かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男の一首鑑賞 2の213

2019-11-04 19:39:44 | 短歌の鑑賞
   ブログ用渡辺松男研究2の28(2019年10月実施)
     Ⅳ〈水〉『泡宇宙の蛙』(1999年)P138~
     参加者:泉真帆、岡東和子、A・K、菅原あつ子(紙上参加)、鹿取未放
     レポーター:岡東和子    司会と記録:鹿取未放


213 われの見る水はみずあめみずあめがねっとりといま蛇口から垂る

      (レポート)
 作者が見る水はみずあめなのである。みずあめが、ねつとりと蛇口から垂れているのを今見ているという。みずあめは甕に入つていて、ねつとりとしているので、割りばしでからめとるのが一般的な扱い方である。作者が見る水がみずあめであり、みずあめが水のように蛇口から垂れるというところに二重のアイロニ―を感じる。(岡東)


    (紙上参加意見)
 水が水飴に見えたのか。それとも、水飴の大きな容器があって、そこから垂れる水あめを見ているのか。どちらにしても、水っぽい「みずあめ」の繰り返しの後の「ねっとり」が絡みつくようで、甘いものにからめとられてゆく怖さを表現したのだろう。(菅原)


         (当日意見)
★蛇口から垂れるのだから瓶ではない。(鹿取)
★菅原さんの意見の甘い物に絡め取られていくというのは、212番歌(水にわが夢うば
 われてゆくならん眼のなかにある水がふくらむ)と関連させやすい。いろんな水を詠っ
 てきたけどここはみずあめ。観念的なようでありながら…難しいです。(真帆)
★これはかなり奥が深い歌のようですね。ねっとりに意味があるような気がする。粘着性
 のあるもの。深読みできるものがある。「いま」が効いている気がする。(A・K)
★蛇口から垂れる水をものすごく引き延ばしたスローモーションにすれば、もしかしたら
 水は水飴のようにねっとりして垂れてくるかもしれないという気がする。時間を見える
 ようにしたらこんな形かなって。松男さん、ダリが嫌いと言っていたけど、ダリの「記
 憶の固執」って絵がありますよね、あんなふうにぐにゃりと曲がった時計のイメージ。
    (鹿取)
★確かに時間の象形的なものかもしれないわね。われわれはそういう時間の中にいるのか
 もしれないわね。(A・K)



コメント
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