小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、精神科医、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

聴診

2009-05-19 04:08:55 | 医学・病気
かかりつけの医院に行って、疑問に思うことがある。私は誠実な人格の人は非難したいと思わない。だか疑問は疑問である。もっともこれは、何も、そこの医院だけではない。私は睡眠薬と胃腸の薬と喘息の薬をもらっている。毎回、聴診器で肺雑音があるかどうか、聴診して、「音は問題ないですね」と言う。私も医者であることは、その先生は知っている。実はこの聴診は全く無意味なのである。というのは、喘息ほど体の病変と自覚症状が完全に一致する病気はないからである。喘息は気管支が狭窄することによって呼吸が困難になることによって起こる。発作が起こっている時は呼吸が困難になるから、当然、患者は苦しみを訴えるし、苦しさが顔に現れ、肩呼吸になるから患者を見ただけでわかるのである。そして発作が起こっている時は、気管支が狭窄しているから肺雑音が聞こえのは当たり前である。この自覚症状と体の所見は完全に一致する。肩呼吸が起こっているのに、肺雑音が聞こえないという事はありえないし、逆に苦しみを全く訴えないのに、気管支が狭窄していて肺雑音が聞こえる、という事もありえない。また、わずかでも気管支が狭窄していると患者はそれを完全に感じとれる。つまり喘息は問診だけで十分なのである。では、一体、何のために聴診するのであろうか。私にもわからない。考えられるのは。
一、医者は、問診だけでは自分が納得できず、どうしても肉体を調べて自分が納得したい、という思い。
二、肺疾患といえば聴診であり。もっともらしく聴診するという事に日常の診療の習慣から、もう疑問を持たなくなってしまっている精神状態になってしまっている。
三、つまるところ、喘息を経験したことのない医者は、喘息という、こんなにありきたりの疾患でさえも、患者ほどにはわかっていない。

のどれかだろう。

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