小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、精神科医、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

一人よがりの少女・他5編 (小説)

2020-07-20 04:10:26 | 小説
一人よがりの少女

ある初冬の日のことである。
私は、横浜市立中央図書館に、行って、勉強した。
そして、閉館の5時に、図書館を出た。
私は、アイスティーが、飲みたくなって、近くの、マクドナルドに入った。
私は、アイスティーを、持って、二階の客席に、上がって、座った。
そして、アイスティーを、啜り出した。
二階の客席は、すいていた。
しかし、窓際の席に、一組の、女子高生と、男子高生、が、向き合って、座っていた。
客は、その二人と、私だけだった。
女子高生と、男子高生、は、彼氏彼女の仲なのだろう、仲が、良さそうで、さかんに、話していた。
二人の会話が、私の耳に入ってきた。
私は、二人の会話に耳を傾けた。
どうやら、彼女は、アイドル志望で、芸能プロダクションの、オーディションを、受けたのに、落ちてしまったらしい。
彼女は、さかんに、AKB48の、悪口を言っていた。
「高橋みなみ、なんて、大したことないじゃない。そもそも、AKB48なんて、いい加減なものよ。一人で、芸能プロダクションに、応募して、認められたんじゃ、ないわ。大勢、いるから、一人か、二人、ブスが、混じっていても、わからないじゃない。ねえ。そうでしょ」
そう言って、少女は、チキンマックナゲットを、ちぎって、バーベキューソースをつけて、男の子の口に、入れた。
「スマップにしたって、そうじゃない。あの中で、格好いいのは、木村拓哉だけじゃない。他の、稲垣吾郎、香取慎吾、中居正広、草彅剛、なんて、たいしたことないじゃない」
そう言って、少女は、チキンマックナゲットを、ちぎって、バーベキューソースをつけて、男の子の口に、入れた。
「草彅剛、なんて、たいしたことないじゃない。あれが、人気があるのは、スマップの一員だから、という理由だけじゃない。もし、草彅剛、が、一人で、芸能プロダクションに、応募したら、プロダクションは、採用したと思う?採用なんて、しっこないわ。自分の実力で、タレントになったんじゃ、ないわ」
そう言って、少女は、チキンマックナゲットを、ちぎって、バーベキューソースをつけて、男の子の口に、入れた。
「AKB48だって、そうだわ。AKB48なんて、あんな大多数のグループが、今までに無かったから、受けたのに、過ぎないじゃない。で、AKB48が、人気が出たから、グルーブに属する、一人一人、が、アイドルになれた、だけのことじゃない」
そう言って、少女は、チキンマックナゲットを、ちぎって、男の子の口に、入れた。
男の子は、ニコニコ、笑顔で、少女の、発言に、自分の意見を言う、ということは、せず、黙って、少女の話を聞いていた。
また、少女も、うつむいたまま、顔を上げず、一人で話していた。
少女は、男の子を、話し相手とは、思っておらず、自分の思いを、誰かに話したくて、一方的に、男の子に、話しているのに過ぎない。
だから、別に、少女の、お喋りの、聞き手は、仲のいい、彼でなくても、誰でも、よかったのである。
こういう女は、結構、いるものである。
私は、彼女の、一人よがりさ、が、何とも、面白く、二人の会話を、黙って聞いていた。
その時である。
外で、大きな声がした。
警察のアナウンスだった。
「こちらは、横浜中区警察署です。今、アフリカから、上野動物園に、輸送中の、ゴリラが、車のカギを壊して、脱走しました。凶暴な肉食の人食いゴリラです。この近辺にいると、推測されます。大変、凶暴です。危険ですので、住民のみなさんは、外を出歩かないようにして下さい。そして、ゴリラを見かけた方は、すぐに、警察に通報して下さい」
私は、(ふーん。ゴリラが、街中をうろついているのか)、と、思ったが、私は、自分とは、関係のない、他人事だと、思って、気にかけなかった。
それより、私は、少女の話の方に、関心があった。
「あーあ。私も、芸能プロダクションじゃなくて、AKB48のオーディションを、受ければよかったな。そうすれば、私なら、間違いなく、受かったのに」
そう言って、少女は、チキンマックナゲットを、ちぎって、バーベキューソースをつけて、男の子の口に、入れた。
男の子は、ニコニコ、笑顔で、少女の、発言に、自分の意見を言う、ということは、せず、黙って、少女の話を聞いていた。
その時である。
私は、吃驚した。
なぜなら、大きなゴリラが、マクドナルドの二階に上がってきたからである。
私は、腰が抜けてしまって、動くことが出来なかった。
男の子は、ゴリラに、気づくと、出来るだけ、物音を立てないように、注意しながら、そっと、席を立って、抜き足差し足で、二階のマクドナルドから、出て行った。
ゴリラは、少女の、席に、向き合って、座った。
ハーハー、鼻息を荒くしている。
しかし、少女は、うつむいて、独り言の愚痴を、話そうとしているので、目の前の、ゴリラに、気づいていない。
「あーあ。AKB48の、オーディションを、受けていれば、私は、受かったのに。もう、募集、締め切りになっちゃった、から、出来ないわ。ねえ。私が、AKB48の、オーディションを、受けていれば、受かったのに」
そう言って、少女は、顔を上げ、チキンマックナゲットをちぎって、バーベキューソースをつけて、ゴリラの口に入れた。
「そうすれば、私は、アイドルになれたのよ。ねえ。あなたも、そう思うでしょ」
そう言って、少女は、チキンマックナゲットをちぎって、バーベキューソースをつけて、ゴリラの口に入れた。
少女は、自分の愚痴を言うことに、関心の全て、が行っているので、目の前に、ゴリラがいる、ということも、ゴリラを、見ていながらも、気づいていなかった。
その時である。
警察官と、機動隊の数人が、そーと、マクドナルドの、二階に、上がって来た。
警察官と、機動隊は、口に、人差し指を立て、「しー」、と、ゴリラを刺激しないように、ゴリラを捕獲しようとした。
「麻酔銃を打とうか?」
「いや。それは、危険だ。ゴリラを刺激する」
「少女の命が危ない。しかし、どうして、あの少女は、逃げようとしないのだろう?」
「きっと、恐怖のあまり、足が竦んでしまっているのだろう」
「少女は何か、ブツブツ独り言、を言っているようだが、なぜだろう?」
「きっと、少女は、もうダメだと、思って、神に、祈っているのだろう」
「では、仕方がない。ゴリラを、機関銃で、射殺するしか、他に、方法がないな」
「よし。それで決まりだ。では、私が合図するから、みな、ゴリラの頭を狙って、一斉に、撃て」
そう言って、機動隊員たちが、機関銃を、ゴリラの頭に向けた時である。
「あなた。さっきから、黙ってばかりで、少しは、相槌を打つなり、自分の意見を言うなりしなさいよ。高橋みなみ、と、私と、一人の女として、どっちが、魅力的だと思うの?あなただって、イケメンだから、草彅剛、とたいして変わりないから、ちゃっかり、スマップに入れるわよ」
そう言って、少女は、怒って、顔を上げ、チキンマックナゲットをちぎって、バーベキューソースをつけて、ゴリラの口に入れた。
しかし、もちろん、ゴリラは、人語なと、わからないし、話せない。
「もう。いいわ。私、帰る」
そう言って、少女は、立ち上がって、スポーツバッグを、肩にかけ、スタスタと、その場を離れ、マクドナルドから、出て行った。
「しめた。少女が去った。もう、少女の身は、安全だ。あとは、どうやって、ゴリラを捕獲するかだ」
機動隊員の一人が言った。
その時である。
ゴリラは、立ち上がって、おとなしく、マクドナルドの二階席から、一階へ降りた。
「しめた。どういう気まぐれ、かは、わからないが、ゴリラが、外へ出てくれた。こうなれば、安全に、捕獲することは、容易だ」
機動隊員の一人が言った。
警察官と、機動隊員は、ゴリラが、マクドナルドの二階席から、出て行ったのを、後から追った。
そして、私も、マクドナルドの二階席を降りた。
警察官と、機動隊、は、何とか、ゴリラが、暴れないように、捕まえようと、輸送車の、観音開きの、戸を開けて、待機していた。
しかし、ゴリラは、自分から、輸送車に、乗り込んだ。
こうして、ゴリラは、無事に捕獲されて、上野動物園に、送られた。

