「歌を盗られたカナリヤは(その3)」
2003年4月下旬に通販商品として日本教育音楽センター(後ユーキャン)から発売さ
れたアルバム『うたくらべ ちあきなおみ』。その名が示すようにコロムビア、ビ
クター、テイチク時代の作品をVol.1「誕生」からVol.10「爛熟」まで10ブロックに
分けて、それぞれにカテゴライズされた166曲もの作品が収められてあって、それ
ぞれの時代を味わうことができるようになっています。
この商品には歌詞集の他にちあきのフォトアルバムが付録として付けられてあって、
そこに縁のあるひとの賛辞が寄せられているのですが、その中のひとり船村徹は次
のように述べています。
“唄書きにとって、「ちあきなおみ」ほど恋しくなる素材はない。「美空ひばり」と
の唄作りが闘いなら、ちあきとのそれは恋愛のようなものだ。”(抜粋)
この前には、‟年齢のせいだろうか、(中略)小さな悲しみのようなものが心に刺さ
ったまま取れずにいる。「ちあきなおみ」をあきらめきれずにいるからなのだ。”と
ある。心に刺さったまま取れずにいるものとは一体何なんだろう。それが「歌を盗ら
れた」ことと関係していて、そのために彼女との信頼関係が損なわれて、‟あの娘は
きっと戻ってくる”と語った船村の望みが到頭叶わうことがなかったとしたら…。
船村は、ちあきと美空ひばりとを喩えで比較していますが、それが同じ曲を通じての
想いだとしたら…。
幻のオリジナル・アルバムの発売予定が1990年6月21日であるならば、アルバム『紅と
んぼ』同様に12曲ほどの新譜で臨まなければなりませんから、すぐにというより既に
取り掛かかっていた筈です。
『紅とんぼ』のリリースが1988年10月5日で、それに収めるか迷った「母のいない
故郷」が1983年以前に作られていたとしたら、かなり前から兄弟とも云える2つの
オリジナル・アルバムが同時に企画されて、その準備に取り掛かっていたと考える
ことができます。
では、その頃に何があったのか?
地方公演中の1987年4月22日に慢性肝炎と両側大腿骨頭壊死という重病で済生会福岡
総合病院に緊急入院した美空ひばりが、再起不能説も囁かれる中、突然その夏(8月)
に退院したのは、竣工した東京ドームをこけら落としの舞台にする話が持ち上がった
からであり、直ちに復帰作の依頼が船村徹と星野哲郎に持ち込まれた。
そして、その年の10月9日に演奏と同時録音(伴奏と同時の一発録り)されたのが、
以下の2曲である。
「みだれ髪」、作詞星野哲郎、作曲船村徹、編曲南郷達也
「塩屋岬」、作詞星野哲郎、作曲船村徹、編曲蔦将包
そして、A面「みだれ髪」、B面「塩屋岬」として1987年12月10日にコロムビアから
発売され、5万人もの観客を集めて行われた1988年4月11日の「不死鳥コンサート」の
話題も相俟って、ミリオンセラーとなった。
美空ひばりのシングル出荷枚数の集計によると、「川の流れのように」の205万枚
を筆頭に、「柔」195万枚、「悲しい酒」155万枚、「真赤な太陽」150万枚、「リ
ンゴ追分」140万枚、に次いで「みだれ髪」が125万枚となっている。
同時録音せざるを得ない体調の中、立ち会った船村はこのときのことを以下のように
語っています。
”「みだれ髪」のワンコーラス目の詞でいうと♪投げて届かぬ 想いの糸が~という
一節がある。この届かぬの『ぬ』から『が』の間の音の動きを、私は完全五度の音程
に書いておいた。この部分は、私が最もあれこれと苦しみ抜いたところである。完成
した段階でも、なんとなく気持ちが引っかかっていたのだった。……スタジオに流れ
るひばりさんの歌は、とても病み上がりとは思えないような、張りのある美しい歌声
だった。録音後、改めて聞いてみると、私が書いた完全五度音程が、スムーズに流れ
る短三度の動きに直され、歌われていたのだ。「やられた……」。だれにも見つから
ないように、その場で私は譜面を書き直した”。
短三度(たんさんど)は、音楽理論における音程の一つで、二つの音の間に半音が
3つある音程を指す。
例えば、ド(C)からミ♭(E♭)の音程が短三度で、具体的には、以下のような特
徴がある。
・音程の幅:短三度は、全音1つと半音1つの組み合わせで構成される。例えば、ド
からミ♭、レからファなどが該当する。
・音の響き:短三度の音程は、長三度(全音2つ)に比べてやや暗く、悲しげな響き
を持っている。
要するに、ひばり得意の侘しげな演歌調になる。
ね、船村はひばりとは闘うどころか有無を言わさずあっさりと寄り切られた。作曲家も
形無し、向っ腹も立った筈。
対して、ちあきはその部分を船村の音符に込めた思いを優雅に表現仕切って歌った筈。
完全五度(かんぜんごど)は、音楽理論における基本的な音程の一つで、以下のよ
うな特徴がある。
・音程の幅:完全五度は、基音から七半音(全音4つと半音1つ)離れた音程です。
例えば、ド(C)からソ(G)、レ(D)からラ(A)などが完全五度に該当する。
・音の響き:完全五度は、非常に安定していて調和の取れた響きを持つ音程で、
このため和音の基礎としてよく使われる。音楽の中で非常に重要な役割を果たし
ており、和音の構成やメロディの進行において欠かせない要素である。
要するに、ちあき向きの抒情的な曲調になる。
美空ひばりはのファルセットは誰もが認めるものですが、ひばりの母からは本当はファ
ルセットは苦手なのでやめるよう言われていたにも拘らず、「みだれ髪」では一番高い
ファルセットのさらに半音高い音をサビで使った。
平成24年(2012年)1月7日の「週刊N新書」(テレビ東京、11:30~)に船村徹がゲスト出
演したときに、番組ホストの田勢康弘に「みだれ髪」について、病み上がりの美空ひば
りに、あのファルセットを使用する出だしはきつかったのでは、と突っ込まれていた。
船村は、あえてそのようにしたとか何とか苦しい言い訳じみたことを返していたけどね。
星野哲郎も次のようなことを語っている。「みだれ髪」の二番の歌詞に‟祈る女の性かな
し”があるが、ひばりの容態を見てのことかのようにして、他の歌詞に変えることを打
診したところ、ひばりは「今の私は『祈る』という言葉を大事にしたい」と云ったので、
そのままにしたと。
初めからひばりのために書いたのであれば、容態がどのようなものか人伝にでも分かり
そうなもの。取って付けたようなエピソードとしか受け取れない。
ね、美空ひばりにと考えていたメロディーや歌詞じゃなかったように思えるでしょ。
ちあきならファルセットじゃなく地声で歌える。それも演歌調じゃなく抒情的に歌える。
それに先ほど並べて比較したアルバムの中で『紅とんぼ』には、作詞星野哲郎、作曲船
村徹の「ひとりしずか」があるけれど、『男の友情』には1曲も無い。けったいな話だ。