かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男『寒気氾濫』の鑑賞 320、321

2024-09-24 09:37:33 | 短歌の鑑賞
※まったく異質の歌ですが、320番が短いので二首掲載します。

 2024年度版 渡辺松男研究39(2016年6月実施)
     【明解なる樹々】『寒気氾濫』(1997年)133頁
     参加者:S・I、泉真帆、M・S、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:渡部 慧子   司会と記録:鹿取 未放
 

320 一ミリに満たざる髭も朝ごとに剃りて制度の内側の顔

        (レポート)
 制度の中のこまごまとした制約、規約があり、また職務として明確さが求められるはずだし、さまざまに内的葛藤もあろう。それをかかえる胸中の、それはそれとして、髭はまず一ミリに満たざるものも処理するごとく剃り、朝朝制度の内側へすべり込んでゆく。(慧子)


321 誰よりも俯きてあれわが日々よ俯かざれば時代が見えぬ

     (レポート)
 魅力的で箴言のような一首。「誰よりも俯きてあれ」とは謙虚であれ、自己をよく見つめて忠実であれと戒められているように受け取った。時代を表層的、常識的でなく、それらを突き抜けて深くみるために、逆説的に「俯きてあれ」といってはいないか。次のような文章に出会ったことが理解の助けになったので記載する。(慧子)
  しかし人間であっても樹におけるのと同じなのだ。高く明るい処へのぼろうとすれ
  ばするほど、その根は、いよいよ力強く、地中深くへと進んでゆくのだ、
  下方へ…… (以下略)  
          ニーチェ著・原田義人訳『若き人々への言葉』(角川文庫)
 
           

        (当日意見)
★引用されたニーチェの言葉は魅力的ですが、私は少し違うように感じました。目を伏
 せるのは目を開けて見てしまうといろんなものにまどわされて本当の時代が読めなく
 なるのでなるだけ心の目、自分の考えに従って世の中を見ようという意味なのではな
 いかと思います。目の前で繰り広げられる人間関係だったり、テレビニュースだった
 り情報雑誌だったりいろいろありますが、自分の思考を信じていこうと。(真帆)
★私もこの歌とニーチェの言葉はあまり関係ないように思います。(S・I)
★「目の前の現実に惑わされるな」は間違いではないと思うけど、そこをあまり強く押
 し出さない方が私はいいと思います。内省的、思索的な姿勢によって時代が認識でき
 るということだと思いますが。その為にニーチェを引用されたので、私は関係がある
 と思います。(鹿取)
★「考える人」のポーズは俯いていますよね。だから時代を真摯に見ようとしたら俯か
 ないといけないんじゃないかな。慧子さんの「謙虚であれ」も一つの捉え方でいいと
 は思います。(S・I)
★レポート2行目、「自己をよく見つめて忠実であれと戒められている」の「られ」
 は、受け身ですか?尊敬ですか?(鹿取)
★受け身です。(慧子)
★それだと違うように思います。松男さんは他人に対して「俯きてあれ」って言って
 いるのではなく自分に対して言い聞かせているんですよね。「わが日々よ」って
 言っていますし、だから「誰よりも」が前に付くのです。それ「わが日々よ」ってこ
 とわっていますから。「謙虚であれ」も同様で他人に言っているのなら違うと思いま
 す。自分の内面をよくよく見つめることによってしか時代は見えないんだぞと自分に
 言い聞かせている歌だと思います。他人に向かってお説教する態度はこの作者には
 無いので。ニーチェの引用は「宇宙のきのこ」の鑑賞でもこの部分もう少し長く引用
 しましたし、しばしば樹木関連の歌で話題に上ったところですね。(鹿取)
★この歌の「時代」は過去のことではないですか?今の時代ならまっすぐ目をあげてい
 る方が見やすい。俯いて見えるのは過ぎ去った時代の事だからでしょう。(M・S)
★それだと当たり前すぎて面白くないです。(S・I)
★常識ではM・Sさんのおっしゃるとおりなんですが、松男さんは違う姿勢の方なの
 でしょうね。『寒気氾濫』の出版記念会で、山田富士郎さんがこの歌を褒められま
 した。(鹿取)


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