小説家、反ワク医師、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、反ワク医師、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

スポーツコーチのバカさは学校の教師のバカさと同じである

2011-01-15 07:24:31 | 武道・スポーツ
スポーツコーチのバカさは学校の教師のバカさと同じである。つまりは相手、生徒の心理が分からない。考えようともしない。物理的な外見しか見ていない。のである。つまり、こういうことである。コーチは生徒のフォームを見る。そして、欠点を注意する。生徒が、コーチの言ったようにフォームを変えようとすると、コーチは生徒が、聞く耳を持っていると思うから、「そうそう」と誉める。コーチは喜び、嬉しがる。もし、フォームを変えようとしなかったら、相手をアドバイスを聞く耳を持たない生徒と思うから、やる気がない生徒だと不快に思う。しかしである。フォームの欠点が本質的に変わって、その人の技術が上達するには、そのアドバイスを意識して、そうとうの時間をかけて、そうとうの練習をしなくては、変化しないのである。フォームを変えるということは、長い時間をかけて身につけてきた、自分のフォームを崩すということなのである。
欠点をその場で注意して、即、正しいフォームが身につくことは、基本的に、あり得ないか、生徒が超人的に運動神経の優れた人か、あるいは、アドバイスそのものが、本質的なものでない、(その場ですぐ変えられる程度の)簡単な注意であるか、の三つのどれか、である。ここで生徒が困るのは、フォームをコーチが言ったように、見せかけを変えつつ、コントロールして運動も上手く、やらなくてはならない、という二つの苦しいことを生徒は両立させなくてはならない、ということである。基本的にコーチは外面しか見れないから、運動が下手になっても、コーチのアドバイスを聞いた方がコーチは喜ぶ。しかし中には、コーチのアドバイスも聞きつつ、運動もしっかり出来なくては、満足せず、注意するコーチもいるのである。スポーツが嫌になってやめる人というのは、こういうアホなコーチの存在が大きいだろう。個々人で違う生徒の性格的な特性というものを、コーチは考える必要がある。いきなりフォームを変えれば下手になるだけである。ブルース・リーは、10人以上では、指導しなかった、と書いてあった。そうしないと個々人の内面、特性を把握できないからである。やる気のある生徒なら、レッスンの後、コーチの言ったアドバイスに到達しようと本気で考えるから、イメージしながらの素振りをしたり、壁打ちをしたり、次のレッスンで、球だしのボールで、ホームランを打っても、コーチのアドバイスを実践しようとするだろう。フォームが本当に変化するには時間と練習がかかるということをコーチは理解していなくてはならない。スポーツコーチにしても学校の教師にしても、注意をして即、守らない生徒は、やる気がないと見切りをつけて、何も注意しなくなる。生徒の独創性や探究心は無視し、先生に忠実なだけのロボット人間を真面目なやる気のある生徒と見なす。しかし、コーチや教師は、かえって、やる気のある生徒の指導に失敗するのである。やる気があるなら、厳しく扱けばいいとのお粗末な思考からである。スポーツなら、フォームの注意であり、学校の教師なら、学問の、生徒の思考の誤りの注意である。学科の理解にしても、教えて、即わかるものというものもあるが、(その点、勉強の方が、スポーツの指導より容易な面がある)理解が難しいものでは、理解ができるまでに時間がかかる、ということ理解していないと、教えて、即、理解できない生徒の扱いを誤り、いずれは理解できるようになる生徒を潰してしまうことになる。ともかく、生徒は、アホな教師やコーチに潰されないよう、気をつけなくてはならない。こういうことは、物事の本質を理解できる人間なら問題はないのだが、素質はあっても、才能のない生徒の場合、失敗する可能性があるのである。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする