かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男の一首鑑賞  151

2021-01-24 18:59:23 | 短歌の鑑賞
    ブログ版 渡辺松男研究 18 2014年8月
       【夢解き師】『寒気氾濫』(1997年)65頁~
       参加者:泉真帆、鈴木良明(紙上参加)、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
        レポーター:渡部 慧子 司会と記録:鹿取 未放
            

151 桐の花咲きしずもれるしたに来てどうすればわれは宙に浮くのか

       (レポート)
 「桐の花」の下。それは咲きしずもれる状態。そこに来た作者は「宙に浮く」てだてを思っている。咲きしずもれるという呪縛めいた空気感からのがれたいのか、あるいは高い桐の花の薄紫への思慕があるのか。思うにどちらでもなくてもっと他のこころもちかもしれない。こう思うのは「宙」という措辞によるのだろう。紫煙や高嶺の花などから想像される状態を越えたところに作者の思いはあろう。(慧子)


       (紙上意見)      
 本歌集は、1997年に上梓されているから、オウム真理教事件(1980年代末~1990年中期)の頃の時代も映しているだろう。主犯者麻原の空中浮揚が話題になっていたが、この歌も、それが背景にあっての歌だろう。桐の花の咲きしずもれる下で、宙に浮くことを揶揄しつつ、束縛から離れて自由になるとは、どのようなことかを考えている。(鈴木)


       (当日発言)     
★咲きしずもれるとあるので花はたわわに咲いているのだと思う。その下に来たときとても幻想的 になったのだろうと。作者は自分も浮いてみたいと真剣に思ったのではないかと。あの花のとこ ろに行って宙の中に同化していくことができないかと。(真帆)
★落ち着いた静かな所に来て、どうしたら桐の花に近づけるのかなと、希望でしょうか?(曽我)
★私は白秋の歌を思い浮かべてしまいました。〈手にとれば桐の反射の薄青き新聞紙こそ泣かまほ しけれ『桐の花』〉これは非常に繊細な歌で掲出歌とは直接関係ないですね。咲きしずもれると いうと、やはり満開で、辺りには誰もいなくて、その下で静かに瞑想している、どうしたら宙に 浮くのかと考えて。浮くことだけが目的で、例えば 花に近づく為にとか死者に同化する為にと かは考えなくて。(鹿取)


      (後日意見)
 「桐の花咲きしずもれるした」とはやはりそこだけ切り取られた異空間のようだ。時刻は書かれていないが、真っ昼間という感じを受ける。そこで〈われ〉は「どうすればわれは宙に浮くのか」を考えている。麻原彰晃が地下鉄サリン事件を起こしたのは1995年3月、逮捕されたのが同年5月、歌集『寒気氾濫』が出たのが1997年だから、宙に浮く行為への関心は麻原に触発されたせいであったかもしれない。しかし、それはきっかけに過ぎない。だから下の句が麻原を揶揄しているとは思わない。生真面目に、宙に浮く方法を考えている姿を読者である私は想像して少しおかしくなる。『泡宇宙の蛙』に「眠れざれば徹底的に薬罐見る 薬罐はいかにしてつくるのか」があるが、同じような追求癖の系列の歌に思える。ただ、掲出歌は異空間めいた場の提示がおもしろく奥行きのある歌になっているし、不思議な魅力を湛えた歌だ。(鹿取)


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