小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、精神科医、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

フリースクール・ごはん学校(小説)(下)

2022-06-08 08:24:54 | 小説
・・・・・・・・・・・・・
そんな日が続いていたが、ある時、大丘忍が学校に来なくなった。
最初のうちは、風邪でもひいたんだろう、とごはん学校のクズどもは、言っていたが、1週間たっても来ない。
大丘忍は、「愛=セックス」という妄想を持った精神障害で普通制の高校を退学させられて、フリースクール・ごはん学校に入学してきた生徒だが、毎日、かかさず登校していた。
そして、山積みの参考書を持ってきて、京大医学部受験のために、猛勉強していたので、どうして学校に来なくなったのか、みな、不思議に思い出した。
「おい。大丘忍がごはん学校に来なくなった理由がわかったぞ」
Bという生徒が言った。
「どうしてだ?」
「大丘忍は重症の病気になって、病院に入院しているんだ」
「どんな病気だ?」
「よくわからないが、なんでも、抗老化遺伝子のサーチュイン遺伝子が欠損する本態性急速老化症候群という厚生省指定の難病で、一気に老化してしまったらしい」
「本当か?」
「ああ。本当だ。大丘忍の実年齢は、17歳だが、身体年齢は90歳になってしまったらしい」
「ええー。90歳?17歳の青年が一気に90歳になってしまったのか?」
「ああ。そうだ」
「信じられないな。そんなことがあり得るのか?」
「オレも最初は信じられなかったよ。でも、病院に行って、大丘忍を見たら、本当に90歳くらいの、じいさんになっていたんだ」
「信じられない」
「そんなのウソだ」
みな、Bの言う事を信じなかった。
「じゃあ、行ってみようぜ。そんなことが本当にあるとは信じられないからな」
そうだ、そうだ、ということで、その日は、皆で大丘忍が入院している病院に行くことになった。
青木航、ドリーム、植松煌、茅場義彦、森嶋、そうげん、李林檎、飼い猫、哲也、その他の数人が、タクシーに分乗して病院に向かった。
もちろん、ごはん学校の生徒は人間のクズばかりなので、思いやり、や、同情、などというものは、カケラも存在しないので、興味本位が動機である。
・・・・・・・・・・・
20分ほどして病院に着いた。
生徒の一人(C)が受け付けの女子事務員の所に行った。
「あ、あの。大丘忍くんに面会に来たんですけど・・・」
と、Cが病院の受け付けの女子事務員に聞いた。
「あなた達は、大丘忍さんと、どういう関係の人達なのでしょうか?」
女子事務員が聞き返した。
「フリースクール・ごはん学校の友達です」
Cが言った。
女子事務員は、しばし迷っていたが。
「でも大丘忍さんは重症で面会謝絶の患者さんです」
と言った。
「でも一目会いたいんです」
Cが訴えた。
女子事務員は、しばし迷っていたが。
「では、ちょっと先生に相談してみます」
と言って、女子事務員は携帯電話をとった。
「もしもし。日野原重明先生。今、病院に、大丘忍さんの通っているフリースクール・ごはん学校の友達という方達が来ていて、面会したいと言っているのですが・・・・」
と女子事務員は携帯電話の送話口に向かって話した。
女子事務員は大丘忍の主治医らしい人と、はい、はい、と言いながら、しばし話していたが、やがて電話を切った。
そしてごはん学校の生徒たちに視線を向けた。
「皆さん。先生の許可がおりました。急いで来て下さいとのことです。行ってあげて下さい。大丘忍さんの病室は3階の個室です」
と女子事務員は言った。
「面会謝絶なのに急いで来て、とはどういうことですか?」
さっきと態度が180度変わったことに、皆は疑問を持った。
「大丘忍さんは、今、危篤状態で、あと数時間もつかどうか、という状態らしいのです。すぐに行ってあげて下さい」
女子事務員は、急かすように言った。
「わかりました」
ごはん学校の生徒たちは、急いでエレベーターに乗って、3階で降りた。
