かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男の一首鑑賞 2の208

2019-10-30 17:11:49 | 短歌の鑑賞
   ブログ用渡辺松男研究2の28(2019年10月実施)
     Ⅳ〈水〉『泡宇宙の蛙』(1999年)P138~
     参加者:泉真帆、岡東和子、A・K、菅原あつ子(紙上参加)、鹿取未放
     レポーター:岡東和子    司会と記録:鹿取未放


208 われ水にくるしむわれのなかの水雲ひろがりてくるときにおう

          (レポート)
 作者は水に苦しんでいるという。作者の中の水は、雲がひろがつてくるとき、におうというのだ。人間の身体の六十%は水分でできていると考えられている。水分は、数日とらないと命にかかわるとさえ言われている。それだけ大切な水が、雲がひろがつてくる時においを発して苦しめる。汲み置きの水が梅雨時など匂うことはあるが、ここではそうした現実を詠つているわけではない。「われのなかの」としたところに苦しみの深さを感じた。〈水〉十二首の冒頭にこの歌がある事を念頭に、以下十一首を読み進めたい。(岡東)

       (紙上参加意見)
 作者は水に苦しんでいて雲が広がり雨が近づいてくると自分の中の水がにおうという。この水とは何なのか、くるしめ、におうのだから、匂うではなく、臭うだろう。とどまり腐り出したような水で、作者を飲み込む無力感倦怠感閉塞感などか。確かに、雨が近づいてくると、湿ったにおいがすることがある。そんな時に、作者は自分という存在のにごりを感じ、苦しんでいるのだろう。(菅原)


          (当日発言)
★レポーターの岡東さんが書いているように、くみ置きの水が臭うことはあるが、ここで
 は自分の中の水が臭うから苦しいのだというところ、なるほどと思いました。あと一つ
 は自分の存在の濁りを感じているだろうと菅原さんが書いていて、存在の濁りに引きつ
 けられました。歌の中で松男さんは樹木になったりしますよね、以前、木の中を水が流
 れていると詠まれた歌もありました。作者が自然界と自分が同調していてあまり境がな
 いように感じているのは分かるのですが、「われ水に苦しむ」というのがすごく強くて、
 存在に苦しむのでしょうけど、そこが漠然としか受け取れなかったです。(真帆)
★今回、全く分かりませんでした。水に苦しむとありますが、人間の肉体にある生理学的
 な水なのか、別のことなのか分からない。初句がまず分からない。次にも水を繰り返 
 して念を押している。雲が広がってくるとき臭うというのは湿った感じの時の体感とし
 て自分の中の水が共鳴するというのは分かる気がするけど。存在って純粋なものだと渡
 辺さんは思ってないと思うので、今さら存在の濁りをいうかなあ、それを自分の中の 
 水が臭うって結びつけるかなあ。(A・K)
★A・Kさんとほとんど同じです。「われ水にくるしむ」の水と「われのなかの水」は同
 じものなのか、違うのか。違うとしたら初句は外界にある現実的な水で二句目は私の中
 の抽象化された水?といっても、体と精神は切り離せないから体の中の水分は心の反映
 でもあって、それが雲と感応し合う、そこは感覚的に分かる気がする。最初にバーンと
 「われ水にくるしむ」ってテーゼを出す、そしてその後、自分の中の水と雲が感応する
 ことを言う、感応すると水が臭う、それが苦しい。何か整理しきれないです。(鹿取)
★汗など外に出てきたものが臭うのは分かるけど、われの中の水だから分かりにくいです。
   (岡東)

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馬場あき子の外国詠 262(韓国)

2019-10-30 10:46:24 | 短歌の鑑賞
  ブログ版馬場あき子の外国詠34(2010年12月実施)
       【白馬江】『南島』(1991年刊)74頁~
      参加者:K・I、N・I、佐々木実之、崎尾廣子、曽我亮子、藤本満須子、
           T・H、渡部慧子、鹿取未放
      レポーター:渡部慧子   司会と記録:鹿取未放
                

日本書紀では白村江(はくすきのえ)。天智二年秋八月、日本出兵して
   ここに大敗したことを太平洋戦争のさなか歴史の時間に教
       へた教師があつた。その記憶が鮮明に甦つてきた。

262 国敗れ死にしをみなの亡骸(なきがら)を生きしをみなはいかに見にけむ

      (レポート)
 テーマだけを投げ出したような一首だが「をみな」に絞られていて、やはり女の側から鑑賞したい。かつて子供を育てながら、時代と時代の子と格闘していると考えたことがある。そうは言いながら、おおよそ人々が時代の子であるのは、子供に限ったことではない。そしてその生は世と親和し、また葛藤している。たとえば風俗、宗教また個の情念に切実に懐疑的に、一方では家族のための衣食住に、ひたすらな生活者であるをみなとして、そのようにありながら女性の側から時代への暴挙など考えられないまま、戦争等圧倒的な時代勢力にのまれてしまったりする(「国敗れ死にしをみなの亡骸」)。また生きしのいだりする(「生きしをみな」)。「死にしをみなの亡骸」とは、その背景の伝統、文化などふくめての生きざまをたどることをせず、ここでは伝聞であろう状態に即するのみの表現として、「生きしをみなはいかに見にけむ」と、時代の負への告発を同時代の「をみな」に託しているのではないか。あまりにもはるかな歴史的事象、無惨に対して、作者は言葉を失っているのか、ひかえているのか、いかがであろう。(慧子)


     (当日発言)
★レポーターの言わんとすることが、私にはほとんど理解できなかったんだけど。宮女三千が身を
 投げたことに対して、作者自身は261番歌(旅にきく哀れは不意のものにして宮女三千身を投
 げし淵)で「哀れ」と情を吐露している。次にこの歌では、同時代、現場にいて実際亡骸を見た
 女たちはどう見たのかと問うている。宮女の中には生き延びた人もいたかもしれないし、庶民は
 死なずにすんだのかもしれない。そして死なずにすんだ女性たちは死んでしまった宮女たちの亡
 骸を見て、かわいそう、とか自分は助かってよかったとか、そんな単純な思いであったはずはな
 い。
  この歌も、冒頭の詞書から推して沖縄戦の果て身を投げた女性たちのことが背景にあって詠ん
 でいる。そこで生き残った女性たちは言葉を絶したもろもろを心のうちに抱え込んだに違いない。
 そして、そういう沖縄に代表される犠牲を、内地にいた人々はどう見ていたか。少なくとも作者
 は重く大きなものを抱え込んだのだ。それがどんなに重いものだったかは、韓国旅行詠の載る『南
 島』と同じ歌集に収められた「南島」一連を読むとよく分かる。たとえば高名な一首「石垣島万
 花艶(にほ)ひて内くらきやまとごころはかすかに狂ふ」などにもよく反映しています。(鹿取)

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