日々雑感

読んだ本やネット記事の感想、頭に浮かんでは消える物事をつらつら綴りました(本棚7)。

「生き残り」ではなく「死に損ない」

2018-03-14 07:22:05 | エッセイ
 「陰に光を当てる作家」という表現が似合う五木寛之さんに惹かれます。
 熱中世代・大人のランキング(BS朝日)に五木寛之が登場しました(2018.3.10)。

 彼の原点は、平壌で迎えた終戦。
 当時日本が占領し、日本人もたくさん住んでいた。
 政府は「危険はない、そこに留まるように」と嘘をつき、しかし軍上層部はさっさと内地(日本)へ逃げて民間人は置き去りにされた。
 国とは都合が悪くなると嘘をつき保身に走り市民は犠牲になるのが世の常である。

 無防備の状態となった平壌にソ連軍(先発隊は丸刈り&タトゥーだらけの囚人部隊)が進軍してきて、男は殺され、女はレイプされた。
 しかし彼らが兵舎に帰るときに歌を歌いながら歩いているのを偶然みかけた。
 そのハーモニーが天井の音楽のように美しい。
 悪行の限りを尽くす姿と美しい歌声のギャップが埋まらない。
 ロシア人とはどんな人々なんだろうか?
 彼は帰国した後、その疑問を解くべく大学へ進んでロシア文学を専攻した。


 戦争が終わり、帰国した兵士たちが口にした言葉を私は忘れられません。
 「わたしは“生き残り”ではない、“死に損ない”だ。仲間の兵士に申し訳ない」
 同じ言葉が引き揚げ者である五木さんの口からも漏れたことに驚きました。

 敗戦後の戦地では「お先にどうぞ」という人は生き残れない。
 他人を押しのけてでも生き抜く覚悟があるものだけが生き残る。
 だから、引き揚げ者は皆、後ろめたい気持ちを抱いている。

 五木氏は50歳の時に重度の鬱病にかかり、数年間休筆した。
 その間、龍谷大学で仏教を学んだ。
 そこで親鸞の思想に出会った。
 親鸞は平安時代末期に活動した僧侶で、当時の日本は血で血を洗う戦いに明け暮れ、現世での幸福など望むべくもなく、自分の行いを振り返っても極楽へいけるはずがない、という「生きるも地獄、死ぬも地獄」というすさんだ時代だった。
 親鸞は「悪人正機」を唱え、「悪人こそ救われるべきである、さあお経を唱えよう」と説いたのであった。

 そのシチュエーションに五木氏は自分がぴったりはまるように感じた。
 正しいことを奨励するだけでは宗教とはいえない。
 罪の意識を抱えながら生き続けなくてはいけない人々を救うのが宗教である。
 彼はのちに「親鸞」という小説を完成させたのであった。



番組内容
 1932年、福岡生まれ。33歳の時に「さらばモスクワ愚連隊」で作家デビュー。翌年には「蒼ざめた馬を見よ」で直木賞を受賞。「青春の門」「親鸞」などベストセラーを次々に生み出し活躍を続ける。その半生は激動の時代と共にあった。12歳の時、朝鮮半島で終戦を迎え、その後極限状態での引き揚げを経験した。これまでほとんどメディアで語ることのなかった、五木さんにとっての戦争と今とは。そして半世紀を超えた作家生活の中での2度の休筆。ベストセラー作家が自ら抱えた複雑な思いを聞きます。
そして85歳の今、五木さんが提案する豊かな人生の生き方とは。

「青春の門」23年ぶりに連載再開
 1969年に週刊誌で連載を開始した「青春の門」。8部16冊に及ぶ作品は、シリーズ累計発行部数2200万部を超える大ベストセラーとなった。2017年には23年の時を経て連載を開始した。なぜ今連載再開したのか…、そして85歳で描く20代の主人公とは…。五木さんにとって「青春の門」とはどのような存在なのかに迫る。

朝鮮半島で迎えた終戦 引き揚げの記憶
 両親とも教師だった家に生まれた五木さん。生後三か月で両親と共に朝鮮半島に渡る。子供の頃は深夜に図書館に忍び込んで本を読むほど読書に夢中だった。そんな五木さんが終戦を迎えたのは中学1年生の時、場所は平壌だった。瞬く間にソ連軍の侵攻に合い、生活の場を奪われた。命からがら日本へ引き揚げた五木さんが今なお残る戦争の記憶を語った。

華やかな作家人生も 2度の休筆
 33歳で作家デビューを果たし、小説現代新人賞を受賞。その翌年2作目の「蒼ざめた馬を見よ」では直木賞受賞した。以降生み出す作品は次々とベストセラーに。そんな五木さんだが、40歳頃と50歳頃の2度休筆した時期があった。人気作家が書くことをやめた背景にはどのような思いがあったのか、またその時に出会った宗教人「親鸞」について聞いた。

豊かな人生後半の生き方とは…
 2017年に発表したエッセー「孤独のすすめ」。人生後半の生き方を伝えているこの本は、発行部数30万部を超えるベストセラーとなっている。そんな作品の題材となった「孤独について」街の人はどのように考えているのか、聞いた。その答えは実に様々なもので五木さんも思わず感嘆の声を上げた。五木さんが思う「孤独」とはどのようなものなのか、またすすめるというその裏側の気持ちに迫る。

五木さんの生活信条とは
 「髪を年に4回しか洗わない」「大学生以降病院には行ったことがない」という都市伝説のような噂を持つ五木さん。長年の疑問を鴻上進藤がぶつけたが、その答えにスタジオ中驚きの声が上がった。五木さんの持つ独自の生活信条、人生哲学の一端が垣間見える。


※作家・五木寛之
1932年福岡県生まれ、生後間もなく朝鮮に渡り、47年に引き揚げる。
52年早稲田大学露文科入学。57年中退後、PR誌編集者、作詞家、ルポライターなどを経て、66年『さらばモスクワ愚連隊』で小説現代新人賞、67年『蒼ざめた馬を見よ』で直木賞、76年『青春の門 筑豊編』ほかで吉川英治文学賞を受賞。また英文版『TARIKI』は2001年度「BOOK OF THE YEAR」(スピリチュアル部門)に選ばれた。02年に菊池寛賞を受賞。10年に刊行された『親鸞』で毎日出版文化賞を受賞。
著書に『蓮如』『大河の一滴』『林住期』など多数。独自の批評、評論活動でも知られ、エッセイ集『風に吹かれて』は総計460万部のロングセラーになっている。
現在、泉鏡花文学賞、吉川英治文学賞などの選考委員をつとめる。

三木清の「人生論ノート」

2017-12-25 07:45:11 | エッセイ
 NHK・(2017年4月)は三木清の「人生論ノート」でした。

 “人生論”というと、お堅い学者の説教、というイメージがなきにしもあらずで、敬遠しがちです。
 しかし三木清のそれは、私の心に響いてきました。
 時代背景から、言葉は回りくどく難解に見えますが、それをこの番組が紐解いてくれました。

