日々雑感

読んだ本やネット記事の感想、頭に浮かんでは消える物事をつらつら綴りました(本棚7)。

boy meets girl part-3

2022-11-30 22:47:41 | 小説
50年前に出会った少年と少女。
二人が別れてから、
40年もの歳月が経っていました。

少年の魂は半身をそがれた喪失感を抱えたまま、
さまよい続けました。

大人になり、
何人かの女性と近しくなりましたが、
喪失感は満たされませんでした。

縁あって、ある女性と夫婦になり、
子どもをもうけ、
幸せな日々を与えられました。

それでも欠落した体の痛みが時々うずきました。
気がつくと、初老の男になっていました。

「この癒えることのない痛みは何なんだろう?」

少女に会いたい、
彼女に会わなければ・・・

ほとんど切れかかっていた赤い糸を懸命にたぐり寄せ、
少女を探し出し、
とうとう再会を果たしました。

少女も初老の女性になっていました。

彼女も家庭を持ち、
子どもをもうけ、
幸せに暮らしていました。

そして二人とも、
命にかかわる大病を経験し、
満身創痍の体になっていました。

二人は並んで歩いた青春の日々を懐かしみました。
話し出すと、フッと昔の空気感に戻りました。

ふだん無口の彼から言葉があふれ、
そして彼女の話をウンウンうなづいて聞きました。

彼は彼女と話をしていると、
自分が素直になるのがわかり、
心が落ち着きました。

ふたりはタイムスリップして、
少年と少女に戻ったかのよう。

彼は、
「ずっと一緒にいたかったのに・・・
 なぜ突然いなくなってしまったの?」
と問いました。

彼女の目から涙があふれてきました。

「私も一緒にいたかった・・・
 けど、あなたの輝く未来には、
 いずれふさわしい女性が現れるはず」

「あなたに幸せになって欲しかったから、
 私がいない方がいいと思った」

・・・なんということでしょう。

初老の男は愕然としました。
昔、彼が指さしたゴールが彼女にとっては遠すぎて、
それに耐えきれず消えた、
と思い込んでいたのでした。

彼は自分のことしか考えていなかったことを恥じました。
自分の幸せを願って消えた彼女の愛に、
涙があふれて止まりませんでした。

うれしくて、悲しくて・・・
ああ、なぜこんなに魂を揺さぶられるんだ。

彼女は大病を患った時のことを話してくれました。

2週間意識が戻らず、
意識が戻った後も言葉が出ず、
記憶も失われて・・・
家族の名前もおぼつかない状況の中、

「でもね、あなたの名前は忘れないで覚えてた」
「文字も書けなくなったのに、
 あなたの名前だけ書けたんだよ」

と打ち明けてくれました。

この時、二人が別れてからすでに30年の月日が経っていました。

「私の中にはいつもあなたがいるの」
「だから会えなくても大丈夫だった」

と彼女は言いました。

別の人生を歩んでいたにも関わらず、
少年の心には少女が、
少女の心には少年が、
40年もの間、ずっと存在し続けてきたのでした。

この世の中に、
これ以上の幸せがあるでしょうか。

彼がそのことを知り得た瞬間、
ずっと抱えてきた欠落感・喪失感が消え失せ、
体の疼きがすうっと消えたのでした。

彼は少年時代に彼女からもらった、
初めての手紙を思い出していました。
そこには、

「あなたが好きです。
 この気持ちは一生変わりません。」

とだけ、書いてありました。
少年14歳、少女14歳の秋のことでした。


boy meets girl part-2

2022-11-30 22:37:19 | 小説
途中でゴールした少女は、
そこで出会った男性と夫婦となり、
子どもをもうけ、
幸せな日々を送りました。

少年と過ごした青春の日々を、
思い出すことも少なくなってきました。

それから30年の月日が流れました。
彼女の子ども達は独立し、
人生の節目を迎えました。

そのタイミングで彼女は体調を崩し、
寝込んでしまいました。

大病の前兆でした。

ある日、彼女は意識を失い、
病院に運び込まれました。
昏睡状態でした。

家族が見守る中、
2週間が経過しても、
彼女の意識は戻りません。

彼女は夢を見ていました。

誰かが私の名を呼んでいる・・・
懐かしい声、
温かい声、
でも少しもの悲し声・・・

そう、“あの少年”の声です。

「私はここ、ここにいるよ」
と答えた瞬間、
彼女は目を覚ましました。

白い天井が見える・・・ここはどこ?
彼女は病院のベッドの上に横たわっている自分に気づきました。

まわりには慌ただしく動く人たちがいました。
医師や看護師、
彼女の家族と友人達。

家族に声をかけようとしました。
でも、声が出ない、
家族の名前が出てこない。

私はどうなってしまったの?

