暗い感情といいましても人により、その内容は全部違います。aさんに暗い社会現象であってもbさんには明るく映る事もあります。例えばボトルの水が半分ある時に、もう無いといって絶望するaさん、まだあると明るく解釈するbさん、このように解釈が違うと明るいか、暗いかは中々断言出来ません。色々の学派があり色々の意見がありますが私は「暗い感情」は、どうすれば明るい感情になれるか、その方向を示唆する重要な指標だと解釈しています。つまり明るい感情になり、幸せに生きていける為に暗い感情が存在していると解釈しているのです。
カウンセラー、精神科医、その他、心を扱う職業の人でも表面では分かりませんが根っからの人間嫌いがいます。私を含め時として人間が嫌いになるのは誰にでもあることですが、仕事中に、時として人間に嫌気がさす事がしばしばありますので、その問題に触れます。どんな名カウンセラー、医師と世間に定評があっても生身の人間である以上、人間が嫌いになるのが普通です。人間嫌いになる自分を哀しいとは思いますが生涯、人間好きで通る人が居たとすると少々おかしいと言えるでしょう。この問題について暫く思索していきます。
人は弱い動物ですので何かを信じないといつも混乱していきます。自分に限りそんな物は要らないと断言する人がいたとしますと、その人は余程、人間を知らない人でしょう。混乱、錯乱を納める一番良い方法は何かを信じる事、これ以外に私は方法を知りません。信じるとアイデンティティの統合が生じます。その統合の内容が真善美に適っていればいるほど、アイデンティティの統合は永遠の魂に繋がります。ギリシャ神話、新約聖書、旧約聖書にはこの統合の仕方が実に見事に描かれていますので是非愛読してみて下さい。
自殺する人はどんな場合でも突然死ぬ事はありません。必ず段階を経て自殺していきます。不安感、怒り、身体症状、欝、錯乱の5段階を経て、そうなります。最初の段階「不安感」は誰もが持つ感情、次の「怒り」も「身体症状」も誰もが経験する段階ですが、そろそろ「欝」の段階から死へのシグナルが出始めます。錯乱の段階で人は死を選びます。本気で死ぬ気持ちになるともはや沈黙状態ですがこの段階では防ぎようがありません。人によりシグナルの出し方が違うので余程、子供の頃からか、友人の誰かが、そのシグナルに気づかないと対応策は打てません。或ポイントを超えると不可能なので、面倒を見れる立場の人がこの方程式を意識化しておかないと悲劇はあとをたちません。自殺は防げますが、その前に逞しく生き抜く哲学を修行して身につけて生きていきましょう。
勉強会での参加者の中に突然怒り出す人がいます。周囲は唖然として驚き、世話人も経験不足から慌てて取り乱します。会場は暗い雰囲気に陥り収まりの悪い状況に発展していきます。さてこの原因は山程ありますが一番重要な事は「欝と錯乱」という精神現象が何故、人類に与えられているか、その哲学的な意味を知っているかどうかに関わっています。この欝と錯乱の反対が幸福感と統御感なのですが、その相関関係式を知らない世話人は多分、その場を納める事は不可能でしょう。欝と錯乱の反対は幸福感であり統御感である真理を意識化している世話人は上手に納めていくでしょう。幸福感とは欝が解決された時の感情が基本ですし、取り乱れた人が静かになった、その瞬間を統御感と言いますが、その基本的な症状をしっかりと理解しておかないと、いつまでも慌てていく羽目になります。
愛し愛される手法を知らないと嘆く人がいますが、この原因は生育史にあります。人間である以上、愛し愛される体験はそれなりにあるのですが海外の新婚旅行から成田に帰国して直ぐ離婚するケースがマスコミに一時、評判になりました。この現象が良いとか悪いとか、ここでは言うつもりはなく、何故、そうなるのか、その原因の一つに愛の世界についての意識化に少々問題がある話をしてみます。愛の原型と言われているのですがその人が愛を感じるパターンは個人個人で全部違います。どんなにこちらが愛しても、その愛を感じない事例がありますが、その原因は愛の原型が違うからです。この人はどんな時に愛を感じるのか、冷静に洞察していかないと分かりません。これと同じようにこの人は人を愛する時、どんな愛し方をするのか、これも観察してみないとそのパターンは分かりません。愛の訓練と言われる所以はここにあります。軽率にあの人は私の愛が分からないと簡単に結論を出すとせっかくの幸福が離れていきます。愛は誇大感を伴う世界ですので冷静に洞察する習慣を身につける必要があるようです。
期待通りの返事が無いと怒り出す人がいますが、この現象は要注意です。甘えの豊かな人なのか、自己愛に異状があるのか、きちんと洞察していかないと何とも判断出来ません。自分が幸せになる為にも周囲を幸せにする為にもこの精神現象の原因を意識化しておく必要があります。期待通りの答えを得られない場合、もし、憂鬱になり乱れる現象が自分にあるのを意識化する、つまり病識を獲れば、人は案外早くその悪習から解放されます。この傾向に気づかないと生涯、何となく欝と錯乱に支配されていきます。
