橋下大阪市長の「米兵は性欲の処理に風俗嬢を活用すればいい」という発言。この発言の内容自体は、問題はない。沖縄には、那覇市のどこかに風俗店の集まった所がある。風俗店は、金を払って女を抱く所である。(本番は日本の法律で出来ないが)だから、なんら違法ではない。「米兵はお断り」としている風俗店は、まず無いであろう。だから米兵が、沖縄の風俗店に行って、金を払って女を抱く分には何ら問題はない。ただ、問題なのは、氏が大阪市長とか維新の会代表という公的な立場の人間なのに、そういう発言したことに問題があるのである。もっとも、公人じゃなく私人が発言したとしても、あまり、どころか品のいい発言ではない。それよりも米軍基地内にアメリカ人女性の風俗店を作ればいいと思うのだが。そういうものは無いのだろうか。米軍基地は、アメリカの一都市のようなもので、何でもあるから、そういうものも、あるのではないか、とも思うのだが。
さて従軍慰安婦について。私は従軍慰安婦について、あまり知らない。慰問団が日本軍の基地に行って、演劇などをして兵士達を楽しませた、ということがあるのは知っていたが。橋下氏の「戦争という極限状態では、慰安婦は性欲の吐け口として必要だった」という発言および、そういう認識に私は非常に疑問を感じる。戦争といっても、太平洋戦争の場合、ミッドウェー作戦の失敗から、日本は負け戦になった。国家総動員法、赤紙、徴兵、学徒出陣、特攻隊、など。特に特攻隊は、死ぬことが、確実に決定した兵士達である。現代で言えば、ガンで余命半年と宣言された人のようなものである。現代で、余命半年と宣告された人は、どんな感覚になるであろう。この心理を想像するのは難しくない。誰だって、ええー、と天地がひっくり返るほど驚き、ショック状態になり、ノイローゼや、うつ病になるだろう。将来への希望というものが無くなるのだから。ノイローゼや、うつ病になったら、食欲も性欲もなくなる。か、低下する。あるのは、ただ「死」との恐怖との精神的な戦いである。実際、特攻隊員には、「葉隠」や「論語」を読んで、何とか、死の恐怖を克服しようとした人も多い。「死」を宣告された人間がセックスをすることで、「死」の恐怖が緩和される、とは私には考えられない。「死」を宣告された人にとっては、セックスを楽しむ、どころの話ではない。と私は思う。私は従軍慰安婦のことは、よく知らない。日本人の慰安婦もいれば、朝鮮人の慰安婦もいただろう。しかし、慰安婦の数は、兵士の数と比べると圧倒的に少ないはずである。だいたい、特攻隊員が出撃する時は、別れの水杯、をかわしたのである。死なんとする人間に、酒すら飲ませてあげることが出来ないほど、日本は食料も、あらゆる物資も枯渇していたのである。鉄も石油も。特攻機も、「藤花」では、車輪の節約のため、空へ飛んだすぐ後に車輪を落とす、なんて、ことまでしていたのである。ガタルカナルの悲惨な兵士達にとっても。そうだが。日本の兵士や特攻隊員達に、必要だったのは、食料、衣料、負傷兵を治療する軍医、その医薬品、そして、死に対する精神的な覚悟、などだったはずである。特攻隊員たちは、若くて性欲が盛んな年頃とはいえ、彼ら様の、死の恐怖を和らげるために、女とのセックスが、必要だったとは私には思えない。セックスは、心身ともに健康で元気な時でしか、その気になれないし、楽しめないものである。はたして女とセックスしたら死の恐怖が、軽減されるものなのだろうか。
ただ、特攻隊員の心理は、特攻隊員でなければ、わからない。
戦時中には、兵士の士気を高めるために、覚醒剤が使われていた。また、人間は、死の恐怖が高じると、何とか生きようと、全身の機能が高揚して、性欲が高まることもある、ということも読んだことがある。
結果として、やはり、私には本当の事はわからない。
特攻隊員の心理は、特攻隊員でなければ、わからない。
さて従軍慰安婦について。私は従軍慰安婦について、あまり知らない。慰問団が日本軍の基地に行って、演劇などをして兵士達を楽しませた、ということがあるのは知っていたが。橋下氏の「戦争という極限状態では、慰安婦は性欲の吐け口として必要だった」という発言および、そういう認識に私は非常に疑問を感じる。戦争といっても、太平洋戦争の場合、ミッドウェー作戦の失敗から、日本は負け戦になった。国家総動員法、赤紙、徴兵、学徒出陣、特攻隊、など。特に特攻隊は、死ぬことが、確実に決定した兵士達である。現代で言えば、ガンで余命半年と宣言された人のようなものである。現代で、余命半年と宣告された人は、どんな感覚になるであろう。この心理を想像するのは難しくない。誰だって、ええー、と天地がひっくり返るほど驚き、ショック状態になり、ノイローゼや、うつ病になるだろう。将来への希望というものが無くなるのだから。ノイローゼや、うつ病になったら、食欲も性欲もなくなる。か、低下する。あるのは、ただ「死」との恐怖との精神的な戦いである。実際、特攻隊員には、「葉隠」や「論語」を読んで、何とか、死の恐怖を克服しようとした人も多い。「死」を宣告された人間がセックスをすることで、「死」の恐怖が緩和される、とは私には考えられない。「死」を宣告された人にとっては、セックスを楽しむ、どころの話ではない。と私は思う。私は従軍慰安婦のことは、よく知らない。日本人の慰安婦もいれば、朝鮮人の慰安婦もいただろう。しかし、慰安婦の数は、兵士の数と比べると圧倒的に少ないはずである。だいたい、特攻隊員が出撃する時は、別れの水杯、をかわしたのである。死なんとする人間に、酒すら飲ませてあげることが出来ないほど、日本は食料も、あらゆる物資も枯渇していたのである。鉄も石油も。特攻機も、「藤花」では、車輪の節約のため、空へ飛んだすぐ後に車輪を落とす、なんて、ことまでしていたのである。ガタルカナルの悲惨な兵士達にとっても。そうだが。日本の兵士や特攻隊員達に、必要だったのは、食料、衣料、負傷兵を治療する軍医、その医薬品、そして、死に対する精神的な覚悟、などだったはずである。特攻隊員たちは、若くて性欲が盛んな年頃とはいえ、彼ら様の、死の恐怖を和らげるために、女とのセックスが、必要だったとは私には思えない。セックスは、心身ともに健康で元気な時でしか、その気になれないし、楽しめないものである。はたして女とセックスしたら死の恐怖が、軽減されるものなのだろうか。
ただ、特攻隊員の心理は、特攻隊員でなければ、わからない。
戦時中には、兵士の士気を高めるために、覚醒剤が使われていた。また、人間は、死の恐怖が高じると、何とか生きようと、全身の機能が高揚して、性欲が高まることもある、ということも読んだことがある。
結果として、やはり、私には本当の事はわからない。
特攻隊員の心理は、特攻隊員でなければ、わからない。