彼女はハッと気づきました。
・・・少年の名前は覚えている。
そばにいないけど、
彼女の心の中に見える。

ああ、彼が呼び戻してくれたんだ。

一命を取り留めた彼女は、
リハビリテーションをはじめました。

文字を書く練習をしているとき、
不思議な体験をしました。

ほとんどの文字を忘れているのに、
少年の名前は書けたのです。

遠い昔、
心の奥深くに封印した青春。
少年は彼女の体の一部となり、
そこで生き続けていたのでした。

私の中には彼がいる。
いつでも会うことができるから、
私は大丈夫。



boy meets girl part-1

2022-11-30 06:57:32 | 小説
50年ほど昔のお話です。

少年と少女が出会って、
意気投合しました。

多感な思春期を、
仲良く手をつないで歩きました。

二人は楽しい時間を、
たくさんたくさん過ごしました。

交換日記をはじめ、
汲めども尽きぬ話題を語り合いました。

思い込みや誤解ですれ違い、
ケンカをすることもありましたが、
仲直りをするたびにさらに絆が強くなっていきました。

ふたつの魂は共鳴し、
まるで磁石のようにピタリと重なりました。

歩き続けて思春期が終わる頃、
広い平原にたどり着きました。

眼前には、夢と希望と、
不安と危険に満ちた未来が広がっていました。

「これからもゴールに向かって一緒に歩こう」
と少年は遠くを指さしました。

けれどそのゴールは遠すぎて、
少女にはよく見えず、
不安な気持ちが芽生えました。

少年がちょっと手を離した隙に、
少女は突然、走り出しました。

彼女は走るのが速かったので、
少年は彼女を見失ってしまいました。

途方に暮れる少年。

少女はほどなくゴールを見つけ、
そこに飛び込みました。

でもそのゴールは、
少年が指さした遠くのゴールではありませんでした。

少年は遅れて追いついたものの、
少女の姿はすでになく、
いつまでもいつまでも探し続けたのでした。


「三島由紀夫×川端康成 運命の物語」

2019-09-05 15:31:08 | 小説
三島由紀夫×川端康成 運命の物語
BS1スペシャル 2019.6.23放送



<番組内容>
三島由紀夫と川端康成。自衛隊駐屯地で割腹自殺した三島と、その二年後にガス自殺した川端は、師弟関係にあった。ところが今回見えてきたのは、2人の作家の知られざる運命の物語だ。2人の間の複雑な関係、そして自死に至るまでの作家としての葛藤と秘密とは?今年がんと診断された演出家・宮本亜門さんが、日本を代表する2人の作家の生と死に迫る。瀬戸内寂聴さん、岸惠子さんたち豪華証言者でたどる。


昔聴いたCD集「寂聴の文学塾」の映像版ともいうべき内容でした。

寂聴文学塾第二回「川端康成」(2017.10.10)
寂聴文学塾第三回「三島由紀夫」(2017.10.10)

2人が師弟関係にあったこと(三島の結婚式の媒酌人は川端です)、
ノーベル文学賞を巡る確執、
自ら死を選んだ経緯・・・。

三島は肺結核と診断され、徴兵を免れました。
平野啓一郎氏は、この出来事が三島文学の原点であると指摘します。
それは、喪失した戦争体験に見合う、濃厚な“生”体験を渇望しつづけたこと。
ノーベル文学賞を逃し、師からライバルとなった川端を恨みながらも、「豊饒の海」四部作を完結させ、自分の小説家人生に終止符を打った三島。

一方の川端は晩年、不眠症に悩まされ、睡眠薬中毒症状がありました。
医師から処方される薬だけではなく、当時はまだふつうに手に入った覚醒剤も使用しヘロヘロだったと、中島らも氏が書いています。
小説を書けなくなった小説家は存在価値がない、と自分を追い詰めて死を選ばざるを得なかった。

一般論ですが、日本の学校教育の基本的思想に
「真面目に努力しなさい」
というものがあります。
それを真に受けた子どもたちは、努力して受験戦争をくぐり抜け、社会で活躍する一方で、
「努力しない自分を許せない」
と自分を追い詰める傾向があります。
これが現代病と言われるうつ病や過敏性腸症候群などのベースになっていると思います。

