かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

馬場あき子の外国詠 260(韓国)

2019-10-27 18:31:42 | 短歌の鑑賞
  ブログ版馬場あき子の外国詠34(2010年12月実施)
       【白馬江】『南島』(1991年刊)74頁~
      参加者:K・I、N・I、佐々木実之、崎尾廣子、曽我亮子、藤本満須子、
           T・H、渡部慧子、鹿取未放
      レポーター:渡部慧子   司会と記録:鹿取未放
                

  日本書紀では白村江(はくすきのえ)。天智二年秋八月、日本出兵して
    ここに大敗したことを太平洋戦争のさなか歴史の時間に教
        へた教師があつた。その記憶が鮮明に甦つてきた。

260 秋の水みなぎるとなく逝くとなく白馬江あかき夕日眠らす

     (レポート)
 私達は旅にあって、大河に落ちる夕日にのぞむとしたらどんな一首を残すだろう。朝日にはたくさんのものをはじき出すような力があるが、メッセージ性の強い赤でありながら、夕日の場合は、没細部的な景となり、充足や安堵へ導かれるだろう。掲出歌は作者と白馬江の距離のためか「みなぎるとなく」「逝くとなく」として静的な大景が示されている。この二つの否定は悠然たるうちに生きていて永遠のような感じを導き出している。また「秋の水」「あかき夕日」の二つのア音のあかるさが働き、「夕日眠らす」という終末ではない大景へ自然に落ち着いている。印象深い動詞を3カ所配しながら、どれも邪魔にならず、大きな息づかいのうちに仕上がっているのは、白馬江の名による歴史性へのふかい感慨のゆえであろう。(慧子)

      (当日発言)
★否定語を2度も使っているのに、こせこせしていなくて、ゆるやかな言葉遣いが白馬江の雄大
 な景を見せてくれる。白馬江という地名の白と夕日の赤の対比は、下手をするとわざとらしくて
 いただけないが、ここではさりげない仕立てで成功している。とうとうと流れる大河ではなくゆ
 ったりとたゆたっているゆえに、白馬江が夕日を入れる揺籃のようで、作者の感動もよく伝わっ
 てくる。(鹿取)

コメント
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