 彼の思想をひと言で表現するとすれば「己を極めよ」ということでしょうか。

 中でも「孤独を否定しない」考えには大いに頷き、私自身が一匹狼的で“孤独”な理由が理解できたような気がしました。

 孤独は他人との間に生まれる。
 孤独は集団の中で生まれる。
 孤独でいることは、大衆に迎合しない強さを条件とする。他人と違う意見を持ち、それを表現する勇気が必要である。
 孤独は感情ではない、知性である。知性は扇動されないが、感情は扇動される。


 時代は第二次世界大戦前、国民が感情を扇動されて戦争に突入していく様子を暗に非難しているわけです。

 でもこの考え方は現在でも通じます。

 2017年12月現在、日本相撲界では日馬富士の傷害事件で蜂の巣をつついたような騒ぎが続いています。
 ふつう、スポーツ界で暴行事件が発生すれば、そのトップが責任を取って辞任するのが当たり前ですが、なぜか八角理事長は数ヶ月の減給のみで地位にとどまり、なぜか被害者側である貴乃花親方が「報告した・しない」「相撲協会に協力した・しない」で降格処分という重い処分を受けることになりました。

 え?だって傷害事件でしょう。刑事事件になる可能性もあり、警察に任せるべきでは?

 これは私には「現行相撲協会は指導に伴う暴力を是認し、それを改革しようとうるさく動き回る貴乃花親方を消し去りたい」としか思えません。
 
 貴乃花親方は真面目すぎる・堅すぎる嫌いはありますが、集団の中でも流されずに自分を主張する強さに共感しています。

 皆さんはどう感じているのでしょう。

■ 三木清の「人生論ノート」
100分de名著64
 「人生論ノート」という一風変わったタイトルの本があります。1937年に冒頭の一章が発表されて以来、80年近くもロングセラーを続ける名著です。「怒」「孤独」「嫉妬」「成功」など私たち誰もがつきあたる問題に、哲学的な視点から光を当てて書かれたエッセイですが、その表題に比べて内容は難解です。書いたのは、西田幾多郎、和辻哲郎らとも並び称される日本を代表する哲学者、三木 清(1897- 1945)。今年生誕120年を迎える三木は、治安維持法で検挙され、獄死した抵抗の思想家でもあります。
 三木はこの本で一つの「幸福論」を提示しようとしていました。同時代の哲学や倫理学が、人間にとって最も重要な「幸福」をテーマに全く掲げないことを鋭く批判。「幸福」と「成功」とを比較して、量的に計量できるのが「成功」であるのに対して、決して量には還元できない、質的なものとして「幸福」をとらえます。いわく「幸福の問題は主知主義にとって最大の支柱である」「幸福を武器として闘うもののみが斃れてもなお幸福である」。幸福の本質をつこうとした表現ですが、どこか晦渋でわかりにくい表現です。
 こうした晦渋な表現をとったのには理由があります。戦争の影が日に日に色濃くなっていく1930年代。国家総動員法が制定され、個人が幸福を追求するといった行為について大っぴらには語れない重苦しい雰囲気が満ちていました。普通に表現しても検閲されて世に出すことができなくなると考えた三木は、哲学用語を駆使して表現を工夫し、伝わる人にはきちんと伝わるように言葉を磨き上げていったのです。
 哲学者の岸見一郎さんは、「人生論ノート」を、経済的な豊かさや社会的な成功のみが幸福とみなされがちな今だからこそ、読み返されるべき本だといいます。一見難解でとっつきにくいが、さまざまな補助線を引きながら読み解いていくと、現代を生きる私たちに意外なほど近づいてくる本だともいいます。
 厳しい競争社会、経済至上主義の風潮の中で、気がつけば、身も心も何かに追われ、自分自身を見失いがちな現代。「人生論ノート」を通して、「幸福とは何か」「孤独とは何か」「死とは何か」といった普遍的なテーマをもう一度見つめ直し、人生をより豊かに生きる方法を学んでいきます。




第1回:真の幸福とは何か
三木清は「幸福」という概念を考え抜いた。幸福を量的なものではなく、質的で人格的なものであるととらえなおす三木の洞察からは、経済的な豊かさや社会的な成功のみが幸福なのではないというメッセージが伝わってくる。そして、真の幸福をつかんだときに、人間は全くぶれることがなくなるということもわかってくる。第一回は、三木清がとらえなおそうとした「幸福」の深い意味に迫っていく。

第2回:自分を苦しめるもの
「怒」「虚栄心」「嫉妬心」。誰もがふとした瞬間に陥ってしまうマイナスの感情は、暴走を始めると、自分自身を滅ぼしてしまうほどに大きくなってしまう。これらの感情をうまくコントロールするにはどうしたらよいのか? 三木が提示する方法は「それぞれが何かを創造し自信をもつこと」。たとえば「虚栄心」には「自分をより以上に高めたい」といった肯定的な面も潜んでいる。「何事かを成し遂げよう」という創造性が、こうした肯定面を育てていくのだ。第二回は、自分自身を傷つけてしまうマイナスの感情と上手につきあい、コントロールしていく方法を学んでいく。

第3回:「孤独」や「虚無」と向き合う
三木清は、哲学者ならではの視点から人間が置かれた条件を厳しく見定める。そして人間の条件の一つを「虚無」だと喝破する。だがこれは厭世主義ではない。人間の条件が「虚無」だからこそ我々は様々な形で人生を形成できるというのだ。また、一人だから孤独なのではなく、周囲に大勢の人がいるからこそ「孤独」が生まれると説く。そして、その「孤独」こそが「内面の独立」を守る術だという。第三回は、人間の条件である「虚無」や「孤独」との本当のつきあい方に迫る。

第4回:「死」を見つめて生きる
「人生論ノート」の冒頭で、三木は「近頃死が恐ろしくなくなった」と語る。人間誰もが恐れる「死」がなぜ恐ろしくないのか? 死は経験することができないものである以上、我々は死について何も知らない。つまり、死への恐怖とは、知らないことについての恐怖であり、死が恐れるべきものなのか、そうではないのかすら我々は知ることができないのだ。そうとらえなおしたとき、「死」のもつ全く新しい意味が立ち現れてくる。第四回は、さまざまな視点から「死」という概念に光を当てることで、「死とは何か」を深く問い直していく。

<プロデューサーAの“こぼれ話”>
三木清が遺したもの
三木清「人生論」、実はこの番組のプロデューサーに就任してからずっと取り上げてみたかった本でした。大学時代に、全体はよく理解できないながらも、「幸福」について洞察するいくつかの文章が心に突き刺さった経験があり、いつか深く読み解いてみたいと思っていました。しかし、長らく、「これは!」という論者がみつかりませんでした。もちろん専門家による三木清についての優れた研究書はいろいろあるのですが、意外にも「人生論ノート」にスポットが当たったものは少なかったのです。

心の中で温め続けていたある日のこと。意外なところから道が開けました。アドラー「人生の意味の心理学」の解説を岸見一郎さんにお願いしたとき、書棚に三木清の全集があるのを見つけて、小さく「あっ!」と声を出して驚いたのを今でもよく覚えています。「アドラーの研究者である岸見さんが三木清を?」と一瞬意外な印象をもちましたが、一方でギリシャ哲学の研究者でもある岸見さんならば、もちろん読み込んでいてもおかしくないだろうと思いなおし、番組終了後にお話をお聞きしてみました。すると、なんと「人生論ノート」は、若き日に哲学を学び始める原点の一つにとなった名著だというのです。

