古文書に親しむ

古文書の初歩の学習

第十一章 濱着口上書・その二十二

2012年06月04日 07時22分33秒 | 古文書の初歩

濱着口上書第六ページ、上の画像の三行目

解読      摂州御影嘉納屋弥兵衛舩

    辰十月廿四日    沖舟頭 増十郎

                  梶取   豊蔵

              大嶋浦舩宿  儀平次

       御役人衆中

読み      摂州御影 嘉納屋弥兵船

    辰 十月二十四日  沖船頭 増十郎

                   梶取  豊蔵

              大嶋浦船宿  儀平次

       御役人衆中

解説  日付、署名欄、宛名書きですが、難解な文字ばかりで、閉口してしまいます。この古文書の一番はじめに出た文字ですから、思い出して下さい。 「摂州」・・・「摂津の国」。「摂」はかすれています。このまま一字で出されても、読めそうにありません。 「御影」も難しいですが、二度目の文字です。 「嘉納屋」は一番まともな文字となっています。 「弥兵衛舩」・・・「舩」も読みにくい字です。摂津の国の御影という所の、嘉納屋弥兵衛商店の船の「沖舟頭」・・・沖船頭『おきせんどう』=船長。船中の全てについての責任者。 「増十郎」・・・「増」が読みにくいですが、この文章のはじめに出ました。こちらの方が難しい。 その上部に日付があります。最初は「辰」、これも難しい。辰のみでは、年号は特定出来ません。 「十月」は分かります。「廿四日」・・・「四」の次の斜めの棒は「日」です。 「梶取」・・・『かじとり』操船の責任者。 「豊蔵」・・・「豊」も「蔵」も教えて戴かなければ読めません。 次ぎも難解です。「大嶋浦」。 「舩宿」は比較的分かり易い文字です。 「儀平次」・・・これも教えて貰わねば読めません。 宛名欄は「御役人衆中」・・・浦の御役人の皆様ご一同様。「衆」も難解です。この様に難破した時は、入港した浦の船宿の主人と、船の責任者が連名で、その浦の役人(庄屋など)に届け出ました。 神戸市東灘区の「御影」と言う地名の起源は、神功皇后が新羅(しらぎ)征伐の途次、この地にある綺麗な泉に容姿を映して、化粧を整えたと言う伝説から、「御影」(おんかげ)と言う地名が残ったと言う話があります。