かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男の一首鑑賞 1の49

2020-07-20 19:40:23 | 短歌の鑑賞
  ブログ版渡辺松男研究⑥(13年6月) 『寒気氾濫』(1997年)橋として
       参加者:崎尾廣子、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
   司会と記録  鹿取未放
                   

49 出口なきおもいというは空間が葱の匂いとともに閉じらる

      (発言)
 ★「ともに」は何と何を「ともに」なんですか?(崎尾)
 ★それはよく分からない。空間に葱の匂いが満ちることで、何か思っていたこと
  が空間に閉じこめられた。「出口なきおもい」というのを初句にもってきてち
  ょっと歌を捻った。(慧子)
 ★私はもう少し哲学的な歌として読みました。渡辺さんは哲学を専攻した人なの
  で、もしかしたらサルトルの戯曲「出口なし」などが念頭にあったのかなと。
  私は読んだことがないし、このお芝居を観たこともないけれど、この戯曲では
  この世の価値は全て相対的なもので絶対はないというようなことを言っている
  そうです。サルトルは実存ということを考えた人だけど、全てが相対的という
  考えは仏教と共通していますよね。人間という存在がこの世に閉じこめられて
  いて、脱出するには死しかないんだけど、仏教でいうと死も脱出では無いわけ
  ですよね。六道を輪廻していて、たとえ天上界へ行ってもそこは輪廻の一つに
  過ぎないわけですから。だから仏教では一般的には悟りということを考えて、
  それによって輪廻の外へ出ようって考えられている。この歌は葱の匂いに触発
  されてできたのかもしれないけれど、生ということをやはり考えている歌なん
  でしょう。〈われ〉(作中主体のこと)が葱の匂いと「ともに」空間に閉じこ
  められているんでしょう。(鹿取)


         (追記)2013年9月
 あまり関係がないが、私の好きな俳人、永田耕衣に「夢の世に葱を作りて寂しさよ」がある。(鹿取)


           (追記)2020年7月
 この歌は「橋として」という一連20首の中にある。前回鑑賞した「39 生きて尾を塗中(とちゅう)に曳きてゆくものへちちよちちよと地雨ふるなり」「43 葱浄土広大にして先を行く幻へ骨をもちて追いかく」「48 表層を皮剥けばまた表層の表層だけのキャベツが重い」、これから出てくる「56 鮑焦(ほうしょう)は木に抱きつきて死にけるをさやさやと葉は黄にかわりゆく」など哲学的な歌とも関連があるのかもしれません。イメージとしては狭すぎるので違うのでしょうが、〈われ〉が小さくなって一本の葱の底に閉じ込められているような図を思い浮かべます。(鹿取)


コメント
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