三木清の難解な文章に見事な補助線を入れつつ、現代の私たちに近づけて解釈してくれる岸見さんの解説を聞き、これは講師をお願いするしかないと考えて、折に触れ打ち合せを続けてきました。ときあたかも、アメリカにトランプ政権が誕生し、フランスでは大統領候補としてマリーヌ・ルペン氏が大いに注目を集め始めていた時期。世界各国で排外主義的な思潮が猛威をふるいはじめていました。また、国内でも、少しでも政府に対して批判的な態度を示すと、「非国民」「反日」といったレッテルをはられて攻撃されてしまうような風潮が、ネット上を中心にたちこめていました。

岸見さんと三木清について話すたびに、「今の時代は、三木が生きた時代にとても似てきているかもしれない」という感慨が深まっていきました。とともに、「三木が、戦前の厳しい時代に、言葉を通してどう現実と闘っていたのか」を見極めていく作業は、今、この時代だからこそ、とても意義深いことではないかという思いも強くなっていきました。そして実際、番組をご覧いただいてもおわかりの通り、三木の言葉は、まるでこうなることを予言していたかのように、今の世の中の状況を鋭く抉り出してします。

晩年の三木清は、言論の自由も奪われ、特高警察にマークされていた昔の友人を一晩泊め外套を貸し与えたというだけで検挙され、最終的には、戦争が終結した後にもかかわらず、釈放されることなく獄死します。GHQが「人権指令」によって治安維持法を廃止したのは、一説によれば、この三木の獄死に衝撃を受けたからだともいわれています。

犯罪とは無関係の一市民が、法律の拡大解釈で投獄され、殺される。こうしたことは二度とあってはなりません。三木の死を単なる過去の出来事としてかたづけてしまうことなく、貴重な教訓として、現代の制度設計の議論に徹底して生かしぬいてほしいと思います。

「感情を煽ることは容易だが、知性を煽ることはできない」。岸見さんは三木の知性に対する考えを一言に凝縮してこう表現してくれました。私たちは、ともすると、周囲の空気に流されてしまい、自分で考えることをやめてしまいがちです。三木は、こうした状況を「精神のオートマティズム」と名づけて鋭く批判しました。三木が訴え続けた、「知性」、そして「考え続けること」の大切さを胸に刻みながら、「偽善者」たちに煽られることなく、「孤の独立」を守り抜いていくこと。それこそが、三木の遺してくれたものを生かす道だと思います。


バートランド・ラッセルの「幸福論」

2017-12-25 07:28:24 | エッセイ
 NHK・100分de名著70(2017年11月)は、バートランド・ラッセルの「幸福論」。

 興味があり視聴したところ・・・あまり得るところがありませんでした。
 何となく「ストレスを回避するために発想転換で自分をだますスキル」に尽きてしまうような印象を受けました。
 現在、精神疾患の補助治療として普及している「認知行動療法」の流れですね。

 その発想とは、「目の前のことにとらわれるな、宇宙という視点から見れば、ごくごく些細なこと」。

■ バートランド・ラッセルの「幸福論」
100分de名著70
 バートランド・ラッセルの「幸福論」。アランやヒルティの「幸福論」と並んで、三大幸福論と称され、世界的に有名な名著です。この名著を記したラッセルは、イギリスの哲学者でノーベル文学賞受賞者。核廃絶を訴えた「ラッセル=アインシュタイン宣言」で知られる平和活動家でもあります。そんな彼が58歳のときに書いたのがこの「幸福論」です。
 なぜラッセルはこの本を書いたのでしょうか? 平和活動に邁進したため、ケンブリッジ大学を追われ6ヶ月も投獄された経験をもつラッセルですが、それでも決してゆるがない幸福があるというのが彼の信念でした。思春期には、自殺すら考えたこともあるラッセル。しかし、そんな彼を思いとどまらせたのは、「知へのあくなき情熱」と「自分にとらわれないこと」でした。それは、その後の人生を生きる上での原点であり、どんな苦境にも負けない支えとなりました。
 専門領域で、数理哲学を大成した書といわれる「プリンキピア・マセマティカ」を書き上げ、一つの仕事を成し遂げたと考えた彼は、今後は、後世の人々のために「人生いかにいくべきか」「幸福になるにはどうしたらよいか」といった誰もがぶつかる問題を、自らの原点を踏まえて考究し書き残そうとしたのです。
 ラッセルの「幸福論」のキーワードは「外界への興味」と「バランス感覚」。人はどんなときにでも、この二つを忘れず実践すれば、悠々と人生を歩んでいけるといいます。そして、それらを実践するために必要な思考法や物事の見方などを、具体例を通して細やかに指南してくれるのです。まさに、この本は、人生の達人たるラッセルの智慧の宝庫といえるでしょう。
 番組では、指南役に、市井の中で哲学することを薦める哲学者・小川仁志さんを招き、ラッセル「幸福論」に秘められたさまざまな智慧を読み解いていきます。

第1回:自分を不幸にする原因
ラッセルは、「幸福論」を説き起こすにあたり、「人々を不幸にする原因」の分析から始める。その最たるものはネガティブな「自己没頭」。それには、罪の意識にとりつかれ自分を責め続ける「罪びと」、自分のことを愛しすぎて他者から相手にされなくなる「ナルシスト」、野望が巨大すぎるが故に決して満足を得ることができない「誇大妄想狂」の3つのタイプがある。いずれも自分自身にとらわれすぎることが不幸の原因であり、ラッセルは、自分自身への関心を薄め、外界への興味を増進していくことを薦める。第一回は、ラッセル自身の人生の歩みを紹介しながら、人々を不幸にしてしまう原因を明らかにしていく。

第2回:思考をコントロールせよ
不幸を避け幸福を招き寄せるには「思考のコントロール」が最適であると考えるラッセルは、その訓練法を具体的に伝授する。「悩みを宇宙規模で考える」「無意識へ働きかける」「退屈に耐える」「比較をやめる」……誰もが一歩ずつ踏み出せるちょっとした実践の積み重ねが深刻な悩みの解消へとつながっていくというのだ。第二回は、不幸に傾きがちなベクトルをプラスに転換する「思考のコントロール方法」を学ぶ。

第3回:バランスこそ幸福の条件
人は何かにつけ一方向に偏りがち。それが幸福になることを妨げているというラッセルは、絶妙なバランスのとり方を提案する。たとえば「努力とあきらめ」。避けられない不幸に時間と感情をつぎこんでも意味はない。潔くあきらめ、その力を可能なことに振り向けることで人生はよりよく進むという。また、趣味などの「二次的な興味」を豊かにしておくと、もっと真剣な関心事がもたらす緊張をときほぐす絶好のバランサーになるという。第三回は、極端に走りがちな人間の傾向性にブレーキをかける、ラッセル流のバランス感覚を学んでいく。

