小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、精神科医、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

逆説反応

2008-05-12 17:45:57 | 医学・病気
逆説反応
精神病院の中には、さらに、個室が数部屋ある。ここは、トイレとベッドしかなく、拘置所より、環境が悪い。テレビもない。患者があばれて物を壊す可能性があるからだ。鉛筆やシャープペンも、禁止の場合がある。尖ったものは、自傷の道具になるからだ。もちろん、自傷の危険が無いと判断されたら、鉛筆は、許可になる。
きれいな個室もあるが、きれいでない個室もある。民間病院は、経営が苦しく、建物を改修する費用がない所が多いからだ。
さて、個室が適応と判断された患者は、重症の患者なのだが、そういう患者には、奇妙な、最悪な事をする場合がたまにあるのだ。トイレの水で顔を洗ったり、自分の便を食べたり、などである。偽善的な事は、あまり言いたくないが、そういう行為は、本当にやりきれない。患者がかわいそうである。しかし、そうする原理は、容易にわかる。これは、何も精神科の患者だけでなく、一般の人でも、ある苦しい状況に置かれたら、起こりうる感情だ。しかし、その原理を書いたものが、見当たらないので、私は、そういう行為を、「逆説反応」と名づけた。これは、そう難しい心理ではない。患者は、してはならない最悪の事をしてしまうのである。これは、精神が追いつめられた時は、落ち着いてものを考えられないから、「してはならない」行為を、「してはならない。してはならない」と、思っている内に、そのタブーが、かえって強迫観念になってしまうのである。患者は、その強迫観念に悩まされつづける。そして、その観念がどんどん強くなって、患者を苦しめるのである。もう、患者は精神的に耐えられなくなってしまう。そこで、「してはならない」ことを、する事によって、精神の苦しみが、解放されるのである。

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うつ病について

2008-05-12 17:41:25 | 医学・病気
うつ病について。
うつ病について、書いておこう。自慢ではないが、私ほど、うつ病、うつ状態になった人間も少ないのではないかと、思う。うつ病の定義は、様々で、症状も、またその度合いも人によって違う。うつ病の本はたくさん出ているので、もう書かれている事は、書かない。
まず、「うつ病」と、「落ち込み」の違いについて。
私は人間の8割は、人生で一度も、うつ病を経験しないと思っている。しかし、落ち込んでる人は、容易に、「あー。オレ、今、うつだよ」と言う。この発言は、全然、悪い事ではない。苦しい時には、弱気な発言をする事は、本能的な自己治療である。もっとも、自己治療というほどの大層なものではないが。真夏の暑い時には、「暑い」と素直に自分の感情を言うのと同じである。
だが、本当の、うつ病になった人は、「私は今、うつ病です」などとは言わない。うつ病にも程度や、種類があって、一概には言えないが。重症のうつ病になると、会社で働けなくなる、そのため上司に叱られる、自分自身の事さえ出来なくなる、自分の事さえ、他人にやってもらわなくては出来なくなる。いわば、「社会不適格者」となる。誰が、「自分は社会不適格者だよ」などと人に自慢げに言うだろうか。私は何度も、うつ病を体験しているが、一時間かけて、本の一行も読めなくなる、文章を一文書くのも出来なくなる。無理して書こうとすると、ものすごく疲れる。いわば、エンジンが不調になった車を無理に走らせているのと同じである。そういう時は、当然、修理工場に出して、修理するのが当然である。でないと、車も人も壊れてしまう。そういう時、頑張るのは、根性ではない。だから、うつ病の時、「頑張れ」という言葉は、禁忌なのである。本人は、頑張ろうとしているのに、出来ない状態が、うつ病なのである。
私は医学的な定義ではなく、私の個人的な感覚として、では、どういう状態を、「うつ病」と定義するかと思うと、それは単純である。
その人が本気で、「死にたい」と思っているなら、それが、「うつ病」である。
というのが、私の個人的な、うつ病の定義である。

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完全自殺マニュアル

2008-05-12 17:39:24 | Weblog
完全自殺マニュアル
患者に逃げ道をつくる。
精神科においては、精神科医は、患者にとっては、自分を理解してくれる人の存在ほど嬉しい事はない。患者が精神科に行くのも、そのためである。
しかし、あまり切れすぎる精神科医というのも、患者は嫌なものである。精神科医は、多少、抜けていた方がいい面もある。患者は患者で精神科医を利用しようとしているからだ。切れることは悪くはない。ただ、患者の心理がわかったからといって、あまり患者を追いつめるようなことをしなければいいのだ。わかっていても、解らない振りをする事も必要なのだ。患者に、「逃げ道をつくっておく」事が大切なのだ。
さて、患者は、自殺のため、薬を貯めたり、死の方法を考えたりする。
「完全自殺マニュアル」という本があるが、世では、賛否両論のようだが、私は、悪い本だとは思わない。むしろ、いい本だとさえ、思っている。楽に確実に死ぬ方法を知っておく事は、生きるか死ぬかで悩んでいる患者にとって、ありがたい事だ。確実に楽に死ねる方法がわかったからといって、人間は、すぐに死んだりはしない。「死にたい」と訴える患者の本心は、「生きたい」である。患者は、死と生の選択で、堂々巡りしている。そして、何も出来ないまま、虚しく日々を過ごしている。楽に確実に死ねる方法がわからないからだ。そこで、いつでも楽に確実に死ねる方法を知っていれば、「いざとなったら死ねばいい」で、精神が堂々巡りから開放されて楽になる。また、「いざとなったら死ねばいい」で、ダメで元々という気持ちで、「生きてみよう」という勇気さえ生まれる。死ぬ方法がわかったら、すぐ人は死ぬか、というと、そんな事はない。日頃、「死なんか怖くない」とうそぶいている人間も、本当の死の恐怖にあったら、絶対そんな事は、言えなくなる。それほど人間の生きたい、死にたくない、という本能は、強い。
ある本にあったが、
「生にしがみつく者は死に、死を抱くものが生きる」
とあったが、まさにその通りだと思う。これは机上の理論ではない。私は、精神科医であると同時に、100回以上ビルの屋上に登って自殺を考えて生きてきた患者でもあり、まさに、その思いで生きてきたからだ。

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