「大丘忍さんの個室はこっちだ」
以前、大丘忍に会っているBが大きく左の方を指した。
ごはん学校の生徒たちは、駆け足で廊下を左に走った。
やがて、「大丘忍」と書かれたプレートのある個室の前に辿り着いた。
トントン。
そうげんが部屋をノックした。
「大丘忍さんの学校の友達です」
大きな声で言った。
「どうぞお入り下さい」
部屋の中から声がした。
なので、ごはん学校の生徒たちは、ドドドッとなだれ込むように部屋に入った。
部屋の中には、恰幅のいい医師が難しそうな顔をしていた。
「あっ」
「ああー」
みな驚愕の声を張り上げた。
なぜなら、ベッドにの上には白髪で皺くちゃの老人が乗っていたからである。
それは、どう見ても、フリースクール・ごはん学校に通っていた17歳の大丘忍ではなく、90歳くらいの老衰前の老人にしか見えなかった。
大丘忍の左手には点滴の針が差されており、さらにECMO(体外式膜型人工肺)がつながれていた。
モニター心電図も取り付けられていた。
皆は大丘忍の周りを取り囲んだ。
「こ、これが大丘忍さん?」
「ウソだろー」
「この人、大丘さんじゃなくて別の老人でしょ」
生徒たちは、口々に言った。
「いや。信じられないだろうが、この患者は間違いなく、大丘忍さんだよ」
白衣を着た大丘忍の主治医の医師がキッパリと言った。
「彼がここに入院した時は、まだ17歳の青年だった。だが、1週間で、あっという間に、全身が老化していってね。昇圧薬を投与しても血圧は上がらず、心臓は拡大して、うっ血性心不全だ。尿の排出もない。あともって1時間だ。ICUで延命処置をしても、2、3日、延命させるだけで、本人の希望もあり、積極的な延命治療はしていないんだ」
医師はそう説明した。
「大丘さん」
ごはん学校で大丘忍を慕っていた、飼い猫ちゃりりんが、大丘忍の手をギュッと握りしめた。
瞼を閉じていた大丘忍の瞼がゆっくり開いた。
「・・・・あ、あなたは誰ですか?」
大丘忍は意識が朦朧としていたので、飼い猫を見ても誰かわからなかった。
「飼い猫ちゃりりんです。ごはん学校では、色々とアドバイスしてもらいました、飼い猫です」
飼い猫ちゃりりんは、必死に大丘忍の意識を呼び戻そうとして大丘忍を激しく揺すった。
その甲斐あってか、大丘忍は、
「ああ。思い出しました。ごはん学校の飼い猫ちゃりりんさんですね。焦っているようですが、どうしたのですか?」
大丘忍は、ここは、ごはん学校だと思っているようだった。
主治医が大丘忍の胸骨を拳でグリッと押した。
しかし、反応がない。
意識レベルはJCSで一番危険なⅢ―300だった。
「君たち。もう大丘忍くんは危ない。言ってやりたいことがあったら、何でも言ってやりたまえ」
そして医師は大丘忍に向かって、
「大丘忍くん。君も言いたいことがあったら、何でも言いたまえ」
と大きな声で言った。
「・・・・セ、セックス。セックス。セックスをしたい・・・」
大丘忍は朦朧とした意識の中で、か弱い声で言った。
人の将に死なんとする其の言や善し、である。
大丘がセックスのことしか頭になくセックス小説しか書かない大丘を嫌っていた植松煌が、大丘に駆け寄って、大丘の手を握った。
「大丘さん。セックスは素晴らしい。これから、あなたは、いくらでもセックスが出来ますよ」
と慰めの言葉をかけた。
もちろん本心とは正反対だが植松煌も死んでいく者を鞭打つようなことはしたくなかったのである。
死んでいく者には、ウソでもいいから全てを肯定してやりたかったのである。
大丘にさんざん凌辱されて子供を産めない体になってしまった李林檎も、駆け寄って大丘の手を握った。
そして泣きながら、
「大丘さん。李林檎です。私を精一杯、愛して下さって本当に有難うございました」
と言った。
しかし、遠のいていく大丘の意識には、それは、届かなかった。
大丘はただただ、セックス、セックス、と繰り返すばかりだった。
「大丘さん。待ってて」
飼い猫ちゃりりんが、何か思い立ったように、握っていた大丘の手を離した。
「大丘さん。死なないで」
飼い猫は、何とか、大丘の死を幸福なものにしてやりたい、という思いから、大丘の布団をどかした。
