生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

男の友情、女の友情

2011年04月07日 | 第9章:人は何故、心を病むのか
友情は本当に暖かく美しいなあ、としみじみ思います。この友情が男であれ女であれ、友達を想う愛の気持ちは天国に相当するような気がします。或場面があり、その状況が天国だ、言われたら、あーあ、それで十分だ、と思う事がしばしばあります。優し微笑み、暖かい微笑み、ユーモラスな微笑み、涙の出るような感謝の微笑み、このような友情は長い努力の賜物でそう簡単には確立出来ません。厭な言葉を言われても我慢する、相手が困っていたらさりげなく私だと分からないようにしつつ黒子の親切をしておく、こんな日常の生活から、じわじわと生まれた友情は生涯のもののようです。友情は人生の宝物です。<心構えをどの視点から構築すべきか?:382-5>:

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永遠の生命

2011年04月06日 | 第9章:人は何故、心を病むのか
本当に人間は<永遠の生命>に生きる事が出来るのでしょうか?死んでみないと分かりませんが、どうもあるみたいです。永遠の生命があると思うとこの世がどんなに厳しくても何となく気楽になります。この気楽になる現象は催眠とは違い一過性ではなく永遠の安定感があるのが不思議です。逆に、永遠の生命が無いと思うと、この世が実に意味がなく儚く空しくつまらなく感じるのです。永遠の生命があると信じた場合と無いと思う場合、どうしてこのような違いが人間の心、特に私の心の中で森羅万象を解釈する内容が違ってくるのでしょう?神学者はこれが信仰だ、と断言します。信仰があると森羅万象の解釈が違ってきて現実が楽しくなるのです。不思議な現象です。信仰の世界をきちんと勉強する価値があるようです。<心構えをどの視点から構築すべきか?:382-4>:

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<納骨堂>を決めたら人生がすっきり!

2011年04月05日 | 第9章:人は何故、心を病むのか
若くても歳をとつても自分のお墓が決まると、つまり、死に場所が決まると、人は何となく安心する、というか覚悟が決まるというか平安感が訪れるものです。この平安感の基盤となる私の納骨堂に最近、しみじみと感謝しては、その写真を楽しんでいます。<メメントモリ>を楽しんでいる自分が可笑しくてたまりません。慌てなくなりましたし何でも受容出来る錯覚があるようです。錯覚だ、と言いますのは、多分、あるがままの世界を素直に受容している気分にはなるのですが、今までの経験上、そんなに簡単に現実を素直に受け入れているはずがない、と思うからです。現実を素直に一旦認め、そのうえで、不満な事は諦めずに挑戦するか、程々に納め所を決めるかしている自分を許しているようです。心は非常に楽になり感謝心が激増したのが自分の<納骨堂>でした。納まる所が決まるとこうも幸せなんだなあ、と思いました。<心構えをどの視点から構築すべきか?:382-3>:

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祖先探しと菩提寺探しはアイデンティティーを統合させる!

2011年04月04日 | 第9章:人は何故、心を病むのか
東京などの大都会で生きている人々の中には自分の菩提寺や宗派、祖先に無関心な人が案外沢山います。今回の大震災で外国の人々が驚いた精神現象は、人々が皆、わが事のように心配するその姿でした。現代の日本人は殆どが<源平藤橘>を祖先に持つという学説です。源氏、平氏、藤原、橘の4流に属するという事ですが、そんな説が真実かどうかは別として、親戚のように心配をしている姿を見て、外国の人々が驚いたのです。私は誰、どこから来たのか、生まれたのか、は永遠の課題ですが、案外、身近に菩提寺を探り出し祖先を知ると心が安定するものです。一度、菩提寺と祖先を探す楽しみを味わい下さい。祖先の魂に敬意を表する事も美しい人間の営みですし自分の遺伝子を知る契機ともなります。<心構えをどの視点から構築すべきか?:382-2>:

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<心構え>をどの視点から構築すべきか?