第4回:他者と関わり、世界とつながれ!
「幸福な人とは、客観的な生き方をし、自由な愛情と広い興味をもっている人」と結論づけるラッセル。客観的な生き方とは、自我と社会が客観的な関心や愛情によって結合されている生き方であり、「自由な愛情と広い興味をもつ」とは、自分の殻に閉じこもるのではなく、外に向けて人や物に興味を広げている状態のことだという。真の幸福は他者や社会とつながることによってもたらされるのだ。第四回は、ラッセルのその後の平和活動にもつながる、自我と社会との統合を理想とした、独自の幸福観を明らかにしていく。

<プロデューサーAの“こぼれ話”>
哲学を机上から解き放つ

 哲学者・小川仁志さんとの出会いは、同じく哲学者の萱野稔人さんとの対談本「闘うための哲学書」を読んだことでした。カント「永遠平和のために」を番組で取り上げるための参考にしようと思って読んだのですが、カントの解釈については、萱野さんの考え方に共感し、講師に抜擢したのでした。
 ただ、立場は異なるとはいえ、小川さんがエネルギッシュに議論を続ける姿にとても興味を持ちました。小川さんの議論は、哲学を単なる訓詁注釈の対象にするのではなく、現実の問題を分析し、解決するヒントにしようという姿勢に貫かれていました。
 興味につられ、最初に手にとった小川さんの著作が「市役所の小川さん、哲学者になる 転身力」。読んでみて驚きました。「エリート街道まっしぐら」からの挫折。ひきこもり体験。どん底から立ち上がるために手にした「杖」が哲学だったこと。「絶えず外に向けて関心を持ち続け幸福を目指していく姿勢」。どこかで読んだことがあるなと考え続け、はたと思い当たったのがラッセル「幸福論」でした。
 果たして、直観は当たっていました。ちょうど一年前、取材で山口大学を訪ねたときのこと。解説してもらう候補の一冊としてラッセル「幸福論」の内容をまとめたレジュメをお見せして説明をしていると、「今、思うと、ぼくは、ラッセルの『幸福論』をそのまま実践していたのかもしれませんね」と、ぽろりとおっしゃったのです。
 この言葉に心を強くしました。小川さんに解説してもらえたら、単に机上の学問ではなく、「生きた知恵」としての哲学を伝えることができるのでは、と確信したのです。まさに、番組の中でも、小川さんは自らが生きてきた足跡を随所の交えながら、ラッセルの考え方をわかりやすく伝えてくださいました。実際の人生体験に裏打ちされているがゆえに、とても説得力のある内容になったのではないかと思っています。
 「行動する哲学者」を標榜する小川さんですが、その姿はラッセルと重なります。小川さんは、哲学研究をするだけではなく、その知識を生かして、山口の街づくりに取り組んだり、市民とともに哲学について語らう「哲学カフェ」を主宰するなど、八面六臂の活躍をされています。番組の打ち合わせ中に、ふと「哲学カフェってどんな雰囲気ですか?」とお尋ねすると、「ちょうど今やっているように、縦横無尽に素朴な質問が飛び交う…こんな感じが哲学カフェなんですよ」と笑っている姿が印象的でした。みなさんも、番組を通じて「哲学カフェ」の雰囲気を感じていただけるとうれしいです。


 こんな考え方はいかがでしょう?

 現代社会では、人類(男女)平等、人間に優劣を付けることは隠蔽され、小学校の運動会の徒競走では順位がつかないところもあると聞きます。
 しかし、私もあなたも、この世に生を受けた時点で既に競争社会の勝者なのです。
 一回の射精では約1億の精子が放出されます。
 そのうち卵子に侵入できるのは1つだけ。
 つまり、1億の仲間の死の上に、あなたの生は成り立っているのです。
 
 「死んだら消えていなくなりたいから、私は臓器提供をしない」という意見。
 いえいえ、死んでもなくなることは不可能です。
 なぜって、体が焼かれて灰になっても、物質が形を変えるだけで、この地球上から元素はなくならないからです。
 逆に言うと、現在生きているこの体も、先祖からの遺伝子は特異的ですが、自然界の動植物からエネルギーを取り込んで生きていますから、自然界と有機的に結びついています。
 「では宇宙に散骨すれば地球上から消えることができる」という意見もあるでしょう。
 でも、宇宙から消えることはできませんね。

五木寛之「人はみな大河の一滴」

2017-09-30 14:59:05 | エッセイ
 人気作家によるエッセイの語りおろしCD集を聴きました。



 五木氏は「闇を見つめる作家」だと思います。

 日の当たらない人々や歴史に向けたまなざしは、私の波長とよく合うのです。 
 放浪の旅に明け暮れた若かりし頃の作品も好きですし、
 民俗学的な視点を持ったエッセイ集も好きです。

 CD集を一通り聴き終えて、彼の原点は戦争の引き揚げ体験であることがわかりました。

 優秀な人材もあっという間にいのちを奪われてしまう戦争。
 彼の父は平壌で師範学校の教師をしていました。
 戦争に負け、朝鮮半島から日本へ撤退・帰国する際に、ロシアによる略奪や非人道的行為を目の当たりにしました。

 デカルトの「われ思う、故にわれあり」という文言は有名ですが、実はそれ以前に某宗教家の「われあり、故にわれ思う」という文言があったそうです。
 五木氏は某宗教家の文言の方に惹かれるというのです。
 人生で何か成し遂げて初めていのちに意味があるのではなく、命があること自体が尊いのではないか。
 そうでなければ、戦争で若くして散っていったたくさんのいのちが救われない。

 戦後、日本人は努力し前へ進むことを善とし、立ち止まり後ろ向きになることを悪とする傾向がありました。
 ポジティブ思考を良しとし、ネガティブ思考を「根暗」とからかう風潮は私の時代にもありました。

 しかし五木氏は、物事の明るい面だけ見続けるだけでよかったのだろうか、と疑問を投げかけます。
 人間は喜びと悲しみの両者を経験して初めて感情が完成する。片方だけでよいということはない。本当の悲しみを経験した者だけが本当の喜びを知るはずだ、と云います。

 明るい面だけを見る風潮の弊害として、人間の心の闇が地下に深く広く浸透してしまった。
 それがいじめであり、不登校・引きこもりであり、自殺者の増加である、と。


「志賀直哉はなぜ名文か」(山口翼著)

2017-04-22 07:56:48 | エッセイ
副題ーあじわいたい美しい日本語ー
祥伝社新書、2006年発行
※ 著者の名前は「つばさ」ではなく「たすく」と読むそうです。

志賀直哉は「小説の神様」と呼ばれているそうです。
しかし、私はほとんど読んだ記憶がありません(^^;)。
ただ、この本の題名に惹かれて購入、読みはじめました。

う〜ん、著者によると、直哉は日本語の曖昧さを上手く利用して複雑な構造の文章さえ読みやすくしてしまうマジックを使う、という感じかな。
確かにサラサラと読む分には読みやすいのですが、著者が賛美している例文中にも「このてにはをはおかしくないか?」と突っ込みたくなるところもありました。