近年、うつ病をカミングアウトするタレントも増えてきました。
某テレビ番組のうつ病特集で、うつ病経験者の女性タレントがゲストで登場したときの話です。
彼女が通院先の医師から言われたのは、
「〇〇さんは真面目すぎるから、真面目をやめないと“うつ”は治りませんよ」
彼女の反応は、
(子どもの頃からずっと「真面目に努力しなさい」と言われ続けてそれが当たり前になっている私。いまさら「真面目を捨てろ」と言われてもどうしてよいかわからない)
・・・そうですよねえ。

その日本人精神が、川端を死に追いやったのではないか?

すると、外国の小説家はどうなんだろうと気になり出しました。
これは日本人特有なのだろうか・・・と素朴な疑問が湧いてきます。
日本人と海外の有名人の自殺率を比較した、こんなブログを見つけました;

小説家には自殺者が多く、詩人・随筆家には少ない

意外なことに、海外でも小説家の自殺は多く、むしろ日本を上回っているかもしれない。
日本人特有というより、小説家特有の現象のようです。
ブログは「小説家の仕事は「自分を極限まで追い込み、命の危機に達するまで仕事をする」傾向があるのかも知れません。」と結んでいます。

それにしても、写真に残されている川端と三島の目つきはふつうではありませんね。


番組スタッフから(取材担当記者・ディレクター)

【この番組を企画したきっかけ】
 1968年、日本人初のノーベル文学賞を受賞した川端康成。50年の秘匿期間を経て当時の選考資料が公開されるというタイミングに合わせて、私たちは川端と同時代の作家について取材を始めました。川端の人生をたどると、特に深い親交を結んでいた作家に、三島由紀夫の存在がありました。親子ほども年が離れていながら、生涯を通じて手紙を交わし、文学的な“師弟関係”であった2人。多くの傑作を生みだし、共に世界的評価を受けていましたが、最期はみずからその命を絶ちます。三島は自衛隊の駐屯地での割腹自殺。川端もその2年後にガス自殺を遂げるのです。

「2人はなぜ死を選んだのか」
「その人生に何を求めて生きていたのか」

 その数奇な生涯を見つめる中で、2人の文豪の実像に迫りたいという思いが湧き、番組がスタートしました。
 そこから、今や数少なくなった関係者を巡る取材が始まりました。親交のあった瀬戸内寂聴さんや、岸惠子さん。当時の担当編集者や、川端を診療した精神科医など、関係者が語る2人のエピソードからは、文豪の知られざる素顔と、小説家としての生きざまが見えてきました。
 特に印象的だったのは、お会いした方々がみな、2人とのエピソードをまるで昨日のことのように生き生きと語ることでした。きっとそれだけ、2人は生涯を濃密に生きていて、創作者としてのほとばしるエネルギーが周囲の人々に影響を与えていたのだろうと感じました。
 また、番組のナビゲーターとして関係者へのインタビューを行った演出家の宮本亜門さんは、この番組の制作期間中にがんが見つかり、手術を行いました。取材を通じて2人の人生を見つめた亜門さんの言葉からは、みずからの命にどう向き合い、人生をどう生きるかという、普遍的なメッセージが感じられると思います。

【制作でこだわった点、もしくは、苦労した点】
 2人を“直接知る“人から話を聞く、という点です。教科書にも登場し、若い世代にとっては遠い存在のように感じる2人ですが、実は同時代を生きた人もまだご健在。一方で、ほとんどの方が80~90代と、その貴重なお話を伺える機会は限られています。今回の番組を通じて、ひとつでも多くの証言を記録したいと、2人の年譜をめくっては登場人物の現在の所在を調べ、取材を申し込むという作業を繰り返しました。取材にご協力頂いた皆さま、本当にありがとうございました。
 もうひとつは、歴史・文学を扱う番組では単調になりがちな映像表現を、どう視聴者の皆さまに飽きずに楽しんでもらえるものにするか、という点です。これには何より宮本亜門さんの存在が大きな鍵になっています。三島由紀夫について造詣深く、個人的にも関係者に話を聞きに行くほど強い関心をもっていた亜門さん。取材では常に前のめりに、我々の想定以上の内容を聞き出してくださいました。さらに、我々の「ここでこんな画を撮りたい!」という希望を、非常にお忙しい&病気療養中でありながら、全力で向き合ってくださいました。その結果、2人の文豪の死という重厚なテーマを、重々しく感じさせないよう導いてくれています。
 さらに、三島の死について朗読する映像の片隅にさりげなく写真が紛れ込んでいたり、“死”を“白”で表現したり…2人をモチーフにした映像も随所に盛り込みました。語りは、書評やエッセイも手がける俳優の美村里江さん。学生時代に川端康成のノーベル文学賞受賞記念講演である『美しい日本の私』も読み込んでいたそうで、ナレーション当日は気合い十分で取り組んでくださいました。
 取材先の皆さん、出演者、スタッフの情熱が詰まった番組。その熱量を感じて頂けたら幸いです。