平成30年11月16日(金)擱筆





少女との競泳

「ふあーあ」
大きな欠伸をして、カバンから携帯電話を取り出して時刻を哲也は見た。12時10分だった。哲也は、不眠症だが、特に、最近の熱帯夜は、クーラーをかけっぱなしにしても、なかなか寝つけない。なんせ、夜も24度もある。遅寝遅起きの生活である。この頃、体調が良くなって、小説が書けるようになったので、毎日、図書館で小説を書いている。そのため、ちょっと運動不足ぎみになっている。しかも、マクドナルドで、期間限定で、マックフライポテトがLサイズで、150円で、期間限定のブルーベリーオレオが美味いので、つい注文して食べてしまう。そのため、少し腹回りに脂肪がついてきた。彼の適正体重は、62kgで、それが健康に一番いいので、それを保っているのだが、今は、おそらく、2kgくらい増えて、64kgくらいになっているだろう。だろう、というのは、彼は、神経質なので、体重計に、頻繁には乗らないようにしているのである。月に、2~3回くらいしか、体重をチェックしないのである。彼は、図書館へ行って、小説を書こうか、それとも、プールへ行こうか、迷ったが、迷っている間に、20分、過ぎて、12時30分になっていた。
「よし。プールへ行こう」
と哲也は決断した。プールは午後一時からである。哲也がプールへ行くのは、泳ぐ楽しみのためではない。プールで一時間、休みなく、泳ぐのが、一番、手っ取り早い、健康法だからである。体調を良い状態に保たないと創作にも差し障りがある。幸い、今日は曇っている。皮膚の弱い彼にとっては、曇っている方が、日焼けしないので、ありがたいのである。
彼は、車を飛ばして、プールに行った。家からプールまで、20分くらいである。距離的には、近いが、信号が多く、GO-STOPなので、20分くらい、かかるのである。
哲也は、12時50分に、プールに着いた。
彼は駐車場に車を止め、400円のプールの入場チケットを買って、場内に入った。彼は、急いで、トランクスを履き、カバンは、コインロッカーに入れて、水泳キャップとゴーグルを持って、シャワーを浴び、屋外のプール場へ出た。時刻は、12時55分だった。手前が、子供用の大きなドーナッツ状のプールである。客は、それほど多くない。昨日の天気予報で、日本列島に台風が近づいており、今日は、午後から、雨が降るかもしれない、と聞いていたせいかもしれない。子供用のプールの奥が、一段高くなっており、そこが50mプールである。幸い、客は少ない。4~5人しかいなかった。午前中は、12時20分までで、午後の一時まで40分の休憩がある。時計が、一時にピタリと合い、監視員がピーと、入水O.K.の笛を鳴らした。哲也は、一番にプールに入った。出来る事をやっても、バカバカしいと思っている彼ではあったが、それでも、美しいフォームのクロールで、一時間、続けて泳げることは、彼の自慢だった。
「泳ぎで、オレの右に出る者はいないな」
そんなことを思いながら、彼は、ゆったりと泳いでいた。数往復した後である。プールの真ん中の25mを過ぎた辺りで、彼の、ちょうど右側を、クロールで、ぐんぐん抜いていく泳者がいた。水玉模様のワンピースの水着である。彼女はプールの壁縁に着いて立ち止まった。彼も、プールの縁に着くと、立ち止まって、ゴーグルをはずし、彼を抜いた泳者を見た。中学一年生くらいの女の子だった。
「おにいさん。遅いですね」
少女は、あどけない顔で、ニコッと笑って言った。
「なあに。僕は、ゆっくり泳いでいるだけさ。速く泳ごうと思ったら、速く泳げるさ」
彼は、自信満々の口調で言った。
「本当かしら。速く泳げないものだから、負け惜しみ、を言ってるんじゃないかしら」
少女は、ガキのくせに、そんな、生意気なことを言った。
哲也は、カチンと頭にきた。少女は、続けて言った。
「私。三歳の時から、スイミングスクールに通ってて、競泳大会では一度も、誰にも負けたことがないわ。家には、競泳大会で優勝したトロフィーが、数えきれないくらいあるわ」
少女は、ガキのくせに、そんな生意気なことを言った。哲也は、少女の、うぬぼれの天狗の鼻を折ってやりたい衝動がムラムラと沸いてきた。
「じゃあ。僕も本気で泳ぐから、競争しようじゃないか」
哲也は強気の口調で言った。
「ええ。やりましょう」
少女は自信満々の口調で言った。
もう、やる前から、勝ったも同然という生意気な顔つきだった。
その時。ピーと、休憩を知らせる、監視員の笛がなった。どこの公共プールでも、そうだが、公共プールでは、50分の遊泳の後に、10分間の休憩時間をとっている。今は、ちょうど、1時50分だった。
「じゃあ、2時から、競争しよう」
「ええ」
そう言って、哲也と少女は、プールから上がった。
少女は、胸もペチャンコで、未発達の体は、色っぽさが、全くなかった。
「ちょっとトイレに行ってくる」
哲也はそう言って、更衣室へ行った。
そして、用を足すと、すぐに、50mプールにもどった。そして少女の隣りに座った。
「あら。よく戻ってきたわね。勝つ自信がないから、てっきり逃げ出したんだと思っていたわ」
少女は、そんな生意気なことを言った。
哲也は、怒り心頭に達していた。2時が待ち遠しくなった。
ピーと2時を知らせる監視員の笛が鳴った。
「よし。じゃあ、勝負しようじゃないか。容赦しないぞ」
「ええ」
そう言って、二人はプールに入った。
「大人と子供では、ハンデをつけなきゃ公平じゃないな。君。5mくらい前からスタートしなよ」
哲也が言った。
少女は、あっははは、と腹を抱えて笑った。
「そのハンデ、逆よ。カメとウサギの競争では、カメにハンデを、つけてあげるものじゃない。あなたが、5m前からスタートしなさいよ」
少女は、そんな生意気なことを言った。
カメ呼ばわりされて、哲也は、怒り心頭に達し、彼の総髪は逆立っていた。
「じゃあ、もしも、万が一にも僕が負けたら、そのやり方で、もう一度、勝負するよ。でも、最初の勝負は、僕の言ったようにやってくれ。もし僕が負けたら、君に5万円あげるよ」
5万円という言葉が効いたのだろう。
「わかったわ。その約束、ちゃんと守ってね」
そう素直に言って、少女は、水の中を歩いて5mくらい、哲也の前に立った。そして、後ろの哲也に振り返った。
「このくらいでいい?」
少女が聞いた。
「ああ」
哲也は肯いた。
「ところで、君が負けた場合は、何をしてくれるの?」
「何をしてもいいわ」
少女は自信満々に言った。
「その約束も、ちゃんと守ってくれよ」
「ええ」
少女は、自信満々の口調で言った。その時。
「京子。がんばれー」
「負けるなよ。京子。絶対、勝てよ」
「京子が負けるはずがないさ」
プールのベンチに座っていた、三人の少年が、口々に少女を応援した。
「彼らは何物?」
哲也が少女に聞いた。
「私の学校の同級生の友達よ。みんな、私を崇拝しているの」
少女は誇らしげに言った。
「ふーん。すごいじゃない。アイドルなんだな」
「だって、スイミングスクールのコーチも、私は将来のオリンピックで金メダル確実だって言ってるんだもの」
「よし。じゃ、始めるぞ。用意」
哲也が言った。少女は、手を前に伸ばし、身構えた。
「スタート」
哲也の合図と共に、哲也と5m前の少女は、全力で泳ぎ出した。
少女は、さすが、スイミングスクール仕込みだけあって速い。しかし、哲也も本気になれば、速いのである。哲也は、全速力で、前を泳いでいる少女を追って、泳いだ。
哲也は、バシャバシャ音を立てて、泳ぐクロールを、美しくないと思っているので、ゆっくりしか泳がないのであって、本気で泳げば速いのである。第一、大人と子供では、リーチが違う。水泳もボクシングと同様に、リーチが長い方が圧倒的に有利なのである。哲也は、どんどん少女に近づいた。
そして、25mを超して30mくらいの時点で、少女のバタ足の足をつかまえた。
「ふふ。つーかまえた」
少女は、「あっ」と叫んで、逃げようとした。
しかし、5mのハンデをつけて、スタートして、追いつかれた時点で、もう、勝負あり、である。哲也は、ポケットからハサミを取り出して、生意気な少女のワンピースの競泳用水着をジョキジョキ切っていった。さっき、ロッカーに行った時、カバンからハサミをポケットに入れて戻ってきたのである。
「や、やめてー」
少女は叫んだか、哲也は、容赦しない。
負けたら何をしてもいい、と言ったので、少女に文句を言う権利はない。のである。
哲也は少女から、水着を引っ剥がした。
二人は、泳ぎながら、ゴールの縁についた。
少女は丸裸である。
少女の顔は泣き出しそうだった。
「どう。やっぱり僕の方が速いってこと、わかっただろ」
哲也は自信満々の口調で言った。
「はい」
少女はコクンと肯いた。
少女は、丸裸なので、プールから出ることが出来ないで困惑している。
「ふふ。恥ずかしいだろう。ちょっと、待ってて」
そう言って哲也は、急いでプールから上がった。そして、ベンチの上のバッグを持ってきた。
「ほら。どうせ、こうなるだろうと思ってたから、さっき、売店に行った時、水着を買ってきておいたんだ」
そう言って哲也は、ブルーの競泳用のワンピースの水着をカバンから取り出した。
「ほら。プールから上がって、水着を着なよ」
哲也に言われて少女は、プールから丸裸のまま、上がった。
少女の胸は、まだ盛り上がっておらず。陰部には、まだ毛が生えていなかった。そのため、女の恥部の割れ目が、くっきりと見えた。
「うわー。すげー。京子のマンコ、見ちゃったよ」
ビーチサイドにいた、彼女の同級生の男たちが、声を大に、驚嘆の叫びを上げた。
「み、見ないで。見ちゃイヤ」
彼女は、あわてて、彼らに背中を向けた。
「うわー。すげー。京子の尻の割れ目、見ちゃったよ」
同級生の男たちが、声を大に、驚嘆の叫びを上げた。
「ほらよ。着なよ」
そう言って哲也は、彼女に、新品の水着を渡した。
彼女は、急いで、水着に足を潜らせて、水着を身につけた。
少女は、その場にクナクナと座り込んでしまった。
彼女は、半べそをかいていた。
「ごめんね。いじわるした、お詫びとして、勝ったけど、これをあげるよ」
そう言って哲也は、少女に5万円、渡した。
少女は、それを、受けとった。
「まあ、世の中、上には上がある、ということが、これで、わかっただろ」
哲也は、そんな説教じみたことを少女に言った。
「はい」
少女は言葉には、謙虚さが籠っていた。
少女は後ろを振り向き、
「木田君。山田君。大杉君。今日の事、他人に言わないでね」
と切なそうな口調で言った。それは哀願にも近かった。
「ああ。言わないよ。でも、京子の裸、目に焼きついてしまって、たぶん一生、忘れないだろうな」
三人の同級生は、そんな告白をした。
少女は、わーん、と泣き出した。