そして、大丘の着ているパシャマのを脱がし、下着のシャツとパンツも抜き取った。
大丘忍は全裸になった。
大丘のチンポは、当然のことながら、ふにゃふにゃだった。
ごはん学校にいた時の大丘のズボンはいつも勃起したチンポに突き上げられて、激しくテントを張っていたというのに、今は、見る影もないものになっていた。
飼い猫は、大丘のふにゃふにゃチンポを口の中に含み、必死で口を前後に動かした。
フェラチオである。
大丘のチンポを何としてでも、立たせてやりたい、そして射精させてやりたいという、けなげな思いで必死だった。
しかし、飼い猫の思いも虚しく、大丘のチンポは、立たなかった。
飼い猫は、ブラウスを脱ぎスカートを降ろしてブラジャーとパンティーだけの下着姿になった。
そしてブラジャーも外し、パンティーも脱いで一糸まとわぬ全裸になった。
「大丘さん。死なないで」
そう言って、飼い猫は、大丘のベッドに乗った。
そして、大丘の顔の上にまたがって、尻を大丘忍の顔の上に乗せた。
そして上半身を倒し、大丘のチンポを口に咥え、フェラチオを始めた。
69の体勢である。
非常識なことだが、主治医もそれをとめようとはしなかった。
飼い猫は必死にフェラチオを続けた。
普通なら、心臓マッサージや電気ショックをするところだが、大丘にとっては、飼い猫のフェラチオの方が、延命の可能性がある医療行為になっている、と主治医は判断したのだろう。
その甲斐あってか、大丘のチンポが勃起し始めた。
モニター心電図でも、血圧が上がりはじめ、平坦だった心電図にもかすかな波があらわれ始めた。
「き、奇跡だ」
主治医が驚いて言った。
意識レベルはJCSⅢ―300だというのに。
大丘の口がかすかに開き、大丘の舌は大丘の口にくっついている飼い猫のどす黒いマンコに伸びた。
そして、大丘の舌は飼い猫のマンコに触れた。
飼い猫は、大丘に自分のマンコをなめさせようと、腰を器用に動かしながら、69の体勢で、大丘のチンポをくわえて、フェラチオを続けた。
クチャクチャと射精前に起こるカウパー腺液の音がし始めた。
飼い猫は、必死でフェラチオの度合いを一層、激しくした。
「あ、ああー。出るー」
もう意識もないはずの大丘が言葉を発した。
ドピュ。ドピュ。
大丘のチンポからザーメンが勢いよく放出された。
飼い猫は、一滴のこらず、それを全部、飲み込んだ。
その時、一気に心電図の波形がツーと平坦になり、血圧も一気に下がった。
首を支える頸筋の力がなくなったのだろう。
上を向いていた大丘の顔が、ガクッと横向きになった。
主治医が、急いで、大丘の傍らに来た。
そして、ペンライトで対光反射を調べ、手首で脈を計った。
ペンライトをあてられた大丘の開きっぱなしで、縮瞳することはなかった。
そして医師は、大丘忍の心臓の所に聴診器を当て、心音が無いのを確認し、口に耳を当て、呼吸音が無いのを確認した。
モニター心電図でも、心電図は、ツーと平坦のままで、血圧も0のままだった。
「ご臨終です」
医師は皆に向かって厳かな口調で言った。
こうして大丘忍は大往生をとげた。
ごはん学校の生徒たちには、もちろん友情などというものは、カケラもないので、大丘の死を悼んで泣く者は一人もいなかった。
ただ飼い猫だけが、大丘さーんと69の体勢のまま、大声で泣きじゃくっていた。
飼い猫は、ごはん学校の時から、大丘や大丘の書く小説に対して好意的だった。
その理由はわからない。
大丘の書く小説は、セックス小説ばかりだっだが、そして女はセックス小説など読まないものだが、小説の内容はどうあれ、大丘の小説は、文章もストーリーも、手を抜かず、完成度が高く、また京大医学部を目指して、一日中、必死に勉強している、大丘の誠実さが好きだったのかもしれない。
あるいは、飼い猫には、ジェロントフィリア(老人性愛)の性癖があったのかもしれない。
飼い猫は、ちゃりりんというペットのネコを猫かわいがりするだけの毎日で、その片手間に気の向いた時だけ、小説でも書いてみよう、という根性の女だったので、当然、作品は愚にもつかない三文小説だった。