【取材をする中で印象に残った言葉】
 瀬戸内寂聴さん。“余生を楽しむ”という考えに対し、一言「余生の何を楽しむんですか?」。
 90歳を過ぎてなお書き続けている寂聴さんの言葉に、仕事への向き合い方を問われた思いでした。


ソラリス

2017-12-17 13:16:02 | 小説
 「ソラリスの陽のもとに」(スタニスワフ・レム著、1961年)を読んだのは、高校生の頃だっただろうか。

 当時SF少年と自称し、海外のSF小説を読みあさっていた私も、その内容に面食らった。
 なんだこのSFは?
 宇宙に向かって広がるストーリーではなく、人間の心の奥底に切り込んでいく展開なのだ。
 混乱させられた。
 でも、言葉にできない不思議な余韻とともに、私の記憶の中に沈殿していった。
 「深層心理小説」とでも名づけたい、ファンタジー。


(私の持っている文庫の表紙はこれ)

 そしてタルコフスキー監督の映画(1972年)も見た。
 暗い海が穏やかに波立ち、何かを語りかけるよう・・・それが永遠に続く映像が目に焼き付いている。



 その後、ジョージ・クルーニーを主演に迎え、ソダーバーグ監督によりもう一度映画化された(2002年)。



<内容>(amazonより
惑星ソラリス――この静謐なる星は意思を持った海に表面を覆われていた。惑星の謎の解明のため、ステーションに派遣された心理学者ケルヴィンは変わり果てた研究員たちを目にする。彼らにいったい何が? ケルヴィンもまたソラリスの海がもたらす現象に囚われていく……。人間以外の理性との接触は可能か?――知の巨人が世界に問いかけたSF史上に残る名作。レム研究の第一人者によるポーランド語原典からの完全翻訳版。


 SF映画「禁断の惑星」(1956年、アメリカ)という作品も忘れられない。「潜在意識が実体化する」同系統のストーリーだ。

 人間のダークサイドを扱ったこれらの映画作品は、この後「スターウォーズ」シリーズに形を変えて受け継がれていった。

 NHK・100分de名著シリーズの2017年12月は「ソラリス」。

■ ソラリス100分de名著71
 遺伝子操作、iPS細胞による再生医療……生命科学の進歩はとどまるところを知りません。AIや脳科学の飛躍的な進歩は「人間の意識」の解明に新たな光を当てようとしています。しかし、そもそも「生命とは何か」「意識とは何か」というより根源的な問いの解明については、人類はまだその入り口に立ったばかりです。そんな現代的な問いを予見するように問うた小説が今から半世紀も前に書かれていました。スタニスワフ・レム「ソラリス」。SF作品の歴代ランキング一位に常時ランクインし、世界30数ヶ国語にも翻訳されている作品です。また、二度にわたって映画化も果たし、ポーランド文学の最高傑作のひとつに数えられています。「100分de名著」では、科学の限界、人間存在の意味、異質な文明との接触の問題を鋭く問うこの作品を取り上げます。
 惑星ソラリスの探査に赴いた科学者クリス・ケルヴィンは、科学者たちが自殺や鬱病に追い込まれている事実に直面。何が起こっているのか調査に乗り出します。その過程で、死んだはずの人間が次々に出現する現象に遭遇し、自らの狂気を疑うクリス。やがて惑星ソラリスの海が一つの知的生命体であり、死者の実体化という現象は、海が人類の深層意識をさぐり、コミュニケーションをとろうする試みではないかという可能性に行き当たります。果たして「ソラリスの海」の目的は?
 この作品は、人類とは全く異なる文明の接触を描いているだけではありません。ソラリスの海が引き起こす不可解な現象は、人間の深層に潜んでいるおぞましい欲望や人間の理性が実は何も知りえないのではないかという「知の限界」をあぶりだしていきます。ロシア・東欧文学研究者の沼野充義さんは、レムは、この作品を通して「人間存在の意味」を問うているのだといいます。
 さまざまな意味を凝縮した「ソラリス」の物語を【科学や知の限界】【異文明との接触の可能性】【人間の深層に潜む欲望とは?】【人間存在の意味とは?】など多角的なテーマから読み解き、混迷する現代社会を問い直す普遍的なメッセージを引き出します。