自己愛は大事なものですが現実とうらはらな自分を空想的に誇大化して解釈していると世間から侮蔑されていきます。「あたかもなになにであるかのような」錯覚の世界に生きているのです。専門用語で「AS IF PERSON」と呼ばれる人格障害の一つです。ナルシストとも言われていますが難しいので、きちんと専門的に勉強していかないと本人もその周囲も誤診により、大きな被害をうけますので簡単に診断するのは避けていく必要があります。自己愛が強いと案外、心が裸にされたと不満を感じるようです。
小心者、頑固者、思い込みの強い人、信念のある人、正義感の強い人、怒りっぽい人、数えたらきりがありませんがこの構成概念が固いと呼ばれている人が案外、心が弱いのです。柔軟な構成概念の人はどんな環境でも逞しく爽やかに、しなやかに生き抜いていきますが応用力の無い人はとても生き抜くのが大変です。現実だと思っても、それは現実ではなく構成概念に過ぎないケールが沢山あります。単なる思い込みであって現実ではないことに気づきます。「構成概念が固い」自分を一度、素直に点検してみると案外人生が楽しくなります。
生涯ぶつぶつ呪文のように呟くセリフがこの「悔いのない人生って何だろう?」かもしれません。10代、20、ーーー80代でも独り言のように自問自答しています。面白い事にこの独り言はギリシャ、ローマ時代よりも遥か以前のギルガメッシュの叙事詩にも書いてありますが、多分、人類の永遠の課題なのでしょう。しかし面白い現象があります。この独り言を言うとマンネリズムが解消されるのです。何故解消されるのかを研究しているプラトンもいます。ノイローゼになるくらい思索するのは少々問題ですが生涯、自問自答するにはとても良い薬です。
ワークショップの世話人がどんなに良い人であっても経験豊かな人であっても参加者のうちの或種の人々は心が傷ついてしまうようです。人間世界の宿命のような領域があり或精神状態ですと、必ず心が傷つきます。この心が傷つく条件を敢えて一つ挙げるとするとその人が逞しくないからです。逞しい人間でも心は傷つきますが回復率が高いようです。逆にどんな条件だと傷つきやすいかと言いますと心の中に無数の欲求不満があり生育史上の挫折感、劣等感、愛の孤独感、不信感、絶望感を所持しています。この原因を本人のせいにするには、余りにも過酷な環境があったからです。人を信頼出来る感覚が少しでもないとワークシヨップへの参加は危険ですので、先ずは何故、人が傷つくか、その理論を勉強する必要があります。
不安感の取り扱いの方法を知ると人生が楽しくなります。扱い方を知らないと、不安感は何となく恐怖の対象となりいつまでもその虜となるので生きていくのが面白くありません。心をダイナマイトで壊滅状態にされる前に、この不安感の意味を悟り人生の智恵の泉にしてしまいましょう。不安感を感じるという事はその人にとっては大事な領域での感情なので無視したり抑圧することなく、この不安感は自分のどんな生育史上の理想と現実のギャップなのか、その自己分析から始めましょう。不安感の処理の方法を知らないままワークショップに出た場合、必ず自分の心が弄ばれたとか、裸にされたという不満が残ります。参加する前にその世話人がどんな学会の先生か、よく調べてから参加しましょう。
病気で苦しんでいる方が聞いたら怒り出すかもしれません。生き甲斐の心理学は終末治療を受けている方をも対象に勉強をすすめていきます。息を引き取る方でも解釈を変えると安心して天国に旅立ちます。それと同じように今、身体症状は治療の方向性を示唆してくれる重要な指標であることだけを意識化しておいて下さい。ただ身体症状だけに固執すると解決の方向性が見えてこないのです。辛い事ですが何が問題なのか、この身体症状の分析が間違うと大きな禍根を残します。
人間の本質が不安だとすると、人類はいつも、どの時代でも、その不安感と戦っていることになります。まさにその通りで、もし不安がなければ学問の発展は無かったことでしょう。不安な状態は普通の人は大嫌いですので、もがきながら解決しようと努力しています。不安感が深くなればなるほどその人は手法さえ知れば逆転させ、他者以上の深い平安感を感じとれるようになります。平安感を得る喜びの為の不安感、と定義は重要です。健康感を得る為の身体症状、幸福感を得る為の欝、統御感を得る為の錯乱、この法則を知らないと人は大きな無駄を支払う運命を歩かねばなりません。
色々のワークショップが世界中で行われています。それぞれの考え方で行われていますが初心者が参加して暖かいものを感じない勉強会はとても危険です。しみじみと参加して良かったと思う理由は沢山あるでしょうが愛を感じない勉強会はまず駄目です。患者さんが医師やセラピストを訪問して愛を感じなければ二度と行きません。愛は本物でないと患者さんは直ぐ、敏感に感じとります。本物の愛とはなんでしょう?:一番難しいセラピストの課題は何といいましても愛の修行かもしれません。