馬場あき子の外国詠 35(2011年1月)【白馬江】『南島』(1991年刊)P78
参加者:K・I、N・I、佐々木実之、崎尾廣子、T・S、曽我亮子、藤本満須子、
T・H、渡部慧子、鹿取未放
レポーター:佐々木実之 まとめ:鹿取未放
日本書紀では白村江(はくすきのえ)。天智二年秋八月、日本出兵して
ここに大敗したことを太平洋戦争のさなか歴史の時間に教
へた教師があつた。その記憶が鮮明に甦つてきた。
270 韓(から)にして日本はにがきにがき国帰り来ていかに何を語らむ
(レポート)
大意としては、「韓国にとっては日本はあるいは日本人としては(罪悪感で)日本は不愉快な国と思った。その思いはあまりに複雑なので土産話に困る」というあたりであろう。「韓にとっては」と解すべきではあるが「帰り来て」という句があるために「韓にいたときに」とも読める。「いかに」「何を」という疑問詞をふたつかさねているが、これは何かを話したいが何から話していいか分からないもどかしさを伝えている。その内容は曰く言い難い「にがきにがき」と書かざるを得ないような感情である。
豆知識:「韓」を「カラ」と読むのは「ン」の発音が昔は無かったからである。「伽羅」とは関係ない。「唐」を「カラ」と読むのは、唐と漢の区別がつかなくて「カン」即「カラ」と読んだためである。また宛字で「サラ」の読みの字を「讃」で当てた例として持統天皇の諱「鸕野讃良」がとりあえず思いつく。あと「ン」を「ニ」と読んだ例があった気がしているが忘れた。(実之)
(当日発言)
★269の歌(白馬江美しすぎて歴史より長き命をうたたやさしむ)のところで読めばよかったけ
ど、『南島』あとがきの一部を読んでみます。「詞書きにもかいたような事情で、私は白馬江に
特別な感情をもっていた。美しく、明るい豊かな流れが、夕日の輝きの中をゆったりと蛇行して
いた景観は忘れがたい。妖しいまでの淡彩の優美な景の川に船を浮かべて、長い長い歴史の告発
を受けているような悲しみを感じていた。」この最後の部分に尽きるのかなと思います。韓国に
あって日本という国を顧みると苦い苦い国だった。佐々木さんはそれを曰く言い難いと表現され
ましたが。だから、自分が味わっていた苦い感情を、心用意のない人に向けてはとても語ること
ができなかったのでしょう。(鹿取)
参加者:K・I、N・I、佐々木実之、崎尾廣子、T・S、曽我亮子、藤本満須子、
T・H、渡部慧子、鹿取未放
レポーター:佐々木実之 まとめ:鹿取未放
日本書紀では白村江(はくすきのえ)。天智二年秋八月、日本出兵して
ここに大敗したことを太平洋戦争のさなか歴史の時間に教
へた教師があつた。その記憶が鮮明に甦つてきた。
270 韓(から)にして日本はにがきにがき国帰り来ていかに何を語らむ
(レポート)
大意としては、「韓国にとっては日本はあるいは日本人としては(罪悪感で)日本は不愉快な国と思った。その思いはあまりに複雑なので土産話に困る」というあたりであろう。「韓にとっては」と解すべきではあるが「帰り来て」という句があるために「韓にいたときに」とも読める。「いかに」「何を」という疑問詞をふたつかさねているが、これは何かを話したいが何から話していいか分からないもどかしさを伝えている。その内容は曰く言い難い「にがきにがき」と書かざるを得ないような感情である。
豆知識:「韓」を「カラ」と読むのは「ン」の発音が昔は無かったからである。「伽羅」とは関係ない。「唐」を「カラ」と読むのは、唐と漢の区別がつかなくて「カン」即「カラ」と読んだためである。また宛字で「サラ」の読みの字を「讃」で当てた例として持統天皇の諱「鸕野讃良」がとりあえず思いつく。あと「ン」を「ニ」と読んだ例があった気がしているが忘れた。(実之)
(当日発言)
★269の歌(白馬江美しすぎて歴史より長き命をうたたやさしむ)のところで読めばよかったけ
ど、『南島』あとがきの一部を読んでみます。「詞書きにもかいたような事情で、私は白馬江に
特別な感情をもっていた。美しく、明るい豊かな流れが、夕日の輝きの中をゆったりと蛇行して
いた景観は忘れがたい。妖しいまでの淡彩の優美な景の川に船を浮かべて、長い長い歴史の告発
を受けているような悲しみを感じていた。」この最後の部分に尽きるのかなと思います。韓国に
あって日本という国を顧みると苦い苦い国だった。佐々木さんはそれを曰く言い難いと表現され
ましたが。だから、自分が味わっていた苦い感情を、心用意のない人に向けてはとても語ること
ができなかったのでしょう。(鹿取)