第1回(12月4日放送)未知なるものとのコンタクト
 人間とは全く異なる「未知なるもの」と遭遇したとき人間はどうなるのか? 「惑星ソラリス上で不可解な自己運動を繰り返す海は果たして知的生命体なのか?」 理解不能な事態に直面し、人類は「ソラリス学」という膨大な知の集積を続けてきた。そして、登場人物たちも、海がもたらす想像を絶する事態に巻き込まれ、あるいは現実逃避、あるいは自殺へと追い込まれていく。主人公クリス・ケルヴィンは、自らの狂気を疑うが、ぎりぎりの理性の中でそれが現実にほかならないことをつきとめる。第一回は、人間の理性の可能性と限界を見極めようとする認識論的寓話として「ソラリス」を読み解く。

第2回(12月11日放送)心の奥底にうごめくもの
 既に死亡した人物が、実体をともなって再び出現するという恐るべき状況。しかも、彼らは、忘れがたいが悲痛さのため心の奥にしまいこんだはずの記憶の中の人物だった。自分自身が自殺に追いやってしまったかつての恋人ハリーと遭遇するクリスは、その現実を受け入れられず、ロケットで大気圏外に射出することで葬り去ろうとする。しかし、ハリーは再び忽然と出現する。やがて過去の探検隊の記録から、彼らは、ソラリスの海が人間の潜在的な記憶を探り、不可解な力で実体化したものということがわかっていく。ソラリスの海は、いったい何のために、このようなことを行うのか? 第二回は、抑圧された記憶や欲望を抉り出す精神分析的な物語として「ソラリス」を読み解く。

第3回(12月18日放送)人間とは何か? 自己とは何か?
 ソラリスの海が実体化したはずのハリーは、クリスとの交流の中で、より人間らしい自意識を育んでいく。クリスもそんなハリーを、元の恋人とは別の新たな人格として愛し始める。彼らの交流を見つめていると、「自己とは何か?」「他者とは何か?」という鋭い問いをつきつけられる。記憶をもとに造形されたハリーは単なるコピーではない。他者との関わりの中でオリジナルな自己を育んでいく存在なのだ。そして、クリス自身もそんな彼女に影響を受けていく。そして、ハリーは、これ以上クリスを苦しめたくないと、自ら「自殺」を選択するのだ。第三回は、「ソラリス」を通して、「人間存在とは何か」という根源的なテーマを考えていく。

第4回(12月25日放送)不完全な神々のたわむれ
 ソラリスの海が引き起こす謎の現象は、自分たちに向けての何らかのコンタクトではないのか? クリスたちは、潜在意識ではなく、はっきりとした自己意識を記録しX線に載せてソラリスの海に照射する実験を行う。しかし、海からの応答はなく、不可解な自己運動を繰り返すだけだった。最後の最後まで人間の理解を絶したままの絶対的他者「ソラリスの海」が暗示するのは、それが私たちにとっての「世界」や「神」のメタファーではないかということだ。クリスたちの体験は何も特別なものではない。私たちも、時として「なぜ?」「どうして?」としかいいようのない不条理な出来事に遭遇するものなのだ。第四回は、SF作家・瀬名秀明さんをゲストに招き、「ソラリス」にこめられた巨大なメッセージを、解き明かしていく。


寂聴文学塾第5回「坂口安吾」

2017-10-14 06:26:50 | 小説
 寂聴文学塾第五回は「堕落論」で有名な坂口安吾です。
 安吾は戦後間もなくの頃、太宰治、織田作之助とともに人気作家の1人でした。
 初期は純文学作家、後年は何でも屋の文筆業。
 悪く云えば大衆作家に成り下がり、良く言えば何でも書けた才能の持ち主。
 家族を持ち、子どもも生まれて平和な家庭生活を望みましたが、ヒロポン中毒で入退院を繰り返し、やはり若くして亡くなりました。

