小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、精神科医、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

検察

2009-11-17 02:33:53 | Weblog
Yuu-Tubeで鈴木宗男が検察の取調べの可視化を国会で法務大臣に質問するのがある。氏は437日と戦後最大の拘置日数に耐え抜いた。氏ほど気の強い人間なら耐え抜けるだろう。密室の取調べは、証人喚問のようなものだろうが、もっと酷いものかもしれない。実態を見た事がないからわからない。しかし、疑惑がかかって野党やマスコミや国民、全てに叩かれても弱音を上げない氏のことだから検察の取調べなど耐え抜けるのは容易に想像できる。鈴木宗男は氏自身の経験から取り調べの可視化をその後、主張し続けている。しかし私は単純に可視化することに無条件に賛成ではない。密室での国家公認の恫喝的取調べで、やっと自白して真実が明らかになった事件もあるからである。冤罪にしてもそうである。冤罪では無実の人間を死刑にしてしまう事もある。しかしである。この世に神はいない。だから事件が起こった時、有罪か無罪か決めるのは人間にしか出来ない。そして人間は神ではないから誤りを犯す事もある。大切なのは数の問題だと思う。冤罪を全くなくすという事は不可能である。もし、ヤクザ的でない、おさやしい取り調べにしたら、有罪である人に自白させることが出来にくくなってしまう。そうしたら日本は犯罪天国になる恐れがある。なので、冤罪の率を極力少なくし、犯罪者を有罪にする率が極めて高い取調べの方法にすべきだと思うのである。冤罪をゼロにする事は不可能だろう。もちろん冤罪判決をされたら私はもちろん誰だってそんなのを、仕方がないので耐えるなんて人はいない。そんな事が出来るのは、「悪法も法なり」と言って毒杯を飲んだソクラテスくらいだろう。しかし、それにしても今の検察の取調べは、ひどすぎる。検察官よ。たかが、そうよ、あえて言う、たかが司法試験に通った程度でデカイ面するな。
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