鈴木宗男氏の発言。
「政治家は案内を戴くと出席したり、祝電を打つことは当たり前のことである。私の下にも多くの宗教団体から会合の案内行事等の連絡が来る。出席できない時は祝電を打つのは当然で、それを悪いという根拠はどこにあるのか」
確かに政治家は自分の選挙区の人々の面倒を見なくてはならない。
そうしなければ当選できない。
しかし相手がどんな人かは確かめるべきではないのか。
祝電を打つというのは相手を認めることだ。
相手が暴力団組員だったら、どうするのだ?
確かめる暇もないほど国会議員は忙しいのか?
これが。
自動車のタイヤがパンクして困っている人、とか、川に落ちて溺れている人、とか、倫理に関係ないことなら、相手が暴力団員だろうが、助ける行為に問題は無いと思うが。
祝電を打つというのは、相手を認め、祝福する、という倫理が関係した行為だ。
だから、やはり、祝電を打つ時は、相手がどういう人かを確かめてから、打つべきではなかろうか?
自分に悪意はなくても、「鈴木宗男先生が我が組織を認め祝福してくれた」と相手が悪用する可能性がある。
統一教会の問題を機会に、相手が祝電を悪用することもあるので、相手の素性を調べてから、とすべきではないか。
「政治家は案内を戴くと出席したり、祝電を打つことは当たり前のことである。私の下にも多くの宗教団体から会合の案内行事等の連絡が来る。出席できない時は祝電を打つのは当然で、それを悪いという根拠はどこにあるのか」
確かに政治家は自分の選挙区の人々の面倒を見なくてはならない。
そうしなければ当選できない。
しかし相手がどんな人かは確かめるべきではないのか。
祝電を打つというのは相手を認めることだ。
相手が暴力団組員だったら、どうするのだ?
確かめる暇もないほど国会議員は忙しいのか?
これが。
自動車のタイヤがパンクして困っている人、とか、川に落ちて溺れている人、とか、倫理に関係ないことなら、相手が暴力団員だろうが、助ける行為に問題は無いと思うが。
祝電を打つというのは、相手を認め、祝福する、という倫理が関係した行為だ。
だから、やはり、祝電を打つ時は、相手がどういう人かを確かめてから、打つべきではなかろうか?
自分に悪意はなくても、「鈴木宗男先生が我が組織を認め祝福してくれた」と相手が悪用する可能性がある。
統一教会の問題を機会に、相手が祝電を悪用することもあるので、相手の素性を調べてから、とすべきではないか。