳)を迎え、なおかくしゃくたる現役。自家焙煎コーヒーを目指す者なら一度は教えを請うべく訪れる店で、かつて”ランブル詣で”という言葉さえ生まれたことがある。関口はコーヒーの生豆を10年以上寝かせた玉露のようなコーヒー、すなわちオールドコーヒーを売り物にし世に言う「オールド派」の旗頭と目されている。

■ 田口 護(南千住「カフェ・バッハ」店主)
 コーヒー業界きっての理論家で、自家焙煎コーヒーを世に広めた最大功労者の一人。徹底した合理主義者で、職人達が好んで使う「秘伝」だの「勘の世界」だの「奥が深い」といった曖昧な言葉を好まない。田口にとって職人的な勘の世界は「親の仇」も同然で、「ものづくりに求められるのは冷徹な実証性と論理性であって、それらを欠いた思わせぶりな神秘主義など何の役にも立たない」と容赦なく切り捨てる。

■ 標 交紀(吉祥寺「モカ」店主)
 自らを「コーヒー馬鹿」と称する。標には神経衰弱になりかねないほど一途に思い詰めてしまう性癖がある。コーヒーに生き甲斐の全てを捧げてしまうあまり「狐憑き」という言葉の、純粋な意味におけるトランス状態に最も近いところにいる男と云っていい。「コーヒーの出来不出来は1℃の温度差、0.5秒のタイミングで決まる。」と言い切る。

 コーヒー談義が始まると思いきや、この3人の半生が延々と述べられており、著者の思わせぶりの二流の文章と相まって「読んで失敗した」と前半は思いました。しかし、後半の「オールドコーヒー」を扱ったところから面白くなり、最後に標が店をたたんでしまうところに及んでは彼の「求道者」性に感じ入りました。
 途中、永井荷風や土門拳、白洲正子他、有名人との交流のエピソードも興味深かったです。

 一番印象に残ったのは「コーヒー道はワイン道に通じるモノがある。」ということ。

 コーヒーの最高峰とされる「ブルーマウンテン(略してブルマン)」。
 ブルマンが美味しいとされるのは、栽培されている地区に霧が発生しやすく、昼夜の寒暖差が烈しいためとされている。寒暖差があると、コーヒー豆は膨張と収縮を繰り返しながら実を凝縮させていく。ワイン用のブドウと全く同じである。高級ワインを産するところは、その多くが寒暖差の烈しい荒れ地のようなところで、しばしば霧も発生する。土地が肥沃で温暖な気候の下に育ったブドウは凡酒にしかならないが、厳しい環境の下で育成すると、コーヒーもワインも複雑精妙な味を作り出すのである。
 コーヒー豆の中にはエイジングに向く豆、向かない豆がある。向く豆というのは、荒馬のようにカドのある豆で、深く煎っても酸味がしぶとく残っているようなクセのある豆がいい(・・・ワインのタンニンに言い換えられますね)。


 以下に気になった箇所をメモしておきます;

■ 永井荷風、コーヒーを飲む
 大正~昭和初期の作家である永井は女中がいる「カフェ」通いが専門だったが、コーヒーを飲ませる「カフェー」にも足を伸ばした。関口のいる「カフェ・ド・ランブル」(記録には「ロンブル」)にも来店したらしい。しかし荷風はコーヒーに山盛り5杯くらいの砂糖を入れたと云うから、コーヒー・インテリとしては下の部だったと評されている。

■ コーヒーの値段
 『カフェ・ド・ランブル』が銀座に開業したのは昭和23年。1杯100円だった。当時の銀行員の初任給が500円の時代に、である。

■ コーヒーの賞味期限
 煎ったコーヒーの賞味期限は、どう頑張っても10日が限度で、これを過ぎると冷凍にでもしない限り急速に酸敗する。野菜が日が経つにつれてしなびてくるように、コーヒーだってしなびてくる。どうしなびてくるのかというと、コーヒーの粉に湯を注いでも、いっかな膨らんでくれないのである(・・・私も日々実感していることです。購入した焙煎したばかりの豆を挽いてお湯を注いだときのふくらみとふくよかな香り・・・極楽です)。

