小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、精神科医、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

天皇制は宗教と同じ

2017-07-21 06:18:30 | 考察文
「天皇制は宗教と同じ」

である。

天皇の血統が、間違いなく、継承されているという保証などない。

特に、平安時代、など、昔にさかのほれば、さかのぼるほど、天皇の、血統の正当性など、あやしくなる。

おそらく、天皇の血統の、正確な伝承など、行われていないだろう。

一人、天皇の、血統の伝承が、違えば、その後は、もう、天皇制は、何の意味もなさなさなくなる。

しかし、それでいいのである。

天皇制は、宗教と同じく、遺伝的、事実的、な、正確性に、意味があるのではなく、「制度」、に、意味があり、「制度」、を、日本国民は、ありがたがっているのだから。



それは、たとえば、キリスト教に、おいて。

イエス・キリストが、性交によらず、処女解任によって、生まれた、「神の子」、など、どう考えたって、生物学的に、ウソであるとしか、思えない。

カトリックや、江戸時代のキリシタンのように、信仰心の非常に強い、クリスチャンなら、聖書に書かれてあることを、全て信じているだろうが。

「キリスト教は、博愛の、いい宗教だ」、程度に思っている、非常に多くの人は、イエス・キリストが、セックスによらず、処女解任によって、生まれた、などとは、まず信じていない。

それでも、宗教は、成り立っているのである。

日本の天皇制も、それと同じで、血統の正当性の真偽なんかに、意味はなく、天皇制という、「制度」、に意味があり、そして、日本人は、天皇の、血統の、生物学的な、正確な伝承を、(むきになって、ではなく)、なんとなく、ほんわかと、信じることに酔い痴れたいだけなのである。

つまり、「天皇制」、というものが、古事記に始まる日本の歴史の始めから、途切れることなく、続いてきた、ということが、日本の誇りであり、重要なのであり、今上天皇や、近く即位する、現、皇太子殿下、は、どこの、馬の骨の末裔であっても、一向に構わないのである。

そもそも、親子一代に限ったって、私は、自分の両親が、自分の本当の両親であるなどという、医学的な証明などしていないし、ほとんどの、家庭でも、そうだろう。

DNA鑑定なんて、やってないし、昔は、DNA鑑定なんてなかった。



何事でも、「タブーにする」、という行為が、「神聖性」、を作り出すのである。

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