精神療法について。
精神療法というと、何か特別な神秘的な治療法のように聞こえるが、全然、そんなものではない。単に患者の悩みを聞いたり、アドバイスしたり、要するに、患者との対話を精神療法といっているだけである。
私は二年の研修の後、ある民間の精神病院に就職した。ここの病院をモデルにして、「精神科医物語」というのを、書いて、ホームページに載せてあるので、よかったら読んで下さると嬉しいです。
外来もやった。私の外来の日に、ある週一回の非常勤のベテラン精神科医が来た。児童精神医学が専門で、大学で彼の受け持ち患者を、ここの病院に紹介してここで診ていた。彼は知識が豊富で、人気があって、大入り満員だった。患者は、みな児童だから、もちろん親が連れてくるのである。カーテン一枚、隔てた隣で診ているので、彼の声が、全部、聞こえてくる。聞いていて、いちいち、もっともだ、と思った。少しの間違いも、スキもない。ああ、名医だな、患者に人気があるのももっともだな、と最初の内は、感心して聞いていた。しかし、だんだん彼の診療に、疑問を持つようになってきた。彼の診療は、当然、子供の病気の説明や親への子供の対応の仕方の説明である。知識がある事も、加わって、一人の患者に非常に時間をかけて説明する。親も、時間をかけて、いいアドバイスをしてくれる氏の診療に実に嬉しそうである。しかし、あれも、これも、すべて知っている事を説明し、親はニコニコ笑っているだけである。児童精神科の場合、親が子供にどう対応するか、という事が、大切になってくるので、つまりは親が子供の主治医にならなくてはならない。氏の診療では、親は病院で説明を受けている時、心地よい言葉のシャワーを浴びて満足しているようなものだが、さて、家に帰った時、何をすべきか、わからなくなってしまうのではないだろうか。大切な事は、親を主体性を持った子供の主治医にする、という事だ。あれも、これも、全て説明しては、焦点が定まらなくなってしまう。また、医者が名医だと、親は名医にかかっているという安心感から、自分の主体性がなくなりかねない。
私は、児童精神科では、あれもこれも、全て説明することより、たった一つでも、親が子になすべき事を、強く訴える事だと思う。親の主体性を強く確立させる事の方が大切だと思う。親は親で、自分の考えで子供を育てようとしている。思いやりから発して、間違った事を言ってしまう場合もあるだろう。だが、基本の心が愛情なら、それも、そんなに悪い影響を与える事はないと思う。うつ病患者に、「頑張れ」の言葉が禁句のように、絶対、はずしてはならない原則は、きちんと教えるべきだが、基本は、親の主体性を確立させることであると思う。名医にかかっている、という事で安心し、診療では、心地よい言葉のシャワーを浴び、家に帰って、はて、何をすべきなのだろう、と首をかしげるようにしてしまっては、よくない。どうして人をロボットにして、人から自分で、ものを考える楽しみを奪おうとするのだろうか。
精神療法というと、何か特別な神秘的な治療法のように聞こえるが、全然、そんなものではない。単に患者の悩みを聞いたり、アドバイスしたり、要するに、患者との対話を精神療法といっているだけである。
私は二年の研修の後、ある民間の精神病院に就職した。ここの病院をモデルにして、「精神科医物語」というのを、書いて、ホームページに載せてあるので、よかったら読んで下さると嬉しいです。
外来もやった。私の外来の日に、ある週一回の非常勤のベテラン精神科医が来た。児童精神医学が専門で、大学で彼の受け持ち患者を、ここの病院に紹介してここで診ていた。彼は知識が豊富で、人気があって、大入り満員だった。患者は、みな児童だから、もちろん親が連れてくるのである。カーテン一枚、隔てた隣で診ているので、彼の声が、全部、聞こえてくる。聞いていて、いちいち、もっともだ、と思った。少しの間違いも、スキもない。ああ、名医だな、患者に人気があるのももっともだな、と最初の内は、感心して聞いていた。しかし、だんだん彼の診療に、疑問を持つようになってきた。彼の診療は、当然、子供の病気の説明や親への子供の対応の仕方の説明である。知識がある事も、加わって、一人の患者に非常に時間をかけて説明する。親も、時間をかけて、いいアドバイスをしてくれる氏の診療に実に嬉しそうである。しかし、あれも、これも、すべて知っている事を説明し、親はニコニコ笑っているだけである。児童精神科の場合、親が子供にどう対応するか、という事が、大切になってくるので、つまりは親が子供の主治医にならなくてはならない。氏の診療では、親は病院で説明を受けている時、心地よい言葉のシャワーを浴びて満足しているようなものだが、さて、家に帰った時、何をすべきか、わからなくなってしまうのではないだろうか。大切な事は、親を主体性を持った子供の主治医にする、という事だ。あれも、これも、全て説明しては、焦点が定まらなくなってしまう。また、医者が名医だと、親は名医にかかっているという安心感から、自分の主体性がなくなりかねない。
私は、児童精神科では、あれもこれも、全て説明することより、たった一つでも、親が子になすべき事を、強く訴える事だと思う。親の主体性を強く確立させる事の方が大切だと思う。親は親で、自分の考えで子供を育てようとしている。思いやりから発して、間違った事を言ってしまう場合もあるだろう。だが、基本の心が愛情なら、それも、そんなに悪い影響を与える事はないと思う。うつ病患者に、「頑張れ」の言葉が禁句のように、絶対、はずしてはならない原則は、きちんと教えるべきだが、基本は、親の主体性を確立させることであると思う。名医にかかっている、という事で安心し、診療では、心地よい言葉のシャワーを浴び、家に帰って、はて、何をすべきなのだろう、と首をかしげるようにしてしまっては、よくない。どうして人をロボットにして、人から自分で、ものを考える楽しみを奪おうとするのだろうか。