■ コーヒー関係の日本人の発明
・インスタントコーヒー(カトウサトル):1901年、シカゴに住む日本人科学者カトウサトルがニューヨーク州で開催された博覧会に出品し、高評を得た。しかし、特許を取らなかったので、5年後にG・ワシントンという人物に取得されてしまい、歴史に名前を残せなかった。
・缶コーヒー(UCC上島珈琲):大阪万博に出品。
・アイスコーヒー(発明者不詳):昭和初期の日本にお目見えした。

■ ランブル店主、関口氏のコーヒーの淹れ方(辻嘉一『味覚三昧』より)
《「コーヒーは漉すものであり、煮るものでなし」と言いたげな風情で、挽き立てのコーヒーをフランネルの大振りの漉し袋に入れ、琺瑯製のポットの細口からポトリッと粉の真ん中に落ち、滴々と間をおきながら渦状に垂らしてゆく。四十秒ほどで粉の全体にお湯が染みわたると、今度はすうっと白糸のように流れが「の」の字を書きつづけると、命のあるモノのように、ぐ、ぐっと倍量近くにもふくれあがるのであって、いらゆる手作りの旨さ、といったおいしさがたのしめるのであります》

■ コーヒーの味、世界の潮流
 コーヒーのクォリティの評価基準は、スペシャルティ・コーヒーという高品質コーヒーの品質基準をベースにしている。その基準を大まかに云ってしまえば、「豊かな香り」「豊かな酸味」「豊かなボディ」があるかないかに尽きる。
 つまり世界のコーヒーの流れは、香り豊かで、ボディのしっかりしたニュークロップ(当年物)を使い、ガツンとした刺激のあるコーヒーを好む傾向にある、ということになる。

■ オールドコーヒーの魅力
 新豆が香り重視なら、枯れ豆は甘みとコク重視だ。オールドクロップはトロリとしたなめらかな味わいを身上としている。
 日本には世界の本流とは別種の、マニアだけにひそかに愛されるコーヒーの文化がある。それがオールドコーヒーだ。詫び錆びた風趣を感じさせる渋好みのコーヒー。幽玄な肌合いを感じさせるコーヒーと云って良い。このオールドコーヒーをもってランブルは日本有数のコーヒー店にのし上がった。
 「欧米は<香り>ばかり説き、日本は<味>ばかり説いている。」と指摘する専門家もいる。

■ 「昔のコーヒーは良かった・・・」
 ランブルの関口さんの口癖。こうつぶやくと中年扱いされますが、根拠があります。
 昭和45年頃までは良質で個性的な豆が出回っていた。多くはティピカ種の完熟豆で、天日乾燥されたものだった。収穫もほとんど手作業で手間暇かけてていねいに造ったコーヒーだった。機械を入れると青い未成熟豆まで採ってしまう。コーヒーに未成熟豆が一粒でも混じると、生臭く、吐き気を催すような嫌な味になる。
 現在のコロンビアの主力品種であるヴァリエダ・コロンビア種は1/4だけロブスタの血を受け継いでいる。つまりロブスタと交配したハイブリッド種で、耐病性に優れた多産型というところに特徴がある。惜しむらくはティピカやブルボンなど”昔のコーヒー”に比べ、香味が格段に劣る。

■ コーヒーの種類;アラビカ種とロブスタ種
・アラビカ種:
 香味に優れ、ストレートで飲める唯一の品種。ただし乾燥や霜、病虫害に弱く、とりわけコーヒーの点滴であるサビ病に弱いため、各国で盛んに品種改良が行われてきた。
・ロブスタ種:
 味・香り共に劣り、独特の異臭を放つので、ストレートで飲むには不向きで、主にインスタントコーヒーの増量材や缶コーヒーとして使われている。長所は値段が安いことと、サビ病に強く、気候や産地を選ばないこと。味は劣るが病気や寒さにはめっぽう強い種だ。

■ コーヒーをストレートで、ブラックで飲むのは日本人だけ?
 とは『カフェバッハ』の田口氏の弁。
 「コーヒーを産地別に単一の味で楽しむ文化は、おそらく日本独特のものじゃないかしら。欧米では明らかにブレンドが中心で、日本のようにストレートでコーヒーを味わい分けるという習慣がそもそも無い。それにブラックで賞味するという習慣もない。コーヒーはミルクと砂糖を入れて飲むのが欧米流。」



・・・続きは後ほど・・・