哲也は、家に帰ると、シャワーを浴びた。そして急いで、図書館へ行った。そして、今日のことを、正確に、小説に書いた。なので、この小説はノンフィクションである。
哲也は女子中学生が好きだった。しかし、それは、あくまで制服を着ている女子中学生が好きなのである。心はまだ子供なのに、制服を着ているアンバランスさが好きだった。女子高生になると、太腿が太くなって、性格もスレッカラされてくるので、哲也は女子高生には興味がなかった。しかし、女子中学生は、体つきが、まだ華奢で、性格も、高校生のようにスレッカラされていない子供っぽさを残しているのが好きだった。靴も、運動靴なのが、子供っぽくて好きだった。そして、哲也は、女の水泳選手の姿が嫌いだった。女の魅力は、総々とした、髪の毛にある。濡れたり、水泳キャップで総々とした髪が、見えなくなってしまうのが嫌いだった。そして、哲也は、肉体では、女子中学生の肉体が好きではなかった。彼は、あくまで、膨らんだ胸と、むっちりした尻と、くれびれたウェストと、スラリとした脚の曲線美のある大人の女の肉体が好きだった。そして、哲也は女子中学生は、素直で礼儀正しいから好きなのであって、生意気な女子中学生は嫌いなのである。


平成26年8月8日(金)擱筆





精神科クリニック

純は悩んでいた。それで死のうと思った。純の悩みは、彼が死んでも、それは客観的に見ても人が納得するのに十分過ぎる苦しみだった。病気、失恋、人生の挫折、孤独、職無し。それらは相互に作用しあっていたが、病気で働けないため、収入がないのが、一番大きかった。職が無く、無収入なのだから、このままいいけば、アパートの家賃も払えず、やがてホームレスになることはわかりきっていた。彼は今まで何度も精神科クリニックにかかってた事があったが、精神科医なんて、ただ話を聞いて、薬を出すだけで、今まで純は精神科にかかって、治ったことは勿論、気休めになった事も一度もなかった。それで純は精神科医を軽蔑していた。
「あんなやつら、何もわかってないし、理解しようともしない。それで薬だけ、どっさり出す。他人の悩み事を興味本位で聞いて楽しんで、威張ってやがる。治らなくたって責任を取る義務も無い。脳外科医とか心臓外科医とかなら、大変な技術が必要で、手術も重労働だ。なのに、もし万が一ミスしたら訴えられる。それに比べると精神科医なんて、そもそも手術は出来ないし、医学知識もあやしいもんだ。あんなやつら、そもそも医者なんて呼べるのだろうか。そのくせ、世間では人の心理を分析できるインテリなんて思われている。全く鼻持ちならないやつらだ」
純の死ぬ覚悟は十分できていた。
純はビルからの飛び降りで死のうと思っていた。なぜ、飛び降りに決めたかというと、飛び降りなら、新聞の三面には載るだろうと思ったからである。
「自分の人生には何もなかった。このままでは自分がこの世に存在した意味が全くないじゃないか。せめて一度くらい世間に自分が存在したことを知られたい」
純はそう思った。とうとう彼は死を決意した。
そして死を決意した日から、毎日ビルを物色しだした。
ある日のこと、彼は、ちょうど頃合いのビルを見つけた。このビルなら確実に死ねる。高さも十分ある。彼はほっとしたような、気抜けしたような気持ちだった。帰り道にある雑居ビルの三階に、「××精神科クリニック」の看板が純の目にとまった。彼は精神科医を軽蔑していたので、ふん、と不愉快な気持ちになった。看板に、「あなたの悩み、必ず解決します」と書いてある。ほーと純は驚嘆した。
随分と自信満々じゃないか。こんなのは誇大広告だ。開業したてで患者が来ないもんだから、こんな事、書いたんだろう。あるいは、ちょっと頭のおかしい精神科医なんだろう。そう純は思った。実際、精神科医には頭のおかしいのが多いのを純は今までの経験で知っていた。
「じゃあ、死ぬ前に一度かかってみようか。それで遺書に、『無能な××精神科医を怨みつつ』と書いてやろう」
と思った。それでビルに入って三階のクリニックに入った。患者は一人もいなかった。やはり無能だから患者が来ないんだろう。受け付けの女性もいない。純は受け付けの窓口から、
「お願いしまーす」
と大きな声で人を呼んだ。すると、のっそりと一人の中年男が出てきた。白衣を着ている。
「治療を受けたいんですが・・・」
純か言うと、彼は微笑して、
「私が院長です。よくいらっしゃいました。どうぞ」
と答えた。純は診察室に入った。診察室には何もない。レントゲンも無ければ、エコーもない。何も無いのが精神科クリニックである。純は院長と向かい合って座った。純は、どうせここも無能だろうと思いつつ、生きた医者の前に座ると、どうかこの医者ならば多少なりとも生きる勇気と意味を与えてくれはしないか、との一抹の藁にもすがる思いが起こってきた。純がそっと目を上げると、院長の顔は実にやさしそうだった。
「どうしましたか?」
院長が聞いた。その、やさしい口調は相手の警戒心をなくした。あ、あの、と純は口篭った。
「遠慮しないで何でもお言いなさい。誰にも言いませんし、医者には患者のプライバシーの守秘義務があります。悩みを言う事で気持ちが少しは楽になりますよ。これは精神医学用語でカタルシスというんです」
純は半分、演技しながらも、目に涙を浮かべながら、すがるように口を開いた。
「あ、あの。先生。僕、もう死にたいんです」
純は涙をポロポロ流しながら言った。
「どうして死にたいのですか?」
医者はやさしい口調で聞き返した。
「僕はもう生きていく気がしないんです。生きていく事が死ぬほどつらいんです」
純は精一杯、訴えるように言った。
「どんなことがつらいんですか?」
院長はやさしい口調で聞いた。聞かれて、純は病気の事、収入の無い事、人生に夢の無い事、彼女にふられた事、友達がいない事、などを、正直に話した。院長は黙って聞いていた。そして純が話し終えると、おもむろに口を開いた。
「それはつらいでしょう。死にたいと思うのも無理はないと私も思います」
純は、見えすた口先だけの偽善的な共感に、やっぱり、ヤブだな、と内心、失望した。
「しかし、死にたいと思いつつもあなたは今まで生きてきた。どうして死ななかったのですか?」
「そ、それは・・・」