2011年04月03日 | 第9章:人は何故、心を病むのか
信頼のおけるお医者さんの治療を受けながら、かつ、心構えで症状を改善出来る事例は沢山あります。例えば糖尿病でも努力して散歩する、コレステロールでもやはり太極拳や体重減量に励む、この心構えで相当改善されてきます。頭ではわかりますが人は中々そうは簡単にいきません。そこで楽しく<心構え>を構築する方法を思索してみましょう。一番効果があるのが自分に負担を与えている精神的なストレスを把握する事でしょう。ストレスの中でも<不安感>が心の病にも、身体の病でも生き甲斐探求においても妨げとなりますが、この不安感は案外、過去の成育史が遠因となつています。或環境が再現してくると未解決の過去の出来ごとが重なり、過去の似たような不安感に苛まれます。ですから成育史での思い出で未だ心の傷になつている事例はきちんと処理しておかないと、いつまでも新しい困難が来たときに、その過去の出来ごとと重なり、すでに乗り越える人生体験があり、実力もあるのに、過去に振り回されてしまいます。新しい困難や不安な事が到来しても、自分はもはや大丈夫だという自信を創造していきましょう。困難を乗り越えた経験をばねにどんな不安が湧いてきても、もう大丈夫だと思わせるのは、過去の小さな成功体験を沢山思い出し、それを生き抜く知恵に転換すること、例えば<人間はどんな厳しい試練がきても乗り越えられる潜在能力を所持している>という格言を信じる事が出来るように自分の過去の成功体験の束を意識化する心構えが必要なようです。<心構えをどの視点から構築すべきか?:382-1>:

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<私は誰?>を思索すると、知恵がつく!

2011年04月02日 | 第9章:人は何故、心を病むのか
自分は何の為に生きているのか、を思索する修行として比較宗教学は必ず一年生に<私は誰?>というレポートを書かせる習慣があります。私は誰だろう?さてどんな視点で自己分析をしていくとレポートが合格出来るか、随分と悩まされたものです。自己分析の手法は専門的な分野で大きな学問の一つなのです。世の中には病的な自己分析が沢山あります。その一つは人々を不安感に追い込みお金を稼ぎながら金儲けをする<占い>が代表的なもの、次は宗教めいたもので人を不安に陥れながら或事を信じさせようとするもの、いづれも唾棄すべきものです。人を不安感に追いやる事ほど罪深い営みはありません。それでなくても<人間の本質は不安感>なのに、それに追い打ちをかけるかのように人々を不安に陥れ、そして自分の目的を達しようと図るのです。このような自己分析は病的と言われ大学の研究室が一番嫌うものです。さて私は誰?という研究で一番重要な結論は<私は私でいい>という結論なのですがこれがまた難しいのです。劣等感、挫折感、嫌悪感をキチンと処理したうえでの<私は私でいい>という健全な結論を得ていく必要があるわけで、このプロセスが<生き甲斐の心理学>を学問としてキチンと努力して学習させようとしているわけです。私は誰、それの分析のポイントで一番大切な分析が自分のストレス曲線(不安感、怒り、身体症状、鬱、錯乱の5つ)の傾向を現実の生活にそくして把握することが重要です。<現実とは何か?:381-5>:

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何の為に試練に耐えるのだろう?

2011年04月01日 | 第9章:人は何故、心を病むのか
自分が生きている目的が明確でない場合、またはその目的が意識化出来ていないとすると、試練とは、どんな意味があるのだろう?ただひたすらに忍耐するだけだろうか?その解釈は人により違うので、ここでは何とも言えません。自殺するわけにもいかず、そうかといって考えても中々わかりません。古代のギリシャの人々、特に哲学者は、この生きる意味、何の為に生きねばならぬのか、この自問自答をするだけで人は知恵がついてくる、何故、知恵がついてくるのかを研究しはじめます。生きる目的が分からないと色々支障が出てきますので、そのような場合は、人生は生きる目的を思索する為にある、と仮の目標を立てておくと良いそうです。人により生涯、その探究を生き甲斐にしている人々も沢山います。さてそうすると答えが見つかるまで死ぬわけにもいきませんから、ただひたすら試練に耐えていくよりは少しは生き甲斐がありますので、自然と自分を大事にするようになります。自分を大事にするとは、どんな事かと言いますと、これまた、色々の学説があり、その優れた学説の一つはこう説明しています。自分の魂を大事にする(比較宗教学の分野)、心(成育史)を大事にする(臨床心理学の分野)、体を大事にする(基礎医学)、この3つをキチンと大事にしだすと、何となく生きる目的が見えてきます。自分に相応しい目的は自分で探し出す必要があり、他人からの押し付けは意味が無く空しいだけです。<現実とは何か?:381-4>:

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現実をどう解釈するのが健全か?

