小説家、反ワク医師、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、反ワク医師、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

世の中の平均的な人間はバカである

2013-09-06 04:14:04 | 考察文
自由学園では、3000m級の登山が毎年、あった。私は高校一年の時、前穂高に登った。その一回だけである。その登山の足慣らしとして、その前に、秩父の方の山に登るのである。足慣らしの方が、本番の登山と変わりないくらい、しんどかった。秩父の山の山頂で小休止して、弁当を食べるのだが、それで当然、ゴミが出る。登山者は他にも多い。このゴミの扱いなのだが。ゴミは捨てないで、各自、持ち帰って下さい、と書いてあるが・・・。山頂に捨てては、景観が悪くなり、自分が悪いことをしているという感覚になるから、その下の藪だらけの勾配の急な崖の中に放り投げているのである。せめても、山頂の景観が悪くならないように、との偽善と欺瞞の心理からである。しかし、これは偽善と欺瞞であってバカである。山には、時々、ボランティアの人達が、山のゴミを拾う、ということをしている。ゴミは、山頂に捨てていってくれた方が、ゴミをかたずける人にとって、拾うのに極めて楽なのである。勾配の急な藪の中にゴミを放り込まれると、取りようがない。取るのは、極めて労力を要し、また危険でもあるので、藪だらけの勾配の急な崖の中に放り込まれたゴミは、取りようがないのである。これはゴミを捨てる人の偽善と欺瞞の心理からである。

ゴミは、捨てるのなら、堂々と山頂に捨てた方がいいのである。その方が、ゴミをかたずける人にとって有難いのである。登山して、山頂にゴミを捨ててしまうと、次に来た登山者が不快に思う、という、そして、せめても、そうしないようにとの偽善と欺瞞の心理から、目につきにくい、そして取りようがない、山頂の下の藪だらけの勾配の急な崖の中に放り投げているのである。

そういうようなことは、無数にある。

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