生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

<おせっかい>と解釈しがちな人の人生はどうなるか?

2009年08月15日 | 第7章:自分を知る方法
その人を心から愛してアドヴァイスすると(おせっかい)となじられ哀しく思い傷つく親も沢山います。親友、知人、心優しい他人もおせっかいをしています。さて言われるほうの人間で、おせっかいと解釈し拒否し生きていると、どんな現象が起きてくるかといいますと、人間としての成長はほぼストップします。どんなおせっかいでも一応有難うございます、と礼をつくして感謝の意を表する器の人間になつていないと、その人の人生は小さいまま終わるでしょう。おせっかい、と怒る人はもう駄目です。知恵さえあればいくらでも相手を傷つけないで上手に対処出来ます。おせっかいと怒る人には世間の知恵は集まりません。どんなおせっかいを受けても感謝する大きな器になりたいものです。<親切とおせっかい:262-5>:

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生きている目的と祈りの効果の関係性

2009年08月14日 | 第7章:自分を知る方法
何の為に私は生きているのか?その答えが明確な場合は黙っていても思い通りになることが多いようです。しかし何の為にいきているのか、明確でない場合は、祈りの結果は何も出てこないようです。多分神仏はお見通しなのでしょう。この理由を研究している哲学者や神学者が沢山いますが、普通の世間一般ではこの関係式についてあまり理解がないようです。生きている目的が<目的のない単なる金もうけ>のような場合は上手くいかず、マザーテレサの事業の場合は何億円もの支援金が世界のどこからともなく集まるようです。私も40代の或事業の時、信じられない高額なお金がいとも簡単に集まった事があります。どんな生きる目的の時に物事が順調に流れていくのでしょう?私は神様に沢山祈りました。即実現した事例と何百回祈っても実現出来ない事例を今、冷静に分析すると、恐るべき事実が浮かびあがってきます。一度時間をかけて生きている目的と祈りの効果を分析してみませんか?:<親切とおせっかい:262-4>:

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自己実現へと支援してくれた恩人

2009年08月13日 | 第7章:自分を知る方法
今でも心から感謝している人が数名がいます。それは厳しいことを私に言いましたが、私の自己実現への道を意識し心身ともに支援してくれた人々です。今日の私の幸せをしっかりと方向付け、かつ、真剣に支援してくださいました。私の希望を的確な現実吟味力で識別しアドヴァイスを与え、激論を真剣にして下さり、最後にでは思う存分暴れて生きていきなさい、と勇気を与えてくださいました。自己実現への道を探す本人も知恵と勇気と努力が必要ですが、私の性格での長所と欠点を見抜いてアドヴァイスをし、かつ試験問題を与えながら私の自由意思を大切にしてくださった人々、反抗しながらもその人からは離れがたい魅力があった人々。自己実現への道を支援し成功させてくださった先輩に心から感謝申し上げます。
:<親切とおせっかい:262-3>:

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判断する力がない子供の哀しさ

2009年08月12日 | 第7章:自分を知る方法
大人になり自分の子供時代受けた親切とおせっかいの違いを識別出来る人は幸せです。深層心理学でも学ばない限りこの微妙な問題はあまり考えないで人生を送るのが普通です。人の悩みを対処する職業である精神科医とかセラピスト、カウンセラーになって初めて真剣に考え出すのがこの分野かもしれません。普通の場合は親のこの親切は迷惑だなあ、と感じ気付くのは青年期後半あたりからでしょう。中学生のころは<変だなあ>と感じても、理由なき反抗として親に対応すれば健全なほうでしょう。自他混合している親、理想と現実が混濁している親、教養のない親、考えの浅い親、そんな環境で子供は育ちます。理想的な親はあまりいません。大学病院には30代、40代になっても子供時代の傷が原因で入院されてきます。親は親切なつもりでする言動が子供を精神病にしている事に気づいていません。ですから人は自分で相手から飛び込んでくる<親切とおせっかい>を取捨選択してきちんと自分の心をのびのびと明るく生き抜けるよう自分でその対応をしていく必要があります。:<親切とおせっかい:262-2>:

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親切とおせっかい

2009年08月11日 | 第7章:自分を知る方法
人を狂わせる、または相手をストレスに追い込んでいく原因に親切があります。この親切は実は本当の親切ではありません。親切のつもりが、実は大変なおせっかいなのです。親切とは何でしょうか?おせっかいとは何でしょうか。この違いを知らないで親切だと信じながらおせっかいをして相手を病理に追い込んでいる親、恋人、恩人的な知人について思索していきます。疑似親切をされた本人は意識、無意識の世界の中で、ストレス曲線(不安感、怒り、身体症状、鬱、錯乱)に追い込まれていきます。親切をするほうは自分がおせっかいをしているなどとユメユメ考えていません。この悲劇を心理療法的に勉強していきます。私はこの失敗をしてきたようです。:<親切とおせっかい:262-1>:

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自分の感情、相手の感情

2009年08月10日 | 第7章:自分を知る方法
最近、人生の反省ばかりで自信喪失です。二人きりになる時の感情のありようを考えるのは心理療法の勉強で一番重要かもしれません。治療の時も、普段の日常生活の時でも、人間が二人きりになる時、本当の自分なのか、考えさせられます。相手の感情を憶測する事が心理療法の仕事ですが、憶測が当たる時と、大きく外れている時があまりにも多かったような気がします。確認しても相手は馬鹿馬鹿しいと感じているので、確認するほうが愚か者となります。その場、その場の現実吟味力次第です。ところで<私とあなた>の関係の中で成功している事例を考えると、自分の感情を最初に伝えると、相手は自然に答えてくれるようです。相手の感情を確認する前に、自然に自分の感情を正確に伝達したほうが、どうも人間関係が良く保持される気がしますが、いかがなものでしょう。<一人と二人:261-5>:

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幸せになる最大の秘訣は?

2009年08月09日 | 第7章:自分を知る方法
心の病気ですからやむをえませんが心を病んだ時の最大の特色が人の事を考えないことでしょう。本人は人のことを考えて心が疲れた、と言いますが、少々違います。人生、山あり谷ありですから、元気なときにこそ、人生修行をしておかないといざ鎌倉、という時に力が出せません。平素、微妙に食い違う感情の葛藤が<私とあなた>の関係に生じた場合、冷静に相手の<思考、感情>をきちんと楽しみながら傾聴する修行をすると、案外、同じ事を考えていたことが分かり、無事、美しい関係が成立します。おせじで傾聴するくらいなら喧嘩をしたほうがいいでしょう。言いたい事を言い合う事で私は親友が数名生まれた経験があります。平素、日常生活で、無理なく相手の気持ちを楽しみながら傾聴する修行が人生で幸せをつかむコツのようです。:<一人と二人:261-4>:

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役割遂行

2009年08月08日 | 第7章:自分を知る方法
心理療法の勉強で案外難しいのが<役割遂行>です。欧米で生活すると近所の知らないおばさん、おじさんが、さりげなく、とても親切にしてくださいます。キリスト教の影響もあるのでしょうが無償の行為をさらりとやってのけるのです。数名集まると、これまた自然に自分流のやり方で、自分が出来る役割を見つけ、目立たぬように動いています。さて同性でも異性でも二人きりになると、一人の時よりも緊張します。二人になった時、自然に自分の役割とは何だろう、紳士淑女のたしなみのもとに礼儀をつくす人が心理療法家に向いています。生活のそれぞれの場面で自分の役割とは何だろう、どう遂行するのが愛と平和に貢献出来るのだろう、と思索する人は社会の宝物です。しかも自分のことだけを考える人より、他者の幸せを真剣に考えると自然と幸福感を感じだします。:<一人と二人:261-3>:

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一人の時は天使、二人の時は悪魔

2009年08月07日 | 第7章:自分を知る方法
大学病院の経験ですがしばしば妙麗の婦人から嘆かれたことがあります。<あの方は大勢の時は紳士なのですが、二人きりになると悪魔になるのです、この方の人格は異常ですの?>。二人きりになると男女共々天使になつたり悪魔になつたりしますが、これは当然の姿でしょう。生身の人間の実体を知らないと人生がとんでもない方向に流されていきますから平素から大切な人の実体を洞察する必要があります。知識、教養、社会的地位はあまり関係がありません。魂は病むことがありませんので二人きりになつても安心ですが、生育史で習慣づけられた心と身体は、二人きりになる前に十分洞察しておく必要があります。人間の誠実性を試験する最良の方法はその人の前でその人のライバルをほめそやすことです。そこで不機嫌になつたり悪口を言いだしたりする人は問題が相当あるでしょう。目を見ながらこの試験を遂行して合格したら先ずは大勢の中で二人きりになり、生き甲斐について十分語り合うことでしょう。何のために生きているのか、この試験問題で相手が分かります。:<一人と二人:261-2>:

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ひとりの時の私、誰かと二人きりの時の私は、どこが違うか?

2009年08月06日 | 第7章:自分を知る方法
どれが本当の自分なのか、不思議に思うときがあります。一人の時の自分の思考、感情が本当なのか、二人になった時の思考、感情が本当なのか、相手が愛と信頼の関係にある人と親の敵のような人の場合とでは、心の世界は全く違ってきます。一人の時と多数の時もありますが、多数の場合はもうめちゃめちゃ、という感じなので心理学での自己分析を真面目にする場合は、世界の学界では一人の時の心境と二人の時の心境での思考と感情の違いから深層心理を勉強していきます。二人の時の自己分析では自分を肯定してくれている人の場合と否定している人の2種類で研究していきます。肯定してくれている人の場合は自分の傲慢と謙遜を分析、否定の場合は劣等感と自己主張の健全さを分析していきます。一人と二人の場合の自己分析は大変面白い領域なのでしばらくこの問題を思索していきます。
:<一人と二人:261-1>:

