2024年度版 渡辺松男研究44(2016年12月実施)
『寒気氾濫』(1997年)【半眼】P148~
参加者:泉真帆、M・S、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
レポーター:渡部 慧子 司会と記録:鹿取 未放
364 椎の木の匂える影に踏み入りて木の内側に一歩近づく
(レポート)
椎の木があって、その近づき方を漠然と捉えず、「一歩」としていることが細やかだ。立派なものへの、畏れ、つつましさ、の表れであろう。薫陶を受けるという言葉があるように、木の立派さがその匂いや影ににじんでいて近づくと、それと知らず影響を受けるのだろう。(慧子)
(当日意見)
★椎の木が匂っている、その椎の木の内側が影なんだという捉え方がユニーク。陽が当たっている方ではなく、木からしみ出ている内面が影かなと思って。一歩近づくというのがレポーターとは違って、私はちょっと近づくくらいの、あまり意味がない感じ、具体的な一歩というよりも少し近づいたという感覚かなと。(真帆)
★私も一歩というのは真帆さんと同じ捉え方です。(M・S)
★影については、単純に木の影だと思うのですが。その影に入ると椎の木の匂いが感じられる距離になる。そしてそれは木の内側に一歩近づいたことでもある。レポートの「木の立派さ」というところに少しひっかかります。立派というのは歌のどこから導かれた解釈なんだろう。柿の木は立派でなく、椎の木は立派というような区別なんだろうか?それとも人間は立派でないけれど木はみんな立派っていう解釈なのか?作者は木の種類によって優劣は付けていないようだし。作者は木に憧れてはいるけど、人間一般と木を比べて優劣を言ってはいないと思うけど。(鹿取)
★薫陶を受けるという言葉がありますよね、傍にいるだけで良い影響を受けるような、この木もそん なようで、立派としました。椎の木は花時以外匂わないんだけど、それを匂うと表現するからには大きくて立派な木なんだろう、いいものなんだろうと思ったのです。影とまで言っているのですから。何かと比べてということではありません。(慧子)
★ここでは椎の花が咲いているのではないかな。そして、その木の影に入る。これはリアルな、陽光に よってできる普通の影です。そこに入ったことで木の本質に近づいた、という歌ではないでしょうか。(鹿取)