 当時の文学者の間にはヒロポンが蔓延していたようです。
 それを使うと徹夜して書き続けても大丈夫、ということでした。
 文筆業を含めて芸術家というのは脳の過覚醒状態をみな経験しているような気がします。
 その時に素晴らしいアイディアが浮かぶので「神が降りてきた」なんて表現されます。
 精神状態は躁うつ病の「燥」ですね。
 つまり、躁うつ病(現在は双極性障害と呼ばれています)が芸術家の資質ではないかと感じることがあります。

 それはさておき。

 以前、TVで坂口安吾の「堕落論」特集を見たことがあります。
 新鮮な驚きはなく、「なるほど」という以外の感想を持てませんでした。
 私は安吾と考え方が似ているのかもしれません。

 寂聴さんは戦後、北京から引き揚げてきてすぐに「堕落論」を読み、大きく影響を受けたそうです。
 価値観が混沌としていてなにをしていいかわからない状況下、ええい堕落してやれと家を出て放浪生活を始めた若かりし頃。
 のちに「安吾賞」という文学賞を受賞した寂聴さんは、受賞記念の挨拶で「私がこの賞をもらったのは、作品の内容ではなくて、生き方が安吾を地で行っていたからです」と話したそうです。


寂聴文学塾第4回「谷崎潤一郎」

2017-10-13 06:48:51 | 小説
 寂聴文学塾第四回は昭和の文豪、谷崎潤一郎。
 文壇でも別格扱いで「大谷崎」と呼ばれていたそうです。

 彼はある三人姉妹の芸者と深く縁がありました。
 長女が営んでいるバーに出入りし、長女を好きになりました。
 しかし長女はすでに人妻で、その長女から次女を紹介されました。
 次女と谷崎氏は結婚しました。
 しかし谷崎氏は3ヶ月で次女に飽きてしまいました。
 そして谷崎氏が目を付けたのは三女です。
 まだ14,5歳の女の子を拉致して自分好みの女性に育てようとしました。
 源氏物語の光源氏と同じことを試みたのです。
 しかし途中で失敗しました。

 上記登場人物の次女は千代、三女はせい子という名前です。
 千代は佐藤春夫との「小田原事件」「細君譲渡事件」の当事者です。
 飽きてしまった千代を佐藤春夫に譲ったのですね。
 当時、大きく社会を賑わせたそうです。
 せい子は小説「痴人の愛」のモデルとなりました。

 寂聴さん曰く、谷崎氏にとって理想の女性とは神か奴隷かのどちらかだったそうです。
 女神として崇め奉り、その女神のわがままを聞いてあげることを無上の喜びとした、と。
 そのような女神を自分で育てて作り上げようとしたのがせい子だったわけです。

 谷崎氏は変人です。
 SとMではMです。
 時に犯罪者すれすれのこともしてきました。

 でも彼の残した芸術があまりにも素晴らしいので、文化人として名を残しました。
 やはり後世に名を残すためには、それまでの社会常識・社会通念を打ち破る行動・生活をしないとダメですね、と寂聴さん。

 寂聴さんは生の谷崎氏に会ったことがあるそうです。
 目黒アパートに住んでいたある年の正月に、知り合いの文学関係者が年始に来たことに乗じて一緒にご挨拶に伺うと、そこには穏やかな表情のお爺さんが座っていて、ちょっと肩すかしにあった感じ、と話していました。

 寂聴さんは、目黒アパートの近くに住む佐藤春夫宅にもお邪魔したことがありました。
 そこには谷崎氏の元妻であり、「細君譲渡事件」(谷崎氏、佐藤氏が連名で新聞広告に出した)の当事者である千代さんがいましたが、若い頃は美人で有名だった彼女がふつうの中年おばさんになっているのを目撃して、ここでも肩すかしを食らった気分になったそうです。
 一方の佐藤春夫はおしゃれで子どもっぽくて魅力的な人物という印象を持ちました。
 
 寂聴さんは晩年のせい子さんとお会いしたこともあるそうです。
 彼女は少女の時に谷崎氏に囲われて理想の女性に育てられるプログラムから逃避して、若い男に走った経歴の持ち主です。
 その時に初めて知った驚愕の事実。
 なんと谷崎氏はせい子さんに生涯お金を送り続けていました。
 彼女が人妻になった後も送り続けていましたというのです。
 「どんな気持ちでお金をもらっていたのですか?」
 と寂聴さんがせい子さんに聞くと、
 「15歳の時に谷崎に犯されたのだから、それくらいしてもらって当たり前でしょ」
 との返答。

