馬場あき子の外国詠 35(2011年1月)【白馬江】『南島』(1991年刊)P78
参加者:K・I、N・I、佐々木実之、崎尾廣子、T・S、曽我亮子、藤本満須子、
T・H、渡部慧子、鹿取未放
レポーター:佐々木実之 まとめ:鹿取未放
日本書紀では白村江(はくすきのえ)。天智二年秋八月、日本出兵して
ここに大敗したことを太平洋戦争のさなか歴史の時間に教へた教師があつ
た。その記憶が鮮明に甦つてきた。
265 倭船四百焼きし凱歌を語るにを少し騒げり日本の血は
(レポート)
前の引用の通り書記には倭船四百という数字は出てこない。(百七十という数字は出てくるが)。
兵三万を四百艘で割ると一艘あたり七十五人になる。遣唐使船が奈良市観光案内所の模型では長さ25m幅7m、百人程度が乗ったというから、まあ妥当な数字であろう。四百もの船を使わしたのだから、ワンセット4隻の遣唐使船より粗製であったと思われる。遣唐使船のぼろさについては鑑真や阿倍仲麻呂、空海の事故を想起されたい。日本と百済は「不観気象、而相謂之日(くっちゃべることには)。我等争先(こっちがつっこめば)、彼応自退(びびってにげるよ)。」という辻政信なみだから、川下から攻めたのであろう。川下から攻めて、うまくいかず、退却しようとしたら、潮が満ちてきて退却できなかった、とものの本にはあったが、その出典は明記されていなかった。
韓国の人(たぶんガイド)が日本の船を焼いたと語る様が凱歌のように聞こえて、その誇らしげな物言いが少しかちんと来て、自分が日本人であることを端なくも感じた、というのが大意であるが、「聞く」ではなく「語る」「に」対して自分の感情が動いた、という構成を取ることにより、漫然と聞くのではなく、語り手対我という構図をはっきりさせている。なお、「を」には逆接の接続助詞の働きもあり、語り手と我との距離感を際だたせている。(実之)
(当日発言)
★「語るにを」の「を」は、逆接だと「相手は誇らしげに語っているけれども、日本人である私
の血は少しさわぐことだ」となる。確かに距離感というのは出るかもしれない。しかし順接で
も「相手は誇らしげに語っているので、日本人である私の血は少しさわぐことだ」となって十
分解釈はできる。(鹿取)
参加者:K・I、N・I、佐々木実之、崎尾廣子、T・S、曽我亮子、藤本満須子、
T・H、渡部慧子、鹿取未放
レポーター:佐々木実之 まとめ:鹿取未放
日本書紀では白村江(はくすきのえ)。天智二年秋八月、日本出兵して
ここに大敗したことを太平洋戦争のさなか歴史の時間に教へた教師があつ
た。その記憶が鮮明に甦つてきた。
265 倭船四百焼きし凱歌を語るにを少し騒げり日本の血は
(レポート)
前の引用の通り書記には倭船四百という数字は出てこない。(百七十という数字は出てくるが)。
兵三万を四百艘で割ると一艘あたり七十五人になる。遣唐使船が奈良市観光案内所の模型では長さ25m幅7m、百人程度が乗ったというから、まあ妥当な数字であろう。四百もの船を使わしたのだから、ワンセット4隻の遣唐使船より粗製であったと思われる。遣唐使船のぼろさについては鑑真や阿倍仲麻呂、空海の事故を想起されたい。日本と百済は「不観気象、而相謂之日(くっちゃべることには)。我等争先(こっちがつっこめば)、彼応自退(びびってにげるよ)。」という辻政信なみだから、川下から攻めたのであろう。川下から攻めて、うまくいかず、退却しようとしたら、潮が満ちてきて退却できなかった、とものの本にはあったが、その出典は明記されていなかった。
韓国の人(たぶんガイド)が日本の船を焼いたと語る様が凱歌のように聞こえて、その誇らしげな物言いが少しかちんと来て、自分が日本人であることを端なくも感じた、というのが大意であるが、「聞く」ではなく「語る」「に」対して自分の感情が動いた、という構成を取ることにより、漫然と聞くのではなく、語り手対我という構図をはっきりさせている。なお、「を」には逆接の接続助詞の働きもあり、語り手と我との距離感を際だたせている。(実之)
(当日発言)
★「語るにを」の「を」は、逆接だと「相手は誇らしげに語っているけれども、日本人である私
の血は少しさわぐことだ」となる。確かに距離感というのは出るかもしれない。しかし順接で
も「相手は誇らしげに語っているので、日本人である私の血は少しさわぐことだ」となって十
分解釈はできる。(鹿取)