2011年03月31日 | 第9章:人は何故、心を病むのか
現実をどう解釈するのが健全なのでしょうか?分かりやすい例がコップの例えです。水が半分ある現実をAさんは、もう半分しかない駄目だと哀しむ、Bさんはまだ半分もあると元気を出す、この二つの解釈のように自分をストレスに追い込む解釈が良くない事例、まだ十分だ、と解釈するのが良い事例と言えるでしょう。解釈は世界を変えていきます。更に良い事例として自分が生きている目的が明確な人は、その目的を達成しやすいような解釈をしながら歩む事でしょう。困難を試練としてとらえ自分を逞しく強くしてくれる試練だ、と解釈する人と、もう駄目だ、と解釈する人は、人生がどんどん違ってきます。現実は見方を変えると希望の源となります。<現実とは何か?:381-3>:

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理想とは何か?

2011年03月30日 | 第9章:人は何故、心を病むのか
福島原発事件がもし無ければ私は非常に幸せです。こんな事件はあべきではない、と考えています。しかし現実にはあるのです。このギャップを心理療法の世界ではストレス曲線(不安、怒り、身体症状、鬱、錯乱の5つ)と言います。ストレスは無限にあるのですが、その無限のストレスをたった5つに分類しています。もともと人間の本質は平安感ではなく不安感だと言われています。宇宙誕生のビックバン以来、宇宙そのものも安定しているわけではなく、何とか秩序を保つているかのようですが、絶対の安定はありえません。まして地球の運命は先がすでに見えています。地球の運命は信頼のおける科学者の書いた無数の名作に書かれています。心理療法の原理によると人間がまず感じた感情の第一段階が<不安>、その不安を解決しないで放置しておくと<怒り>になり、更に放置しておくと身体症状が出てきます。それをまた放置すると鬱状態になり、最後は錯乱状態になる、と段階説を唱えているのです。ですからストレス曲線とは理想と現実のギャップと定義されます。この理想にも健全な理想と病的な理想像があり、現実の解釈にも病的な解釈と健全な解釈があります。何が病的か、と言いますと69億の人類がいるとすると、その健全さはその人の成育史が決めていきます。精神病理学が色々と定義していますが、親切に治療する時は解釈の仕方をその人の成育史に合わせて解釈していかないと不安から解放されません。どう成育史に合わせて解釈すべきか、その為には、その人がストレスを感じない方法を探り当てる必要があります。どうして探り当てるか、それは面談の中で探し出します。ストレスを感じないようにアイデンティティーの統合を図らせます。例えば臨終の終末治療の患者が解釈を変えることで安心して死んでいくよな治療をしていくわけです。簡単にはいきませんが、時間をかければ成功します。<現実とは何か?:381-2>:

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現実とは何?

2011年03月29日 | 第9章:人は何故、心を病むのか
福島原発をめぐる人々の不安は益々カオスの世界に突入してきているようです。放射能汚染は恐怖ですが、そうかと言って東京を直ちに脱出出来ない私ですが、さて今、どんな心構えが必要なのでしょうか?耐えられない試練は無い、と書きましたが、本当にそうだろうか、とも思います。そこで現実とは何か、を暫く思索していきます。現実を直視する、と言いましてもその現実の解釈がもし病的であれば天国も地獄に見えますし、地獄も天国に見える場合もありますから、そのあたりの病理論をここでキチンと考えていきます。<現実とは何か?:381-1>:

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<耐えられない試練は無い>は本当か?

2011年03月28日 | 第9章:人は何故、心を病むのか
高校生の頃、ドイツの神父さんが生きる意欲をなくしていた私に<神様は耐えられない試練は与えない>と断言してくれました。その神父は戦前の中国で迫害され牢獄にも入れられ虐待された傷もあります。まだカトリツクの勉強をしていない頃で、新潟県の長岡にいた私は初めて会った外国人でもあり赤鬼のように見えた記憶がありますが、その神父さんに聞いた事もない哲学<耐えられない試練は無い>を聴かされたわけです。もし、そうなら大丈夫、死ぬ必要はない、と思ったものです。それ以来数十年が流れ、海外での暴動や胴体着陸の経験、アイルランドの爆弾現場、色々体験しましたが、何とか今日まで生き延びています。<自由意思:380-5>:

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何を信じるか、で人生が決まる!