まあ、私の日本語の未熟さ故のクレームと笑ってください。

私としては、コラムの中に少し出てくる森鴎外のかちっとした文章の方が好きであることを自覚させられた、という収穫がありました。
雅文調の樋口一葉はもっと好きです(読みこなせませんが)。

「動的平衡」(福岡伸一 著)

2014-08-30 12:51:06 | エッセイ
動的平衡~生命はなぜそこに宿るのか~」(福岡伸一 著)
木楽舎、2009年発行



 福岡氏のことはNHK番組「いのちドラマチック」の解説者として知りました。
 人間に便利なように動物・植物を改良してきた歴史を生物学的視点から眺めるという斬新な企画で、毎回ワクワクしながら拝見しました。

 さて、この本は今を時めく“哲学する分子生物学者”である福岡氏によるエッセイ集です。
 内容もさることながら、一番感心したのはその文章の上手さ。
 主張したいことを無駄なく簡潔明瞭に表すセンスは理系ならではのものでしょうか。

 研究費を稼ぐことにエネルギーを浪費する大学教授の悩みにはじまり、生命活動に関するいろいろな考察が連なります;

・記憶に関する考察
・年を取ると1年が早く感じる脳の錯覚
・学ぶことに関する考察
・骨と食生活の関係
・分子レベルで見た「消化」現象
・科学的なダイエット方法
・食品安全の問題点の探し方
・ES細胞の存在意義
・「種」の違いとは「分子の相補性」
・カニバリズムの問題点
・病原体分析~細菌・ウイルス・プリオン~
・ミトコンドリア・イブ

 等々、さまざまな角度から言及し、最終的な結論として以下の文言を導き出します;
 「生命とは動的な平衡状態にあるシステムである

 そしてその時間軸をねじ曲げる行為(遺伝子組み換えなど)は、システムに馴染まないことを予言しています。
 視点の変化により、物事がこんな風に見えるんだ、と新鮮な驚きを持って読了しました。

「センス・オブ・ワンダーを探して」(阿川佐和子&福岡伸一)

2012-08-01 03:46:13 | エッセイ
大和書房、2011年発行。

題名の「センス・オブ・ワンダー(※)」は環境学者であるレイチェル・カーソンの有名な遺稿であり、その名前と福岡伸一氏に惹かれて購入しました。
対談集の形式を取り、おおむね福岡博士の持論をインタビューアーの阿川さんが上手く引き出すという構成になっています。

※ レイチェル・カーソンの本より;
 「子どもたちの世界は、いつもいきいきとして新鮮で美しく、驚きと感激に満ちあふれています。残念なことに、私たちの多くは大人になる前に澄みきった洞察力や、美しいもの、畏敬すべきものへの直感力を鈍らせ、あるときは全く失ってしまいます。もしも私が、すべての子どもの成長を見守る善良な陽性に話しかける力を持っているとしたら、世界中の子どもに、生涯消えることのない『センス・オブ・ワンダー(=神秘さや不思議さに目を見はる感性)』を授けてほしいと頼むでしょう。この感性は、やがて大人になるとやってくる倦怠と幻滅、私たちが自然という力の源泉から遠ざかること、つまらない人工的なものに夢中になることなどに対する、かわらぬ解毒剤になるのです。」


私にとっての福岡博士はNHK-BSの「いのちドラマチック」でおなじみの物知り博士。
彼の著作は何冊か手元にはあるのですが、まだ手をつけていなかったので、この本が格好の導入書になりました。

彼の持論である「動的平衡」をはじめ、この本の中でもDNA二重らせん構造の意義からフェルメールの絵画に至るまで、いろいろなことをわかりやすく解説してくれています。
「生物を探求するのが夢だったのに、実際に専門家になると死んだ細胞を切り刻む日々を過ごすというジレンマを抱えた」という告白には考えさせられました。
また、「脳死」ならぬ「脳始」問題は衝撃的でした。

<メモ>
 私自身の備忘録。

常在菌(腸内細菌と皮膚常在菌)
 消化管はお腹の中にあるから体の中みたいだけれども、口と肛門とで繋がっているチューブで、皮膚が折りたたまれているにすぎないんです。だから、チューブの中にいろんな菌がいるのと同じように、外側の表面もいろいろな菌がいて私たちを守ってくれているんです。
 昔、虫歯菌をやっつけるためにルゴール液みたいな殺菌剤でうがいをしなさいとすごく奨励されたことがあるんです。そういうものでうがいをすると口の中の菌が死ぬんで、確かに虫歯菌も死にます。でも、口の中にはいろいろな雑菌がいて、それが口内をより凶悪な菌から守ってくれている。だから、そういうもので口の中の雑菌を殲滅してしまうと、より悪い菌が入ってきて口内炎とかいろいろヘンなことになってしまうんですよ。

嫌気性菌が陽の目を見た?
 これまでは腸内細菌にどんなものがいるかわからなかったんです。外の空気に触れると酸素濃度が高すぎて死んじゃう嫌気性細菌が棲みつくので、それを外に出して培養しようとしても死んじゃうから。
 でも、最近DNAを調べる技術がすごく進化して、引き算方式でわかるようになりました。
 ゲノム研究の結果、人間のDNAは端から端までわかっているから、お腹の中のDNAを全部調べて引き算すると雑菌のDNAと食べ物由来のDNAが残る。次に、食べ物由来のDNAは米とか植物のDNAとかがわかってるんで、それをまた引き算すると、残ったものが菌のDNAですよね。

ところ変われば、腸内細菌も変わる
 フランス人と日本人の腸内細菌は全然違うんですよ。
 日本人は海苔とかわかめとかもずくとかを食べるから、腸内細菌も海藻の成分を分解できるやつがたくさんいるんです。ところが、フランス人のお腹にはそんなの全然いない。
 その風土に合った腸内細菌が棲みついているから、日本人が外国へ行くとうまく適応できなくてお腹の調子が悪くなる。だけど、間もなく適応できるようになるんです。

DNA~「二重らせん」の巧妙さ
 人間の細胞は中に核があって、そこにDNAが折りたたまれて入っている。そのDNAの情報は長い1本の糸で伸ばすと3mくらいある。らせんが大事なのはそのDNAを毛糸みたいにくるくる巻いて小さな小さな毛糸玉みたいにしてキュッとコンパクトにして入れられるからなんです。
 でも、もっと大事なのはこれが二重になっているということなんです。互いに向き合って相手を映している鏡の構造になっている。必ず関係が決まっていて、AとT、CとGという法則に基づいて対応しているのが「二重らせん」の「二重」という意味なんです。
 そして、壊れてもコピーができて直せちゃうことが一番大事。

動的平衡(ダイナミック・ステート)の発見
 爪とか髪の毛とか皮膚だけじゃなく、実は私たちの体全ての部分で日々交換がなされています。脳細胞とか心臓の細胞みたいに一度できたら分裂しない細胞でも、細胞の中身はものすごい速度で入れ替わっているし、そこにあるDNAも端から分解されながらまた合成されてこの形を保っているにすぎなくて、入れ替わっているんです。
 口の中とか消化管みたいに早いところだと2-3日で完全に入れ替わってしまう。筋肉だったら2週間くらいで半分が、血液の細胞でも数ヶ月で入れ替わるので、半年から1年も経てば私たちは分子のレベルでは全く別人になってしまうのです。

