かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男の一首鑑賞 2の219

2019-11-10 20:55:06 | 短歌の鑑賞
   ブログ用渡辺松男研究2の28(2019年10月実施)
     Ⅳ〈水〉『泡宇宙の蛙』(1999年)P138~
     参加者:泉真帆、岡東和子、A・K、菅原あつ子(紙上参加)、鹿取未放
     レポーター:岡東和子    司会と記録:鹿取未放


219 まなうらに波ゆれている沼のあり波しずまりしとき さかな落つ

      (レポート)
 まぶたの裏に波がゆれている沼がある。波がしずまつたとき、魚が落ちた。作者は瞼を閉じて、波がゆれている沼を眼の奥に見ている。「波がしずまつたとき」というのは、同時に作者の心もしずまつたのだろう。そして次の瞬間魚が落ちたというのだ。下句は九・五になつている。さらに九の後に一枡あけることで、作者の驚きが強調されていると思う。(岡東)


      (紙上参加意見)
 眼を閉じて寝ようとしているが閉じた目の前がゆらゆらして落ち着かず眠れない。ようやく落ち着いて。眠りに落ちました。ということか。結句の「さかな落つ」がすとんと眠りに落ちていく感じをうまく表しているように思う。(菅原)


          (当日発言)
★「さかな落つ」がそうきたかという感じ。(真帆)
★岡東さんと菅原さんの解釈はまったく違いますね。(A・K)
★哲学的な一首かなあと思いました。松本ノリ子さんが大会に出された歌で白内障だった
 か緑内障だったか、病の目の底にふたひらの沼があるというのがあったのですが、その
 ような沼を思いました。波が静まったとき縁(えにし)が結ばれたように魚が落ちる。
 何か魚が見えますね。美しくて奥が深くて。魚は沼の中から更に底に落ちているような
 感じがします。宇宙のいろんなものが合致して、そこに魚が生まれてストーンと落ちる。
    (真帆)
★ではそれは世の中にある魚とは違うのね。魚はとってもリアルなイメージだけど、全体
 に禅問答みたいですね。(鹿取)
★はい、何か幻想的ですね。(真帆)
★九、五って岡東さん読まれたけど、句またがり七・七だと思います。自分の中に混沌と
 しているものがある。それがストーンと魚が落ちたとは明晰になったということ。魚は
 沼の中にある核のようなもの、その魚が落ちたとき核が見えた。暗喩ですよね。「さか
 な落つ」がものすごく上手いと思いました。赤い魚のイメージです。象徴というかシン
 ボライズされたもの。(A・K)


     (後日意見)
 「底翳とうさびしき小さき沼二つもてば今年の青葉いとおし 松本ノリ子」(2003年:第二十五回かりん全国大会の最高得点賞歌です。「かりん」三十年史P.123より)(真帆)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする