IPCC(気候変動に関する政府間パネル)について。
IPCCは、「CO2が地球温暖化の原因となっている、という前提にしてつくられた」の国連の機関であり、純粋な科学的な、組織ではない、と、評論家は言った。
これを聞いて、人は、どう思うだろうか?
純粋な科学的な機関はなく、「CO2が地球温暖化の原因となっている」、という先入観をもってつくられた組織。
だから、信用できない、インチキ機関。
と、考えるのだろうか。
それは、違うと思う。
IPCCとしては、「CO2が地球温暖化の原因となっている」、ことが、証明されることを、祈るように、願っているだろう。
そのために、必死で、人為的なCO2と、地球温暖化のデータを、取り続けているのだろう。
しかし。
科学における研究とは、すべて、そういうものである。
科学者は、二つのことがらに、因果関係が、あるのでは、ないか、と思って、研究するのである。
「前提となっている」、と聞くと、悪いイメージを持ちやすいが、結構、言葉が、あそんでいて、「絶対的な仮説としている」、と言い換えてもいいだろう。
問題は。データの取り方に、人為的な操作をしていなければ、そのデータは、貴重なデータとなる、ということである。
IPCCとしても、本当に、科学的に、「CO2が地球温暖化の原因となっている」、ということを証明したい、だろうから、データの取り方は、信頼できるだろう。
データも信用できないなら、どういうデータの取り方をしたのか、ということを、IPCCに、問い詰めれば、いいだけである。
だから、IPCCの言っていることは、信用しなければ、いいだけである。
データだけを活用すれば、いいだけである。
これは、ちょうど、厚生労働省の、村木厚子氏に、対する、検察の疑惑の捜査に、似ている面がある。
検察は、「村木厚子氏が、犯罪に関与している」、という、前提の元で、捜査を始めた。
しかし、それを、証明しようと、調べれば、調べるほど、検察の見立てと、違う事実が、どんどん出てきた。
だから、検察は、フロッピーを改ざんまで、しなければ、勝てないほどまでに、追いつめられてしまったのだ。
IPCCは、純粋な科学的機関ではなくても、データ改ざんまで、するほど、悪質な組織ではないだろう。
まがりなりにも、国連の機関なのだから。
IPCCは、「CO2が地球温暖化の原因となっている、という前提にしてつくられた」の国連の機関であり、純粋な科学的な、組織ではない、と、評論家は言った。
これを聞いて、人は、どう思うだろうか?
純粋な科学的な機関はなく、「CO2が地球温暖化の原因となっている」、という先入観をもってつくられた組織。
だから、信用できない、インチキ機関。
と、考えるのだろうか。
それは、違うと思う。
IPCCとしては、「CO2が地球温暖化の原因となっている」、ことが、証明されることを、祈るように、願っているだろう。
そのために、必死で、人為的なCO2と、地球温暖化のデータを、取り続けているのだろう。
しかし。
科学における研究とは、すべて、そういうものである。
科学者は、二つのことがらに、因果関係が、あるのでは、ないか、と思って、研究するのである。
「前提となっている」、と聞くと、悪いイメージを持ちやすいが、結構、言葉が、あそんでいて、「絶対的な仮説としている」、と言い換えてもいいだろう。
問題は。データの取り方に、人為的な操作をしていなければ、そのデータは、貴重なデータとなる、ということである。
IPCCとしても、本当に、科学的に、「CO2が地球温暖化の原因となっている」、ということを証明したい、だろうから、データの取り方は、信頼できるだろう。
データも信用できないなら、どういうデータの取り方をしたのか、ということを、IPCCに、問い詰めれば、いいだけである。
だから、IPCCの言っていることは、信用しなければ、いいだけである。
データだけを活用すれば、いいだけである。
これは、ちょうど、厚生労働省の、村木厚子氏に、対する、検察の疑惑の捜査に、似ている面がある。
検察は、「村木厚子氏が、犯罪に関与している」、という、前提の元で、捜査を始めた。
しかし、それを、証明しようと、調べれば、調べるほど、検察の見立てと、違う事実が、どんどん出てきた。
だから、検察は、フロッピーを改ざんまで、しなければ、勝てないほどまでに、追いつめられてしまったのだ。
IPCCは、純粋な科学的機関ではなくても、データ改ざんまで、するほど、悪質な組織ではないだろう。
まがりなりにも、国連の機関なのだから。