心臓を移植しても神経は繋がらない
 心臓移植では、心臓を強引に切り取ってくることはできますが、心臓にはたくさんの神経や組織が入り込んでいますから、その時に切断されてしまった関係性は次のところに持っていっても完全には再生されません。
 例えば、好きな人を見たらドキドキするのは脳からの信号が心臓に行っているからです。でも、心臓移植は大きな血管は再生できても、神経系は寸断されちゃうから、そういうことは容易には再生されない。脳が反応するとおりには心臓は反応しません。

脳始」問題
 脳が死ねばその体は死んだと見なせるというのが脳死です。であれば、その人が人として出発するところはどこか、それは脳が始まったところでいいんじゃないかという意見が出てきました。
 シナプスが脳細胞をつなぎ合わせて脳の形ができて脳波が生まれて意識が立ち上がる頃が、おそらく脳が始まる頃です。胎児が脳波を生み出すのは受精してから27週目くらいなんです。27週目までの胎児は脳が始まっていないのでまだ人間とは言えない。今、妊娠中絶は22週未満までできるから、それよりあとですね。
 脳が始まる以前は単なる細胞の塊と見なせるから、そこから再生医療のためのES細胞を取り出したり、組織を取り出しても殺人には当たらない、ということになってしまいます。

文化と文明の違い
 文明は人間が自分の外側に作り出したある仕組み、文化は人間が自分たちの内部に育ててきた仕組み。

何のために働くのか?
 こういうジョークがあります。
 ホームレスの人が寝ていて、金持ちが、
「君、そんなところでゴロゴロ寝ていないで働きなさい」と言ったら、
「なぜ働かなきゃいけない?」と。
「働けば金が入る」
「なぜ金を儲けなきゃいけないんだ?」
「金が入れば家が買える、服も買える」
「なぜ家や服を買わなきゃいけないんだ?
「ゆったりとした家の中に座ってゆったりと本が読める。ゆったりとした時間が使える。いろいろなことが考えられる。」
 そしたらホームレスは、
「もうゆったりしているから、今のままでいい。」

トキを食べたイタチは悪者?
 ちょっと前のニュースだけれど、トキを殺したイタチは一方的に悪者にされました。しかしイタチは生きていくために餌があったから食べただけです。

「皇室へのソボクなギモン」 by 辛酸なめ子・竹田恒泰

2012-02-27 07:20:48 | エッセイ
 扶桑社、2007年発行。

 お正月の『 たけしの“教科書に載らない”日本人の謎…』番組で登場した竹田恒泰氏に興味を覚えて購入した本です。
 内容は”皇室オタク”の辛酸なめ子さんがしょうもない質問を元皇室の竹田氏にぶつけるもの。
 苦笑し呆れながらも丁寧に答え続ける竹田氏は立派です。

 ほとんど流し読みできてしまう程度の事項なのですが、その中に「おや?」「フ~ン」という箇所もいくつかあり、ちょっと勉強になりました。

 特に「天皇は祈る存在です」という文言には目からウロコが落ちました。
 世界を見渡すと、王様は城という要塞に守られて命令し、時代が変われば入れ替わる立場ですが、天皇の住まいである御所は要塞ではないにもかかわらず存続しています。争って統べる立場とはちょっと異なる存在であることを改めて認識した次第です。

 その昔、日本で発達した稲作文化の時代に自然を敬う信仰が発生して、それを代表して神に祈る存在として君臨したのが天皇であると受け止めました。その特殊性から歴史の中で途切れることなく1000年以上、日本のために祈り続け、現在に至っているのですね。

 天皇制というと戦争責任というイメージもある私の世代ですが、少し誤解が解けたような気がしました。

 それから「神道と仏教の違い」を論じるくだりでは、なかなか興味深いやり取りがあり、勉強になりました。

メモ
 自分自身のための備忘録。

「○○子」という名前に歴史あり
Q(なめ子):皇族になるには、名前は「○○子」のように「子」がついていた方がよいのでしょうか?
A(竹田氏):確かに内親王殿下、女王殿下、それから皇族に嫁がれる方、みなさん「子」がつくのは歴史的事実です。実は遡って調べたことがあるのですけれども、今の女性皇族は、全員お名前に「子」がつきますね。五十年前、百年前を調べても見事に全員「子」がつきまして、なんと千六百年ほど遡らないと「子」のつかない皇后・皇女がいらっしゃらないのです。「子」というのは、完全に藤原家の名前です。ですから蘇我氏の時代は少しは名前が違いますけれども、藤原氏の時代になると必ず「子」がつくようになり、今に至ります。

天皇を携帯カメラで撮るのは御法度?
Q(なめ子):天皇陛下に携帯カメラを向けるのは失礼ですか?
A(竹田氏):そもそも皇族方のお姿をカメラに収めると云うこと自体は、戦前までは決してできなかったことなのです。天皇の写真や絵は、御真影や御尊影と云い、当時は天皇の絵を描くことすらはばかられていました。ですから天皇が崩御あそばすと、はじめて絵が描かれるのですよ。それら歴代天皇の御尊影は、江戸時代までは、京都の泉涌寺というお寺に保管されています。

皇居・御所が平屋の理由
Q(なめ子):皇居というか御所は、代々平屋ですよね? どうして高いもの、お城的なものという発想がなかったのですか?
A(竹田氏):江戸城にしても、大阪城にしてもそうですけれども、あれは軍事要塞です。一番高いところに立って指揮をする。しかし天皇は軍隊を率いることはないわけです。ですからお住まいになる場所は、江戸城や大阪城のようにやぐらを組み、お堀を掘る必要がないのです。
 ただし、今の皇居はもともと徳川の城なので、極めて軍事的な目的で作られています。ですから、京都御所の方を見ると、本来の天皇のお住まいというものがわかると思いますね。
 ヨーロッパに目を向けますと、王様は軍事力や経済力などで保っているものだけれども、日本の皇室は軍事力ではなく国民によって守られている、だからお堀や城壁で守る必要はないということです。

