日々雑感

読んだ本やネット記事の感想、頭に浮かんでは消える物事をつらつら綴りました(本棚7)。

「三島由紀夫×川端康成 運命の物語」

2019-09-05 15:31:08 | 小説
三島由紀夫×川端康成 運命の物語
BS1スペシャル 2019.6.23放送



<番組内容>
三島由紀夫と川端康成。自衛隊駐屯地で割腹自殺した三島と、その二年後にガス自殺した川端は、師弟関係にあった。ところが今回見えてきたのは、2人の作家の知られざる運命の物語だ。2人の間の複雑な関係、そして自死に至るまでの作家としての葛藤と秘密とは?今年がんと診断された演出家・宮本亜門さんが、日本を代表する2人の作家の生と死に迫る。瀬戸内寂聴さん、岸惠子さんたち豪華証言者でたどる。


昔聴いたCD集「寂聴の文学塾」の映像版ともいうべき内容でした。

寂聴文学塾第二回「川端康成」(2017.10.10)
寂聴文学塾第三回「三島由紀夫」(2017.10.10)

2人が師弟関係にあったこと(三島の結婚式の媒酌人は川端です)、
ノーベル文学賞を巡る確執、
自ら死を選んだ経緯・・・。

三島は肺結核と診断され、徴兵を免れました。
平野啓一郎氏は、この出来事が三島文学の原点であると指摘します。
それは、喪失した戦争体験に見合う、濃厚な“生”体験を渇望しつづけたこと。
ノーベル文学賞を逃し、師からライバルとなった川端を恨みながらも、「豊饒の海」四部作を完結させ、自分の小説家人生に終止符を打った三島。

一方の川端は晩年、不眠症に悩まされ、睡眠薬中毒症状がありました。
医師から処方される薬だけではなく、当時はまだふつうに手に入った覚醒剤も使用しヘロヘロだったと、中島らも氏が書いています。
小説を書けなくなった小説家は存在価値がない、と自分を追い詰めて死を選ばざるを得なかった。

一般論ですが、日本の学校教育の基本的思想に
「真面目に努力しなさい」
というものがあります。
それを真に受けた子どもたちは、努力して受験戦争をくぐり抜け、社会で活躍する一方で、
「努力しない自分を許せない」
と自分を追い詰める傾向があります。
これが現代病と言われるうつ病や過敏性腸症候群などのベースになっていると思います。

近年、うつ病をカミングアウトするタレントも増えてきました。
某テレビ番組のうつ病特集で、うつ病経験者の女性タレントがゲストで登場したときの話です。
彼女が通院先の医師から言われたのは、
「〇〇さんは真面目すぎるから、真面目をやめないと“うつ”は治りませんよ」
彼女の反応は、
(子どもの頃からずっと「真面目に努力しなさい」と言われ続けてそれが当たり前になっている私。いまさら「真面目を捨てろ」と言われてもどうしてよいかわからない)
・・・そうですよねえ。

その日本人精神が、川端を死に追いやったのではないか?

すると、外国の小説家はどうなんだろうと気になり出しました。
これは日本人特有なのだろうか・・・と素朴な疑問が湧いてきます。
日本人と海外の有名人の自殺率を比較した、こんなブログを見つけました;

小説家には自殺者が多く、詩人・随筆家には少ない

意外なことに、海外でも小説家の自殺は多く、むしろ日本を上回っているかもしれない。
日本人特有というより、小説家特有の現象のようです。
ブログは「小説家の仕事は「自分を極限まで追い込み、命の危機に達するまで仕事をする」傾向があるのかも知れません。」と結んでいます。

それにしても、写真に残されている川端と三島の目つきはふつうではありませんね。


番組スタッフから(取材担当記者・ディレクター)

【この番組を企画したきっかけ】
 1968年、日本人初のノーベル文学賞を受賞した川端康成。50年の秘匿期間を経て当時の選考資料が公開されるというタイミングに合わせて、私たちは川端と同時代の作家について取材を始めました。川端の人生をたどると、特に深い親交を結んでいた作家に、三島由紀夫の存在がありました。親子ほども年が離れていながら、生涯を通じて手紙を交わし、文学的な“師弟関係”であった2人。多くの傑作を生みだし、共に世界的評価を受けていましたが、最期はみずからその命を絶ちます。三島は自衛隊の駐屯地での割腹自殺。川端もその2年後にガス自殺を遂げるのです。

「2人はなぜ死を選んだのか」
「その人生に何を求めて生きていたのか」

 その数奇な生涯を見つめる中で、2人の文豪の実像に迫りたいという思いが湧き、番組がスタートしました。
 そこから、今や数少なくなった関係者を巡る取材が始まりました。親交のあった瀬戸内寂聴さんや、岸惠子さん。当時の担当編集者や、川端を診療した精神科医など、関係者が語る2人のエピソードからは、文豪の知られざる素顔と、小説家としての生きざまが見えてきました。
 特に印象的だったのは、お会いした方々がみな、2人とのエピソードをまるで昨日のことのように生き生きと語ることでした。きっとそれだけ、2人は生涯を濃密に生きていて、創作者としてのほとばしるエネルギーが周囲の人々に影響を与えていたのだろうと感じました。
 また、番組のナビゲーターとして関係者へのインタビューを行った演出家の宮本亜門さんは、この番組の制作期間中にがんが見つかり、手術を行いました。取材を通じて2人の人生を見つめた亜門さんの言葉からは、みずからの命にどう向き合い、人生をどう生きるかという、普遍的なメッセージが感じられると思います。

【制作でこだわった点、もしくは、苦労した点】
 2人を“直接知る“人から話を聞く、という点です。教科書にも登場し、若い世代にとっては遠い存在のように感じる2人ですが、実は同時代を生きた人もまだご健在。一方で、ほとんどの方が80~90代と、その貴重なお話を伺える機会は限られています。今回の番組を通じて、ひとつでも多くの証言を記録したいと、2人の年譜をめくっては登場人物の現在の所在を調べ、取材を申し込むという作業を繰り返しました。取材にご協力頂いた皆さま、本当にありがとうございました。
 もうひとつは、歴史・文学を扱う番組では単調になりがちな映像表現を、どう視聴者の皆さまに飽きずに楽しんでもらえるものにするか、という点です。これには何より宮本亜門さんの存在が大きな鍵になっています。三島由紀夫について造詣深く、個人的にも関係者に話を聞きに行くほど強い関心をもっていた亜門さん。取材では常に前のめりに、我々の想定以上の内容を聞き出してくださいました。さらに、我々の「ここでこんな画を撮りたい!」という希望を、非常にお忙しい&病気療養中でありながら、全力で向き合ってくださいました。その結果、2人の文豪の死という重厚なテーマを、重々しく感じさせないよう導いてくれています。
 さらに、三島の死について朗読する映像の片隅にさりげなく写真が紛れ込んでいたり、“死”を“白”で表現したり…2人をモチーフにした映像も随所に盛り込みました。語りは、書評やエッセイも手がける俳優の美村里江さん。学生時代に川端康成のノーベル文学賞受賞記念講演である『美しい日本の私』も読み込んでいたそうで、ナレーション当日は気合い十分で取り組んでくださいました。
 取材先の皆さん、出演者、スタッフの情熱が詰まった番組。その熱量を感じて頂けたら幸いです。

【取材をする中で印象に残った言葉】
 瀬戸内寂聴さん。“余生を楽しむ”という考えに対し、一言「余生の何を楽しむんですか?」。
 90歳を過ぎてなお書き続けている寂聴さんの言葉に、仕事への向き合い方を問われた思いでした。