そして、やたら難しい言い回しの主張をして、気取って、威張る鼻持ちならない女だった。
しかし。
飼い猫は、若い時の広末涼子のような、町を歩いている時は、すべての男たちが思わず立ち止まって振り向いて、目を見張るような、絶世の美しい容貌だった。
「飼い猫のヤツも、こんなフリースクールにへばりついていないで、芸能プロダクションに売り込めば、芸能プロダクションは大喜びして、あいつは、国民的アイドルになれるのになー、変なヤツだなー」
と、ごはん学校の生徒たちは、陰で、飼い猫のことを、そう言って不思議がっていた。
しかし容貌が美しいからといって、即、国民的アイドルになれるとは限らない。
美しい容貌の女などいくらでもいる。
飼い猫は若い時の広末涼子と瓜二つの美しい容貌だが、性格はその美しい容貌からは、ほど遠いアバズレで、この性格の悪さは治るものではなかった。
飼い猫の母親も、
「お前は性格さえ良くなってくれれば国民的アイドルになれるのよ」
と言って、何とか、娘の歪んだ性格を治そうと、全国の精神科医の治療を受けさせたが、人格障害は治らなかった。
なので仕方なく母親もあきらめたのである。
ごはん学校の生徒たちも、
「やはり天は二物を与えないものなんだな」
と、天の摂理をしみじみと納得しているかのような口調で、つぶやいていた。
・・・・・・・・・・・・・・・・
死んだ大丘に飼い猫ちゃりりんは、69の体勢で、へばりついて泣いていた。
医師は黙っていたが、しばしして、
「大丘君は抗老化遺伝子である、サーチュイン遺伝子が欠損する本態性急速進行性老化症候群という100万人に1人の疾患なので、これから病理解剖して研究することになっています。どうか、ベッドから降りて下さい」
と言った。
言われて飼い猫ちゃりりんは、ベッドから降りた。
そして泣きながら服を着た。
ごはん学校の生徒たちも病室を出た。
「あーあ。あれほど勉強熱心な大丘のことだから、死ななければ、京大医学部に合格して、いい女と結婚して、毎晩セックスをしたいという、彼の夢がかなったろうにな」
「そうだな」
「可哀想な人生だったな」
と言いながら帰途についた。
哲也も黙って家に帰った。
ピンポーン。
チャイムを押した。
「はーい」
家の中でパタパタと駆けてくる足音が聞こえた。
ガチャリ。
玄関の戸が開いた。
母親が顔を出した。
「哲也。お帰り」
「ただいま」
と言って哲也は靴を脱いで家の中に入った。
そしてリビングルームのソファーに座った。
「哲也。お帰り。今日は早いのね。何かあったの?」
母親が聞いた。
「今日ね。ごはん学校の生徒の一人が危篤状態になってね。みんなで病院に行ったんだ。彼は死んだよ」
哲也は淡々と話した。
「まあ。そうだったの。それで、なくなった方って誰なの?」
「大丘忍という生徒さ」
「ああ。前に話してくれた、ナントカ症候群という難病の方ね」
「本態性急速進行性老化症候群という厚生省指定の難病さ」
「それはどういう病気なの?」
「抗老化遺伝子の、サーチュイン遺伝子が欠損した先天性の病気さ。17歳の若い人が、まるで90歳の老人のようになっていたよ。それで老衰で死んだのさ」
「不思議な病気も世の中にはあるものなのね。でも17歳で亡くなるなんて可哀想ね」
「ああ。そうだね。彼は京大医学部に入りたいという夢を持っていて必死に受験勉強していたからね」
「まあ。そうなの」
「お母さん」
「なあに?」
「僕が死んでも葬式はいらないからね」
「どうして?」
「僕は人間の死に対してドライなんだ。僕は人が死んでも可哀想と思ったことがないし、自分が死んでも誰にも可哀想なんて思って欲しいとも思っていないんだ」
「でも私は哲也が死んだら泣くわよ。だって私のお腹を痛めて産んだ子だもの」
「・・・・」
哲也は黙っていた。
哲也は人間の心を理解する能力が高かったが、母親の子に対する思いは、まだ本当には理解できていなかった。
「哲也くんは、人が死んで悲しいと思ったことはないの?」
「そりゃーあるよ。僕は太平洋戦争で夢も希望もありながら、20歳で死んでいった神風特攻隊の人たちは可哀想だと思っているよ」
