心理療法で言う<対人恐怖症>は言葉そのもからくるイメージは、いかにも病的な症状のように響きますが、気にする必要はありません。確かに気にはなりますが、セラピストは案外、平気にこの言葉を使います。某ワークショツプにお忍びで参加した時、変な先生から食事中に<あなたは対人恐怖症ですね>と大声で言われ、思わず大笑いしてしまい、逆にその先生が怒り出したので周囲の参加者がそれ以来、その先生の側に寄り付かなくなりました。私としては初対面の先生でしたし、どうも臨床体験の少ない人のようでしたので礼儀正しくお付き合いすべき人だなあ、と遠慮気味でした。その私の遠慮を対人恐怖症と考えたのでしょう。気の毒でした。私の少年時代は戦争のさなかでしたので今から思うと厳格な礼儀作法を身につけさせられていたようです。初対面の人には礼儀をつくすのが当たり前なのですが、その礼儀の表現方法が戦前の軍人風だったからでしょうか。
少年時代の思い出は良いこと悪いこと色々ですが、今でも胸が痛む悪さをしました。自分の父親が戦犯で居ない哀しさから満州から引き揚げてきた家族の、夕食での楽しげな風景が気に入らず囲炉裏の煙が出る高窓から数名の悪ガキと共にホースで水をぶち込んだ経験があります。大勢の子供達がいましたが、越後の山奥での出来事ですが、その貧しい家族の末の息子は後に国連で大活躍をする大使になっていました。お会いしたことはありませんが私が公用でニューヨークに行った時、会いたい気持ちはありましたが良心の呵責から会う勇気がありませんでした。自発性の欠落と良心の呵責の関連性は深いものがあり、いつも自発性に欠ける生き方をする人の場合に、挫折感、良心の呵責、劣等感が併存しています。この相関図を理解すると何故、自発性に欠けているかが分かり、それを乗り越える気持ちになれます。
心理療法の勉強ではユングの原型論の関係で自分の成育史での少年時代前半を思い出さないと勉強になりません。思い出したくない事は無理に思い出す必要がないので、気楽に取り組んでいきます。その際、役立つ本があります。<脳を活性化する自分史年表:出窓社:藤田敬治監修:1365円>と言う良い本がありますが、その記事が参考になります。例えば私の場合、少年時代前半の5-7歳ですと昭和16年から18年にかけてですが昭和16年の歴史はソ連にスターリンが首相に就任、太平洋戦争が始まる、近衛文麿首相、流行歌としては森の水車、のんき節、映画は次郎物語、蘇州の夜、と書いてあります。そんな記事を読んでいる内に、何となく少年時代前半の出来事を思い出してきます。この少年時代前半に<罪悪感、自発性、目的志向性>の原型が生まれてくるとユングは説明しています。なるほどなあ、と思います。罪悪感の感受性での自分の傾向が何となく見えてくると今の自分が楽になります。
現代日本人は本当に宗教が嫌いです。多分、その理由は某宗教のサリン事件、霊感商法、某宗教の聖書の売り込み、などなどの重複した理由で嫌いになったのでしょう。しかしお盆、お祭り、年末年始の行事、NHKの除夜の鐘のテレビ、ラジオ放送で、全国の神社仏閣の風景を見ると、日本人がいかに宗教を大事にしているかが分かります。祖先のお墓を何よりも大事にしている文化は世界一かもしれません。比較宗教学をきちんと勉強すると何が恐ろしくて、何が神聖なものか、安心して近づけます。健全な信仰の力は人類の宝なのですが、うやむやの文化、玉虫色の文化が大好きなやまとびとなので、なかなか核心に触れる勇気がないのも大和文化の特色でもあります。一度、比較宗教学をきちんと学び生き抜く勇気と知恵と元気を与えてくれる健全な<あの世とこの世>を意識化し厳しい現代社会を喜びを持って生き抜くノウハウを健全な信仰の力に求めてみるのも勉強になります。祖先からお付き合いのある自分の家の菩提寺の御坊様に相談するのも知恵の一つです。自分の菩提寺がどこかも知らない方はもう少し祖先を大事になさいませ。
ユージン・ジェンドリンというアメリカの学者が開発した手法ですが、日本人は俳句とか和歌に親しんでいるので非常に上手にこの手法を活用しています。(1)気がかりな事柄が幾つくらいあるかを点検してみます(2)この中から今、一番気がかりなことを努力して一つだけ選別します(3)一つ選んだこの事がらを想った時、どんな気分になるか、いやーナ気分になるのか、不安になるのか、怒り心頭に達するのか、そのあたりの感情を把握します(4)この事がらが最悪に展開した場合のシュミレーションを描き、腹を据える努力をします(5)夢のような結末でいいので最高にうまく事が流れたら、どんな人生になるのかを楽しみながらシュミレーションを描きます(6)そうすると、とりあえず、こうしよう、あーあしよう、と何となく方向性が見えてきます。以上、6つの自問自答をしてみて下さい。この手法は自分にも、悩んでいる友人にも役立ちます.