と純は言いためらった。
「あなたは死にたいと思いつつも、生きたいと思っていたんじゃないんでしょうか?死にたい、というあなたの思いは、何としてでも生きたいという思いに他ならないんじゃないでしょうか?」
「そ、そうです。先生」
言って純は涙を流した。
「あなたは死にたいと思いつつも、死ぬ勇気が持てなかったのでしょう。死ぬには大変な勇気が必要です」
「そ、その通りです。先生。僕は死にたいけど死ぬ勇気が持てなくてズルズル生きてきたんです」
「わかりました。では治療をします。では、こちらの部屋へ来て下さい」
そう言って院長は純を立たせた。
院長は診察室の奥にあった戸を開けた。
「さあ。お入り下さい」
純は言われるまま、その部屋に入った。そこも治療室と同じように何もなかった。ただ部屋の真ん中に何か縦長の器具のついているベッドがあった。等身大の鏡くらいの大きさだがベールで覆われているため何かわからない。
「さあ。この上に仰向けに寝て下さい」
院長に言われて、純はベッドに仰向けに寝た。純は、どうせ、たいして効果の無い森田療法か催眠療法でもやるんだろうと思った。
「もうちょっと頭を前に出して下さい」
純は何をするのか疑問に思ったが、もうどうでもいいや、と思っていたため、言われたように仰向けのまま、首を前に出した。ちょうど器具の所に首が来た時、
「はい。その位置でいいです」
と院長は言った。
「ちょっと手と足を縛らせてもらいます」
そう言って院長は純の両手と両足をベッドの脚に縛りだした。随分、おかしな事をやるものだな、と思いつつも、無気力な純は、されるがままに身を任せた。院長は純の手足をベッドに縛りつけると、サッと縦長の器具を覆っているベールをとった。純はびっくりした。顔の上に鉄の刃が重そうに吊られている。
「な、何ですか?これは?」
純は冷や汗をたらしながら聞いた。院長はおもむろに純の顔を覗き込んだ。
「ふふふ。見てわからないかね。ギロチンだよ」
「こ、こんな物に僕を縛りつけて、どうしようっていうんですか?」
「治療だよ。君は死にたいけど死ぬ勇気が持てない、と言ったね。確かにその通りだよ。死ぬには大変な決断がいる。だから僕はその決断の手助けをしてあげようというんだ」
院長は薄ら笑いしながら言った。
「ウソでしょ。冗談でしょ」
純は真っ青になって言った。
「いいや。医者は、どういう治療をしてもいいという裁量権があるんだ。だから私は、どういう治療をしてもいいんだ。君は死にたいからここに来たんじゃないか。私も君の性格では、ウジウジ悩んで、苦しみながら無意味に生きるだけだと思う。いっそサッパリ死んだ方が君のためだと思う。だから、一瞬にして楽に死なせてあげるよ」
「わ、わかった。そうやって、死ぬ時の恐怖を体験させれば、死ぬのが怖くなると思っているんでしょう。なるほど。少しは考えましたね。でもそんな一時のふざけた体験は、一時的な効果しかありませんよ。どうせ、その鉄の刃は発泡スチロールか何かの作り物なんでしょう」
「本物だよ。じゃあ、証明してあげよう」
と言って院長は近くにあった人参をとってシュッと刃に当てた。人参はスパッと切れて先がポトンと落ちた。
「どうです。本物でしょう」
「ははは。なかなか本格的ですね。しかし、人を殺したら殺人罪ですよ」
「いや。君の意志で君は死ぬのだから、殺人罪ではない。殺人幇助罪だな。しかし、それも、そもそもわからなければ、罪にはならないじゃないか」
「ウソだ。先生も冗談がすぎますよ」
純は恐怖心を隠すように平静な態度を装って言った。
「冗談ではないのだ。事実を知らないまま死ぬのは、かわいそうだから死ぬ前に本当の事を言っておこう。私も最初はきれいごとを言う一応、真面目な精神科医だった。しかし、うつ病患者を長く診ていると、いつまでも、どっちつかずで、苦しんでいるだけだ。彼らにとってこの世は生き地獄なんだ。ならいっそ、死なせてやった方がいいと思うようになってね。それに、死にたいなどとウジウジ言ってるような弱虫が私は生理的に嫌いでね。彼らのグチを聞くのも、もうウンザリだ。勿論、私だって初めは抵抗があったが、慣れてくると何でもなくなってしまうんだよ。医者はみんなそうだ。いつも人の死を診ているから、死に対して感覚が麻痺してしまうんだよ。それに私はカ二バリズムの趣味があってね。人肉を一度、食ったらもう、やめられなくなるんだよ。さあ、私の言ってる事が本当だとわかっただろう」
純は背筋がぞっとした。
「や、やめてください」
純は大声で叫んだ。
だが院長はニヤニヤ笑っている。純は必死に身を捩って暴れた。
「ふふふ。私にはサディズムの趣味もあってね。人間を殺すのが、この上なく楽しいんだよ」
純はタラリと冷や汗が出た。
『落ち着け』
と純は自分に言い聞かせた。純は忍術に関心があって、縄から抜ける練習をしてみたことがあった。何回か成功した事もあった。純は院長に気づかれないように、院長に見えない方の片方の手の縄抜けを試みた。やっとのことで何とか成功した。
「先生。わかりました。ちょっと来て下さい。死ぬ前に僕の遺言を聞いて下さい」
「ん。何だね」
と言って院長は純に顔を近づけた。院長が顔を近づけたので、純は思い切り院長の顔に頭突きをくらわした。サディストのほとんどが、そうであるように院長は弱々しく、一撃でふっとばされて転んだ。純は急いで自由になった片手で反対側の手の縄を解き、両方の足の縛めも解いた。院長がムクッと起き上がって近づいてきたので、純は院長を突き飛ばした。必死になってる人間の火事場のバガ力は強い。純は自由になると、一目散に逃げだした。走りに走った。後ろを振り返ると院長が、
「待てー」
と叫びながら追いかけてくる。純は走りに走った。
ようやく、コンビニが見えてきたので純は入った。
「いらっしゃいませー」
髪を茶色に染めた、かわいい女の店員がいた。
『ああ。人間がいる。俺はまだ生きている』
純は、その当たり前の事に感動した。
『生きよう。何としても生きよう』
そう純は誓うように思った。
結果として、純の、うつ病は、その一回の、体験で、きれいさっぱり、治った。
院長が、本当に、狂人だったのか、それとも、あれは、患者の、うつ病を治すための、芝居だったのか、それは、純には、わからない。

平成21年4月13日(月)擱筆



2013日本シリーズ物語

日本シリーズの第三戦。その日、仙台球場の巨人ナインには、どこか元気が無かった。
「今日こそは、絶対、勝つぞ」
という原辰徳の叱責も、どこか生彩を欠いていた。
「昨日、わが巨人軍の川上哲治元監督が亡くなったんだぞ。わが巨人軍の神様である川上哲治のためにも、何としても、今日の戦いは勝つんだ」
と原辰徳が選手たちに鼓舞した。
夜になって、試合が始まった。
仙台球場は満席で 、その上、観戦チケットを買えなかった、おびただしい数の東北の楽天ファン達が、球場の外におしかけていた。
先発の内海がピッチャーマウンドに立った。
楽天では、トップバッターの松井稼頭央がバッターボックスに立った。
その時である。
「かっとばせー。かっとばせー。松井―」
楽天を応援する東北の楽天ファンの凄まじい声援が一斉に起こった。
仙台球場の楽天ファンは、震災からの復興という絆で結ばれて、一丸となっていた。
「打ってくれ。稼頭央。わしゃー、震災で船も家族も無くしてしもうたけん。ぜひ優勝して、わしに勇気を与えてくんしゃれ」
と元漁師とおぼしき老人が力の限り叫んだ。
「楽天。がんばれー。僕のお母さんは震災で死んでしまった。でも、僕は、くじけないぞ。一生懸命、野球を練習して、将来、絶対、楽天のプロ野球選手になってみせる」
という子供の声援もあった。
内海の眼頭がジーンと熱くなった。
内海は、雑念を払いのけるように頭を振った。
「楽天ファンの東北のみなさん。あなた達の気持ちはよくわかる。出来れば、楽天に勝たせてあげたい。しかし、花を持たせてあげる、なんて八百長は、プロ選手として、絶対、許されないことなんだ。すまないが、僕は非情の勝負の鬼に徹する」
内海は、自分にそう言い聞かせた。そして、ゆっくりと顔を上げた。
バッターボックスの稼頭央は、いつにもない気迫で、にらみつけていた。
(さあ来い。俺達は、震災で、うちひしがれている東北の人達のためにも、死んでも、負けるわけにはいかないんだ)
にらみつけてくる稼頭央の目がそう語っているように内海には見えた。
・・・・・・・・・
キャッチ―の安部慎之介のサインは、インコース低めのストレートだった。
「よし」
内海は、大きくグローブを上げて、投球モーションに入った。
その時である。
「かっとばせー。かっとばせー。松井―」
楽天を応援する東北の楽天ファンの凄まじい声援が一斉に起こった。
内海の眼頭がジーンと熱くなった。
「い、いかん」
そう思ってはみたものの、涙腺がゆるんで涙が出てきた。阿部のミットが涙で曇って良く見えない。
内海の投げたボールはインコースには、行かず、ど真ん中に行ってしまった。
松井はそれを、のがさず、力の限り、フルスイングした。
カキーン。
ボールは、仙台球場の夜空を高々と上がり、ライトスタンド上段に入った。
ライトを守っていた長野も、ボールの軌道を眺めているだけで、一歩も動こうとしなかった。
「わあー。やったー」
球場のファンの歓喜のどよめきが、けたたましく起こった。
ファンの声援は、三塁側の楽天側からだけではなく、巨人ファンであるはずの一塁側からも、起こっていた。
その後も、内海の調子は良くなく、弱いはずの楽天打線にポカスカ打たれた。
・・・・・・・・・・
一方、強いはずの巨人打線は、一向に振るわなかった。
6回裏、三球三振にうちとられた、村田がダッグアウトに戻ってきた。
巨人のダッグアウトは、全く活気がなかった。
「どうした。村田。今のストレートは、お前なら、打てて当然の球のはずだぞ」
キャプテンの安部慎之介がそう、村田に声をかけた。
村田は、しばし黙っていたが、少しして顔を上げ、重たそうな口を開いた。
「そうだな。オレも、ボールが来た時は、絶好球で、しめた、と思ったんだが、どうしても力が入らないんだ」
そう村田は、ボソッと小声で言った。
「そうか。実は、オレもそうなんだ」
「オレもだ」
「オレも・・・」
隣りで聞いていた、高橋吉伸、坂本勇人、長野も口を揃えて言った。
「実を言うと、オレも・・・」
と内海がボソッと口を開いた。
「どうしたんだ?」
安部慎之介が首を傾げて聞いた。
「ピッチャーなら、誰だって、打たれれば口惜しい。しかし・・・」
そう言って内海は口を噤んだ。
「しかし、どうしたんだ?」
安部が催促するように強気な口調で聞いた。
「しかし・・・この日本シリーズばかりは、なぜか、打たれても、口惜しさが起こらないんだ。・・・。オレも全力投球はしているつもりだ。しかし、楽天の打者に打たれると、なぜか、ほっとした気持ちになってしまうんだ」
内海はそうボソッと小声で囁いた。
「そうか。実は、オレもそうなんだ」
と、隣りで聞いていた沢村が言った。
「そうか。実は、オレもそうだ」
隣りにいた杉内もそう言って相槌を打った。
・・・・・・
結局、巨人対楽天の日本シリーズは、楽天が勝った。
星野監督の胴上げが行われた。
その夜。
「楽天の日本一の優勝を祝って・カンパーイ」
キャプテンの松井稼頭央の音頭で、恒例の優勝のビールかけが行われた。
しかし、選手たちは、皆、なぜか、うかない表情だった。
皆、無理に嬉しそうに振舞っている、といった様子だった。
始めは、笑ってビールをかけ合っていた選手たちも、だんだん、ビールのかけ合いをしなくなっていった。
選手たちの顔には、ある寂しさが漂っていた。
(オレ達は本当に実力で巨人に勝ったのだろうか)
選手たちの顔には、皆、無言の内に、そんな思いがあらわれていた。