2011年03月27日 | 第9章:人は何故、心を病むのか
信じると見えてくるもがあります。例えば愛ですが、昔、兄弟喧嘩をした時、すぐ上の姉が<あなたは橋の下から拾われてきた子よ>と意地悪されました。幼稚園時代の話ですが、その時、両親が青鬼のように見えました。誤解が解けた時は、いままでのように優し人に激変した記憶があります。神の愛を信じるとこの世が例え戦争や事件の渦中にいてもその試練に耐えて生き抜けます。試練、という概念を理解すると、そこに哲学が生まれます。哲学がないとこの世を理解することは不可能です。どんな哲学を信じるかはその人の知恵と自由意思と努力の賜物。<自由意思:380-4>:

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その人の愛を信じているか?

2011年03月26日 | 第9章:人は何故、心を病むのか
難しいとは思いますが、この世を生き抜く為には、どうしても誰かの愛を信じていないと人間は生き抜いていくのが困難です。患者さんの中に恋人が暴力をふるうがゆえに心を痛み入院してきました。周囲はさっさと別れなさい、と進言しますが、その人(暴力をふるう人)の儚い愛を信じて生きていた女性を思い出します。何とも切ない話でした。人はこのように変な愛から美しく素晴らしい愛の中に生きています。愛し愛される関係がないと仕事も趣味も意味がありません。他者の愛に生きられない場合は自己愛に生きていく羽目になります。自己愛が健全であればいいのですが、自己愛パースナリテイ障害になりやすいので、どんなに小さな友情でも大切にしていないと寂しい日々を送る事になります。美しい友情、ちょっとした微笑みから心が暖かくなりますのでせめて微笑みが生まれるような余裕ある日常生活をしたいものです。その点、辛い人生に追い込まれても神様の愛を信じて生き抜いた旧約聖書のヨブの物語はどんな小説よりも面白い。<自由意思:380-3>:

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神の摂理と人間の自由意思の相関図

2011年03月25日 | 第9章:人は何故、心を病むのか
宗教嫌いの人々にも色々の種類がありますが、死にかかった体験があると何となく自分の死について思索をしますので以前のようにバシッと拒否しなくなります。人類がアフリカで誕生しこの地球に拡がっていくわけですが、その比較文化や比較宗教学を少し真面目に勉強すると正面きって神や仏を馬鹿にしなくなります。正面から神の摂理を否定する人に遭遇した場合、静かにその場を去ったほうが賢明です。不可知論を長々とお付き合う羽目になるからです。神の存在を証明する事は不可能でもしその分野に興味が出てきましたら存在論ではなく比較宗教学を欧米の一流の大学で勉強することをお勧めします。日本では無理なようです。存在論からの証明は将来の科学者に一任して、その時間を比較宗教学から考察したほうが納得出来るようです。比較宗教学は<信じて見えてくるもの、信じてみえなくなるもの>を宗教心理学として厳しく学習させます。信じたから見えてくるものが沢山あります。神の摂理はこの信仰がないと見えてきません。:<自由意思:380-2>:

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自由意思って何だろう?

2011年03月24日 | 第9章:人は何故、心を病むのか
今更聞けない重要課題の中に<自由意思って何だろう?>と言う課題があります。例えば避難ルートの選択があります。どの道を逃げれば安全だろうか?と悩み苦しみながら自由意思で選択する場面です。海外ではしばしば遭遇しましたが、大衆が逃げていく道を選択して命拾いした事例もあれば、大衆が逃げていく道に危険を感じた私はあえて逆の道を選択して生き延びた事例もあります。第6感ですが、これも専門教育を少し受けたせいかもしれません。磁石と自分の位置が分かる機材のおかげでもありますが、それだけでは駄目なようで、やはり空のどこかから響く戦車の音とか風の中の或種の香りとか、逃げていく人々の表情とか、角に立っている政府系の人や扇動者を見抜く力とか色々です。自由意思は職業選択、恋人の選択、思想の選択、価値観世界観の選択、どんな場合でもそこに存在する選択肢を自分の意思で選らぶ内容で人生が決まります。この自由意思について思索します。:<自由意思:380-1>:

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