神道は宗教?
Q(なめ子):天皇家と神道の関係は?
A(竹田氏):そもそも神道は、仏教が入ってくるまでは名前がなかったものです。要するに唯一のものですから、名前をつけて区別する必要がなかったのですね。ところが仏教が入ってきたことにより、もともとあるものと外来の宗教と区別する必要が出てきて、それで「神道」と名付けました。
 ただ、神道は他の欧米の一神教などとは違って、教祖・開祖・教典・教義・戒律などは一切ありません。神道は万物に目に見えない神が宿ると考え、そして先祖を大切にして敬うという信仰ですね。もともと縄文時代の原始日本人が持っていたアニミズム的信仰を、大和朝廷が大切に守りながら育て、現在に伝えられてきたのが神道です。そして天皇は、全日本人に代わって天照大御神を奉り、五穀豊穣、国民の幸せ、世界の平和などをひたすらお祈りになる存在でした。ですから、天皇の本質というのは「祈る存在」なわけです。
Q(なめ子):美智子様も「皇室は祈りでありたい」とおっしゃったことがありましたね。
A(竹田氏):ある意味では宗教であり、ある意味では宗教ではないと云うことになります。日本人は宗教心がない、日本ほど宗教を持たない国はないと云われますが、宗教の定義によって、それは全く代わってしまいます。実は日本人ほど大切に先祖を奉る、お墓を大切にする民族はそんなにありません。
 また、食事の時の「いただきます」はあなたの命を「いただきます」という挨拶で、そんな表現の言葉は英語にはないわけですよ。これは大自然によって生かされているという気持ち、そして大自然に恐れを抱くというその気持ちであって、それこと本質的な宗教ではないか、ということなのですね。
 それに仏教と神道とは、神仏分離までは、もともと共存する関係でした。今のスタイルになったのは明治以降です。
Q(なめ子):そういえば七福神には、様々なキャラの立つ神様が、アイドルグループみたいに混ざっていますね。
A(竹田氏):七福神は混ざっているどころか、純粋な日本の神様は恵比寿様だけで、あとは全員ヒンズー、仏教、道教など、外国の神様です。
Q(なめ子):お墓があるのがお寺で、鳥居があるのが神社というイメージがありますが・・・
A(竹田氏):神社の境内には穢れは御法度なのでお墓はないのですけれども、お寺には神式のお墓があるところもあります。

神道と仏教の違いについて
Q(なめ子):天皇は京都のお寺にお墓があったりしますが、それとは別に陵墓を作られる場合や神社に奉られる場合もあり、頭が混乱します。もとはすべて神道と云うことでよろしいのでしょうか?
A(竹田氏):もともと日本には神道という伝統的な世界観があったわけですが、六世紀・飛鳥時代に仏教が中国から入ってきたわけですね。その後、聖徳太子が十七条憲法で仏法僧を敬うべきと説いて、大化の改新後に初めて宮中で仏事が行われることになり、そして八世紀・奈良時代になると聖武天皇が奈良の大仏を造るわけです。でもこの頃はまだ神道と仏教は全く別のものだったのです。この二つを融合させたのが空海の密教ですね。彼は真言密教の理論を使って、神道と仏教を融合させる新たな理論を構築しました。そして後に天照大御神を大日如来に見立てて、天皇を大日如来の生まれ変わりだと考え、神道と仏教を関連づけて合体させたのですよ。それが神仏習合です。
 そしてしばらく神仏習合状態が続いたわけですけれども、それを分離するようになったのが明治維新の神仏分離ですね。明治以降の国家神道は、神道の歴史の中でも特別変わった時代で、異質なものですけれども、この時、政治的に仏教的なものを排除し、本来の神道の姿を回復しようとして廃仏毀釈まで行われています。
 それで終戦後には神道指令というものが出されて、政教分離の名の下に、国家と宗教の間を断ち切ることで国家神道は終わりを告げ、元からあった神道の姿に戻ったわけです。
 あらためて考えると、ぼくは神仏習合自体がちょっと無理のあるものだったと思っています。天照大御神と大日如来はやはり違う神様ですよ。両方の神様にとって失礼です。

雅楽の響き
Q(なめ子):雅楽の笛などを吹くと、神様が降りてきそうなイメージがありますね。
A(竹田氏):ふつう、洋楽器だと和音を整えてキレイに聞かせるのですが、雅楽の場合、わざと不協和音をさせるのですね。それに雅楽は「雅に楽しむ」と書きますけれども、もともとは神楽です。「神を楽しませる」と書いて神楽。神社で奉納される、あの神楽です。ですから神社でお囃子をするときは、参拝客である我々のためにやっているのではなくて、我々が玉串料を包んで、それで神楽を奉納して、神様にご覧いただくという構図です。だから正面は観客ではなくて神殿ですよね。

「古事記」と「日本書紀」に描かれた神々
 宇宙が誕生したときから次々と神が現れ、イザナキとイザナミが国生みと神生みをするところから物語が始まる。このときに山の神、海の神をはじめとする八百万の神々が誕生した。イザナキが神生みの最後で生んだのが太陽神・アマテラスで、その後アマテラスの孫に当たるニニギノミコトが天孫降臨によって地上に移り住み、さらにそのひ孫に当たる神武天皇が初代天皇となった。

■ マッカーサーと昭和天皇
(竹田氏)終戦時、昭和天皇がマッカーサーとご会見遊ばした際に、マッカーサーは世界史の常識からして「天皇は命乞いをしに来る」と思っていたわけですよ。でも実際は違いました。昭和天皇は「戦争の責任はすべて自分にある。自分の命はどうなってもよいその代わり一億人の国民を飢えさせないでくれ」というようなことをおっしゃったのですね。これを聞いたマッカーサーは大きな衝撃を受けたのです。天皇が心の底から国民一人一人の幸せを願っていいらっしゃること、そして天皇は日本にとって必要不可欠な存在であることを悟ったわけです。そしてマッカーサーは日本を統治する政策をガラッと変えました。最初は皇室を亡くそうと思っていたのですから大変な転換ぶりです。
 天皇のお姿を目にしたときに、世界のおおかたは納得した部分が多かったわけで、もうそれは理屈ではないのだと思います。なにしろ二千年間ずっと国民一人一人の幸せを祈り続けてきたその一族の長ですからね。

皇室の存在意義と日本文化
(竹田氏)皇室はなんのために存在しているのかと云うことを考えると、とても損得勘定では答えは見えてきません。皇室が存在する最大の価値は「唯一変わらないもの」ではないでしょうか。
 例えば中国の歴史は、王朝交代の歴史ですよね。ヨーロッパもしかり。前の王朝が倒れると、その文化は全部否定されて破壊されるわけです。それでも日本という国はおよそ二千年一つの王朝がつづいているから、この間ずっと積み上げた、世界で最も裾の広い豊かな文化を持っているわけです。
 例えば「和歌」。
 世界には数限りない種類の文学がありますけれども、その中の最高峰が和歌だと思うのです。五・七・五・七・七という決まったルールのまま、千何百年も積み上げられてきた文学の集大成であり、これほど洗練された文学というのは、恐らく世界中に存在しないと思います。一番古い和歌は「古事記」に入っていますけれども、これは千二百年前に書かれていて、他にも奈良時代の「万葉集」や平安時代の「古今和歌集」だって、その時代の読んだ人の気持ちが、現代人でも読めばわかるわけです。欧米で千数百年前の文献を読もうと思っても不可能です、当時英語はまだありませんから。


いのちドラマチック「ニジマス もっと大きくもっとおいしく」

2012-02-09 22:14:51 | エッセイ
 以前にも取り上げたNHK-BSで放映している番組です。
 司会は劇団ひとりさん、解説は福岡伸一氏(「生物と無生物の間」の著者)。

 毎回、人間が周囲の動物や植物などを人間の都合で改良・変化させてきた事実に驚くのですが・・・今回も例に漏れず。
 というか、ちょっとやり過ぎじゃないの?と引いてしまいました。

番組紹介文
 川や湖に暮らすニジマスは、海で育てると体が大きくなり、味もよくなるとされ、世界各地で養殖が盛んに行われている。また、内陸では、淡水のまま大きくおいしくしようという試みも進んでいる。長野県では、ニジマスの染色体を操作して、子どもをつくらないようにすることで巨大化に成功した。また、味のよいメスしか生まれないようにする工夫もしている。最新の技術で、変幻自在につくりかえられていく、いのちのドラマに迫る。


 マスの体を大きくするポイントは「不妊化」。
 卵を造る/子孫を造るためのエネルギーを封印して、自分の成長に使わせることが目的です。
 そのための遺伝子技術に仰天しました。

 まず、子供を造れないように三倍体の染色体を持つマスを造るという話から始まりました。三倍体とは、人間では「トリソミー」と呼び染色体異常を意味します。
 
 えっ? そんなことをやるの?