ダルビッシュの肘

テキサス・レンジャーズの、ダルビッシュは、悩んでいた。トミー・ジョン手術を受けるか、どうかで。トミー・ジョン手術を受ければ、一年を棒に振る。自分としては、肘の靭帯に傷があると、言われたが、自覚症状はなく、投げられそうな気がする。テキサス・レンジャーズも自分に期待している。
ニューヨーク・ヤンキースの田中将大だって、部分断裂してまでも、手術しないで、やっている。2014年の、田中将大に対する、成績に、ダルビッシュは、嫉妬していた。
「オレの方が年上で、三年連続、防御率三割台におさえ、オレは、テキサス・レンジャーズの、ひいては、アメリカ、メジャーリーグの英雄なのだ」
ダルビッシュは、そう呟いた。
しかし、2014年から、いまいましくも、年下のくせに、メジャーのニューヨーク・ヤンキースに移籍した、田中将大の活躍は、ダルビッシュ以上だった。
「くそ。あいつが、メジャーの投手の人気をかっさらってしまった」
プロ野球選手なんて、ものは、うわべは、仲良さそうにしているが、本心は、全く逆なのである。ポジション争いにせよ、戦力外通告にせよ、トライアウトにせよ、成績の差が全てで、同じチームと言えども、強者が弱者を、蹴落とす、弱肉強食の、世界なのである。
「田中将大だって、部分断裂まで、しているのに、やっている。オレにも部分断裂があるらしいが、痛みの自覚症状は無い。トミー・ジョン手術の権威者である、トミー・ジョン氏にセカンド・オピニオンを聞いてみよう」
ダルビッシュは、婚約者とも、今年、テキサス・レンジャーズを、優勝させて、結婚しよう、と言ってしまった。故障者リストでは、格好が悪い。
広島東洋カープの前田健太も、日本ハムの大谷翔平も、メジャーを狙っている。
「顔だって、オレの方が、田中将大より、断然いい。あいつは、怒ってない大魔神のようなフラットな平面的な顔なのに。アメリカの全ての女は、オレに恋しているというのに」
ダルビッシュは、いつか、ロッカールームで、テキサス・レンジャーズの仲間が、前田健太か、大谷翔平の獲得を、考えている、と、いう噂をチームメートが言っているのを、聞いてしまっていた。
ダルビッシュは、焦った。
急いで、スマートフォンで、ニューヨーク・ヤンキースの田中将大に電話した。
田中将大に聞いたところ、
「ダルさん。無理しないで下さい」
と言った。しかし、ダルビッシュは、田中のアドバイスを疑った。
「あれは、本心じゃない。ヤツは、オレの活躍を怖れているのだ」
こうして、ダルビッシュは、セカンド・オピニオンを求めるために、トミー・ジョン手術の権威である、トミー医師のいるニューヨークに、飛び立った。
「先生。どうでしょうか?」
ダルビッシュは、聞いた。
トミー医師は、MRIの画像を、見ながら、おもむろに、
「うん。これは、トミー手術を受けた方がいいな」
と言った。
「田中将大だって、部分断裂したのに、やっているじゃないですか。僕は、自覚症状がなく、投げられそうな気が、どうしてもするんです」
「ああ。確かに、私は、田中将大には、部分断裂しているが、手術しないで、大丈夫だと、私は言った。しかし、田中将大の、靭帯の断裂の、割合いは、靭帯全部の内の、10%に過ぎなかったのだよ。しかし、君の場合、部分断裂の割り合いが、15%なのだよ。トミー・ジョン手術の適応基準は、靭帯の断裂が10%以上という医学的基準あるんだ。自覚症状は、ないかもしれないが、このまま、投げ続けると、完全断裂する可能性もあるんだよ。君の場合」
「完全断裂」この一言は、大きかった。
「わかりました。先生。トミー・ジョン手術を受けます。どうか、よろしくお願い致します」
ダルビッシュは深々と頭を下げた。
こうして、ダルビッシュは、トミー・ジョン手術を、受けることになった。
それは、翌日のニューヨーク・タイムズに大きく載った。
「くそっ。田中将大のヤツめ。今頃、喜んでるだろう」
ダルビッシュは、地団太を踏んで、口惜しがった。

ダルビッシュは、ニューヨークに数日、滞在した。
ダルビッシュは、マスクをして、サングラスをかけ、帽子を目深に被り、作業服を着て、ニューヨークの街を歩いた。
自由の女神に登り、汚いハドソン河を、見て、汚い地下鉄にも、乗ってみた。
そして、マジソン・スクウェア・ガーデンで、ボクシングの試合を観た。
その後、マンハッタン通りにある、ある喫茶店に、入った。
そこでコーヒーを注文した。
すると、二人の、ニューヨーク市民が話しているのが聞こえてきた。
「ダルビッシュは、トミー・ジョン手術だってよ。これで、今季は、テキサス・レンジャーズに優勝は、無理だな」
「そうだな。今年は、田中将大のいるニューヨーク・ヤンキースが優勝するだろう」
そんな噂話が聞こえてきた。
ダルビッシュは、忌々しい気持ちで喫茶店を出た。
そして、ヤンキースタジアムの田中を、訪れた後、テキサスに戻った。
・・・・・・・・
一方、こちらは、ある日の、ヤンキースタジアム。
練習中の、田中を将大を、ニューヨーク・ヤンキースのキャプテンが呼んだ。
「おーい。田中。チームの監督が、話があるって、言ってたぜ。来いよ」
「おう。わかった」
田中は、キャッチボールをやめて、急いで、球団事務所に行った。
球団事務所では、ニューヨーク・ヤンキースの、ジョージ・スタインブレナー(オーナー)ジョー・ジラルディ監督が葉巻を燻らせながら座っていた。
「おお。田中。ピッチングの調子はどうかね?」
「はあ。順調です。球が良く走っています」
「それは、良かった。今季は、君に期待しているぞ。最高の敵である、テキサス・レンジャーズのダルビッシュが、トミー・ジョン手術を受けるから、今年は、我がニューヨーク・ヤンキースが、絶対、優勝するぞ。少ないが、これを、とっておいてくれ」
そう言って、オーナーは、カバンをドンと机の上に乗せた。
田中は、カバンをそっと、開けてみた。
びっくりした。
カバンの中には、札束が一杯、詰まっていた。
「100万ドルある。とっておいてくれ」
「で、でも。こんな・・・。まだ、シーズンが始まっていないのに・・・ちょっと、こんな大金は、受けとれません」
そう言って、田中は、カバンを、返そうとした。
「まあ。そういわず。僕の気持ちだ」
「はあ。わかりました。ありがとうございます」
そう言って、田中は、合点がいかないまま、カバンを受けとった。
「では、練習がありますので・・・失礼します」
そう言って、田中将大は、監督の部屋を去った。
途中。ある部屋で、小さな話し声がするので、田中将大は、ドアの鍵穴から、そっと中を見た。
見知らぬ、頬に傷のあるガラの悪い男と、田中将大の主治医の、トミー・ジョン医師が、話していた。
「ふふふ。ダルビッシュには、トミー・ジョン手術が必要と、言っておきましたよ。彼も納得しましたよ」
トミー・ジョン医師が、自慢そうに、長い白い髭を撫でながら言った。
「ありがとう。トミー君。一千万ドルは、君の銀行口座に振り込ませてもらったよ」
頬に傷のある訝しい男が言った。
「いや。アル・カポネさん。素人をだますこと、くらい、何でもありませんよ。ダルビッシュは、本当は、トミー・ジョン手術の必要はないんですが。素人には、MRIの画像なんて読めません。しかし、これで、今年は、ニューヨーク・ヤンキースの優勝、間違いなし、ですな」
トミー・ジョン医師が、笑って言った。
「ああ。そうして、貰わんと、我が、マフィアとしても、困る。アメリカのメジャー野球界は、マフィアの、思い通りに動いて貰わんとな。なにせ、膨大な金が動く、ギャンブルだからな」
「そうですな。アル・カポネさん」
あっははは、と二人は、笑い合った。
その時。
バーンと勢いよく、ドアが開いた。
田中将大が怒りを噛みしめて、手をブルブル震わせて、立っていた。
怒った田中将大の顔は、まさに、東映の大魔神だった。
「そういうことだったんですか。全ては聞きましたよ」
「おー。田中。今年は、お前が、優勝チームの勝利投手だ。喜べ」
オーナーが言った。
「これは、お返しします」
そう言って、田中将大は、100万ドルの入ったカバンを床に叩きつけた。
「どうしてだ?何を怒っているのだ?」
田中は、それには、答えず、急いで、ポケットから、スマートフォンを取り出して、ダルビッシュに電話した。
「ダルさん。あなたは、トミー・ジョン手術の必要はありませんよ」
「おお。田中か。何だ。いきなり」
「トミー手術の必要は、ないと、トミー・ジョン先生が、今、はっきり言いました。僕は、この耳で、しっかり聞きました」
「本当か?」
「本当です。アメリカの野球界は、マフィアに操られている、八百長です。今、僕の、目の前には、マフィアのボス、アル・カポネが、います。僕は殺されて、コンクリート詰めにされて、ハドソン河に沈められるかもしれません。その時は、FBIとCIAに連絡して下さい」
そう言って、田中は、スマートフォンを切った。
「さあ。僕を殺しますか」
田中は、堂々と、アル・カポネにせまった。
「田中。お前は、一体、何を考えているんだ。全て、お前のラッキーなように、なるんだぞ」
「僕こそ、あなた方の考えていることが、わかりません」
田中は毅然と言った。
「お前は、命が惜しくないのか?」
アル・カポネが聞いた。
「命、以上に大切な物を、我々、日本人は、持っています」
田中は堂々と答えた。
「おー。サムライ。ハラキリ。カミカゼ。日本人の考えていることは、全くわからん」
アル・カポネは、眉間に皺を寄せた。
「さあ。僕をころしますか?」
アル・カポネは、黙っている。
「トミー先生。ダルさんに、本当のことを言って下さい」
そう言い残して、田中将大は、グラウンドにもどった。

