世間の人は、スポーツの勝ち負けにすごく関心があるようだが、私は、ほとんどスポーツの勝ち負けに興味がない。「ウソ勝ち」とは、空手家の南郷継正氏が言った言葉だが、つまり、たとえば柔道で勝っても、相手の力を利用する、柔よく剛を制す、ではなく強引に力で倒すような、ルールに違反してはいないが、美しさのない勝ち方だが。
世間の人は勝ち負けにすごくこだわるようだ。ここが私と世間の人との大きな感覚の違いである。体操など、着地でピタリと止まれるか、一歩踏み出してしまうかが、大きな点数の差になるが、私から見ると、一歩踏み出さないように、無理して踏ん張ってる姿は格好悪く見える。もちろん、一歩踏み出すか、ピタリと着地するか、は、踏み切り、や、空中での回転の安定性の結果という面もあるが、それ以上に、主観が入らない客観的な採点だから、という面が強い。私には、一歩踏み出しても、浮きのある回転、空中姿勢、高さ、などの方に目が向く。しかし、それは、採点法として、審判の主観が入ってしまう面倒な採点法になるから、とらないのである。それにしても、元選手だった解説者も、着地にやたらこだわるのは、あるいは世間の人と同調しよう、天邪鬼になると解説者として嫌われる、と思っている面もあるのではないだろうか。
水泳でも、一番の人が一番上手い泳ぎ方をしている、とは全く言えない。
そもそも、金メダルだとか、メダルがとれなかった、などというが、たまたまその時の対戦相手に自分より強い選手がいたか、いなかったか、ということに過ぎない。
私はどうしても、勝ち負けとは、他人との戦いではなく、自分との戦いとしか思えない。
世間の人は勝ち負けにすごくこだわるようだ。ここが私と世間の人との大きな感覚の違いである。体操など、着地でピタリと止まれるか、一歩踏み出してしまうかが、大きな点数の差になるが、私から見ると、一歩踏み出さないように、無理して踏ん張ってる姿は格好悪く見える。もちろん、一歩踏み出すか、ピタリと着地するか、は、踏み切り、や、空中での回転の安定性の結果という面もあるが、それ以上に、主観が入らない客観的な採点だから、という面が強い。私には、一歩踏み出しても、浮きのある回転、空中姿勢、高さ、などの方に目が向く。しかし、それは、採点法として、審判の主観が入ってしまう面倒な採点法になるから、とらないのである。それにしても、元選手だった解説者も、着地にやたらこだわるのは、あるいは世間の人と同調しよう、天邪鬼になると解説者として嫌われる、と思っている面もあるのではないだろうか。
水泳でも、一番の人が一番上手い泳ぎ方をしている、とは全く言えない。
そもそも、金メダルだとか、メダルがとれなかった、などというが、たまたまその時の対戦相手に自分より強い選手がいたか、いなかったか、ということに過ぎない。
私はどうしても、勝ち負けとは、他人との戦いではなく、自分との戦いとしか思えない。