小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、精神科医、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

なだいなだ

2013-06-10 23:59:40 | 考察文
精神科医で作家の、なだいなださん、が亡くなった。私は、なだいなださん、を一度だけ見たことがある。それは、大学二年の時の、学園祭の時である。なだいなださんの講演会があったので、それに出でみたのである。その時、話したことは、ほとんど全て、克明に覚えている。慶応医学部のテストで、みなでカンニングしたことや、痔になった時のことや、アルコール依存症の患者の治療のことなどを、ユーモラスに話していた。全部、書いてもいいが、面倒くさい。

北杜生も慶応医学部の精神科で歳も近く、医局では先輩、後輩の関係だった。

北杜生の言うところによると、なだいなだ氏はズバ抜けて頭のいい秀才だったらしい。

私も、なだいなだ氏の書いたものを、少し読んでみたことがある。しかし私にとっては、氏にはあまり魅力を感じなかった。

その一番の理由は、氏は、確かにユーモラスであるが。文章でも講演でも笑ってばかりで、悲哀というものが氏には感じられないからである。

氏は、どんなに苦しい立場になっても、弱音を言わない強い性格である。それはそれで、氏の精神の強さという長所であると思うが。はたして氏が人生で、弱気になったり泣いたことがあるのだろうかと思う。一度もないのではないだろうか。

私は精神の強い人を、尊敬する、というか、羨ましく思うが。そしてセンチメンタルを嫌っているが。それと同時に、人生を笑い飛ばすだけで人生の悲哀を感じられない人は性に合わない。

人生に悲哀を感じられない人は、自分に対しても他人に対してもドライである。

そういう人は、医者にあっては、患者の苦しみに対しても、患者の苦しみを痛切に感じとって、やりきれないほど気の毒に思ったり、涙を流したりすることが、ないのではないかと思う。

精神が強い、ということは逆にいえば、デリカシーがなく精神が鈍感とも言える。
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