翌日、すぐさま、ダルビッシュが、テキサスから、ニューヨークにやって来た。
「田中。すまん。オレは、お前の気持ちを、ゲスに勘ぐっていた。お前は、オレの不幸を望んでいるのだと、思っていたんだ」
ダルビッシュが頭を下げて言った。
「いいんです。ダルさん。確かにダルさんは、僕のライバルです。しかし僕は、卑怯な方法では、勝ちたくない。あくまで自分の実力で、あなたに勝ちたいんです」
田中は、力を込めて言った。
「オレもだ。ありがとう」
そう言って、二人は、涙を流しながら、硬い握手をした。
翌日のニューヨーク・タイムズには、次のような四つの、大きな見出し記事が載っていた。
「テキサス・レンジャーズの、ダルビッシュ投手がトミー・ジョン手術を断った。かねがね、噂のあった、マフィアの野球賭博の関与をニューヨーク・ヤンキースの田中将大が暴露した。とうとうFBIは、アル・カポネの逮捕に踏み切った。ニューヨーク市長は、田中将大を、ニューヨークの名誉市民とすると、発表した」


平成27年3月11日(火)擱筆





理容店

 純は神奈川県のある町に住んでいる。ここは純の好きな海にも近く、東海道線で東京へも一時間かからず行ける至極便利な場所である。ある時、三省堂で本を買った帰り、ある事務手続きのため、ある駅で降りた。事務手続きが済んでさて、買ったばかりの本をどこか静かな喫茶店で読もうと思って街をぶらぶら歩いていると、小さな路地に出くわした。「××横丁」との大きな看板が門のように路地の入り口にかかっている。ここになら静かな喫茶店もあるだろうと、純は路地に入っていった。昔の面影を残している小さな店が道の左右に並んでいて、純はなんとも言えぬ心の安らぎを感じた。さらに行くと赤と青の螺旋模様の円筒がくるくる回っているのが目についた。小さな床屋である。長くなってきた髪が邪魔になって、そろそろ床屋へ行こうと思っていた時分だったので、ちょうどいいと思い、迷うことなく店の戸を開けた。チャリン、チャリンと鈴の音がなった。店員は、
「いらっしゃいませー」
と明るく大きな声を出して純の方を見た。純はびっくりした。三人の店員は皆、若くてきれいな女性である。一人の女性がレジの所に来た。
「お荷物をお預かりします」
彼女に促されて純は上着を脱いで、カバンと一緒に彼女に渡した。彼女は大切そうにそれを受けとるとレジの後ろの戸棚にそれを入れた。
「はじめてですか」
「はい」
「ではカルテをつくりますので・・・」
と言って、彼女は記載事項が書かれた記入用紙とボールペンを差し出した。記載事項には、氏名、住所、電話番号、メールアドレス、生年月日、職業、まである。何でこんなことまで書かなくてはならないんだ、と純は首を傾げつつも、記入して用紙を彼女に渡した。彼女は嬉しそうな顔で用紙を受けとると、引き出しの中にしまった。
「次回からこのカードをお持ち下さい」
そう言ってプラスチックのカードに純の名前を記入して純に手渡した。
「ではどうぞこちらへ」
そう言って彼女は調髪椅子の奥から二番目の椅子へ手招きした。純はその椅子に腰掛けた。
「じゃあ、お願いね」
彼女は床を掃いていた女性に言うと、店の奥の部屋へ入っていった。床を掃いていた女性は、
「はい」
と言って箒と塵取りを壁に立てかけて、急いで純の背後に立った。正面の鏡から彼女の顔が見える。性格温順そうな彼女の顔の口元には、かすかな微笑の兆しが見えた。きっと、さっきの女性がこの店のチーフなのだろう。
「よろしくお願いします」
と言って彼女はおじぎした。
「今日はどうなさいますか」
玉を転がすような優しい声。
「全体に二センチほど切って下さい」
「耳はどうなさいますか」
「耳は出さないで下さい」
「前はどのくらいにしますか」
「眉毛の二センチくらい上にしてください」
「はい。わかりました」
純の注文を聞きおわると彼女は整髪の準備をはじめた。首をタオルでまき、調髪用の白い絹のシーツを首に巻いた。首だけ出してあたかも、てるてる坊主である。
「お首、苦しくありませんか」
「はい」
純は目を瞑った。これからこの優しい女性と二人きりの時間が持てるのである。しかも彼女の指が自分の髪や顔を触れるスキンシップを感じながら。そう思うと純の心臓は高鳴った。
・・・・・・・・・・・
夢心地のうちに整髪は終わった。顔を剃る時、彼女のしなやかな指か純の口唇に触れた。純は気づかれないよう平静を装っていたが、それはたとえようもない極楽のスキンシップだった。
・・・・・・・・・・
料金を払って純は理髪店を出た。帰りの途、純は浮き足立っていた。ああ、あんなフェアリーランドがあったとは。(純はその理容店をフェアリーランドと呼ぶ事にした)何て素晴らしい見つけものをしたことだろう。若い女のいる床屋はある。しかし、たいてい男の理髪師も必ずいる。だから、女の理髪師にあたるとは限らない。隣の客は女の理髪師がついて、自分は男の理髪師がついた時など、隣の幸運な客に対する嫉妬心でかえって気分が不快になる。しかも、かりに女の理髪師があたっても、垢抜けていない、暗い性格の純には親愛の情を持つ女などあまりいない。いくら女の調髪を受けても、心無くば寂しく、むなしい。むしろ自分だけこの世から疎外されているつらさを感じるだけである。
しかるにあの店の理髪師達はみな優しい。険がない。自分をあたたかく受け入れてくれる。しかも全員、女だから男に当たるという事もない。確実に最初から最期まで、優しい手つきの女の調髪を受けられるのである。
・・・・・・・・
その晩、純はなかなか寝つけなかった。これからの散髪はすべてあの店にしようと思った。
・・・・・・・・・
しかし日を経るにつれ、この感激も次第に薄れていった。心地よい逢瀬とはいっても数ヶ月に一度きりの、一時間ちょっとの逢瀬なのである。しかも、あくまでも仕事の上。この絶対の条件の下に彼女らも自分を受け入れてくれるのである。
・・・・・・・・
小心な純は今まで一度も恋人というものを持ったことがない。純粋な彼は世間を知らず、恋人のつくり方を知らないのである。もちろん、「ナンパ」だの「合コン」だのというものの存在は知っている。しかし彼は女に声をかけて、断られたときの絶望を思うとそれが恐ろしくて出来ないのである。それはおそらく一生の心の痛手になるであろう。その上、純は内気で話す話題もない。女を退屈させて、結局わかれる事になるのはほとんど明らかである。

だが純の女を求める気持ちは人一倍強かった。彼にとって女は神だった。彼にとって女とは対等な関係ではなく、ひたすらひれ伏し拝むべきものだった。

純は手をつないで街を歩いている男女、レストランで向き合って、お互い笑いながら対等に延々と話しつづけている男女を見る時、居ても立ってもいられない肉体のうずく羨望を感じずにはいられなかった。
「ああ。一度、自分も恋人というものをもってみたい」
純は叫びたくなるようなほどのそんな思いが起こってくるのだった。