それを聞いて母親は微笑した。
自分の息子にも、人の死を悲しむ心があることがあるのを知って安心したのだろう。
「僕の心の中では、神風特攻隊の人たちが生きているんだ。僕が生きているのも、日本を命がけて守ってくれた神風特攻隊の人たちの死を無駄にしたくない、という思いからなんだ」
母親もソファーに座った。
「今時、そんなことを思っている若者なんていないんじゃないかしら?」
「いや。いると思うよ。テレビで太平洋戦争や特攻隊のドキュメンタリー番組を見たら、きっと、そういう心境になると思うよ。でも彼らは、その番組を見ている時だけさ。一時の感傷に浸っているだけさ。翌日になったら、ケロッと、忘れてしまうよ」
「でも。哲也くんにも、小説を書きたいという、生きがいがあるじゃない。哲也くんは将来、小説家になりたいんじゃないの?」
「ああ。なりたいよ。でも僕の気質から言ってプロ作家になるのは難しいと思っているんだ。まあ、僕も何が何でもプロ作家になりたいとは思っていないよ。僕は小説を書いていれば、それで満足なんだ。それに僕は病弱で体力がないからね。プロ作家になるためには、健康な体が絶対、必要だからね」
「・・・・・・」
母親は涙ぐんだ。
「ごめんね。哲也くん。病弱な体に産んじゃって。私、何て言って謝ったらいいか・・・」
「オーバーだなあ。世の中には、もっと可哀想な人達がいるじゃない。車椅子の人とか、身体障害者の人達とか。ああいう人達の方が、僕の1000倍、可哀想だと思うよ。お母さんも、親バカにならないで、そういう人たちのことを、可哀想に思いなよ」
「はい」
「それと僕は、病気もちであることを、そんなに悲観していないよ」
「・・・・どうしてなの?」
「生まれつきの病気は個性さ。僕の世界観、人間観、は、それによって形成されている。人と変わった独特の個性があるから小説が書けるんだ。それに、僕は何歳まで生きられるかわからないから、一年一年が勝負だと思って生きている。僕は将来を考えていない。いつ死んでもいいように、精一杯、生きているつもりさ」
「そう言ってくれると、母さんも救われるわ。有難う」
こんな会話がなされた後、哲也は二階の自室に入った。
そして哲也は、ベッドにゴロンと身を投げ出した。
大丘さんも可哀想な人だっな。あんな努力家の人なら、きっと間違いなく、京大医学部に入って、いい女と結婚して、毎晩、夜10時から明け方の午前6時まで、セックスを楽しめる人生が送れただろうに。
それに、あの人は、何事にも熱心だから、きっと卓球でも全国優勝しただろうし、詩吟でも総範師になれただろうし。
しかしゴルフだけは挫折きっとするだろうが。
そんなことを思っているうちに、哲也はウトウトと眠りに就いた。
・・・・・・・・・・・
2021年の夏が過ぎ、10月になると哲也の体調が悪化し出した。
そもそも哲也は冷え症で、自律神経の調節機能が悪く、一年を通して体調が悪かった。
日本は季節の変化が激しいので、精神的ストレスではなく、外的ストレスに病弱な体がついていけなかった。
新陳代謝が悪く、冷え症だった。
春夏秋冬、哲也にとって、いい季節はない。
それでも、極寒の冬よりは暖かい夏の方が、はるかに良かった。
日本の冬は極寒でブルブル震え何も出来ず、年が明け、春になって、日中の気温差が10度を超えると、自律神経がついていけず、また、スギ花粉が飛び始めるので、花粉症に悩まされた。真夏は湿度が高い猛暑に体がついていけず、秋には、また日中の気温差が10度を超えてくるので、自律神経がついていけなかった。
それを何とかしようと、哲也は週に2回は、温水プールに行って、泳ぐことで健康を保っていた。
温水プールに行くと、最低でも4時間は泳いだ。
週2回の水泳は、哲也が生きていく上でのライフラインだった。
水泳は有酸素運動で、新陳代謝が上がり、全身の筋肉や呼吸筋など内臓の筋肉も鍛えられ、水の刺激が自律神経に良い刺激を与え、冷え症の原因である末梢の血行不良が改善されるため、水泳は目に見えて、健康改善に効果があった。
水泳をすると、副交感神経が緊張しっぱなしで、動かなかった腸が動き出し、便秘が改善された。
腸は第二の脳と言われているくらいで、溜まっていた便が排出されると、腸内環境が良くなった。腸内環境が良くなると、腸脳相関で脳も活性化された。
さらには、有酸素運動を長時間、続けていると、脳下垂体から、βエンドルフィン、というモルヒネの7倍の効果のある脳内麻薬が出てくる。
なので、水泳をしていると、小説のアイデアが次々と沸いてくるのである。
それで哲也は週2回、温水プールに行って水泳をしていた。
しかし有酸素運動もあまり、長時間やり過ぎると筋肉を落としてしまう。
それはフルマラソンの選手が、骨と皮の鶏がらのよう、とまでは言わないが、痩せているのを見ればわかることである。
有酸素運動は20分くらいから脂肪燃焼効果が出てくる。
しかし、4時間もやっていると、筋肉が分解されて、それが運動を続けるエネルギー源として使われてしまうのである。
哲也もその理屈はわかっていた。
なので、健康のために長時間の有酸素運動をするのなら、筋トレもして、筋肉を落とさないようにしなければならない。
なので哲也は筋トレもしていた。
しかし、10月から体調が悪くなって小説が書けなくなって、気分が落ち込んでいたので、筋トレをする気力が出なかった。
そのため、週2回の水泳をするだけで、筋トレはしなかった。
そのため、便秘は改善されるが、筋肉量が落ちて、筋肉量が落ちると、新陳代謝が悪くなって、冷え症になった。
そのため、2021年は、10月から何も出来なくなった。
もちろん小説も書けなくなった。
しかし哲也にとって、それは毎年のことなので、以前は焦っていたが、最近は、仕方ないや、と自分の宿命を受け入れて何も出来ない毎日に耐えた。
・・・・・・・・・・・・・
年が明け、2022年(令和4年)になった。
ある寒い日、可愛らしい女の子が、ごはん学校に入学してきた。
髪をツインテールに編んでリボンで結び、フリルのついた赤いフレアースカートを履いていた。
「ああ、かわいい子が入ってきたな」
と哲也は思った。
少女は校長に促されて、教壇の前に立った。
「さあ。自己紹介しなさい」
と言われて、少女はニコリと微笑み、皆にペコリと頭を下げた。
「出所狂子といいます。よろしくね」
と少女は挨拶した。
ああ、かわいい、礼儀正しい女の子が入ってきたな、と哲也は思ったが、皆は、なぜだか、そう思っていないらしく、皆、プイと顔をそむけて、彼女を見ようともしなかった。
哲也には、それが不思議でならなかった。
しかしその疑問は、その日の昼食の時にわかった。
ごはん学校の昼食はセルフサービスのバイキングである。
ごはん学校の生徒は、怠け者ばかりなので、午前中の授業では、スマホのラインや、ゲームをやったりするだけで、誰も真面目に小説を書こうとはしない。
ジリジリジリーと昼休みのベルが鳴ると、
「あーあ。毎日毎日つまんねえな。メシでも食いに行くか」
と、生徒の一人が言った。
彼に着いて行くように、ごはん学校の生徒たちは、ゾロゾロと食堂に行った。
出所狂子も食堂に向かった。
「出所狂子さん。ここの昼食は、ランチバイキングです。好きな物を好きなだけ食べていいんですよ」
と哲也は教えてあげた。
「そうなんですか。教えてくださって有難うございます」
と彼女はニコッと微笑んだ。
実に礼儀正しい、明るい子だな、と哲也は思った。
彼女は、かわいい、礼儀正しい子がそうであるように、少な目のご飯とコロッケとみそ汁を取って席に着いた。
哲也は、シャイなので、彼女と席を一緒にすることなく、彼女と離れたテーブルに着いて、食事を食べ出した。
しかし、なんで、あんな可愛い礼儀正しい子が、こんなフリースクールに入学してきたのか、それが哲也には不思議だった。
しばしして。
「ぎゃー」
というけたたましい悲鳴が食堂中に鳴り響いた。
何事かと、哲也は振り向いた。
なんと、出所狂子が、一人で、食事していた青木航の背後から忍び寄って、熱いみそ汁の入った寸胴鍋を頭から、ぶっかけていたからである。
哲也は目を疑った。
あんな可愛い礼儀正しい子が、なんであんなことをするんだろう?
気が狂ったのだろうか?