 谷崎氏は何度もノーベル文学賞の候補になりました。

寂聴文学塾第3回「三島由紀夫」

2017-10-10 08:02:18 | 小説
 寂聴文学塾第三回は三島由紀夫です。
 自衛隊員を前にして演説をした後、切腹で自死したことは有名ですね(TVでたまにその時の模様が放映されます)。

 寂聴さんは三島氏とも親交がありました。
 三島氏は寂聴さんの3歳年下でしたが、文壇デビューは早く、寂聴さんが小説を書き始めた頃はすでに大物でした。

 はじまりは、文壇デビュー前の寂聴さん(当時は瀬戸内晴美さん)が出したファンレターだそうです。
 意外にも返事が来て、そこには「ふつう読者からの手紙には返事は書きませんが、貴方の手紙はあまりにも面白いのでついつい返事を書いてしまいました」とありました。
 それから、たわいのないやり取りが続きました。
 三島氏にとって寂聴さんは気の置けない話ができる妹のような存在だったのかな(年上ですが)。

 初めて実物に会ったとき、爛々と金色に輝く目とともに、やせて青白くて毛深いという印象が残っており、川端康成同様、“貧相”だったそうです。
 三島氏もそれをコンプレックスに思っていて、あるときボディビルに目覚めたのでした。
 筋肉質のすごい体つきになったら、声まで太くなったことに驚きました。
 「ボディビル前後の“before, after”を目撃した私は貴重な人材ですよ」と聴衆の笑いを誘っていました。

 「禁色」という小説を発表したとき、寂聴さんは衝撃を受けたそうです。
 こんな作品を書いたら後が続かない、三島氏は死んでしまうのではないかと心配する手紙を書いたところ、三島氏自身も「これを書き上げて、もう死んでもいいと思った」と返信。
 ・・・この作品、読んでみたいですね。

 三島氏は森鴎外のファンで、太宰治が嫌いでした。
 実はこの文豪二人のお墓は、東京都三鷹市の禅林寺にあります。
 当時、寂聴さんがこの近くに住んでいて、時々お墓にお参りすることを手紙に書くと、三島氏は「鴎外のお墓に私の分もお参りしてください、太宰のお墓にはお尻を向けて」と冗談めいた記述。

 あるとき、三島氏と寂聴さんともう一人の文学者(名前は失念)を交えて源氏物語論を交わしたことがあるそうです。
 三島氏は「やはり与謝野晶子が良い、谷崎潤一郎は古典の写しで読みにくい」との評価。

 三島氏は右翼で天皇擁護派と思われがちですが、彼と親交のあった寂聴さんの印象は少し異なります。
 彼の考えは、日本という国を憂う若者・青年将校に近かったとのこと。
 寂聴さんの知り合いの旦那さんが自衛隊員で、自決の現場に居合わせました。その彼から後に聞いた話では当時の現場の雰囲気は「三島由紀夫は何をやっているんだ? 彼は気が狂ったのか?」というもので、彼の話に真剣に耳を傾ける自衛隊員はほとんどいなかったそうです。

 三島氏が自決した後、寂聴さんは彼の弟さん(駐ポルトガル大使)に三島氏の話を聞く機会があったそうです。
 三島家は由起夫氏の文学的才能を信じて家族みんなでサポートし、彼を誇りに思っていたことを知りました。また、ノーベル文学賞が川端康成に行ってしまったので、本人も家族もたいそう無念に思っていた、川端氏をある意味恨んでいたと聞かされました。

 寂聴さんは驚きました。
 文学界では三島氏は川端康成の弟子的存在と見なされていたので、そんな複雑な感情があるとは思ってもみなかったのです。
 なにせ、三島夫婦の仲人は川端康成でしたから。

 ノーベル文学賞を川端康成が受賞した際のエピソードは谷崎潤一郎のところでも出てきます。
 このノーベル賞事件は、日本文学界に少なからず波乱をもたらしたようです。
 「もし、ノーベル文学賞を三島由紀夫が受賞していたら、彼は若くして自決することは無かっただろうし、川端康成も晩年あのような死に方をしなかったのではなかろうか」と寂聴さんはつぶやきました。

<参考>
■ 「三島由紀夫 vs 東大全共闘
■ 「大義のために死す

寂聴文学塾第2回「川端康成」

2017-10-10 07:44:38 | 小説
 寂聴文学塾第二回は日本人ノーベル文学賞受賞者第一号の川端康成です。
 寂聴さんは川端氏と親交がありましたので、客観的評価+直にあった人物像も聞けて興味深かったです。