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手を合わせる姿

2009年08月05日 | 第7章:自分を知る方法
世界各地で、子供、大人、老人が<手を合わせる姿>をテレビで見る時、何となく美しいものを感じます。喜怒哀楽の度に私は神様に色々と語りかける習慣がありますが、その度に、暖かい感情が流れ出します。これが信仰生活というものなのでしょう。厳しい人生を生き抜いていくときに神様を信じることのできる私は本当に幸せです。訳の分からない森羅万象が身近に起きますが、その度に、ああ神様、この哀しい現象は何を意味しているのでしょうね、とぶつぶつ神様に語りかけます。将来が見えない私の人生を不安に感じても、愛である神様にゆだねてしまいます。日々努力の連続ですが、その結果は神様にゆだねます。こうして人生がながれてきましたし、これからも流れていくでしょう。神様の摂理を信じられる私は本当に幸せです。<信頼する喜び:260-5>:

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生きる喜び、何のために生きていくのか?

2009年08月04日 | 第7章:自分を知る方法
永遠の謎でもあります<何のために生きていくのか?>。この課題はどんな本を読んでも、この謎を追及していくエネルギーから生まれているようです。答えがすぐ見つからなくても、この自問自答をしていると、何となく生きる喜びの方向が見えてくるのが不思議です。何のために自分は生きているのか?こう自問自答すると、人の身体は神の神殿ですので、その人の身体に存在している魂が、その人にふさわしい知恵を与え出すようです。大脳は不思議な作用をします。何か疑問を持つと大脳はその答えを何となく示唆しだします。何のために生きているのか、この自問自答をしていると、その答えを得る事が生きる喜びにつながります。自分の身体に魂が存在していることを意識すると何となく答えが知覚される現象があります。この現象を臨床的に洞察した生物学者が霊長類と定義した所以でしょう。
:<信頼する喜び:260-4>:

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<信頼する喜び>の理論とは?

2009年08月03日 | 第7章:自分を知る方法
<信頼する喜び>が正常か異常か?これは大切な問題で、この理屈が分かっていないと大変な誤解とトラブルを起こしてしまいます。ある時期は大切な恋人だった相手に振られたといつて、殺人事件を起こしたり、ストーカー事件を起こしたりしてしまいます。自分が相手を信頼し、自分が感じる幸福曲線(平安感、友好的な感情、健康感、幸福感、統御感)を相手も感じているかどうかを冷静に洞察する力が必要です。最初は相手も幸福曲線を感じていたとしても、自己実現への道が違うとすこしづつ相手はストレス曲線(不安、怒り、身体症状、鬱、錯乱)を感じだします。いつまでも舞い上がっていると相手の微妙なストレス曲線を感じないようです。自己実現への道が違うと、どんなに素敵な恋人、善人でも、この食い違いが生じてきます。生きていく意味、生き甲斐の確認、自己肯定、他者肯定の思想の持ち主と愛し合う必要があります。:<信頼する喜び:260-3>:

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信頼した喜びの結果、恋人を失う!

2009年08月02日 | 第7章:自分を知る方法
相手を信頼した為に生ずる喜びは、ひとときは、私を幸せにしました。しかし、数か月の後に、恋する人は重荷に耐えかねて去っていきました。これは映画、小説のドラマです。現実吟味力が無いと、相手を信頼するという事自体が相手を不幸にしてしまうようです。求めあうエネルギーを冷静に識別していかないと、やたらに相手を信頼するのも悲劇を生むようです。愛と信頼の中で、期待しあうことで、相手を不幸にしてしまう、これは互いに注意しなければなりませんが微妙な愛の領域だけに、悔いだけは残したくありません。生きている目的が明確な二人ならば、直線ではなく、螺旋状に上昇していくでしょうが、生きていく目的が明確でないか、別々な方向を歩む二人ならば、信頼しあうことは逆に悲劇を生むかもしれません。同じ方向を向いている二人ならば楽しい刺激の中で幸福に生き抜けるかもしれません。:<信頼する喜び:260-2>:

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オックスフォード大学のセラピスト試験!

2009年08月01日 | 第7章:自分を知る方法
教授面接試験は極めて残酷な試験でした。落とす為の試験なのですが、数ある難問の一つに30分間、或テーマで語り続けねばならない問題がありました。つまらない内容ですと5分経過すると10名の教授の誰かが一人でも<また来月ね>と柔らかい声で語りかけられたら、その試験室を退出せねばなりません。30分語り続ける内容とは<誰かを信頼する喜びについて語りなさい>です。いかがですか?自分が信頼される喜びについてではなく、自分が誰かを信頼した喜びを30分、教授を引きつけながら語るのです。この誰かを信頼する喜びを30分語れない人はオックスフォード大学の心理療法の試験には落第します。思い出すのも辛い試験でした。この誰かを信頼する喜びについてしばらく思索します。
:<信頼する喜び:260-1>:

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