哲也には、どうしても理解できなかった。
青木君は、やったなー出所、と言って、額に青筋を立てて、青木君もオニオンスープの入った寸胴鍋を持ってきて、出所狂子に、ぶっかけ返した。
食堂は青木君と出所狂子の修羅場と化した。
皆は修羅場から去るように、あわてて食堂を出て教室にもどった。
・・・・・・・・・
李林檎さんが哲也の所にやって来た。
そして哲也の隣に座った。
「哲也くん。驚いたでしょ。あの出所狂子という子は、見た目は可愛らしく見えるけど、性格は狂っているのよ。彼女は、以前にも、このフリースクールにいたんだけれど、ある日、ルイヴィトンの大きなカバンを持ってきたの。その中にはマシンガンが入っていて、彼女は、皆に向かって、マシンガンを乱射して、生徒を皆殺しにしちゃったの。それで網走女子教護院に1年、入れられたの。1年間の刑期が終えて出所して、またこのフリースクール・ごはん学校にもどってきたのよ」
と説明してくれた。
哲也は、ふーん、信じられないな、人は見かけによらなんだな、とつくづく思った。
出所狂子は、特に青木君を嫌っているようで、青木君にケンカを吹っかけていた。
「青木―。お前の書いているのは紙芝居なんだよ。誰も読まないんだよ。やめろ。やめろ」
と真面目に長編歴史小説「坂東の風」を書いている青木君をからかった。
「うるせー。出所。これは、歴史教育と共に、面白い読み物でもある小説なんだぞ」
と言って対抗した。
二人の口論はだんだん激高していって、掴み合い、殴り合いのケンカになっていった。
青木君も女の子相手に殴り合いのケンカをするなど、大人げないな、と哲也は思ったが、出所狂子は、ケンカ慣れしているのか、青木君と対等に戦えた。
二人の勝負はなかなかつかなかった。
フリースクール・ごはん学校は毎日が、青木君と出所狂子のケンカの場となった。
みっともないから、やめなよ、と哲也は言いたかったが、哲也は、臆病で勇気がなく、言い出せなかった。
一日が終わると、青木君は「今日は3―1でオレの勝ちだな」と自慢げに笑いながら独り言をつぶやいた。
一方、出所狂子は「今日は10―0で私の完勝ね。あんなヤツ、ちょろい。ちょろい」と勝ち誇った。
出所狂子は、ともかく元気旺盛な子だった。
彼女は、小説は書かないが、言いたいことは、無限ともいえるほどあって、他人に対するコメントやら、自己主張はやたらと書いていた。
病弱でエネルギーのない哲也には、そのエネルギーが羨ましかった。
哲也は小説のネタには困らなかったが、病弱で馬力がなく、気力があれば、いくらでも小説を書く自信があったからだ。
出所狂子は最初は青木君に咬みついていたが、彼女の自己主張のエネルギーは、とどまることがなく、それでいつの間にか、青木君との100年戦争は沈静化していった。
それから一週間後、またある生徒が、ごはん学校に入学してきた。
名前を京王jと言った。
挨拶もしないで、髪はボサボサで、だらしない服装で、一目でチンピラとわかった。
京王jは、他人の作品をやたら、おだてておいて、そして相手がそれに反応すると、とたんに、バカにする、という、おちょくりばかりしていた。
ごはん学校は、落ちこぼれの、グータラな生徒ばかりなので、正義感のある生徒など、一人もいない。
なので、京王jに対して、注意する生徒は一人もいなかった。
ただ青木君だけは、正義感が強かった。
世界の警察がアメリカ合衆国であるように、青木君はごはん学校の警察だった。
青木君は勇気があるので、京王jに対して、人をおちょくるのはやめろ、と正々堂々と注意した。
しかし、京王jは、人から注意されて、それを素直に聞くような性格では、さらさらなく、ダニのようなヤツで、注意してきた青木君にダニのように噛みついてきた。
青木君が人の作品にコメントすると、京王jは、青木君の書いたコメントの文章をそのままコピーしたような文章で青木君をからかった。
この京王jの嫌がらせは、しつくこ、さすがの青木君もさすがに参ってしまった。
・・・・・・・・・・・
ある夜のことである。
青木君は、やけ酒を飲んで、ベッドに乗った。
そして、布団をかぶった。
そしてサイドテーブルのベッドサイドランプを消した。
しかし、なかなか寝つけなかった。
・・・・・・・・・・・・・・
夜中の12時を過ぎた頃である。
室内がにわかに明るくなった。
ランプをつけてもいないというのに。
何事だろうと青木君は驚いて身を起こした。
すると、驚いたことに、部屋の隅に人が立っていた。
よく見ると、それはマザーテレサだった。
彼女は白地に三本の青い線の入った修道女の服を着ていた。