 川端氏は小柄でやせた人(寂聴さんは“貧相”と言ってましたが)。
 しかし眼光鋭く、体の小ささに反比例する大きな目でギョロギョロと見つめられると萎縮してしまう迫力があったそうです。

 彼は「伊豆の踊子」や「雪国」などの長編小説が有名ですが、短編小説の名手でもあり、「掌の小説」などはまねしたくてもできない孤高の境地だとおっしゃっていました。

 川端氏は美しいものが好きでした。
 第一に、美しい女性が好きでした。
 あるとき京都で、寂聴さんが川端氏の仕事部屋を一緒に探す機会があったそうです。
 美しい母子が大家の家が見つかり、寂聴さんは内心(これで決まり!)とほくそ笑んだのですが、川端氏は「ここはダメだ」と意外な返答で「母子が美しすぎて仕事にならん」と笑ってしまう理由でした。

 まあこれだけならふつうですが、女性の各パーツも愛していました。
 声フェチ、手フェチ。
 晩年に「片腕」という小説がありますが、寂聴さんはとても川端氏らしい作品だと解説していました。

 川端氏は宝石も好きでした。
 自宅に宝石商が営業に来ると、「これとこれとこれ」と駄菓子を選ぶように宝石を選んで購入したそうです。
 それも大きな派手なものばかり。

 寂聴さんは、川端氏の言動の端々に「死への願望」を感じていたそうです。
 飛行機に乗ると「この飛行機、落ちないかなあ」などとつぶやく。

 晩年、重度の不眠症に悩まされ、睡眠薬中毒状態だったそうです。
 これは中島らもさんのエッセイでも「川端康成も晩年は麻薬でラリッてた」と読んだことがあります。
 当時はまだOTCで手に入ったという社会事情もあるようですが。

 精神的にボロボロに成徐々に作品が描けなくなる中、「岡本かのこ全集」の序文を書いていただきたいと寂聴さんが間接的に依頼しました。それを別荘で推敲している最中、ガス中毒で自死したというニュースが流れました。
 寂聴さんは以前から死への願望を感じていたので、さほど驚きませんでした。

 川端氏は岡本家と縁があります。
 昔々、岡本かのこの小説の教師として川端康成を迎え入れたそうです。
 そして川端氏の服装を一級品で誂えてくれました。
 川端氏が恐縮して辞退を申し出ると、「一流の小説を書くには、身なりも佇まいも一級品でなければならない」と岡本一平氏が宣う。
 川端氏の一流品好みの源泉は岡本家の影響のようです。

 岡本一平は岡本太郎の父親です。
 岡本太郎は、川端氏が最後に扱った仕事が岡本かのこ全集の序文であったことを知り、たいそう喜んだそうです。
 全集の序文は未完です。

寂聴文学塾第1回「樋口一葉」

2017-10-08 20:40:08 | 小説
 「寂聴文学塾」とはある小説家について瀬戸内寂聴が聴衆を前に1時間程度話したものを録音したCD集です。
 1枚目は樋口一葉。私のお気に入りの小説家です。
 寂聴さんは一葉の自伝を書いたことがあるので、彼女について調べ尽くしてます。

 明治時代に文語調の小説「たけくらべ」で華々しくデビューし、森鷗外(1862-1922)らに認められ、24歳で肺結核で亡くなるまでの短い間に後世に残る作品を残しました。特に最後は「奇跡の14ヶ月」と呼ばれる濃厚な時間。

 80歳代後半の寂静さんは弁舌なめらかにしゃべり続けます。興味深いお話が盛りだくさんでした。
 以下はネタバレです(^^;);
 
・日本の歴史の中で女性が小説を書いたのは、紫式部以降は樋口一葉までいなかった。

・小説の師匠である半井桃水との関係は「純愛」とされているが、そんなことはあり得ない。半井から月々お金をもらっていたし、実はもう一人の男からも妾扱いでお金をもらっていたという二股をかけるしたたかな女だった。

・小説も逸品であるが、彼女の日記もすばらしい。ただし、半井とのやり取りは部分部分切り取られてなくなっている。おそらく、妹が姉の名誉のために処分したと思われる。

・遺作で未完の小説『裏紫』を、寂聴さんが続きを書いて完成させた。