純は髪が伸びてくるのが待ち遠しくなった。たとえ仕事の上とはいえ、たとえ一時間程度とはいえ、あのフェアリーランドへ行けば無言のうちに女の好意を感じる至福の時間を過ごせるのである。
「さあ。いこう」
純は髪が伸びてきて、そろそろ行こうと思ってきた頃、ある日、意を決して出かけるのである。そして夢心地の散髪を受けて帰ってくる。

あの優しい女だけの床屋を知ってから彼に心地よい夢想が起こるようになった。それは正常な人間にはおぞましく思われようが、先天性倒錯者の純には、その形態の夢想こそが至福なのである。

その夢想の形態とはこうである。
彼は調髪椅子に座っている。椅子が倒される。彼は目を瞑っている。蒸しタオルが顔からとられる。彼女は散髪のときと変わらぬ快活な調子である。
「では目をえぐります」
はい、と純は答える。剃刀が彼の閉じている瞼に垂直にサクッと入る。鮮血がピューと勢いよく噴き出す。ぎゃー、と純は悲鳴を上げる。
「痛くありませんでしたか」
彼女は淡々と聞く。
「・・・は、はい」
純はダラダラ顔の上を流れている血を感じつつガクガク声を震わせて答える。
「では耳をそぎます」
剃刀が耳の付け根に入って鮮血が吹き出ながら、耳が切り取られていく。ぎゃー、と純は悲鳴を上げる。両耳が切りとられると彼女はまた温かい口調で淡々と聞く。
「痛くありませんでしたか」
純はワナワナ声を震わせながら、かろうじて、
「・・・は、・・はい」
と答える。
「では顔を切り刻みます」
垂直に立った剃刀がサクッと彼の頬に入り鮮血がピューと吹き出る。ぎゃー、と純の悲鳴。剃刀はかろやかに彼の顔を隈なく切り刻んでいく。一通り終えると彼女は、淡々と聞く。
「痛くありませんでしたか」
「・・・は、・・・はい。だ・・・大丈夫です」
純はワナワナ声を震わせながら答える。
「では、これでおわりです。おつかれさまでしたー」
彼女は快活な口調で言う。
純は顔中、血に染まった中から息も絶え絶えに答える。
「・・・あ、あ、ありがとうございました」
そうして純は死んでいく。

それが彼の至福な夢想の形態なのである。それは彼女らが罪のない天使のような心の持ち主だからである。彼女らは心に険がないからである。あんな優しい女に酷く殺されたい。酷ければ酷いほどいい。純の夢想はどんどん酷いものになっていった。

夏が来た。夏こそ彼がそのためにのみ生きている季節であったが、同時にそれはつらい季節であった。手をつないで街を歩いているカップルがことさら羨ましく見える。それを見せつけられる事は彼にとって耐え難い事だった。

ある日、彼は車をとばして海に行った。海水浴場では美しいビキニ姿の女性ばかり。女性には皆、彼がいて手をつないでいる。彼は激しい嫉妬を感じた。男一人では海水浴場に入る事すら出来にくい。
「ああ。一度でいいから女性と手をつないで砂浜を歩いてみたい」
純は夕日が沈むまで渚で戯れている男女を見つめていた。
海風が長く伸びてきた純の頬を打った。純は思った。
「よし。あのフェアリーランドへ行こう。そして一度でいいから個人的に会ってくれないか、勇気を出して聞いてみよう。もしかすると彼女に断られてしまうかもしれない。気まずい雰囲気になってしまうかもしれない。あくまで彼女が僕に好意を持ってくれるのは仕事の上、という絶対の条件があるからだろう。断られたら僕はもうあの店に行けなくなってしまうかもしれない。言わなければずっと気持ちよく、通いつづけることが出来るものを。壊してしまうかもしれない。しかし、あの子の態度を思うとどうしてもそう無下に怒るようには思えない。よし。勇気を出して告白しよう」

翌日、純はあのフェアリーランドへ出かけた。出不精でめったに電車に乗らない純には女がこの上なく美しく見える。薄いブラウスやスカートの上からブラジャーやパンティーのラインが見えてこの上なく悩ましい。
「ああ。きれいた。何てきれいなんだろう」
純は心の中で切なく呟いた。

駅に着いた。フェアリーランドに近づくにつれて心臓が高鳴ってくる。戸を開けるといつものように、
「いらっしゃいませー」
との明るい声。幸い客はいない。店員は二人いた。チーフとあの子である。最近は指名制の床屋もある。が、ここではしていない。店としても指名性をしたい、が、ちょっとそこまで露骨なことは出来ない、という所だろう。が、チーフが気を利かせて客が望んでる相性の合う店員を割り当ててくれるのである。チーフは、
「じゃあお願いね」
と言って店の奥の部屋へ行った。
純の担当は、純がはじめにカットを受けた子である。純が店のドアを開けると、いつも彼女はニコッと笑って、「いらっしゃいませー」とペコリと頭を下げる。彼女が純に好意を持っていることは彼女の態度ではっきりわかる。純はペコリとおじぎして調髪椅子に座って目を閉じた。カットがおわって顔剃りになった。椅子が倒され、ちょっとあつい蒸しタオルが顔にのせられた。少し待ってから彼女は蒸しタオルをとって、純の顔を剃りだした。一心に顔を剃っている彼女に純は勇気を出して話しかけた。
「あ、あの。お姉さん・・・」
「はい。何でしょうか」
「あ、あの。冗談ですけど、言っていいでしょうか」
「ええ。かまいませんわ」
「あ、あの。その剃刀で顔を切り刻んで下さい」
彼女はプッと噴き出した。
「ごめんなさい。変な事、言っちゃって」
純はあわてて謝った。
「いいですわ。でも、どうしてそんな恐ろしい事を考えるんですか」
「お姉さんのような、きれいで、やさしい人に殺してもらえるんなら幸せなんです」
「いや。むしろ、そうされたいんです」
「そうまで私の事、思って下さるなんて幸せですわ。でも、そんな恐ろしい事、とてもじゃないですが出来ませんわ。私達、ただでさえ、剃刀を扱う時は、ほんのちょっとの傷をお客様につけることにでも過敏になってますもの」
「そうでしょうね。僕も本当に顔を切り刻まれる事に快感を感じられるかどうかは分かりません。あくまで空想の中では、痛みはありませんからね。でも、空想の中では切り刻まれる事が最高の快感なんです」
彼女は、「ふふふ」と笑った。
「はい。おわりました」
と言って、彼女は台を上げた。そしてブラシで背中と前をはたいた。
「シャンプーとカットと洗顔で四千円です」
「はい」
純は財布から紙幣を取り出した。
「あ、あの。もし御迷惑でなければ一度、海に行ってもらえませんか」
「ええ。かまいませんわ」
純は携帯の番号とメールアドレスをメモに書いて渡した。彼女はそれを受け取ってポケットに入れた。

その夜、純は寝つけなかった。はたしてメールの着信音がビビビッと鳴った。それにはこう書かれてあった。
「純さん。今日は有難うございました。海は何処で、いつがよろしいでしょうか。私は、月、金、が休みです」
純はいそいで返事のメールを出した。
「美奈子さん。メールを下さり、有難うございます。では、今週の金曜日、××ビーチに、正午で、というのはどうでしょうか」
送信するとすぐに返事のメールが返ってきた。
「はい。わかりました。必ず行きます」

金曜になった。
純は夢のような気持ちで××ビーチに行った。客は程よく少なく、デートにはもってこいの場所である。純は日焼け用オイル、ビニールシート、ビーチパラソル、ビーチサンダル一式を揃えて待っていた。来てくれるだろうか。来てくれないだろうか。
その時、海の家からピチピチの黄色いビキニで胸を揺らせながら一人の女性が手を振りながら笑顔で、
「純さーん」
と叫びながら走ってきた。
「美奈子さーん」
純は嬉しくなって満面の笑顔で手を振った。

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