「あっ。あなたはマザーテレサ様ではないですか。どうしてこんな時間に僕の部屋に居るのですか?」
青木航は聞いた。
「青木さん。私はあなたに言いたいことがあって来たのです」
マザーテレサは、穏やかな口調で話した。
「それは何ですか?」
青木航は聞き返した。
「あなたは京王jという人を嫌っていますね」
「ええ。あいつはダニのような不良のチンピラですから」
「彼を許してあげなさい。それを言うために私はここに来たのです」
「どうしてですか。僕はあいつのねじ曲がった性格を治してやろうと思って注意しているのです」
マザーテレサはそれには答えず、柔和な笑みを青木航に向けた。
そして一言いった。
「誰からも愛されず必要とされない心の痛み。これこそが最もつらいこと、本当の飢えなのです。パンへの飢えがあるように、豊かな国にも思いやりや愛情を求める激しい飢えがあります。与えて下さい。あなたの心が痛むほどに」
そう言うや、マザーテレサの姿はだんだん薄くなって消えかかっていった。
「待って下さい。マザーテレサ様。それはどういう意味なのですか?」
青木航はベッドから立ち上がって、消えかかっていくマザーテレサに近づこうとした。
しかし、青木航が手を伸ばして、マザーテレサをつかもうとすると、彼女は、スーと姿を消してしまった。
仕方なく青木航はベッドに戻ってゴロンと寝ころんだ。
今のは、夢だったのだろうか。
夜中に、死んだはずのマザーテレサがやって来るなんて、そんな事あり得るはずがない。
やはり夢だったのだろうと唯物論者で無神論者の青木航は思った。
そう思うと、青木航は納得した。
急に睡魔が襲ってきて青木航は眠りに就いた。
・・・・・・・・・・・・・
翌日、チュンチュンと鳴く鳥の鳴き声で青木航は目覚めた。
まだはっきりと目覚めきっていない意識の中で、青木航は、昨夜のマザーテレサのお告げのような夢の意味を考えていた。
青木航は、もちろん唯物論者だったので、「神のお告げ」などというものは信じていなかったが、昨日の夢はなにか妙に、心にひっかかるものがあった。
インスピレーションは睡眠中のノンレム睡眠からレム睡眠に移行する時に起こりやすい。
有機化学のベンゼン環(ケクレ構造式)を思いついた化学者のアウグスト・ケクレも、寝ている時に見た夢から、ケクレ構造式を思いついたのである。
アインシュタインの相対性理論。
エジソンの発明の数々。
その他、科学者のインスピレーションは、寝ている時に見た夢によっていることが、かなりある。
宗教者や哲学者のインスピレーションでもそうである。
なので、青木航は、あながち、昨日見た夢を、荒唐無稽な夢とは、思えなかった。
マザーテレサは、京王jを許してあげなさい、と言った。
そして、マザーテレサは、
「誰からも愛されず必要とされない心の痛み。これこそが最もつらいこと、本当の飢えなのです。パンへの飢えがあるように、豊かな国にも思いやりや愛情を求める激しい飢えがあります。与えて下さい。あなたの心が痛むほどに」
と言った。
これはどういう意味だろう?
青木航は、腕組みして、しばし考えてみた。
京王jは小説家になりたいと切に願っている。そして小説を書いている。
しかし、京王jの書く小説は、誰がどう贔屓目にみても、読めた代物じゃない。
ストーリーも何もない、意味不明のクズ文だ。あいつの書く自称・小説など誰も読まないだろう。
「そうか」
青木航は閃いた。
「あいつは孤独なんだ。自分の小説が皆に読まれ、喝采されたい、という夢を持っているのに、誰にも相手にされないので、アイツはさびしいんだ。そのさびしさで、毎晩、わんわん泣いているんだ。そのさびしさを、他人にからむことで、晴らしているんだ。考えてみれば、アイツも可哀想なヤツなんだな」
青木君はしみじみと悟った。
よし、もう京王jが、からんできても、ムキになって反論するのはやめてやろう。
アイツのイヤミ、嫌がらせ、はアイツの悲しさなんだから。
そう思って、青木航は、それから、京王jが嫌がらせを言ってきても、言い返すことをやめた。
すると、京王jもケンカする張り合いがなくなったのだろう。
青木航に嫌がらせをすることがなくなっていった。
哲也は入学して最初の頃は他の生徒の作品にもアドバイスしていたが、それはバカバカしくなってやめてしまった。
しかし哲也はごはん学校を辞めないで通っている。
哲也はプロ作家にまでなれるとも、なりたいとも思っていないが、小説を一生書こうという哲也の思いは揺るがないからだ。



2022年6月6日(月)擱筆

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