かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

馬場あき子の外国詠 35(韓国)

2019-11-12 20:01:11 | 短歌の鑑賞
 馬場あき子の外国詠 35(2011年1月)【白馬江】『南島』(1991年刊)P78
     参加者:K・I、N・I、佐々木実之、崎尾廣子、T・S、曽我亮子、藤本満須子、
       T・H、渡部慧子、鹿取未放
       レポーター:佐々木実之 まとめ:鹿取未放
                  
                                   
日本書紀では白村江(はくすきのえ)。天智二年秋八月、日本出兵して
    ここに大敗したことを太平洋戦争のさなか歴史の時間に教
       へた教師があつた。その記憶が鮮明に甦つてきた。

263 敗れたる百済のをみな身投げんと出でし切崖(きりぎし)の一歩また二歩

(レポート)
 261番歌(旅にきく哀れは不意のものにして宮女三千身を投げし淵)参照。660年(白村江の戦いの4年前)、新羅・唐の連合軍に敗れた百済の宮女は、白馬江の崖から身を投げた。その数三千。その身を投げた様を落花に例え、身を投げた岩を落花岩と後世呼ぶ。(出典未詳)
 実際に戦ったのは男であるが、男が敗れると必然的に女も敗れることになる。女は戦いにおいて受け身の立場とならざるを得ない。その宮女に唯一主体的な選択として残されているのが「死」であり、その選択を「一歩また二歩」と決断していく切迫感が伝わってくる。261では「宮女三千」、268番歌(敗戦は女らを死に走らせき落花岩(らつくわがん)幾たびか仰ぎて哀れ)では「女ら」となっているが、この歌では「をみな」はひとりであるところにひとりの決断に絞り込んだ効果がある。
 また、一連の詞書からも分かるように太平洋戦争を根底に意識している。これにより「バンザイクリフ」「ひめゆり部隊」といったつい最近の出来事が想起され、千何百年も昔のこともリアリティを持って読者に迫る。(実之)


(当日発言)
★「をみな」の語の選択がよい。「をみな」は若い女の意で、古くは美女のことをいった。この
  語によって、いっそうの哀切感が伝わる。261番歌について、身を投げたのは自己の意志だ
 ったかどうかと沖縄戦などの関連から疑問を呈したが、ひとりの「をみな」に絞った今回のレ
 ポートでは、死の選択に説得力がある。(鹿取)


コメント
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