ストレス曲線をある程度解消出来ると、人間の心に必ず知恵の泉が湧きだします。ホメオスターシス、自然治癒力は人間の身体の重要な生命力ですが、この生命力、システムがあるのでお薬が効力を発揮するわけですが、心のお薬は何と言っても希望、夢です。成育史には沢山の劣等感、挫折感がありますので、自分は何をしても駄目だ、という想いが人間には誰にでもあります。ただ程度の差があるだけの話です。ですからどんな小さな成功体験、例えば方向音痴の人があたかも偶然かのようにきっちりと道に迷うことなく目的地に到着出来た事例を思い出すのです。偶然、という事は人生にはあるように見えますが、実は平素の努力、意識している思索と行為のお陰による成功体験なのです。小さな成功体験を沢山思い出させる心理療法家が上手な人と言われているように人の身体は神の神殿なので思索するコツを覚えると人はどんどん素晴らしい気付きの泉に目覚めていきます。湧いてくる小さな美しい泉を大事にするコツを覚えて下さい。
子供から大人まで生きていく為には希望が必要ですが、この生きていく喜びとなる希望力を獲得する事は案外難しいようです。明るく元気に、いきいきと毎日を送っている人間には不要の課題ですが、毎日虐められている子供達や職場の人間関係にうんざりしている人々にとっては日々が憂鬱です。心理療法ではどう対処しているかと言いますと(1)ストレス曲線(不安感、怒り、身体症状、鬱、錯乱の5つ)を調べます。(2)そのストレス曲線を、その人がどう心の中で処理しているかを調べます(3)その解釈が健康的な解釈か、病的な解釈かを調べます(4)解釈を変えると世界が変わる事を時間をかけて対話していきます。この4つの対応が上手なカウンセラーと下手なカウンセラーがいますが、上手なカウンセラーに遭遇することを祈りつつ、ここでは自分での対応を思索していきますがその生きる希望を自分の成育史から探りだしていきます。
愛との出会いも神秘的です。誰でもこの愛の出会いがあれば良いのですが人生はそううまくいきません。ここでは自己愛パースナリテイ障害という心の病気があることだけを思索しておきましょう。この病気はきちんと勉強しておかないと理解不能ですが、どんなに愛されても有難うと思わない病気だ、と、とりあえず考えておきましょう。思うようにいかないと直ぐ怒り出すのも特徴です。一人で生きていけるとも思っているようです。30代でも心から有難うと言えない人がそばにいたら自己愛パースナリテイ障害とはどんな病気か私たちが使用しているテキスト<生き甲斐の心理学>を必ず読んでおいて下さい。感謝する心は愛との出会いに必要な最低の条件です。
神仏と心の中で出会う環境は、色々の人の信仰体験を聞いていくと殆どが困難な人生の真っ最中のようです。何故かは誰もしりません。多分、見るに見かねて神様が声をかけたのでしょう。信仰は恩寵、という言葉がありますが信仰を与えられると、どんな困難のさなかでも明るく元気に生きていけるようです。程度の差はありますが、信仰があると自殺する気になれないのが不思議です。健全な信仰の場合は、どんなにお金がなくても、人間関係がこじれても、絶望することがありません。この困難は神様の愛の試練だと解釈するからです。試練を乗り越えた体験があると神様への信頼は更に深く大きなものに育っていきます。ですから少々の苦しみも平気なのです。このコロナ、戦争の時代には、伝統的な、かつ、学問として成立する伝統宗教の必要性をしみじみと感じます。個人が錯乱していく姿を見るのが辛い時代ですが、心の平安は、求めよ、さらば与えられん、という時代でもあります。「希望力」が大切。我が友に感謝。
一概には言えませんが大人でも自分の人生に希望を持ちたくても持てないと断言する事例を分析すると、意外と子供時代に両親から褒められた思い出は無いという人が沢山います。自分はそうではない、という方がおられたら、その方は何と幸せな人生でしょう。羨ましいかぎりです。今更言っても始まらないので、今後どうしたらいいかを思索していきましょう。自分は駄目だ、自信がない、これでは厳しい人生が生き抜けません。何とか生きたとしても寂しい人生です。希望と自信が身体にみなぎり挫折してもなお諦めないで堂々と生きたいものです。一度しかない人生ですから、自己否定の原型を自己肯定に変化させる手法を学ぶには成功体験の意識化か、体験の解釈を変える手法しかありません。あとは燃えるような願望を意識し、努力しながらシュミレーションを楽しむのが一番有効なようです。子供に出会ったら、その良さを早く見出し育ててあげたいものです。