かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

馬場あき子の外国詠 351(スイス)

2019-10-10 19:02:09 | 短歌の鑑賞
   馬場あき子の外国詠49(2012年2月実施)
      【ロイス川の辺りで】『太鼓の空間』(2008年刊)176頁 
      参加者:N・I、井上久美子、崎尾廣子、曽我亮子、藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
      レポーター:N・I 司会とまとめ:鹿取 未放
       

351 十九世紀の陶芸の花に灯を当てて騙されてゐるゆたかな時間

     (当日意見)
★ホテルなどでランプや人形などを見ているのだろう。(藤本)
★日本人ならまず花といえば生花。露を帯びた花のイメージが強いのに陶器でできた花を見て騙さ
 れている気分になった。文化的な差。(慧子)
★「花」にこだわらなくてもよいのではないか。(藤本)
★「陶芸の花」は陶で作った花、または陶の壺や皿などに描かれた花の絵か、あるいは象徴的に陶
 芸のすばらしい作品と言うことかも知れないが「華」ではないのでこの解釈は苦しいかもしれな
 い。次の歌に壺に「魂を吸はるうやうな」の歌があるので花が描かれた壺かもしれない。博物館
 でもホテルや物産館などでもよいと思うが、十九世紀に作られたものだという陶芸の花に照明が
 当てられて、とてもすばらしく見える。贋作も混じっているかもしれないが、それを眺めている
 豊かな時間がここにある。「土産物の店」ととると、「ゆたかな時間」が短くなる気がする。た
 だ、歌の流れからいうと対岸、アンチックの店と出てくるので、店という解釈も棄てがたい。
    (鹿取)


      (後日意見)
 350番歌に「ロイス川の向かうに行つてアンティクのマリア一体買はんと思ふ」とあるので、「陶芸の花」を象徴と取って眺めているのはマリア一体でもよいように思う。または、次の352番歌に「そこにゆく秘密のおそれアンティクの壺に魂を吸はるるやうな」とあるので、買ったのはマリア一体ではなく「アンティクの壺」だったのかもしれない。お店やホテル、博物館だと灯が当たっているだろうが、自室で買ってきた「陶芸の花」に自分で灯を当ててうっとりと眺めているのである。十九世紀のすばらしいものだとお店では言われたけれど、たとえ贋作でもいいやと。(鹿取)

コメント
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