 という私の驚きをよそに、話はどんどん進みます。
 その三倍体のメスと交配するのは、オス化したメス。
 魚の雌雄は人間よりあやふやだとは云うものの、雄性ホルモンを振りかけてメスの染色体を持つマスを卵巣ではなく精巣を有するオスに仕立て上げるのです。

 話を聞いていて感心するより気持ち悪くなってきました。
 そんな化け物マス(「トラウトサーモン」という名前で売っているらしい)を食べたくありません。

 「子どもを育てるためのエネルギーを自分のために使う」というフレーズを聞いて、昔読んだ一冊の本思い出しました。
 三砂ちづるさんの「オニババ化する女達」(2004年、光文社)
 ごく簡単に内容紹介すると、女性という性をまっとうしないと、つまり妊娠・出産・子育てを経験しないと、もてあましたエネルギーによりオニババ化するかもしれないので要注意、という内容です。
 そのベースとなる考え方・現象は、似てますね・・・。
 
※ 視聴者によるより詳しい解説を見つけました;
人の生んだトラウトサーモン、マスでありサケであり、オスでありメスである・・・

「生きる力をさがす旅」by 波平 恵美子

2011-12-25 20:52:01 | エッセイ
 副題 ー子ども世界の文化人類学ー
 2001年、出窓社発行
 
 医療文化人類学という分野の研究者という肩書きに興味を覚え、子ども向けの本ですが拝読しました。
 内容は文化人類学の対象となる「家族」「人間関係」「コミュニケーション」「言語」「身体」「いのち」「文化」などをテーマに、数ページ単位のエッセイ風雑文で構成されている、いわば『文化人類学入門書』。
 
 特徴は、ひとつの事実を複数の視点から眺めていることです。自分にとって当たり前のことでも、他人にとってもそうとは限らない。これは「自分」を「自国」と置き換えても当てはまる、と述べています。
 結論を書かずにそれとなく「考えてみてくださいね」と読者に振っているところは、道徳の教科書っぽい(苦笑)。

 しかし、私が大人で民俗学に興味があるためでしょうか、当たり前のことが羅列されているだけで新鮮味を感じる話題がほとんどありませんでした。

メモ
 私自身の備忘録。

■ 「夜は人間以外のものの時間
 1970年代の九州の某山村で調査したときの話。
 当時70歳以上の人たちは、まだ山の神への信仰が篤く、人の誕生も死も山の神が司っていて、病気になるのも治るのも、何らかの形で山の神が関わっているという信仰を持っていました。人は、自然と対立し、自然を切り開き、人間にとって都合がよいように作り替えるというのではなく、人間もまた自然そのもののひとつの要素であり、人間は人間以外の要素と仲良く折り合って暮らしていくべきだと考えているようでした。
 「となりのトトロ」や「もののけ姫」を子どもも若者も大人も大好きなのは、これらのアニメーションは、人間が人間以外の存在と、地球という大きな空間も地域という小さな空間も分け合って一緒に住んでいることを思い出させてくれる作品であり、そのことを思い出すことに、皆が喜びを見いだしているということなのでしょう

■ 「言葉と文字との不思議な関係
 古い日本の書物の中で「語り部」(かたりべ)と記されている人々がいました。ほとんど奇蹟としか思われないほどの分量を記憶し、語ることのできる人々のことです。語り部は、自分の好みで記憶したのではなく、王や支配者が、その社会の歴史を記憶しておく必要があって、語り部を養成したと考えられており、現在でも世界各地に同じような職種の人たちが存在します。
 今から1300年ほど前にできあがったと考えられる「古事記」という本には、その初めのところにヒエダノアレという語り部の語った内容を、中国から取り入れた漢字を使って、オオノヤスマロという人が記録したこと、そしてそれが大変な苦労を伴うものであったことが記されています。
 古事記で使われた漢字は「表音文字」(当時の日本語の発音に合わせて当てはめる方法)としてであり、その後の「万葉集」でも同じ方法が採用されました。
 でも、その頃から漢字を表音文字だけではなく本来の表意文字としても使うように変えていきました。
 やがて、漢字の行書体、草書体をもっとデザイン化したひらがな文字と、漢字の文字の字画の一部を取ったカタカナ文字を表音文字として使うようになり、一方、漢字はそのまま表意文字として使うことが多くなりました。
 こうして現在の日本語に近いものが千年ほど前に出来上がったのです。

■ 「ラフカディオ・ハーン、小泉八雲からの贈り物
 小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)はイギリス人であり、アメリカの新聞社の日本特派員として明治23年(1890年)に来日しました。やがて英語教師として島根県の松江市へやってきて、そこで小泉節子と結婚し、小泉八雲を名乗るようになったのです。
 小泉八雲は、当時の松江の人々の暮らしぶりを細かく観察して、その暮らしの様子の背後にある人々の心の有り様を、松江の人々から聞き取って書き残しています。その多くは、当時の松江の人々にとっては余りにも当たり前なので、人々自身によっては決して書き残されることが無かった事柄で満ちています。
 当時の松江の人々の暮らしぶりは、今の日本人の生活の中にはほとんど残っていません。そして、その生活の細々した行為を支えている信仰や思想も、もはや日本人の中に見いだせません。
 これからの私たちの生活や現在の生き方を考える上で、小泉八雲の作品は、素晴らしい贈り物だと思われます。

■ 「学校の始まり
  明治5年(1872年)に「学制」と呼ばれる制度ができて、日本中の子ども達は学校へ少なくとも3年間通学し勉強することになりました。明治維新は、確かに士農工商の身分制度を廃止しましたが、政府が次々と新しい事業を始めたために、税金は江戸時代より高くなり、国民の大部分は貧しい生活を送ることになりました。その上さらに義務教育が始まったのです。現在と違い、学校の建築費も、先生の給料も全部親の負担でした。労働力として大切な子どもを学校に取られたうえさらにお金を出さなければならないことに、多くの親は強い反発を持ちましたが、政府の命令には逆らえなかったのです。
 でも、すぐに、親たちは気づきました。新しい時代には、文字が読めて欠けないと、きちんとした生活はできないし、情報はほとんど文字の形で流れてくるので、文字が読めないばかりに、大変な損をすることも起こるのだと。